芸能関係

岸田森のようなどこか様子のおかしい役者さんについて。

円谷プロ制作の「怪奇大作戦」にハマってた時期がありました。なんでハマったのか自分でもよくわかりませんが、第一話から順に観て数周したと思います。「怪奇大作戦大全」みたいな本も買ったりしました。

ご承知の通り、「SRI(科学捜査研究所)」なる組織が怪事件難事件を解決していくというお話ですが、このメンバーの中にちょっと様子のおかしい人がいるのです。どこがって言われると説明が難しいのですが、なんかおかしい。どこか様子がおかしい、としか言いようが無いのです。

物語の構成としては若くて沈着冷静なイケメンサイエンティストということなのですが、まぁそれはその通りでありつつ、やっぱしどこかおかしい。妙なのです。

調べたらこの役をやってたのは「岸田森」という俳優さんでした。

「帰ってきたウルトラマン」でも、自動車修理工場の主人だかなんだかの役をされてましたが、こっちもなんかおかしかった。主人公の頼れるカッコいい先輩という役どころなはずなのですが、やっぱりどこか「様子がおかしい」感じでした。

今だと誰になるんかなぁ。竹中直人とか香川照之なんかはいわば「様子のおかしさ」が一種のウリだったりするじゃないですか。岸田森さんのおかしさはもっとそこはかとない感じですよね。上記2作においても役柄としてはあくまでもイケメン枠であって、にも関わらずどこかイカれてる、どこかが妙だ、という。

ほんとはこんな様子のおかしい感じじゃダメなはずの役柄で、なのにそんなどこかおかしい感じのままでちゃんと成立させている、という、そういうところが魅力なわけです。

70年代中頃くらいまで、この手の「どこか様子がおかしい」役者さんってのが我が国には多くおられたように思います。

例えば三島雅夫さん。東映時代劇では町人、農民から大大名まで、大袈裟でなくありとあらゆる役柄をこなしておられますが、どれもこれも、なんかどこかイカれてるというか、やっぱり「様子がおかしい」のです。どんな役をやってても、いきなり笑いながらひとを刺し殺しそうな感じがあります。

※余談ですが東映「ゆうれい船」では、50歳代前半でありながら13〜14歳の役をやられてます。いやぁこれはすごいです。でも不思議なことに5分くらい観てると、まぁそんなもんか、みたいな感じになります。その辺が名優たる所以なんですかね。

田中春男さんもいろんな役をこなしておられますが、なんかどこまでいっても「ホントは全部ウソなんじゃないか」と思わせられる感じがあります。本来役柄としてそれじゃダメだろと思えるところですが、むしろそういう感じが魅力的なのです。「浮草」なんかスゴかったです。

……考えたらこんなの挙げ出したらキリがないのでやめますが、往時にはこういう、場合によっては役柄から逸脱するイカれた感じを保ちつつ、それを補って、いやむしろそのことによって役柄の魅力をブーストさせちゃったりするような役者さんがポツポツおられたように思います。

あの頃はまだ日本国自体にまだイカれた感じがあったんでしょうね。今はあの時期に比べたら、なんのかんの言ってもずっと成熟してますよ。

それでも、今だってああいう「様子のおかしい」感じの役者さんはきっとおられるのだとは思います。

でも、世に出にくくなってはいるのかもしれません。知らんけども。

今日は高峰秀子さんのお誕生日です。

今日3月27日は高峰秀子さんの誕生日なんだそうです。確か東日本大震災を知らずに亡くなってて、享年が80ナンボだったはず、というようなことでちょっと調べたら、ご存命なら今日で99歳、つまり来年は生誕100年ってことになるんですね。

どの出演作もやたらめったら名作揃いな高峰秀子ですが、オレ的には「綴方教室」が印象的です。子役時代ですね。そりゃもう名演でした。

四つ木の川っぺりのあたりが舞台のおはなしですが、この界隈の街並み及び主人公の少女の家のボロさに驚愕します。誇張でもなんでもなくあのあたりは、っていうか当時の東京下町はどこもあんな感じだったそうですが。

当作のベースとなった「綴方」を書いた少女は、原作本の印税をまるっきりもらえなかったりなど紆余曲折、様々な経験を経て、最終的には共産党員になられた由。

関係ないですが共産党っていえば、落語の「寝床」で、雇用主である旦那さんのヘタクソな義太夫を毎度ムリヤリ聴かされるのに辟易した番頭さんが、あげく

“とうとう共産党に入っちゃいました”

