書評・映画評など

ディア・ドクターを観る(た)。

mixiなんかに書き殴ったモロモロと当ブログとを連携させたいと想っております。ナニゴトか思いついたら、そのとき目の前にあるモノに都度書き殴るってのも・・・まぁ別にそれでなんの問題もないわけですが、とりあえず整理していこう、と。

で、さっそくmixiの過去記述分を見返してみましたら、なんか映画のレビューなんぞ書いてたりしました。
2009年09月23日、というタイムスタンプがあるので、当たり前ですがその日に書いたんでしょう。
「ディア・ドクター」。公開当時話題になってたんでそれなりに期待して観に行ったんですが、見事に・・・そう、あまりにも見事に、木っ端微塵に裏切られたので、帰宅後その怒りの赴くままに、まさに書き殴ったものです。

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全編「思わせぶり」で、「どっちつかず」なだけの映画。評価が高いのが本当に不思議です。どう考えてもこれだけの評価が得られるだけの作品ではない。

要するに当作の映画作家は、この際、殊更何も言いたい事など無いんだろうと思う。

過疎の村で慕われていた医者が、実は偽医者だった、というクラシックで手垢まみれな設定のもとで、恐らくうすっぺらいテーマしか得られなかったと
ころを、非常に表層的な手練手管でもって、それをさも深遠なテーマを内包してるが如くに纏め上げている、という、それだけのものです。そう思えてなりませ
ん。

ホントは大した内容でもなく、作者に大した思想も無い。

恐らくその自覚だけは作者にあって、そこをなんとなく思わせぶりにごまかしきった、という感じです。

鶴瓶さん、余さん、香川さん、八千草さん、井川さんという錚々たるメンツが珠玉の名演を観せてくれてますが、これらがその為の手段として「しか」機能していない。こんなもったいないことはありません。

少なくとも、大人が観て面白い作品では無い、と思います。

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・・・なんだかムチャクチャ書いてますが、今でもこう思ってますよ、ええ。
例えば小津の諸作品は、極めて乱暴に言っちゃうと、表面的にはいかにもなーんにも考えてませんよ!みたいな顔して、その実恐ろしく深遠な事柄を描いてたりするわけですが、この作品はそういう日本(人)的な奥ゆかしい美意識の対極にありますな。
というかですね、この意味も含め、なにしろこの映画は「美しくない」んですよ。いやホントに。

まぁオレは北野武作品の最高傑作が「菊次郎の夏」だと信じて疑わないようなニンゲンですからね。こういうレビューにも汎用性?はありません。ありていに言って「参考にならない・使えないレビュー」だと思います。自覚有り、です。
でも、こう思った(てる)んだからしかたがないのだよ。

あんなことまで書いておきながら「あしたのジョー」を観に行く。

表題の通りです。前回ああいうことを書いておきながら、臆面もなく観に行ってまいりました「あしたのジョー」。

結果から言うと、非常に楽しめる作品でした。

また、その面白さの種類が原作のそれとほぼ同種同一、という、極めて稀有な作品に仕上がっておりました。

原作は面白かったのに映画はダメ、とか、映画も面白かったけど原作とは別物、ってのが多いですが、こういうのは珍しいですね。

原作ファンも、原作を知らない人も、総じてみんな楽しめる・・・こういう惹句に何度騙されたかわかりませんが、この作品に関してはそこにウソはありません。まさにその通り、そのまんま、です。

とにかく、よかった、よかった。楽しめる作品でホントによかった、という感じでいます。

またもやこの作品が前回挙げたようなクソ映画だったら、オレはもう金輪際邦画なぞ観まい!となったろうし、また特に原作が原作なので、そのファン
であるオレは恐らく半年くらいヘコんで立ち直れなかったと思います。あの崇高なる原作を台無しにしやがってアホンダラ!という感じで。

とにかくそういう不安ばかりの中で観に行ったのですが、見事に全て杞憂、客を選ばない、かなり多くの人が純粋に且つシンプルに楽しめるであろう良作に仕上がっておりました。

ただねぇ、2点ほど、ちょっとどーなんだ?という事柄がありました。

「話題の映画」について(暴論且つ長文)。

今年の日本アカデミー賞は「告白」が作品賞でした。「告白」は観てませんが概ね好評なようですね。これだけ好評なんだからそれなりに面白い・楽しめる作品なんだろうと思います・思えます。

