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モノの値段とは。

モノのお値段というものは難しいものです。

先だってにも書きましたが、このお正月や節分は和服で過ごしました。いずれも頗る好評なので、3月の初午祭にもこれで行こうかと思っております。

着てる当人としてもこりゃもう非常に着心地がラクチンなので、もうこの際マジでずっと和服で暮らそうかと思います。差し当たって事務所内では基本的に浴衣&ヘコ帯で過ごしておりますが、さすがに浴衣だけだとまだ寒い。そもそも浴衣とはこんな真冬に着る物では無い、ってことで、わざわざ防寒ズボン下とヒートテック上半身肌着を大量購入してどうにかやっております。

で、調子に乗って着物をもう一着作りました。昨日の夕刻に出来上がった由。でも今日は起きたら夕方だったので諦めて、明日か明後日に撮りに行く予定です。

二着目をお願いしにお店に行った際、まだまだしばらく寒い日が続くけども、羽織の上に着るような、洋装におけるオーバーやらコートみたいなのは和服だとどうなるのか、と聞きましたら、いのがありますよぉとか言って出してもらったのが和装コート、ものの良し悪しなどなんもわからんので取り急ぎナンボになるのか聞きましたら、37万だってんですね。サンジュウナナマンエンですって。

世の中にはここで、ほぉなるほどではいただきますか、なんつってポンと買っちゃえる方もおられるんでしょうね。でもオレはそういうタイプじゃないのです。

でも、なんだかんだ良いものを買っちゃったほうが、長い目で見たら結局おトク、リーズナブル、ってことは往々にしてありますね。

昔オレは7、8000くらいのフェイクレザーのアウターを愛用してたのですが、撮影屋なんかでボロボロになっちゃうので大体1シーズンごとに買い直してたりしました。

で、あるとき一念発起して100000くらいの本革のを買ったのですが、あれから16年ほど経ちますがいまだに普通に着れています。特に見た目もどうなってるってこともないので、まだまだ普通に着続けられると思う。

最初っからこれくらいのを買えばよかった、安物買いの銭失いとはまさにこのこと、と。

昔々、東京青年会議所(JC)というところに入れて頂きまして、その最初の会合の際、その当時オレは高校2年のときのバイト給料で買ったセイコーのダイバーウォッチをずっと使ってたのですが、先輩会員の方に

“JCってのはいろんな会社の社長さんも多いから、腕時計はもうちょっと気を使ったほうがいいよ”

とやんわり言われまして、ああそういうもんですかダイバーウォッチじゃアカンですか、ということで買い直した、ってことがありました。

まぁン十万のやつなのですが、あれから10有余年、こないだちょっと某骨董品査定サイトを除きましたら、かつて使ってたダイバーウォッチ、もはやプレミアがついて、ン十万じゃきかないお値段になっててビックリしたものです。

こと「お値段」というものは、塞翁が馬というか、どこでどうなるかわからんものです。

ちなみに腕同駅に関しては、今はどっちも愛用しています。

ただダイバーウォッチの方はもう古すぎて防水機能がダメだってことなので、そーっとそーっと使ってる、という感じです。

街について。

よく考えたら昨年末から制作の案件を6本抱えたまま新年を迎えたのでした。ひとつかふたつくらいは年内で終えられるかと思ったのですがそうはいかなかった。これは弊社の問題ばかりではなく、カレンダー的な巡り合わせの問題だったり、なんだかんだでコロナ禍の故だったり、まぁいろいろ。コロナ禍に関しては、それだからこそ発生した案件もあり、なにしろ、いろいろ、です。

そんなこんなで昨日も都内をアチコチ徘徊してまして、で、これはもう実名を挙げて差し支えないかと思うのですが、墨田区の京島だとか立川だとか鐘ヶ淵のあたりってのは、まぁスゴいですね。

なにがって街並みの昭和っぷりが。

この令和の世、木造二階建てで屋根の上に物干し台のあるお宅なんてそうそうありませんよ。

2011年の3月1日は東京も震度5弱ほど揺れたはずですが、それでもアレは耐えたんだなぁ、と。

警察署の生活安全課などでは、空き巣やなんかが多いから玄関のカギは2つつけましょうとか盛んにおっしゃってますが、まだまだガラス扉の戸建住宅も多いです。こうなるとピッキング対策もハチの頭もありません。最近は電線etcに地下埋設も進んでいる由で、すっかり電信柱も少なくなっているようですが、あのあたりはオレの記憶が確かならば3年くらい前まで木製の電信柱が立ってましたよ。さすがに現役ではなかったようでしたが、とりあえず立ってました。押尾川部屋のあるあたりですね。墨田区の。