っていう下げのやつがありますね。

志ん朝だったと思いますが、今それで演ったらちょっと炎上しちゃうかもしれませんね。

っていうか当時は大丈夫だったんですかね。

共産党についてはちょっと置いといて、とにかく来年は高峰秀子生誕100年です。

高峰秀子はあまり知られていない作品の中にやはりやたらめったら佳作が埋もれています。

「愛の世界 山猫とみの話」とか「花つみ日記」とか「虹立つ丘」などはもっと評価されて良い。これらは日本国民必見だと思います。

あと「秀子の應援團長 」って作品があるのですが、クレジットを見るとスタルヒンだとかタイガースの景浦将だとかが出てるんですよ。出てるどころか普通にプレイしてる由。もはやプロ野球アーカイブとしても超絶貴重です。

高峰秀子はナントカってプロ野球チームの応援団長。わけわからん設定ですが、これまた名作らしいんだよな。

またまた関係ないですが「エノケンのホームラン王」って作品では、巨人の川上哲治が「若手スター」として出てます。もちろんプレイシーン、また結構な割合で芝居シーンもあります。これまた貴重。でも芝居はヘタ。

とにかく、生誕100年記念ってことで、どっかでまとめて特集上映されませんかね。

映画の話。

「フラッシュダンス」も「フットルース」も、当時はまぁそれなりに面白く観たはずなのですが、今観るとこれはもう愚にもつかないというかお話にならないというか、とにかく観ちゃいられないのです。こんなシロモノをどうして当時面白がれたのか、自分がよくわからなくなります。ウソだと思ったら今一度観てみていただきたい。きっと、ええ、ウソでしょ!?なにこれ!?ってなりますよマジで。オレはなりました。

このあたりの作品は、強引に括ってしまうと「ザ・80年代」というようなことになると思うのですが、要するに当時のオレは、時代の熱やらいろんなものに浮かされてた、ってことなんだろうと思う。

でもって、その伝で「ザ・70年代」という括りになるとどんな感じになるかというと、一連の「パニック映画」と呼ばれる諸作品がそれにあたるような気がします。ってこれだけじゃないでしょうけども、これもまた重要な構成要素ではあろうかと思う。

で、この辺のは今観てもかなり面白く観られます。面白く観られるものが多い。

面白いヤツだけが残ってて、その裏には時間経過の篩に引っ掛からなかった有象無象「面白くない・普遍性を得られるレベルじゃない作品群」が死屍累累、という、そういう感じでも無いのです。面白く観られないのも少なからずあるにはあるのですが、「ザ・80年代」の諸々に比べると佳作に出くわす率が高いです。

ただこれはほぼ思い付きの私論ですが、「ザ・70年代」の諸々は、アメリカンニューシネマの洗礼を受けたか受けてないかで2分できちゃう気がします。例えば「大空港」は受けてなくて、その続編である「エアポート’75」は間違いなく受けてるなぁ、とか。

単なる制作タイミングの問題ではなく、制作側の意識において、革命的なナニゴトかがこの時代にはあった、と言える気がします。なんとなくですが。

じゃあなにがあったんだろうか、と思うのですが、今日は13時間くらい寝てしまったので、そういうことを調べたり考えたりする熱気が我が心中に湧いてきません。

ただ、これまたなんとなくですが、機材の革新はあったんじゃないかな、という気がします。明らかに各カットの軽重が違ってる感じ。いやあくまでも「なんとなく」です。

TV業界。

ホントにTV業界は不景気らしいですねぇ。TV業界関係者にお会いするともう景気悪い話しか出て来ませんよ。数多ある産業の中で最も不景気な業界が発信してるわけですから、発信内容も不景気なものになるのは必定ですよね。

これは一般の方には分かりにくいかもですが、ひな壇芸人さんによる番組なんかでは、もう複数カメラを設置するのも憚れる感じなので、8Kのカメラをひな壇正面に1台置いて全体を撮っとくだけで済ませちゃうんですってね。ひな壇全員を8Kでずっと撮っておいて、編集時に都度喋ってる人だけトリミングして、ということらしいです。確かに放送はフルHDですから、元が8Kであればそこそこトリミング(=拡大)しても解像度は落ちないわけです。

