あんなことまで書いておきながら「あしたのジョー」を観に行く。

表題の通りです。前回ああいうことを書いておきながら、臆面もなく観に行ってまいりました「あしたのジョー」。

結果から言うと、非常に楽しめる作品でした。

また、その面白さの種類が原作のそれとほぼ同種同一、という、極めて稀有な作品に仕上がっておりました。

原作は面白かったのに映画はダメ、とか、映画も面白かったけど原作とは別物、ってのが多いですが、こういうのは珍しいですね。

原作ファンも、原作を知らない人も、総じてみんな楽しめる・・・こういう惹句に何度騙されたかわかりませんが、この作品に関してはそこにウソはありません。まさにその通り、そのまんま、です。

とにかく、よかった、よかった。楽しめる作品でホントによかった、という感じでいます。

またもやこの作品が前回挙げたようなクソ映画だったら、オレはもう金輪際邦画なぞ観まい!となったろうし、また特に原作が原作なので、そのファン
であるオレは恐らく半年くらいヘコんで立ち直れなかったと思います。あの崇高なる原作を台無しにしやがってアホンダラ!という感じで。

とにかくそういう不安ばかりの中で観に行ったのですが、見事に全て杞憂、客を選ばない、かなり多くの人が純粋に且つシンプルに楽しめるであろう良作に仕上がっておりました。

ただねぇ、2点ほど、ちょっとどーなんだ?という事柄がありました。


その1。

白木葉子の設定がですね、ドヤ街出身、ってことになってるんですね。

ドヤ街そのもの、引いてはそんなドヤ街出身という過去の自分をも憎み、それ故にこの地で大規模な再開発をすすめようとしている、という設定なのですが、これはちょっとなぁ、と。

原作の白木葉子は、正に純粋培養の「お嬢様」、紛う方無き「ええとこの娘」です。

で、そういう出自etcと、恐らくはその若さがゆえに、こと力石の死までの段階において、彼女には貧困というものに対する極めてシンプルな軽視と蔑視、平たく言えば差別意識があるんです。

それは葉子本人にも無意識なもので、また周囲の誰にも悟られることのないまま全てが運ばれていいくのですが、まるっきり正反対の生い立ちである
ジョーだけが本能的にそんな葉子の「本音」部分に反応し、またそんなジョーのリアクションによって葉子も自らの内面にあるそれに直面させられ、その末に全
てを受け入れられるまでに至る、というね。

そんなわけで、原作では「ドヤ街」と「白木葉子」という2者の存在は、「貧困」と「富裕」の対比、という、極めて大局的な構図になってるわけです。

それが、映画の方じゃ葉子の個人的な問題でしかないんですね。自分の出自に対する劣等感、というような。

「矮小化」してるとまでは言いませんが、少なくともスケールダウンにはなってしまってますな。

まぁ前述のような方法論での「貧困」と「富裕」の対比は、ある意味非常に’70年代初頭らしい、2011年現在ではかなり手垢塗れな、ベタベタな
手法だったりしますし、長期連載と一話完結というスタイルの違いもあります。なのでこの部分を改変してしまうキモチもわからないではないんですけどね。ど
うしてもやや薄っぺらくなってしまった印象がぬぐえません。

その2。

これが一番デカいんですが、主役氏の問題。

ぶっちゃけてしまうと、要するに主役氏のお芝居の引き出しがあまりに少ない。というか、1パターンしか無いんですね。

これはちょっとマズいレベルです。これではファンも誰も喜びません。盲目的ファンも多い氏なのですが、そういう人もさすがに受け入れられないんじゃなかろうか。

例えば・・・特に力石の死までの段階において、ジョーはちょっと軽薄なところのある、有体に言って「お調子者」でもあったりします。

映画においても、冒頭近くの丹下ジムでの練習風景シーンなどでそういう表現が試みられてたりするのですが、これがまるで成功していない。気持ちよいくらいカラ振りに終わってます。

また例えば、少年院での力石との一戦時、段平がレフェリーetcに”何度ダウンしても試合を止めない”という特別ルールを飲ませるシーン。

ジョー:”ずいぶんな自信だな、あの(教わった)パンチはそんなにすげぇのかい?”

段平:”馬鹿野郎、倒されるのはおめぇの方だ”

・・・ここでジョーは、え?どういうことだおっちゃん!?となって、しかし明確な返答を得られぬままゴングが鳴り、あれよあれよという間に力石と
相対し・・・とならないと、このシーンそのものの意味がなくなってしまうのですが、主役氏はここで「段平の意外な返答に驚く」という表現さえしない・出来
ない。

やや話はズレますが、主役氏がそんなアリサマであるにも関わらずこの作品が佳作のレベルを保ったままエンドマークまで持ちこたえることが出来ているのは、氏以外の役者諸氏の力量に拠るところが非常に大きいです。

ほぼ全ての役者が「主役氏のアラやボロが出ないように一致団結してガンバってる」と言ってしまって良いでしょう。

もちろん役者諸氏だけでなく、脚本、演出面でも、作品中のあちらこちらでその部分に関する腐心が伺えます。

そもそも主役氏の問題だけでなく、この原作は改めて読むとかなり荒唐無稽というか、要するにムチャクチャな部分も多いのですが、にも関わら
ず・・・全編これ「ドッチラケ」になる危険性を大いに孕みつつもそこに堕ちることなく、娯楽作品として高いクオリティを保ったまま最後までもたせた力量、
これはもっともっと賞賛されて良いと思います。

とにかく、面白い作品でした。

前回の記事で挙げた諸作品とは雲泥の差、です。いやよかったなぁホントに。

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