弊社の以前の事務所は東向島にあったのですが、よくデカいスチルカメラ持った方が複数人で写真撮って歩いておられました。聞くと、失われつつある昭和の雰囲気を残す路地や建物を残したい、という御趣味であられる由。現にそこに住んでるオレとしてはちょっと複雑な心持ちだったりもしたものです。

東向島を後にしてもう17、8年経ちまして、あのあたりも新築建売戸建住宅が増えている由。それに伴って軽自動車でギリギリだった道幅も少しづつ広くなってきています。街並みが変わる寂しさもありますが、これは正しい成り行きです。消防車も入れないような道はできるだけ無い方が良いし、空き巣やなんかの危険はできるだけ避けなければなりません。

京島あたりだとまだ平屋の長屋などもそこそこ残っているのですが、リノベーションによるそんな建物を活かしての街づくりっていう計画も進んでいるとか聞きました。板張りトタン屋根の長屋建物にカフェやら個人事業主用事務所が入ってたり、とか。

なんというか、良い具合に変わっていくといいですね、と。

終戦記念日。

8月15日になりました。今日は終戦記念日です。

昭和20年の今日という日を迎えるまで、弊社のある東京は下町の皆さんは、低空飛行してくる戦闘機の窓から放たれる機関銃の弾丸に怯える日々が続いていた由。

そんな状況、環境、想像するのも苦痛ですが、これは想像しなければいけません。
そして、その上で自問しなければなりません。またそんな目に遭ったり遭わせたりしたいか?と。これは今を生きる国民の義務だと思う次第です。

弊社はNOなので、反戦です。右も左もハチのアタマもありません。

あけましておめでとうございます。

「平成」という元号に対して、平らかであることなどに価値を置いてしまうような思想が今の日本を停滞させている、という趣旨の発言をみました。どこで見かけたかは失念。
……いやいや、やはり平らかであることは大切です。「平らかで無い」ことで我が国は何度もいらぬ苦労をしてきたはず。新たな元号がなんであれ、ここはひとつ「たいらけく、やすらけく」なベースでコトに当たりたいと思います。
 
謹賀新年。
「賀」は「(先方にあったよい事を)喜び祝う。喜びたたえる。ことほぐ」という意味だそうです。「先方にあったよい事」が対象である、というところが素晴らしいと思います。そういうわけで弊社としても、謹んで広くみなさまに「賀」を。
 
本年も変わらずどうか宜しくお願い致します。
 
平成31年元旦。

7月1日未明。

門松は冥土の旅の一里塚などといいますが、満年齢計算が専らの昨今では誕生日がその「一里塚」になるのでしょう。
おかげさまで無事に今年の一里塚を迎えまた超えることができました。感謝。
 
今日の早い時間帯に、大学の同級生の訃報が届きました。オレが遊び惚けてる間に、一里塚どころか冥土の旅をゴールインしてしまった同級生がいる、というわけです。
 
ついこないだ新卒入社した会社での同期が亡くなって、そのお通夜に行ったばかりです。とにかく、こういうのはまだ早い。オレもたいがいなオッサンになりまして、ってことは同級生も等しくオッサンオバチャンになってるわけですが、だからといってまだ素直にゴールインしてよい世代ではさすがになかろうと思う。
 
しばらくご遠慮したいところですが、これから誕生日を迎え且つ超える回数が増すのに比例して、この手の報が、非常に、冷酷に、そしてあくまで淡々と増えていくんだと思う。どころか、場合によってはオレの側が報の発信元になるやもしれず。
それは承知しているつもりですが、それでもなお、まだ早い、早い、と。
 
とにかく今年の誕生日は無事に迎えることが出来ました。
まずは、そのことに感謝したいと思います。ホントに。

映画案内サイトの素人レビューについて。

あそこがダメ、ここがつまらん、展開が遅いとか早いとか、長文に渡ってさんざんクサしておいて、最後に

「というわけで開始40分で観るのをやめました」

って、全部観てないのかよ!と思わず突っ込んでしまうわけですが、考えたら映画案内サイトのレビュー欄というのは、あくまでも個人的な感想を勝手に書いてOKという趣旨で設けられたものであるので、なんでもアリ、うたってる通りになんだって勝手に書いてOK、なのですよね。

