節分。

おとといは節分でした。不思議なことにだいたい節分の翌日が立春になるよね不思議だね、と常々思ってたのですが、そもそも節分の日は「立春の前日」と定められてるんだそうですね。日々勉強です。不明を恥じる次第であります。

今年の節分でも不肖ワタクシ豆を撒かせていただきました。昨年作った和装でもって。「撒かせていただきました」と書きましたが、このような機会をいただいて、いやホントにありがたいことです。

高いところからエラそうに撒くのはいささか気が引ける感じもないわけではありません。

大辞泉によりますと「気が引ける」=「気おくれがする。引け目を感じる。」だそうで、さらに「気おくれ」=「怯む、尻込みするといった心持ちを意味する表現。」とのことです。

まさにそんな感じでした。毎年のことながら。

(全然関係ないですが「まめまき」の漢字表記は「豆撒き」で合ってるんですかね。「撒」って漢字にはちょっとネガティブ寄りのイメージがありませんか。オレだけですか。)

我が和装は頗る好評でした。ただ、

・宮司さん

・神職の方

・睦会会長氏

・睦会会長代行氏

・某代議士秘書氏

・お手伝いの方

・崇敬者の方A

・同B

・同C

と、皆さん、完璧に同じことをおっしゃる。

「どこの部屋の親方が来たかと思った」

と、会う人会う人皆さんから、異口同音に、全く同じことを言われました。何人目かのときにはデジャブかなと思いました。

和服っていうとみんな襟をギュッと、キチッと締めておられるけども、ホントはちょっと緩めに、ルーズにした方がカッコいいのだ、と、長谷川一夫が徹子の部屋だったかなにかで話してました。

しかし、実際に御説の通り緩めた感じにすると、これはもう覿面にだらしない感じになっちゃいます。襟元が緩むといきなりそういう感じになります。

要するにそれは「長谷川一夫」だからカッコいいっていうか許されるのであって、そうじゃない人はやっぱしキチッとしてなきゃダメだってことですね。最初からカッコいい人は緩めてもなにしてもカッコいいけども、そうじゃない人には緩めて許されるだけのバッファが無い、と。

また外出時の服装について、これは数十年前のサンソン新春放談で大瀧詠一が言ってたのですが、30歳を過ぎたら、あそこ行くのにこのカッコじゃちょっとキチッとし過ぎかな、ってくらいで他人から見たらちょうどいい、この程度でいいだろう、っていう自己判断の服装だと他人様が見たらかなりだらしない印象となる、との由。

オッサン・オバチャンになったら、自分で思うより一段階上の服装じゃないとアカンってわけですね。

そういうもんかもしれません。

そういえば、大瀧詠一ってなにげにオシャレだったような気がします。そんなパブリックイメージは無いですが。

あと、弊社設立当時にバイトで来てたJK(当時)によると、ズボンによらずシャツ、上着によらず、オーバーサイズ志向になった瞬間がすなわちオッサンになった瞬間、だそうです。

そういうもんですか。わかる気がしないでも無いです。 

なにしろ、いいトシになったらできる限り服装には気を使いましょう。