「コンサート」について。

数年前に山下達郎大先生のライブチケットを2枚入手することが出来まして、弊社従業員と行くことになりました。NHKホールだったな確か。
その弊社従業員はさほど大先生に関する知識も無かったので、せっかくだからちょっと予習しとこうってことで、オレん家から大先生のCDやらカセットやらいっぱい持ってったものです。
 
で、ライブ当日。
大先生のMCの一発目に出た言葉は、
 
“ボクのライブに初めて行くって方がおられたら、絶対に過去アルバムなどで予習などせぬように言っとけ”
 
“だいたいライブに行くのに「予習」ってのは不毛です。ライブとはそういうものじゃない”
 
というものでした。
弊社従業員はズッコけておりました。
 
対していつだか行ったPerfumeのライブ。
開始早々あーちゃんの口から出たのは
 
“みんな、ちゃんと私たちのアルバム聴いてきた!?”
 
でした。
 
どっちが良い・悪い、正しい・間違ってるって話では無く、ライブってもいろいろだなぁ、と。
 
ちなみに吉田拓郎大先生には、ライブに「“人間なんて”ツアー」と銘打っておきながら、結局一度も「人間なんて」をやらなかった、なんてなことがあります。
 
“オレにとってこの歌は今演るべきものじゃないんだ”
 
との由。
 
じゃあそんなツアータイトルにすんなよ!と誰もが突っ込んだものです。

TOKIOの山口さんが未成年の同業界の娘を自宅?に呼び込んでアレしたりして訴えられていろいろワヤになった件。

表題につきまして、どういうわけか被害者の娘を叩く流れもある由。
 
まぁ確かに、この娘が誘いに応じて自宅に行ったりしなければそもそも(少なくともこの日は)物理的になにも起こらなかったわけなので、そういう意味ではその分だけの罪はあるのかもしれません。
 
しかしながら、50近い遊び人のオッサンが同業界の未成年の娘を自宅に呼ぶにあたっては、あらかじめ“どうしてもこりゃ行かないわけには行かない”と思わせるようなところまで諸々周到な下ごしらえをしてるに決まってるので、百歩譲ってこの娘に斯様な「罪」があったとしても、それは決して「罰」をうけなきゃならないようなものでは無いとオレは思うのです。
 
汝らの中で罪を犯したことの無いものだけが石を投げよ、です。そもそも“ノコノコ家に行った娘が悪い”なんてことは、アラフィフの筋金入り遊び人なオッサンの手練手管を食らってなお自身を守れる鉄のメンタルを持つ者だけが発して良い言葉であって、16、7歳でもってそんな域にまで達してる人は現状のようにネット内で一大勢力になるほと多くないはずです。
それでもなお「オレ・ワタシは絶対大丈夫」と思う方もおられるかと思いますが、そんな風に思っちゃうヤツに限ってひっかかるのですよ。
今回はたまさか若い女性が「ならでは」の被害を受けたわけですが、こういうことはなにも女性に限ったことでは無く、老若男女誰でも被害者に成り得ると思う次第です。無論オレもなので、気を付けようと思う。

沖縄と、都下の件について。

オレが平和で幸福な旅をしている最中、沖縄と都下とで悪魔的キチガイがそのキチガイっぷりを発揮して蛮行に及んだ由。よっぽどのことが無きゃ「殺す」って とこまでなかなか至らないものですが、この2匹のキチガイの場合、それは沖縄では「性欲」、都下では大きく言えば「嫉妬」ってなことになるのでしょうか。 いずれにしてもまずその矛先狂ってるな、と。

都下の件では、被害者の方は今現在で「危篤」と報ぜられています。できるならば、元通りに戻ってほしいと思います。肉体的にも精神的にも。
…しかしまぁ、ちょっと前にAKBの娘が似たような被害に遭ったばかりです。このことから運営側はなにも学習しなかったのですね。
そもそも握手会ありきのアイドルなんてのが本道であるはずが無いのです。舞台と客席、テレビの向こう側とこっち側、という具合に、超えられぬ敷居が存在し て初めて「芸能人」なはずです。握手やら「手渡し」やらが常態化したらその瞬間に「ファン」と「芸能人」という関係性は瓦解します。偶像ってのは手の届か ないところにいるからそれでいられるのですよ。
そんなことは恐らく百も承知なはずの運営側、それをあえて無視して、より安直に儲けようとガンバっちゃったわけですね。
この方らもキチガイですね。