オレも例えばジョン・フォードの「三人の名付親」観て、ああ、ジョン・ウエイン以外の2人も最後まで生きててほしかったなぁかわいそうに、みたいなことを感じたりしたものです。
2人が死んじゃうからこその名作なのは承知の上で、またこういう風に鑑賞者に感じてもらうことこそが恐らくは性悪者側の狙いなんだろうと思うので、それはそれで個人的感想としては全くアリでしょう。

要はまぁ書き方の問題で、2人が死んじゃうから「駄作」だ、という具合に、オノレの分も弁えず「上から」書くところが問題、問題、問題、大問題なわけですね。

「大脱走」⇒出てくるのが男ばかりでムサ苦しくてダメ

とか、

「タワーリング・インフェルノ」⇒上映開始から40分経たないと火事が発生しないのでその間がつまんない

とか、

「ベン・ハー」⇒長すぎて観る気がしない

とか、

「燃えよドラゴン」⇒ブルース・リーが強すぎてリアリティが感じられない

とかいう「レビュー」にはアゼンボーゼンとさせられますが、考えたらオレも昔「大脱走」観たあとに焼き肉など食いつつ、

“しかし男ばっかしでムサ苦しい映画だよなぁ考えたら(笑)”

みたいな会話をしたかもしれません。

彼らは書き方がやたら「上から」なだけで、単純に且つ素朴にそう感じたに過ぎないのですきっと。かつての焼肉屋でのオレと同じく。

そういうわけで、この手のレビューには寛容であろうと心に決めての今日なのですが、先日フォードの「駅馬車」を観まして、あぁこりゃもうまごうかたなき映画史上に残る傑作だ、といたく感動し、同時に、これはもしかしたら…と思い当たる節もあり、で、先ほど心して件の類の「レビュー」を覗いてみましたら、やっぱりありました。

「米大陸先住民の表現が差別的」云々。

オチはありません。

「街は生き物」という話。

この1か月で8本の映像編集と1編のPPT制作を行い、完成後は1週間ほど事実上泊まり込みでもって広義の生中継での撮影を担当しておりました。ということでほぼ1か月ぶりのFBログインですが、なにも変わって無くてこれはこれでビックリです。
でもって、下記はそんなFBと違って、エラく「変わった」お話しになります。
 
木更津の駅前某所での泊まり込みだったのですが、まず木更津駅周辺の寂れっぷりに大げさでなく驚愕しました。一応JRの基幹駅なはずの木更津駅ですが、
リッパな駅ビルがあるもののテナントは10%くらいしか入ってないし、駅前アーケード通りには殆ど開いてる店が有りません。いやホントにどこも開いてな
い。灯りのついてるのが銀行の無人出張所が1軒と、サラ金の無人コーナー1軒だけだった気がします。要するに絵にかいたようなゴーストタウンでしたマジ
で。
15年くらい前にもこの地での撮影案件がありまして、あの時も”なんかサビシげな町だなぁ”と思いましたが、このあたり、もはや歯止めのきかない衰退の流れ、なのでしょう。
 
ただ、駅前はそんな感じですが、木更津全体としては隣接する君津なんかと比すればまだマシな由。確かにこの地にはうすらデカいナンヤラアウトレットパーク
だかモールが出来て、そこは大いに賑わっておる由。また街道沿いには大型店舗が続々集結し、まぁそこそこ盛り上がってるとのことです。
当地のクライアント様に聞いた話なので、まぁそうなんでしょう。
要するに、街の「中心地」が移った、ということなんですね。
潰れっぱなしなわけじゃなく「移った」んであるなら無問題か、というとそんなことは無く、駅周辺に賑わいが無いってことは他地域との人口交流が乏しいってことに他なら無いわけで、やっぱしあまりよろしくない感じが有ります。
 
中心地の移動ってことですぐ思いつくのは、沖縄は北部の、名護、ですね。
オレが初めて訪沖した94年頃の観光ガイドブックには、名護=ピンプンガジュマルの木から連なる随一の賑やかな商店街が魅力的!なんてな記述があります
が、もはやこの辺りもかなりゴーストタウン化しておりまして、昨年夏に訪沖した折には、なにしろ人通りがまるっきり無かった。サンエー・名護十字路店に入
ればそこそこ人影があるのですが、まぁジィサンバァサンばかりで、94年ごろにひしめいていた層はどこ行っちゃったんだろう、と。
 

