芸術との乖離

離婚、引退します!酒井被告が泣きじゃくり宣言
http://www.sanspo.com/geino/news/091027/gnd1027022-n2.htm
いわゆる「ドラマ芸術」と呼ばれる範疇におきまして、その技法に「対位法(コントラクンプト)」というのがありましてね。
もともとはクラシック音楽の技法だそうなんですが、その概念を巧みにドラマ芸術の世界に持ち込み、こちらはこちらで大成した技法であります。
具体的にどんなとこで使われてたかと言いますと、例えば黒澤明作品で「野良犬」。
犯人の遊佐が、とうとう捕まる!という正にその場、近所の「深窓の令嬢」然とした少女が自宅で弾くピアノが聞こえてくる。
能天気なまでに明るく微笑ましい旋律の流れる中、殺人犯と若い刑事が、汗と泥と唾液とに塗れて格闘している、という・・・この2者の葛藤がこのBGMによってひときわ際立ったものになっております。
ドラマetcの範疇に留まらず、笑福亭鶴瓶氏は、師匠である6代目笑福亭松鶴の葬式の際、納棺時に故人の出囃子である「舟行き」が流れ、より一層悲しみが増した、と仰っておりますな。
「舟行き」は非常賑やかで勇ましいものであるので、それゆえ余計に参列者の涙を誘った、との由。


事ほど左様に、悲しいときに楽しい音楽が流れてたりすると、その悲しみは増幅したりするようです。
逆に言うと、楽しい空気の中での悲しみは、より悲しいものである、と。
この「効果」は「芸術」による作用だと言って差し支えないかと思います。
で、今回の裁判。
法曹の立場からは知らず、ワレワレ門外漢にとっては、要するに
> かつてのトップアイドル、のりピーの面影はなかった。
これ、これしか無いんですね、みるところが。みられる部分というのが。
そういう平面的なシチュエーションにおいて、
 ・「離婚、引退します!酒井被告が泣きじゃくり宣言」
 ・「かつてのトップアイドル」が法廷で嗚咽
 ・「今後は介護の仕事して、ダンナとは離婚します」
 ・「恥ずかしくない母親になるために一生懸命頑張ります」と涙ながらに語った。 」
・・・芸術の視点から見て、こんなに面白くない事柄もそうそうありませぬ。
自らが裁かれるという、近代社会でこれ以上ないレベルの悲しい状況で出てくる、これらセリフや態度。
なんの対比も効果もなく、ただただ「そのまんま」なだけであります。
法廷というところは、当たり前ですがこういった「芸術的効果・作用」が徹底的に排除されてしかるべき場所であります。
問われるべき事象は全て、冷徹にその事実のみで割り切られなければならない。
ここでは被害者加害者の感情そのものも、「情状」という一般名詞の活用によって、最終判断のためのデータとしてのみ扱われることになります。
だから、当たり前ですが、法廷という場は本質的に、面白くない。
いや、面白ければいいってもんでは無いんですけどね。
とにかく、つまらんなぁ、と、まず思いましたね。第一印象としてね。

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