沖縄の件…昔、在沖海兵隊員の黒人×2人とよく遊んだ時期がありました。こいつらはまごうかたなきアホでしたが、善良なアホでした。一人はいっときホームシックで大変だったっけなそういや。
なにしろこの善良なアホ2人、沖縄で米兵がなんかやらかす度に “ひとりバカが出てくると、オレらもみんな同類だと思われる。まぁ思われても仕方ないのだけど、やっぱしそれはつらいことだ” とよく言ってたものです。

…そう。ひとりがなにかやらかすと、みんな同類だと思っちゃうのですよ。それは仕方のないことです。諦念を以てそう思う次第です。

都下の件によって、アイドルオタクの人はこれからしばらくは肩身の狭い思いをすることになるのでしょう。「しばらく」で済めばいいですが。

沖縄の件では、基地反対の意見がまた盛り上がるでしょう。あったりまえで、オレだって沖縄に住んでたら皮膚感覚でそう考えるに違いありません。同胞がレイ プされて殺されてんのに怒らず悲しまない日本人はいません。とうとう大統領までが哀悼の意を表明、なんて記事がありました。タダごとじゃ無いって証明です が、だからって被害者は戻ってこない。

あと、キチガイキチガイと連呼しましたが、なにより恐ろしいのは、もしかしたらこの2匹が「キチガイ」でないかもしれない、ということです。正常な判断力の持ち主がこういう蛮行に及べてしまうとしたら、それが一番怖い。
できればキチガイであってほしい、と思う次第です。オレなどと同質同類な「人間」であってほしくない。

ポール・マッカートニー!

ここ数日遊んだり仕事したりその他いろいろしてる間に、世の中にもまたいろいろあったようで、なによりポール・マッカートニーがまたまたまた来日公演することになった由。こないだ来たばっかしじゃんか、と思うのですが、まぁ当方としては何度来てもらっても構いません。
 
昔はともかく、今は熱意も知識量としても、堂々と「ポールのファンです」と胸張って言えるような状況に無いオレなのでメッタなことは言うべきじゃないとは
思うのですが、それでも書いてしまうと、ここんとこポール及びその取り巻きは、ずいぶん変わったなぁ、と思う次第です。大げさに言うと「変質」した感じが
あります。
聞くところによると、なんか日本の週刊誌かなんかの取材で、あの、ポロシャツの胸ポケットだかに大麻を入れたまま成田の税関を抜けようとして捕まって拘置
所にブチ込まれた際の話なんかをペラペラ喋ったりしてる由。そんな質問をするやつ(湯川れい子だった気がする)もするやつですが、ペラペラ答えるポールも
ポールで、やれ看守にサイン求められただとか、同房のクリカラモンモンのヤクザと妙に気が合ったとか、そういうことを喋る人じゃなかったような気がするのです。ヘンクツなイメージがあったわけじゃ無いのですが、こういう質問に対してはなにより周囲がピリピリしてたんじゃなかったかな、というね。
人間、功成り名をあげ、且つトシをとると、昔の事柄なんぞどうでも良くなるんですねきっと。
 
ところで地球上の人類は、まぁ中には極めて例外的に「どっちも好き」とか「どちらも別に」なんていうよくわからない価値観の人がいたりもしますが、基本的にポール派とジョン派に大別出来ます。ホモ・サピエンスは必ずこのどちらかに属します。
で、ANNなんかを聴くに例えば坂崎@アルフィーや拓郎はジョン派だそうで、いわく「若い時は、なんとなくポールの商業主義的な感じがなじめなくてなァ」
とのこと。事程左様にどっちかっていうとジョンにシンパシーを感じる、という方がやや多数派な気がします。なんとなくですが。

しかし、オレは正にそのポールの商業主義的な部分、もっと言うと、その他に類を見ない「臆面の無さ」をこよなく愛します。
前回の来日時のライブ、オレの記憶に間違いが無ければ、セットリスト1曲目が「Eight Days A Week」だったはず。こういう曲を一発目に持ってきちゃうところがいかにもポールらしくてオレは大好きなのです。
 