ホントにそんなことやってんのかどうかさすがに眉唾ではありますが、ポスプロの方がおっしゃってたので丸々ウソでもないんだろうと思います。

昔々あらゆるコンテンツは「門付け」だったんですよね。発信者がお宅を一軒一軒回って、その都度おアシをいただく、という。

それじゃ効率が悪い、ってかまとまった儲けにならんので、広場に人を集めて、まとめて大勢に発信して、まとまったおアシをゲットする形になりまして、それが「公会堂」や「劇場」のはじまりですね。

でもって、さらに一度に大勢に発信ってことで、放送というシステムやらパッケージ販売という概念やらが誕生したわけです。一箇所に集まるだけでなく、各地の方にも同じネタを、という。

そういう変遷に伴って、配信するネタも個々向けから「大勢」、大衆ウケするものへ変質していったわけです。多くの場合のそれは国家体制の堅持に大いに貢献し、我が国は先進国の仲間入りできた、という側面もありましょう。

youtubeやなんかでの個的な発信、また音楽の配信ってのは、こりゃ要するに「門付け」の現代版みたいなもんじゃないですか。発信者の単位がミニマムになっていくっていう、これはいわば先祖返りですね。

あんまし良いことじゃないよな。有象無象が勝手に発信してるばかりのカオスな世の中に戻ってどうする、と。

しかしなんでTV業界が不景気かって、ライフスタイルの変化だとかなんとか言われてまして、そりゃまぁそういう部分もあるとは思いますが、本質的には面白く無いから観ないってだけなんですよね。

現にもうTVドラマは社会構造的にダメだとか言われてるさなかに、家政婦がどうしたとか半沢ナントカってドラマは超高視聴率を記録してたじゃないですか。面白けりゃ観るんだよなみんな結局。

そんなオレはここ20年くらいTV番組をほとんど観てなかったのですが、最近「クイズ脳ベルSHOW」だけ時々観てたんですよ。

でもどういうわけか毎日やってたのに週イチ放送になっちゃいました。残念です。

演歌歌手の方の件。

カラオケ大会って言えば、これはほぼ100%演歌なわけですが、演歌歌手でひとつ思い出しました。

ある時、ご当地演歌歌手がデビューするってことで取材したことがありました。24歳男性。年男デビューっていう、だからどうした的なキャッチコピーが付いてました。

ご当人&マネジャー的なスナックのマスターにいろいろお話を伺いました。

まずは現在に至るまでのプロフィール。

・小さい頃から音楽が好きだった

・中学生くらいで、自分でも音楽をやろう、と思い立った

・で、高校生の時にナントカ先生に内弟子入り

・でもって24歳で弟子奉公が明けて、晴れてデビューが許された

音楽こそが我が自己表現の術である、とご当人、厚く語っておられました。

そこでオレは、極めて素朴な疑問をぶつけたわけです。

小さい頃から音楽が好きで、中学高校生になって自分でもやってみようと思い立った際に、選択としてはバンド組んだりギターやったり、となる方が多いと思うのだが、なんでまたアナタは「演歌」だったのでしょう。

演歌の世界を自ら選択した、もしくはご自身にとって演歌でなければならなかった理由というのは、なにかあるのでしょうか、と。

これはホントに単純かつ素朴な疑問で放題で、この世代で、たまただどっかののど自慢でスカウトされたとか、近親者に演歌業界人がいたとかでなく、中高生が自分の意思で演歌界に進むってのはちょっと珍しいかもな、と思ったわけです。

どういうわけでこの目の前の青年は、この珍しい道に自ら飛び込んだのかな、と。

そしたらこの青年、ちょっとの間考えて、やがてスナックの天井をやや見上げて言いました。

“たぶんそういう方と私とでは、最初に教わった先生が違った、ってことなんじゃないでしょうか”

と。

これを聞いた瞬間、ああ、住む世界の違いってあるんだな、と思いました。

あんましロックとかフォークで、センセイのとこに内弟子に入って、数年後に、ああそろそろオマエも年季明けだねぇ、とかいってバンド組むのを許されて、なんてのは無いと思うんですよね。

いや誰かを「師匠と仰いで」「目標にして」ってのはあるんだろうと思いますが、まるっきり徒弟制度で、師匠のお墨付きがあって初めて世に出られる、ってんじゃ無いですよね思うに。

でもこの目の前の青年は、そうは思ってないわけです。どんなジャンルでもそういう道筋だと思ってる。そう信じていささかの疑いも無い。だから考えた挙句に出た答えが上記なわけで。

“ボクも最初に出会ったのがロックやフォークの先生で、最初に通ったのがロックの教室だったら、今ごろロックやフォークをやってるかもしれません”