「とにかくAKB出さないと刺さらない」話。

しばらく前に某ちょー大手広告代理店の方と焼肉食ってたときにAKBの話題が出まして、氏いわく、
「(イベントなどには)とにかくAKB出さないと刺さらないんだよねぇ」
としきりに仰ってたものです。AKB出せばとりあえず刺さる、という言い方もされてました。
へぇ、そういうもんなのか、しかし「刺さる」って言い方がいかにも代理店だなぁ、などと思いつつカルビやらレバ刺やら食ってたものです。
 
最後の一文でわかる通り(←まだレバ刺が普通に食えてた時期なわけです)これはもう3、4年前の話なのですが、相変わらずAKBの関係モロモロは「刺さ
る」ネタな由で、今日は「総選挙」なるものが行われ、その結果を天下の朝日やら読売やらが写真+動画も交えて大々的に報じておりますな。TVでも「完全生
中継」したりしてたそうで。
 
10歳代そこそこで、ちょー大手代理店etcから「刺さる」ネタとされる気持ちはどんなもんなんですかね。
アイドルと呼ばれる少年少女には、猫背の方が多いそうですよ。ナントカって心理学者がどっかに書いてましたが、これは恐らく心因的なもので、分不相応なプレッシャーを与えられ続けると自然にそういう姿勢になっちゃいがちなんだそうです。
 
文字通り寝るヒマもメシ食うヒマも無くコキ使われまくったピンクレディーのお二人、人気絶頂期には”こんな状態がいつまでも続くわけない”とお互い言い聞かせてガンバったんだそうです。
「でなきゃホントに死んじゃってたかも(笑)」
とこないだラジオで仰ってました。
 
AKBの皆さんもそんな感じなんですかね。

「セーラー服を脱がさないで」などについて。

今日のディナーは健康のために立ち食いソバにしたのですが、店内に「セーラー服を脱がさないで」がかかってまして、ゆで上がりを待ちつつ30年ぶりに、というかちゃんと聴いたのは初めてかもしれないのですが、まぁとにかく全編聴いてしまった結果、これは、なんというか、ヒドい歌だなぁ、と。
バカバカしいだけなら世の中にまき散らす害も最小限ですむところ、この歌には決定的に品が無い。こんなゲヒンな歌だとは思わなかった。こんなどうにもならない歌が30年前にはやたらヒットしたわけですが、この歌及びその歌唱者を支持したのは主にオレなどの世代であるので、こんな歌を流行らせた責任の多くは我々にあるんだよな、と、なんかソバ屋で反省してしまいました。

考えてみるとこの2014年現在、世に妄言駄言をまき散らしてるのは主に30歳台後半から40歳台中盤くらいな気がします。
例えば原発事故やその瓦礫処理に関してなどに於いても、バカ丸出しな発言を繰り返してるのは大抵オレと同世代くらいのオッサンオバチャンだったりします。
ちょと調べたらわかるだろ!ってなことを堂々と発言してるさまは、とりあえずみっともない。実にみっともない。そして恥ずかしい。この類の歌どもを有り難がって聴いてたようなのがマトモであるわけがないので、それもむべなるかな、です。情けない限りです。申し訳ない。

ところで最近の歌はどうかというと、AKBの一派といい、SEKAI NO OWARIといい西野カナといい浜崎あゆみといいきゃりーぱみゅぱみゅといいperfumeといい、これよりはもうゼンゼンまともマトモだと思えます。
そりゃ中には「セーラー・・・」に近いレベルで下らないのもあるけども、少なくともこれほどまでにゲヒンでは無い。
逆に、ここまでアケスケに品の無いバカ歌が今リリースされたとしても、誰がどう小細工したところで絶対にヒットしないだろうと思います。

だから、いわゆる「最近の若者」は、きっとオレなんかの世代よりずっと優秀なんだと思う。
そして同時に、思うにオレなんかの世代は、有史以来初の「今どきの若いもんは・・・」と言う資格の無い世代なんだろう、と思う次第です。

ところで前述の立ち食いソバ屋ですが、以前ここはきっと世界で一番マズいソバ屋に違いないとか書いたと思うのですが、不思議なことに今日は存外美味かった。
ただ、盛りソバ大盛りを頼んだのですが、厨房内で、茹でる係の店員と別の店員との間で、「玉は?」「ひとつ!ひと玉!」という会話が有ったのが気になっています。実際出てきた盛りソバは、少なかった。

胎動

自分でも不思議なくらい、後悔という感情が湧かなかった。
それどころか、僕はさらに彼女の胸元に、「なにか」を突き立てた。
時計の秒針が、ときどきゆっくり動いた。
一瞬、彼女が微笑んだ気がした。