20年くらい前に「ヤァ!ブロード・ストリート」なる映画がありましたが、これはもうスゴい映画でした。ポールの脚本・主演作なのですが、簡単に言うと、
竹馬の友(=リンゴ・スター)がなんか殺人だかの事件の犯人として捕まってしまい、世論もリンゴに否定的なところで、ポール扮する主人公が「世界の誰もが
疑ってもボクだけはリンゴを信じる!」とかいって苦心の末に真犯人を見つけ出し、最後はメデタシメデタシ、という、まぁはっきり言ってバカバカしさもここ
に極まるロクでも無い映画で、興行成績も惨憺たる有様だった由なのですが、オレはこういう脚本を臆面も無く書いて、しかも自身が主役で制作してしまうポー
ルの図々しさに惚れましたね。ポールはそうでなくっちゃいけない、と。
 
むしろビートルズ時代から、ポールのスゴさは、こういう臆面も無いド正面からの曲を数多作っていながら、それが全て陳腐に落ちないところだと思うのです。
音楽に限らず、普通はこういう図々しいスタンスでモノ作りすると陳腐でみちゃいらんない出来になっちゃうものだと思うのですが、ポールの場合少なくとも音
楽というジャンルにおいては決してそうならない。上記の「ブロード・ストリート」も、映画作品としてはロクなもんじゃないですが、サントラ盤は不思議なく
らい素晴らしいものでした。どっちも同じスタンスで作られてるはずなのですが。
 
その他にも、マイケル・ジャクソンが「スリラー」でブレイクしたと思ったらすぐ声を掛けて「セイ・セイ・セイ」etcを「共同制作」し”ぼくらの友情の証
しさ!”なんてな発言をしてみたり、若い頃からさんざんハッパやらLSDやらをやりまくっておきながら、いつのまにか「麻薬撲滅キャンペーン」などを主宰してみ
たり、どころかベジタリアンになっちゃったりするポールが大好きです。
今回の来日ライブも、もしかしたら1曲目が「イエスタディ」だったりするんじゃないかと期待している次第です。
 
なんでこういうことをこんな夜中に書いてるかというと、今回の来日に対して、さすが親日家のポール!なんてことを書いてる方を散見したからです。
なんにもわかってないなァ。ポールはヨーコが生まれた国であり、元ビートルズメンバーである自分をムショにブチこんだりしたこの日本国なんか大嫌いなはずですよ。
でもきっとライブでは、臆面も無く図々しく堂々と、ハロー!親愛なるニホンのミナサン!ボクは愛するニホンに来れてベリーハッピーだよ!などと叫ぶに違いなく、そんなポールを観てオレはきっとウレシ涙をこぼすのです。

嗤うべからず。

http://togetter.com/li/540177

これね。この「まとめ」。

申し訳ない。おっちゃんは謝ります。つい笑ってしまいました。想像力の欠如です。すいません。

昔、あまり性質の良くないサイトで知り合った方に聞いたのですが、東北の中高生で、都会に憧れて家出するような子は、まず仙台を目指すんだそうです。

本来なら東京を目指すべきところかとも思うのですが、いくら都会に憧れてるからっていっても、地方の子にとって東京は敷居が高すぎる、精神的に仙台が限界だ、と。

(余談ですがこの話を聞いたとき、そういや仙台で一人旅した時、駅前の電話ボックスに大荷物持った女の子たちがいたなぁ、なんてことを思い出しま
した。雪が降ってたので旅先での雨宿りならぬ「雪宿り」かなぁ、なんて思ってたのですが、あれはきっとそうだったんだろうな、なんて。もう10年以上前の
話ですが)

事程左様に、東北に限らず地方の中高生にとって東京とは、生まれながらに東京人であるオレなんかには想像できないくらい敷居の高い所なんと思う。

10歳台の彼ら彼女らにとって、東京ってそれはそれはおっかないところなんだろうな、と思うわけです。

故に、田舎からはるばる日帰りでコンサート観に上京した10歳台の女の子にとって、当日になって突然に”コンサートは明日にします”なんて言われちゃうのは、もうトンでもない恐怖につながることだったのかもな、などとも。

日帰りのつもりだったから宿なんかも取って無いし、そもそも故郷にいたら、宿を取る、なんて経験もなかったろうしねぇ。

“東京は怖いとこだってイメージがある、でも日帰りのつもりだったから、そこんとこはさほど意識せずに上京したのに・・・!”

“この恐ろしい大都会で、私(たち)、いったいどうすればいいの!?どうなっちゃうの!?ウヒー!”


