私的に‘80年代を語る!
ボブ・グリーン! 〜アメリカン・ビート〜


1985年5月、アメリカ人のコラムニストの手によるコラム集が一冊、出版されました。

その数年前にベストセラーとなった、やはりアメリカ人のピート・ハミルによるコラム集 「ニューヨーク・スケッチブック」とそっくりの装丁のその本は「アメリカン・ビート」。その作者が、 当時日本ではほとんど知られていなかったボブ・グリーンでした。



1947年アメリカ中西部オハイオ州コロンバスに生まれる
高校時代は、新聞部に在籍
ノース・ウェスタン大学に入学
在学時に「シカゴ・トリビューン」紙の非常勤通信員
となる
1969年大学卒業 「シカゴ・サン・タイムズ」紙に入社
1970年「シカゴ・サン・タイムズ」紙のコラムニストに。
以後、「シカゴ・トリビューン」紙、及び
月刊誌「エスクワイヤ」に連載
・・・
高校時代から「ジャーナリズム」の世界をかじり始め、大学在学中に「シカゴ・トリビューン」紙の 非常勤通信員、卒業後まもなくの23才で、アメリカのジャーナリストの夢であるコラムニストに、 という彼の経歴は、まぎれもなくエリートのものです。
並たいていのエリートではない。「天声人語」を23才の 若者が書くようなものですから。
「天才」といってもかまわないかもしれない。
実際「天才コラムニスト」という評価もあるようです。

しかし、一時は週に4日の新聞コラム、そして月刊誌「エスクワイヤ」に連載、さらにABCの報道番組 「ナイトライン」にてレポーターもつとめる、と、正に八面六臂の活躍をしていた彼の持ち味は、一言、
「市井の視点」
・・・これに尽きます。

(管理人(こめ)の持ってる)「ボブ・グリーン」著作集・出版社別
初版発売タ イ ト ル発 行 元
1985.5アメリカン・ビート河出書房新社
1986.7アメリカン・ビート2
1989.7アメリカン・スナップショット
1986.7チーズバーガーズ文 芸 春 秋
1988.6十七歳 1964春
1988.7十七歳 1964秋
1990.10チーズバーガーズ2
1991.9ホームカミング
1992.9ボブ・グリーン、70才になる
チーズバーガーズ3
1993.7チーズバーガーズ4
書きつづける理由
1988.2アメリカン・タイム集 英 社
1989.2アメリカン・ドリーム
1990.2アメリカン・ヒーロー
1992.11晩秋のシカゴ
ミシガン大通りから
1993.10マイケル・ジョーダン物語
1989.3ボブ・グリーン 街角の詩NTT出版
彼の視線は、あらゆる肩書きなどに左右されることなく、あくまでも対象の「人間」そのものに 対して注がれます。
例えば相手が、ビートルズ、メリル・ストリーブ、ジェシカ・ラング、 モハメド・アリ、ダスティン・ホフマン、フランク・シナトラ、 ニクソン、さらにはマイケル・ジョーダンであった としても、その文章には無意味な賞賛も非難もなく、 あくまでもその「人間」そのものに対して視線が注がれて行きます。
年間数千万ドル稼ぐスターも、退屈な毎日になやむOLも、同じ視点で 語られるのです。

具体的な例を提示したら、もっとボブのコラムの魅力がわかってもらえるかなぁ。
例えば、

*ローストビーフの切り方を知っているか否か、に見る、現代アメリカの「父権」

*成功者にみる、少年時代の「挫折」体験

*55才にして文字を習おうとする文盲の配管工の物語

*ビートルズが公演時に利用したホテルから、四人の部屋のベッドシーツを買い取り、 1インチ四方に刻んで一枚1ドルで売ろうとして失敗した男の話

*世界一美味い、というふれこみに誘われて行ったピザ屋に、ペパローニが無かったという ショック!