しかし・・・いきなり話は「告白」から離れますが・・・特にここ数年、この「好評」や「人気」、「評判」というヤツに思いっきり裏切られるケースが非常に多いのも事実です。

“これだけ話題になってるんだから、それなりに面白いんだろうな”ということで少々でも期待して観に行くと、それが強烈に裏切られることがやたら多い。多いどころか、オレ的にはほぼ100%です。

オレはこの30年近くでもう1000本は観てますが、これほど裏切られ続けたことは過去にありません。

年がら年中見てるんで、そりゃタマにはダメ映画に当たることもありましたが、これだけの「話題作」で、しかもこれほど続けて、ってのは記憶にありません。

これは一体どうしたことか・・・というわけで、オレはもはや、特に邦画に対してある種のトラウマさえあります。

オレが映画を観始めたのは’80年代の頭。当時からいわゆる「鳴り物入り」の映画作品は数多有りました。

興行成績が話題になってるもの、広報・宣伝がスサマじく、それ自体が話題になってたりするもの、各種レビューでの評価が半ば異常なほど高いもの、などなど。

「三人娘」以降の角川映画しかり、フジテレビ制作の諸作品しかり、です。

で、これらは一部例外はあるものの、総じてそれなりに楽しめるものでした。

“まぁ取り急ぎ、これだけ話題になってるだけのことはあるなぁ”という感じ。

どの作品も、ある程度のクオリティには到達していたように思います。

しかしながら特にここ数年、クドいようですが、ホントに裏切られる。

なんでこんなモノが好評なんだろう、とか、どうしてこれが好意的に捉えられるんだろう、とか、どういうわけでこの人らはこんな作品で泣けたりできるんだろうか、とか・・・そんなんばっかしです。

決して斜に構えて鑑賞に当たってるわけではありません。オレくらいシンプルかつストレートな心持で映画観に行ってるヤツはおらんと思います。それにはカッコたる自覚と自信があります。

批判ありきで鑑賞に当たるほどヒマでは無いし、そういうスノッブさをオレはむしろ憎みます。

北野武映画について。

こと対「世間一般」において、いわゆる北野映画は「キッズ・リターン」くらいのところで既に終わってます。

ただ、その際「残念ながら」というような枕詞は似つかわしくありません。

北野武監督(以下「タケちゃん」)は、もう好きなように、作りたい映画を作りたいように作ってくれればいいんです。正にそれであるが故に「菊次郎
の夏」だとか「監督、ばんざい!」などは感動的でした。だからある意味結果論ではありますが、このことはこれっぽっちも「残念」ではない。

いわば他人のオナニーに付き合う快感、というところかもしれません。で、それを変態というならそうなのかもしれませんが、小説にしろ舞台演劇にし
ろ映画にしろ、要は他人のウソ話に付き合って泣いたり笑ったりしてるわけで、考えてみればこういうのは押しなべて変態の所業、己が変態的神経への刺激で快
感を得てるのに他ならない、と考える次第です。

作る方にしても、言いたいことをわざわざ別媒体でもって表現しようなんていう屈折した指向というか嗜好は、これはもはや紛う方無き変態です。

作る方も観る方も変態なのだから、この際オナニーくらいでどうのこうの言っても始まらないのでありますよ。

きっと今度の作品も、タケちゃんは自らの望むところに忠実に従って撮り、繋ぎ、し、その結果として恐らく国内興行成績は例によって惨憺たる有様
で、それ故タケちゃんは資金捻出・補填のためにまたアホみたいなTV番組にシコシコと出張る羽目になるんだろうと思う。

そうまでして「勝ち得た」オナニーであるので、この作品もきっと前出の「菊次郎・・・」や「監督・・・」若しくは「アキレス・・・」と同様同種の
感動をもたらしてくれることでしょう。