・・・ってなってしまっても、それはある程度仕方ないことなのかもしれないな、と思い直してる次第であります。

ということで、この「まとめ」、あまりに荒唐無稽な内容でちょっと笑ってしまったのですが、考えたら笑っちゃうのは失礼というか可哀想かも、と思っています。

そして同時に、地方在住の彼ら彼女らにとって、ある面において「東京」がどういう存在であるのか、よくわかりました。

即ち、

・渋谷、原宿、新宿、池袋の西口と北口は怖いところである

・その「怖いところ」に行くと、服を切られたり、抱きつかれたり、車に連れ込まれたりされてしまう

・さらに、車を使って(さらわれて)レイプされたりすることがある

・おまわりさんも信用できない

・でもいざとなっったら警察署に行けばどうにかなるかも

・50歳台のアブナいオッサンが跋扈している

・・・と、こういう種類の恐怖が、彼ら彼女らの、ネガティブな面における対「東京」イメージなんだですねきっと。

東京って、彼ら彼女らにとって、場合によってはこういう「魔境」イメージなんだな、と思う次第です。それは東京人であるオレなどには想像もつかないことですが、思うにそれはそうなんだろう、と。

まぁみんながみんなじゃ無いでしょうけども、少なくともアイドルのファンとして、コンサートのためにエンヤコラと上京しちゃうような、ある意味ピュアな10歳台の子にとって、東京はこういう種類の「恐ろしい都会」なんでしょうねきっと。

・・・しかし、オレなんかからしたら、地方の方がよっぽどおっかないけどなぁ。

人気のない通りなんかに出ると、ここでなにかあっても助けは来ないだろうな、大声出したって人がいねぇんだもんな、などと考えちゃうときがありますよ。

っていうかね、オレは結構日本中いろいろ行ってるほうで、例えば那覇、また例えば仙台、札幌、大阪、名古屋、神戸・・・このあたりは結構くまなく裏筋まで廻ったものですが、オレん家の周辺よりよっぽど都会でした。

件の彼ら彼女らも、次回の上京時は臆せずあれこれ観て欲しいものです。そんなにおっかないところばかりじゃ無いはずなので。

昨日に続いて。今度はAKBのこと。

以下は2013年1月12日の日刊スポーツ記事です。

講談社は11日、12日に予定していた週刊の漫画雑誌「ヤングマガジン」の発売を延期すると発表した。AKB48河西智美(21)の胸を少年が手で隠す写
真の掲載を予定していたが、同社はこれを「社会通念上、読者に不愉快な感情を抱かせる」と判断した。出版取次会社への搬入も済んでいたが、回収した上、内
容を差し替えて今月21日に発売する予定。写真は、2月4日に発売する河西の写真集の表紙に使われる予定だったが、発売自体も白紙に戻して検討中としてい
る。

・・・いくつか想うところがあるのですが、ひとつめ。

例えばキャバクラが密集してる地域があるとして、どの店も「おさわりNG」としてる中、ある1店舗だけが「ウチはまぁちょっとくらいならOKです
よ」とやったら、ある程度嬢のレベルに難があってもやっぱし客はそちらに流れると思うのですが、要するにそういうことなんですよね。AKB商法の主要要素
のひとつはこの手の「反則技」によると思えるのです。もちろんそれが全てでは無く、彼女らの様々な努力に依る部分が主なのはわかるのですが、それ以外の部分での反則技が目立つのも事実でしょう。

こういう「商法」は結局のところ所詮反則技でしかないので、往々にしてロクな結果は生まないものです。大抵の場合は反則を犯した店がペナルティを
食ってオシマイになるのですが、この「反則店」が資本的にもそれなりのポジションを確立したりした場合、その業界そのものが死んじゃうんですよね。上記の
キャバ店の例で言うと、その地域が最終的に過疎って終了、となるのが常です。たちかえって我が国の音楽シーンがどういう状況か、何をかいわんや、です。

あとAKBの場合、この反則の種類として「エロ」への訴求が目立つのですが、この訴求方法には「安定供給」は有りえないんですよね。刺激というも
のは不安定要素で、常にエスカレートし続けなければならない宿命があるわけです。だからこその「刺激」ですからね。前と同じことやったらそれはもう「刺激」ではない、そういう訴求はもう出来ない、という。

