おしまい、でいいんじゃないか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090623-00000638-san-soci
こう何度も何度も「不祥事」、それもメディアとしては本来なら致命的であろう、極めてアホなトラブルばかり起こして、それで大マスコミとしていられるってのは、やっぱしおかしな話である。
巷間伝えられる所では、やれ分社化による社内人事の歪みだとか、おそらくはそのことに起因する「内部告発」だとか、どうやらこの局の不祥事ばかりが世に出てしまうのにはそれなりの理由があるっぽいのだが、それにしたってこの数はもう異常である。
不祥事そのものはもちろんだが、この手の不祥事についてフタできない、隠し通せないってところからしても、もはや組織としてダメダメだって証拠である。


この手の「不祥事」ばかりでなく、例えばオレはいわゆる嵐オタであるので当然松本潤主演のドラマ「スマイル」も観てたりしたのだが、いやはやこれはヒドかった。少なからず見受けられた偏向は、詳しくは割愛するが、ある種の人が観たら“売国奴か!”って怒り出しちゃうんじゃないか、というレベルであった。ドラマでこのレベルの「偏向」なんだから、報道番組は推して知るべし、である。
また例えば、麻生ナンヤラという人が怒ってましたなぁ。「ルーキーズ」がらみで。
あえてこのオバチャン?に言われるまでもなく、このエゲツない宣伝ゴリ押しには相当数の視聴者が辟易してた由。
話はちょっとずれまして・・・そういやいつだったか、映像制作業の方むけコミュでもって、どうやら映像業界志望らしい学生さんが質問トピに、この業界で上手くやってくにはどうしたらいい?みたいな質問を書き込んでいた。
多くのレスが付いてたのだが、そのうちのひとつに、
“優秀なADになるためには、バカであること、それも愛されるバカであること、です”
というのがあった。っていうかほぼ全てそういう論調であった。
ありていに言って極めて過酷な現場仕事であるので、まぁ言わんとすることはわからんでもないのだが、大小に関わらず、ことマスコミという職種で働いていくに当たって、最も向いてない、というか、決して関わっちゃいけないタイプが「愛されるバカ」な人だ、とオレなんかは思うのである。
不特定多数にモノを発信するには“あまり愛されたりしない、利口者”でなきゃダメなんじゃないか、と。
例えば、時にバカにもなれる人、ってんならいいが、そのまんまな「バカ」、しかも「愛されるバカ」ってこりゃホントに救いようの無いバカだってことである。
せめて「嫌われるバカ」であって欲しい、と思う。
ADといわれる人たちは、やがてキャリアを積むなどして「優秀なAD」になり、しかるのちに、いわゆるディレクターやプロデューサーとしてひとり立ちするわけである。
ディレクターやプロデューサーってのは簡単に言えば番組企画や内容に相応の権限を有する人。要するにメディアでもって不特定多数にモノを言える立場の人である。
即ち「愛されるバカ」ということで優秀だったヤツが番組を作ってる、と。
・・・極論っちゃ極論ですが、そういう感じの図式は確実に存在する。
バカで、それも愛されるバカだとか評されてたようなヤツが作ってるんだから、そりゃバカな番組ばかりになりますわなぁ。
で、そんなんがずっと仕事続けてくうちには、今回のようなバカ丸出しの「不祥事」も、そりゃ起こるってもんです。TBSに限らず。
そういやオレが新人だった頃から“優秀なADになるためには、バカであること、それも愛されるバカであること”、これ、よく言われていたっけ。
初代のバカくらいならまだ救いもあったろうが、もはや2代目、3代目のバカが業界を闊歩してたりするわけで、まさにバカの連鎖、これはもう、こうなると断ち切れないでしょうな。
かくして、TVのメディアというものは、痩せ衰えて死滅するのである。
そもそも、TBSは、オウムのあの事件で一回死んだのである。自分で言ってたんだからそうなんだろう。
あそこで死んだままでいれば、このように老醜を晒すこともなかったろうに。