格闘技について云々。

当サイト管理人はTVをほとんど観ないのですが、この大晦日は実に数ヶ月ぶりにTVの前に陣取り、K-1とPRIDEの各試合を観てました。
ちなみになんでTVをほとんど観ないのかというと、簡単なハナシ面白くないからで、あまりにも過剰な、それでいて的外れで、しかも工夫の跡のみられない演出に辟易、という感じなわけです。
が、それでもいわゆる格闘技系の中継番組は比較的観てまして、それは「番組」という作品の内容において、上記したような人為的な演出に拠る部分が比較的少ないから、という理由です。
要するに、TV番組制作者の手による作品は観れたもんじゃないけれども、リングetcに上がる選手達のパフォーマンスは信頼できる、という判断であります。
ですが、この大晦日に各局でやってました格闘技戦は、かなりキツかった。
観なきゃよかったかなぁ、という感じで、この元日を迎えております。


以下、試合そのものに「八百長」が無かった、という前提で書きます。
ケツギメ、片ヤオ云々のウワサもあちこちで飛び交ってるようですが、ワタシ的にはとりあえずリング上の選手はそれぞれのレベルにおいて「真剣勝負」であった、と思ってます。
っていうか、よっぽど実力差が無いと片ヤオ・・・片方の選手のみが手を抜く・・・など出来ないはずだし、ケツギメがあったとしたらもうちょっとドラマチックな展開があってもよさそうなもんだ、と思う次第です。
閑話休題、なぜ「観なきゃよかったかなぁ」と思ったか。
その1。
まずなによりも、マッチメーク、これがあまりにも素人臭いというかなんというか、辟易でした。
大晦日のあの時間帯に放送、ということで、各種格闘技に精通している人、ファン層以外の層にも訴求力の有るカードでなければならない、という事情はわかりますが、なにしろ30kgも体重差のある者同士が「好試合」を行なうことが出来るはずがありません。
名前のある選手を出せばいいってもんじゃありません。体重差etcなどおかまいなし、とにかく○○が出場していれば数字(視聴率含むいろいろ)稼げる・・・こういう発想は、選手に、客に、なによりその競技そのものに対して失礼です。冒涜ですよこれは。
名前がある=実績があるってことは、その競技において実力者であった、ってことです。
格闘技に限らず「試合」というものは、実力者同士が相対するから面白いんです。
その競技における実力者が、実力以外の要素(体重etc)を出来るだけイーブンにして=出来るだけ実力そのもののみで雌雄を決せられるような状況にして戦うからこそ面白いし、感動が生まれるんです。
逆に言うと、あれほど体重差があってもとりあえず試合が出来ちゃうってのは、この「総合格闘技」とかいう競技が、未だ格闘競技として未成熟である、ということの良い証明です。
今回、各選手ともいわゆる「重量級」でしたので、ボクシングの軽量級みたいに500g単位で気にする必要はないと思いますが、それを踏まえても30kgの差ってのはデカすぎです。80kg台の選手にあっての体重差30kgってのはもはやマトモな試合が出来る限界を超えてるはずです。にも関わらず「超えてない」ってとこがこの競技の未成熟さの証明です。
だいたい、この大晦日にもよおされた格闘技、特に「立ち技最強」とか言ってる方、こちらの「格闘技としてのレベル」は、あまりにも低いように思います。
「攻め込まれた時に、まっすぐ下がらない」とか、「パンチはナックル部分をまっすぐ当てなければ効かない」とか、「顔はキチンと相手に向ける」とか、そういうことはもう基本中の基本で、ボクシングですと6回戦の選手でもある程度キチンと履行してます。にも関わらず、大晦日の興行のみならずどの試合を観ても、この興行ではこういうことさえ出来てない選手があまりにも多いです。
一時負けが込んでた時期のP・アーツ、M・ベルナルドのKOされる試合全て、B・サップに(事実上)E・ホーストが負けた試合、皆「攻め込んでくる相手に対してまっすぐ下がって負けた」試合です。
そういう選手がメイン扱いで、ドームクラスの会場一杯の観客の前で戦ってたりする。皆さん、それなりに盛り上がったりしてる。
あの競技を観て楽しむ精神、盛り上がれる神経というのは、街中でヨッパライがケッカしてるのをヤジウマして楽しむ神経と同等です。
いや、これが悪いと言ってるわけではありません。肉弾相打ち戦う姿を観て興奮し楽しむというのは間違いなく人間の本能であって、それを否定するというのはあまりにも奇麗事に過ぎます。ですが、「プロ格闘技」というものはそれだけで終わってしまうのでなく、それに加えて、プロであるがゆえのプラスアルファの楽しみ、面白みを与えられるものでなければいけない、と思うのです。
その2。
TV各局の、特に実況、あれはいくらなんでもヒドいんじゃない?と。
その1で書いたように、番組の主要要素=試合そのものが高いレベルのものでないので、実況その他の演出でカバーしなければならない、という事情もやはりよくわかりますし、そういう適切な演出が施されての、上質なエンターテイメントとしての成立があっても良いとは思います。
しかしながら、この大晦日の2局のそれはヒドい。そういう次元のものではありませんでした。
TV局のアナウンサーという職にある人たちは、もはや「いかにしてオベッカを使うか」という教育しか受けてないんじゃないか、と思えます。
この大晦日の実況は、もはや盛り上げるための一助でなく、単なるタイコモチの所業でしかなかったです。それも極めて無芸なタイコモチ。
(それでいて実際にこういったアナウンサーという職にある人に会うと、奇妙で滑稽にさえ思えるほど、むやみやたらに特権階級意識みたいなものが感じられます。なんでこの人たちはこんなに「オレ・ワタシは特権階級なんだぞ!」オーラだしまくりなんだろうか???と。)
まだ格闘競技として成熟しきって無く、各選手も当然ながらそのレベルの中にあり、にも関わらず人気だけが無闇に高まってしまってるこの現状。
これはもはや、いつ客が飽きるか、という・・・ただ競技消滅を待つばかりの状況、といえそうです。