またまた「インターネット」について。

「ネット人格」「メール人格」なる言葉がありますが、確かにインターぶネット上で伺える人となりとリアルでのそれが異なる、というのはよくあることです。
その傾向は、当然ながらことSNSにおいてより強くみられるかと思うのですが、もっというと、「まるっきり逆な人」と「完全に同じな人」とに分かれる気がします。いわゆる二極化ですね。こんなところまでデジタルなわけですね。
世界は一家、人類はみな兄弟、SAVE THE EARTH!などと笹川某みたいなことを頻繁に書いてる人が、近しい人に聞いてみるとカネ払いは悪いは時間にルーズだわ、実は存外ロクデナシだった、なんてことも良くあるようです。誰ってわけじゃないですけども。
同様に、上記のような笹川的な事を頻繁に書いてて、実際その通りな人もおられます。
逆もまたしかりで、ロクデナシ丸出しなことばかり書かれてながら、その実像は高潔だったり。なにしろネット上での印象はアテになりません。

考えてみると、このことは対人に限ったことではなくて、ネットでの事柄は全てそうなんですよね。決してネットで盛んに言われてることが必ずしもそのまま「世論」では無い。まるっきり逆か、完全に同じか、どっちかです。

対応策としては、あったりまえですがネット上での事柄を盲信しない事ですね。妙な固定観念を持つべからず、です。実際のところはこの目で見なきゃわからんのだよ、と、取り急ぎ心しておくことが大事ですね。

ただ、これは存外難しいのですね。いい大人でもこのあたりが上手いことさばけなくてエラい目に遭ってる方が多い由。
いわんや子どもをや、です。ずいぶん昔ですが佐世保の方で女子小学生が同級生のクビをナイフだかでかっ切って殺しちゃった事件がありましたが、あれもそう
いやネット上でのトラブルが元だったはず。リアルでの人間関係構築能力も拙いようなレベルの子どもが、ネットでの取捨選択など出来ようはずもないのであり
ますよ。そういう意味で被害者も加害者も非常に不幸だな、と。
(関係無いですがこの件の舞台になったサイトは、この後程なく閉鎖されました。いつのまにか無くなった、という感じでした。逃げやがった、と言っても良いですね。)

佐世保の事件は、もう10年以上前のことだと思いますが、昨今コンビニの冷蔵庫に入ったりしてヒドい目にあってる面々は、もしかしたらこの被害者・加害者と同世代かもしれないなぁそういや。
なにしろ「インターネット」というのは言っちゃえば単なるツール=道具でしかないはずなのですが、単なる道具ごときで一喜一憂し、ましてや人生棒に振ったりするのはバカらしいです。
バカらしいことはしないが吉です。気を付けたいと思う次第です