*我が子が生まれてすぐに履いた靴を、記念にブロンズにする会社の営業について

>
「チーズバーガーズ」目次より
アラモの砦クォーターバック
電話でパーティ母と娘
飛行機の中の他人シカゴ・セブン
世界一有名な男イッピー対ヤッピー
アリス・クーパー
失格の烙印
男の中の男ファッション・プレート
犯罪の情景反グルメ論
ビートルズのベッドシーツプロモーション・ツア
ルイヴィル・スラッガーキャンパスのヒーロー
ボーリング場の女たちブロンズの靴
大学進学適正試験中年になった心境
ABCDJ故郷の町
旅の掟メリル・ストリーブ
プラチナ・カードさようなら、ディヴィズ
クロゼットの女
・・・わざと内包するテーマにはふれずに、表出するタイトルだけを並べてみましたが、 こういったエピソードが、どの単行本にも詰まっているのです。ちなみに上記はすべて 日本での代表作「チーズバーガーズ」に所在。このボリュームが、管理人(こめ)の持ってる だけでざっと16冊にわたって展開されているわけです。
そして、こういった珠玉のようなエピソードが、ときにはユーモア、ときにはちょっとメロウに、やさしい口調で 語られています。「アメリカ人も、オレ(ワタシ)といっしょなんだなぁ」と思わせてくれます。



・・・で、ボブは決してこういう部分、つまり、アメリカ版「ちょっといい話」的な側面のみの 作家ではないのです。
瞠目すべきは、その「取材力」「取材眼」。圧倒的に鋭いジャーナリストとしての筆力。
いわゆる、アットホーム派の流行作家との決定的な差は、その表現が紛れも無くジャーナリスト としてのものだ、というところです。
いや、表現の方策だけじゃないな。着目の段から、それはあくまでジャーナリストのものです。
そして、正にその部分が、80年代後半、ボブの一連の作品が日本でブームとなった、その理由 なのです

ジャーナリストとしてのボブ・グリーンが、もっとも象徴的に出ている作品を2つ。


その@ホームカミング
「ベトナム帰還兵は、帰還時、反戦運動家によって唾を吐きかけられた」。アメリカでいわれる この「噂」を、検証する。その検証の方法は、当の帰還兵及びその近親者から送られた235通の手紙。
単行本403ページのほぼ100%が、これらの手紙の羅列です。
@唾を吐きかけられた
A唾を吐きかけられなかった
B歓迎された
C唾を吐きかけられるよりもひどいこと
Dその他

これらに分類されて、一見無機質に並べられる「手紙」。たったこれだけの構成から、読み手に 「反戦」にまで思いを及ばせてしまうジャーナリスト・ボブの巨腕!
そのAマイケル・ジョーダン物語
集英社による最悪な邦題(原題は”HANG TIME”)と最低な装丁(表紙の半分を閉める幅の帯。 なぜかと思ったら、帯の下からボブのポートレイトが!)によって、タイヘン損してる作品です。
対象は、正に全盛期のマイケル・ジョーダン!あまりにもボブにはふさわしくない題材、と、発刊 当時も言われました。市井の人びとを題材に選んできたボブに、人類最高のスター、ジョーダン の取り合わせ。
しかし、ボブの「取材」の指向は、見事にジョーダンの「人間」を浮き彫りにしました。
実は人間の心の襞にしか興味の無いボブにとって、ジョーダンの人柄ほど吸引力のあるものは ない(集英社「マイケル・ジョーダン物語」あとがきより)
・・・というわけなのです。


90年代に入って、ボブは小説の世界に飛びこみました。
最近、あまり新作は日本に入ってきていないようです。…これはボブの著作に限ったことでは なく、だいたい外国文学の新作は売れないんですよね。いや、活字のもの自体が売れてないのか。

ちなみに、ボブの初のコラム集「チーズバーガーズ」。
「コラムを本にまとめるときは、タイトルには一番自分の好きなものの名をつけたい。一番好きなもの をまとめた本だから」ということで付いた名なのだそうです。



追記。2002年の晩夏というか初秋というか、とにかくそんな時期、
「ボブ・グリーン、シカゴ・トリビューン社を退社・・・」云々という報道がありました。
かつて取材で関わった少女(!?)と、肉体関係を持った、このことがバレた、ということらしいです。

事実かどうかは分りませんが、とにかく、そういうことらしいです。


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