いつだったかTSUTAYAだか行きまして、なんかショートパンツ穿いた若い娘が足広げて座ってるポスターがデカデカとレジ横に貼ってあるのを見
まして、ああ、最近じゃ軽い着エロ系のコンテンツも堂々と宣伝したりしちゃってるんだな、と思ったら、それがAKBのセンターの娘の写真集だかなんだかのだっ
た、ってなことがありました。

今思えばこんなのはまだまだ軽い「刺激」だったんだな、と今回の写真を見て思いました。今回のこれなんか、もはや「軽くない着エロ」じゃねぇかよ、と。

この娘らは、もはやここまでやらなきゃAKBでいられないのかなぁ、かわいそうに・・・というのが第一印象でした。

この手に関してはオレはあまり通じてないですが、彼女らはきっと過酷なレッスンや、常人には想像もできないハードスケジュールなどを歯を食いし
ばってこなし、その上でわけわからんアンチなどによるいわれなき誹謗中傷にも耐え、してるはず。またこれだけの規模のムーブメントになると、彼女らが背負
う責任、重圧もハンパなものではないはずです。なんだかんだ言ってもみんなまだうら若き娘さんですからね。そんな娘がどれだけのストレスと戦ってるの
か、と。

その上で、若しくはそのために、彼女らは請われるままに半裸にまでならなければならないのか、と思うと、なんだかホントに悲しい話です。角兵衛獅子じゃないんだからね。

同時に、ここまでやらないと、いわゆるアイドルとして存在出来ないのだとすると、もういろんなことが業界としてオシマイなんだな、とも思いました。

ふたつめ。

仮にも大日本雄弁会講談社ともあろう存在が、なんでこの写真をそのまま通したんだろうか??というところです。

児童ポルノの規制についてこんなにヤカマしく喧々諤々されてる・・・しかも出版社というのは有る面においてその当事者なはずです。それが何で?と思わずにいられません。

誰がどう考えたって、今の日本国において、少年が成人女性のオッパイ触ってる写真がOKなわけねーだろ、と。これがOKなら、少女が成年のチ○ポ触っててもOKなのかよ、というね。全国のロリ属性の面々は大喜びでしょうが、そんなのOKなわけないよね。

エロの刺激供給にマヒしちゃってるのは、どうやら消費者だけじゃ無いようで。

ドウランの 下に涙の・・・

モー娘。石田亜佑美と工藤遥、けがで「24時間テレビ」欠席

だそうです。

このモー娘。とか、AKBとか最近じゃももクロだとかはたまたジャニーズ事務所所属の皆さんを見るにつけ、オレはどうしても角兵衛獅子を想ってしまいます。角兵衛獅子については http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%B3%D1%CA%BC%B1%D2%BB%E2%BB%D2 
こちらを参照のこと。とにかく・・・「ドウランの 下に涙の 喜劇人」などと言いますが、こと喜劇人のみならず、彼ら・彼女らのステージ上etcでの笑顔
の裏にはどれだけの「涙」が有ることか。想像するに余りあります。普通に生活してたら、全治一か月の足首捻挫だとか、半月板損傷だなんてハメにはそうそう
遭うもんじゃありませんよ。オレは四十路も半ばにして、未だ半月板損傷なんて目にあったことは無いです。
・・・って、ああ、2008年にアキレス腱切ったりしましたが、あれは要するに寝ぼけてコケて切った=件の彼女らのようにある意味において肉体的キャパシティを超える労働を強いられて切っちゃったってわけじゃないので、これはまったく別のお話です。

まぁ前記したような角兵衛獅子と違って、これはあくまで真っ当な「仕事」であり、基本的に本人が望んでこの苦界に飛び込んで行ってるわけなので安直な同情など無用であるのは承知ですが、年端もいかない子らがテレビやライブステージで歌ったり踊ったり時には道化を演じたりしているさま、
なんか、どうも素直に楽しめなかったりします。パフォーマンスを堪能するより先に、なんだか痛々しくってねぇ。ダメだねオレは、こういうのは、ね。

あと、こういう子らをさんざん踊らせて、その裏でもってギャラを抜いてるオトナの存在が見えちゃうんですね。

いったんこういうのが見えちゃうと、クドいようですがもうダメね。オレは。

昔は、こういう存在の「オトナ」は奥に引っ込んでるのが普通だったですよ。当たり前の話で、ピンハネでもってメシ食ってるようなのは表に出たりしちゃいけない、という一種のモラルが我が国に厳然と存在してたですからね。

