「乾かせないもの」観後雑感。

2006.8.23(水)~28(月)、新宿2丁目のタイニイアリスという劇場でもって「乾かせないもの」という、いわゆる「お芝居」の収録を致しました。
これは当サイト管理人の中学時代の友人であり、同時に○○でもあるというT氏が「座付作家」をやってる「机上風景」という劇団によるもので、そういえば前回の公演も弊社でもって収録させて頂いたのでした。
今回の公演、非常に面白かった。ここでT氏にコビ売っても仕方ないのですが、面白かったものは仕方が無い。
当サイト管理人は稽古時、当日の収録時、そして編集処理時と、もう何度となくこの「お芝居」をアタマからケツまで繰り返し繰り返し観たわけですが、何回観てもほぼ初見時と同様に堪能出来ました。
このことは非常に稀有な事で、大抵2,3回も観ればもう飽きちゃって嫌んなっちゃうのが通常なのですが、この後ストーリーがどう展開するか、知ってるからこそ楽しめた、みたいなところもあるくらいで、飽きるって感覚がほぼゼロ、いや、これはホントに稀有だ、と。


観後の感想をここで書こうと思うのですが、こと「演劇」に関して当サイト管理人はズブの素人ですので、ムリして書いて、なんだかイヤミな感じの評論文みたいになっちゃうのは本意ではないので、思いついたことをつらつら、ダラダラ書き連ねてみます。
 
 
・みんな泣く。みんな同じ理由で泣く。
 「死んで欲しくない人が死ぬ」ことについて泣く。
・みんなが同じ理由で泣く、という、団結。強制的に団結させられる女性達。それが銃後?
・強制しているのは、国家もしくは単なる「タイミング」。示されない。示さない。
・強制している国家?軍隊?・・・「そういう事柄だってことにしといて下さい」みたいな。流され方。
・「銃後」にとって、「戦争」とは空からくるもの。
 戦地の男にとって、「戦争は」目の高さにあるもの。
・空を見上げて戦争を意識する女性達と、戦争を「見上げる」ことに慣れない男。
・劇として、ドラマとして、誰を殺すべきか、誰が死ぬべきか
・無言なのは、無力感?いや、現実として、事実としての無力さ。
・無力なのか?いや、彼女は自死する。
・唯一の、出血、血。「血糊」という言葉の粘着感。
・泣きながらすること、泣くかわりにすること。
・号泣できる余裕。
・忘我できる程の信頼関係。
・笑って死ねればいいのか?
・銃口を向ける、向けられる。なんだ、どっちも同じだったとは。
・じゃあ、誰が一番強いのか?
・常に何かが詰まっている舞台上。
・屋外の閉塞感。地下の閉塞感。
・誕生日に死にに出かける。
・劇中の「愚鈍」の扱い。美しい愚鈍に、醜い愚鈍。
 あえて無意味な愚鈍に、意味有る愚鈍。
・小劇場=観客との一体感?・・・一体感って?
・観客=傍観者?少なくとも参加はさせない
・客観者として得る感動、参加者として得る感慨。
 で、なにを目指す?
・そもそも客はどこを観てるものなのか。
・ことさら飽きさせないようにしてないのに、飽きない。
・乾かせないもの、乾かないもの?乾かしてもらえないもの?乾かしたくないもの?なにも乾かない?
 
 
・・・なんだか意味不明ですが、そんな感じでした。
繰り返し観ても飽きずに堪能できる、というのは・・・そのことが即ち「完成度の高さ」ってことなんだろうな、と思いました。
とにかく、T氏はよく働いていたよ、うん。