賭す事柄の重い・大きいオナニーは美しいんですよ。神聖なんです。・・・多分ですけど。

同時に、恐らく「HANA-BI」くらいから、意識してオナニーに邁進しているタケちゃんに、オレとしては大向こうから声を掛けてあげたいと思い
ます。

「ナイス!」っつってね。

極めて私的な「幻戯」の感想。

表題とは全く関係無く、当サイト管理人がやれインターネットTVのスタジオ収録してたり、新規案件の打合せやお見積もり作成してたり、ウチのスタッフと打合せしたり、先月~今月制作した分の修正したり請求書書いたり、お客さんのサイトのサーバのアレコレをナニゴトかしてたり、来るべきオキナワ行に向けて打合せしてたりする間に、
人気ポップスグループ「ZARD(ザード)」のボーカリスト坂井泉水(いずみ)(本名・蒲池幸子)さん(40)が、入院先の東京都内の病院で死亡していたことが、28日明らかになった。
んだそうですよ。
これはビックリでした。ビックリ仰天です。
特にファンだったりしたわけではないのですが、さりとて嫌いだったわけではなく、むしろその楽曲達はかなりお気に入りだったのですが、とはいえ「好き」と明確に言っちゃうには抵抗もあり、でもまぁ要するに結構好きだったりする次第なのですが、とにかくもう「新曲」をきくことも無いんだなぁ、と思うと、もう好きとか嫌いとかっていう事柄に関係無く、ただ「寂しい」というのみでありますよ。
こういう、「寂しい」事柄で「ビックリ」するのは、精神衛生上あんまし宜しくないな、と。
どうせビックリするなら、プラス方向でビックリしたいもんですよ。

「乾かせないもの」観後雑感。

2006.8.23(水)~28(月)、新宿2丁目のタイニイアリスという劇場でもって「乾かせないもの」という、いわゆる「お芝居」の収録を致しました。
これは当サイト管理人の中学時代の友人であり、同時に○○でもあるというT氏が「座付作家」をやってる「机上風景」という劇団によるもので、そういえば前回の公演も弊社でもって収録させて頂いたのでした。
今回の公演、非常に面白かった。ここでT氏にコビ売っても仕方ないのですが、面白かったものは仕方が無い。
当サイト管理人は稽古時、当日の収録時、そして編集処理時と、もう何度となくこの「お芝居」をアタマからケツまで繰り返し繰り返し観たわけですが、何回観てもほぼ初見時と同様に堪能出来ました。
このことは非常に稀有な事で、大抵2,3回も観ればもう飽きちゃって嫌んなっちゃうのが通常なのですが、この後ストーリーがどう展開するか、知ってるからこそ楽しめた、みたいなところもあるくらいで、飽きるって感覚がほぼゼロ、いや、これはホントに稀有だ、と。

「ALWAYS 三丁目の夕日」を観てきた。

なにしろ当サイト管理人は年に1日程しかTVを観なかったりするので、この作品がチマタでこれほど大好評だとはゼンゼン知りませんでした。
今しがた帰宅しまして、さっそくネットでもって検索してみまして知った次第であります。
…ここまで書いて、当サイト管理人はアゼンボーゼンとするべき事実に気付いてしまったのですが、考えてみると、いわゆる「ロードショウ」でもって映画作品を観たのは、実に1985年公開、ダドリー・ムーア主演の「サンタクロース」以来。
「映画館で観た」ということであれば結構最近も観てはいるんですが、こと「ロードショウ」ってことになると、今回がなんと約21年ぶりになります(ちなみに、この人が未だに嫌っているIくんと観に行ったのでした)。
…こんなアリサマでありながら、昨年の5月1日から7日までこのサイト上にて私的映画評など書きなぐったりしてたわけで、いやはや恥ずかしいやら、情けないやら、なによりこのサイトの駄文を読んだりしてくださった皆さんにもうしわけない限りです。

長谷川町子全集を購入、その他。

我がサイトにも「今風遊び心」を導入、ということで、blogペットなるものを貼ってみました。
トップページ左、枠内のパンダをクリックすると、なんだかしゃべります。
当サイト内の文中から任意に単語etcを拾ってくるんだそうで、なんだか「バーチャルリアリティな感じ」です。
ただ、今のところ、「少女ー!」とか「壊滅ー!」とか、「悲観的ー!」「未成年とヤるー!」など、ロクな言葉を話しません。実にイヤな感じ。
それはともかく、このほどYahoo!オークションでもって、長谷川町子全集を購入してしまいました。
してしまった、というのは、これが典型的な衝動買いであったからなわけですが、それはともかく、いやはや、どれもスバラしい。
当サイト管理人は長谷川町子作品ファンでありマニアであることを自認しておりますので、それ故この度までこれを買わずにいたことに、大げさでなくかなり罪の意識を覚えたりしてたのですが、そんな罪悪感からもこれで開放。

とうとう小津・黒澤に特化してきた。

6日の続き。
小津の日記だか、どこかの雑誌に掲載されたエッセイだかに、このチンチン電車の車窓風景などを織り込んだもんがあります。深川は佐賀町、永代橋の活写はお見事、一芸に秀でるモノの、その目は万能なのかも知れません。