で、当の抜いてる本人らにも、嘗てはいわば日陰者としての自覚があったように思えます。
若い子らを表に立てて踊らせて大儲けして、そのピンハネした金でもって当たり前にベンツだクライスラーだ乗ったり、いかにもなマンションをホイホイ買っちゃったりなど、我が
世の春をいかに謳歌してようとも、決して表にでるもんじゃない、という、これまた一種の、自負、というかね、そういうものが抜いてる側にもあったはずで
す。任侠としてのマインドというかモラルというか。

それがまぁ、最近じゃフツーに表に出てきてるようですね。なんなんだオマエらは、恥を知れ、と、オレは思いますよ。「プロデューサー」とかカタカ
ナで自称してるけども、やってることは要するに角兵衛獅子の親方じゃねぇか、というね。なんでそんなヤツがエラソーにメディアでもってしたり顔でペラペ
ラ喋ったりしてるんだろう、と。

とにかく、件の彼女らの快癒をお祈り致します。

かくも不思議な。

めったにTVも観なきゃラジオも聴かない、すっかりいわゆる「最先端」から隔絶されて久しいオッサン(の一人)であるオレとしては、「AKBの歌」と言わ
れてすぐ思いつくのは、あの「会いたかった~!」とかいうのと、ポニーテールがどうとかいうヤツだったりするのですが、CDセールスでいうとこの2作は特
筆されるほどの値を示しているわけではないんですね。5万だか10万枚だか、まぁそんな感じだそうで。

立ち返って、AKBの最新シングル&前作は揃って150万枚を超えている由ですが、どっちもオレは知りません。5万だか10万枚だかの歌はなんとなく知ってても、150万枚の歌はどっちも知らない、という。

知名度というか伝播の度合いっていうの、はそれが世の中に存在している時間の積分に拠る部分も大きかろうと思うので、CDセールスが即ちそれに比
例するってもんじゃないというのはわかりますが、それにしてもこの乖離。CDが売れてりゃ即ちヒット曲・流行歌、という図式の崩壊っぷりに瞠目する次第で
す。

このことは「AKB」に限った話ではなくて・・・何百回もここに書いている通りオレは紛う方無き嵐オタであるのですが、例えば「Love
Rainbow」とか「Lotus」とか、パッと言われてすぐメロディetcが出てくる人は少ないと思います(ちなみにオレはすぐ出てきます)。

でもこの2シングル、やたら売れてるんですよね。

オレの感覚だと、タダでさえメディアの多様化etcによって「コンパクトディスク」が売れないこの時代、100万枚も売れるような曲は日本国民老
若男女全ての愛唱歌であってしかるべし、と思っちゃうんですけどね。21世紀に入った頃くらいからそんな図式は壊れちゃってるわけですが、オッサンである
オレには、そこんところがいまいちピンと来ないでいます。

以下はまるで余談ですが・・・なんかAKBの握手会だかなんだかで、メンバーに「いやがらせ」するファンがちょっぴり問題になってる由。

こういう手合いはファンでもなんでもなく、単なる「ベクトルのずれたスケベ」でしかないのでもう論外っちゃ論外なのですが、その反面、未成年~20歳代前半の「女の子」に、握手だかハグだとかいうような直截的な接待業務を強いる商法っていうのは、これはどうなんですかね。

握手とかハグとかに限らず、事ほど左様に・・・例えばおさわり禁止のキャバ店が並ぶ中で、「ウチはちょっとならOKですよ!」っていう店がポコンと出てきたら、そりゃ取り急ぎ流行りますわなぁ。あの商法は要するにこの手の「反則」で支えられてる部分が大きいんですよね。

そもそもそんなことで支えられてるようなシステムが長続きするわけも無いんですが、はてこの先どうなるのやら。

またまた24時間TVの件。とくにマラソン。

想像通り今年も、やれ偽善だとか企画がつまらんとか出演者のギャラがどうだとかアレコレ言われてるようですが、なにしろ「やらない善よりやる偽善」です。
そもそもナンだカンだ言われつつ平均で約16%、最高で35%の視聴率という数字を叩き出してる以上、コンセンサスはこの「やる偽善」の側にあります。そ
れは否めない事実です。

今回も取り急ぎ2億円だかの浄財が集まった由。それだけの集金がこの「24時間テレビ」以外に出来るか、って話ですね。

ただねぇ、この番組中の「マラソン」の企画、これはセコい。意義云々以前に、企画としてあまりに陳腐ですよやっぱし。

24時間テレビのいわば「象徴」として、その時間中ぶっ続けで行われる企画、果たしてそれが「マラソン」でいいのか?と思ってしまう次第です。

24時間(実際はそれ以上)に渡る番組そのものには「チャリティ」という統一テーマが設定され、全てのコンテンツがそれに則って制作されてるにも関わらず、事実上主軸企画となっているこの「マラソン」にだけそれがないんですよね。

マラソンという行為そのものには「チャリティ」の意味がどこにも存在しないわけでね。

っていうか、そもそもこのマラソンには、「チャリティ」云々の話以前に、そもそもなんの必然性も無いですよね。なんかいつのまにか風物詩的に定着
してしまってますが、考えたら「いきなりマラソン」なんです。そういやなんでマラソンなの?、と問われたら、どう考えても後付けの理由しか出てこないで
しょう。

24時間ブッ続けでなにかを行って、その結果(チャリティ的な)○○が生まれる・できあがる、みたいな次第ならいいんですけどね。その方が目論見としての「ゴール=完結時の感動」が生きる・・・より感情移入できるものになると思う。

なにしろ・・・”目論見としての「ゴール=完結時の感動」”と書きましたが、そのための方策として考え出された企画が「マラソン」ってのは、あまりにも安直なんじゃないかと思う。ベタベタというかね。

もうひとつ。

法的な義務はどうなのか知らないけども、日本テレビは、これはやはり収支を明らかにしなきゃいけません。大メディアとしてそれは必須だろうと思います。

募金で領収書を要求するヤツはおらんので、その辺は日本テレビ側のいわば良心に委ねられるわけですが、ここのところはどうなってんだろうか。ある程度はサイトなんかで公表されてるみたいですが、なにしろ2億オーバーですからね。カッチリやって頂きたい。

最後に繰り返しますが、「やらない善よりやる偽善」。

チャリティの名の下に24時間で2億集めるってのは、これはやっぱしスゴいことですよ。政治家だって一晩で2億集めるのは至難でしょう。

またそういう意味で、TVメディアってのはダメだダメだと言われながら、まだまだ死んではいませんなぁ、と思います。その是非はともかく。

山本モナさんの件。

山本モナさんが結婚して芸能界引退、だそうです。
トラは死して皮を残すとか言いますが、その道を志した以上、どういう理由で去るにしろ何らかの形を残していきたいと思うわけです。しかるにこの「山本モナ」とかいう方は、ここで辞めちゃったら単にお笑い種という存在でしかない。事実上表現者としてなーんにも残していないわけですが、果たして、なにより本人はそれでOKなんだろうか。良い大学出て難関のマスコミ受験の網を掻い潜り、して、天下の朝日放送のキャスターまでやって、これで辞めちゃってなんの悔いも無いのでしょうかね。オレ的には不可思議だったりさえします。
そんなこと言ったら今の「TVタレント」と括られる人の中で、例えば代表作と言えるパフォーマンスを残してる人がどんだけいるか、という話になっちゃうわけですが、これはその方が異常なんですよね本来は。
制作費削減傾向にあるとはいえ、まだまだ「地上波TV番組」の制作費は他メディアに比べて群を抜いて高額、相対的にかなり潤沢に表現のためにお金を掛けられる状況にあるはずです。
そんだけお金を掛けての「表現活動」が日々飽くことなく続けられてるにも関わらず、その出演者がひたすら「使い捨て」状況である、という、考えたらこんな異常なこと、そして不遜というか傲慢というか、なによりもったいない事は本来あっちゃいけません。
TV番組制作者には、出演者が自身の「代表作」をモノできるような、それが期待できるような制作姿勢を望みたいところです。
で、出演者の方も、真摯な「創作」姿勢でいて欲しい、それがイヤな人はマスメディアから去り、相応の舞台に活躍の場を見出して頂きたい、と思います。本来「芸能人」というものはそういうものだったはずです。
でもって、それはきっと視聴者にとっても、スポンサー側にとっても多大なメリットがあるはずです。
ところでこの山本モナさんですが、キャスターの仕事が決まると決まってその直後に露見するスキャンダル、一度ならず二度までも、というのは・・・なんか、思わずちょっとウラを勘繰ってしまいます。
もしかして、モナさんがキャスターに抜擢されると困る人(たち)がいたりするのでしょうか。