とも言ってました。

彼にそう思わせしめたのはどういう理由によってのことか、とちょっと興味がわいたんで、根掘り葉掘り聞いてみたかったのですが、取り巻きのオッサンらに止められて取材は打ち切りとなりました。

あんまし余計なことを聞いてくれるな、という空気だったのを覚えてます。

ある意味で純粋培養なこの24歳の青年はいかにして作られたのか、ホントに興味があった。

テレビやなんかを観て、同世代の「アーチスト」がロックやらなんやらやってるのを観てどう思うか、とか、中高生時代の友人やご両親はどう思っておられたのか、とか、いろいろ聞きたかったのですが。

デバカメ的な興味ばかりでなく、さほど世代の違わないオレ自身との対照、という関心もありました。この青年のなにがオレと違ってて、なにが一緒なのか。

この青年もそろそろアラフィフだと思うのですが、どうしてるのかな、と。

プロはスゴい!という件。

先日カラオケ大会の場で歌手にスカウトされた話を書きましたが、ちょっと規模のデカいカラオケ大会などを覗きますと、まぁ上位入賞の方はそりゃもう上手いのです。そりゃもう上手い。上手いとしか言いようがない。そういう方がスカウトされてその気になっちゃうのも無理はない、と思えるものです。

実際こういう場からデビューされてる方も多い由。サギ話も多いとは思うものの、ここからのプロデビューってのも強ち荒唐無稽とばかりは言えないのであります。それゆえに#19で書いたような200万円オジサンみたいなのも横行するわけで、だからタチが悪いってことも言えましょうけども。

なにしろ上位入賞者の方は上手いのです。オレも15年くらい前まではときどき大会の収録を頼まれたりしてましたが、そこそこデカい大会だと各地の小さな大会の優勝常連みたいな方ばかりで、誰も彼も上手い。そんな中で上位入賞される10人くらいの方々はそりゃもう滅法上手い。実際大会荒らし的な方も多いようです。

でも……その時もそこそこデカい大会だったのですが、ひとしきり出場者の歌唱が終わって審査タイムになった時、その時はその大会の音響担当者の方のミニショー、ということになったのですね。

音響担当者といってもその方の本業は売れない歌手で、売れないがゆえに副業でスナックやったり音楽イベントの音響さんやったりして食ってるという方。予定よりかなり時間が空いたってことで、バック演奏なし、アカペラで数曲やらにゃならんってことになったのです。

そこで美空ひばり「悲しい酒」をフルで演られたのですが、これはスゴかった。それまで100人近い「上手い素人」の歌を聴かされてた会場ですが、みんな静まり返りましたよ。あまりの上手さに。

あちこちのカラオケスナックみたいな店でカラオケ大会みたいなものが行われ、そこで優勝の常連みたいなレベルの方が集まってその地区のカラオケ大会に出られ、またそこで優勝常連の方が集まってそこそこデカい大会に出られ、そこで優勝する方であっても、もはや相手に

ならないくらい上手い、ということです。

ああ、これがプロなんだな、と思いました。思わされたというべきか。

どんなに上手くても所詮素人は素人、プロと素人の間には決定的な、エゲツない差があるのですね。

後日、その大会主催者の方、この方はそこそこ知られてる作曲家先生なのですが、その方に聞いたのですが、○○くん(=このときの売れない歌手氏)は確かに上手いんだけど、いまひとつ聴衆を惹きつけるものがないんだよなぁプロとしては、とのことでした。

あれで「いまひとつ」なのか、じゃあその「売れてる」人ってのはいったいどれほどなんだろう、と。

あちこちのカラオケスナックみたいな店でカラオケ大会みたいなものが行われ、そこで優勝の常連みたいなレベルの方が集まってその地区のカラオケ大会に出られ、またそこで優勝常連の方が集まってそこそこデカい大会に出られ、そこで優勝する方でももはや勝負にならないくらい上手いレベルのプロが大勢集まって、その中で大衆を惹きつける、「売れる」レベルの巧者はほんのひとつまみ、というわけです。

とにもかくにも「歌い手」のプロの道は険しいのであります。

全然関係ないですが前述の売れない演歌歌手氏、ある打ち合わせで事務所件住居にお邪魔したのですが、普段が完璧なオネエ言葉でビビったものです。

打ち合わせ終わったらウチのお店で手料理ご馳走してあげるわね!と言われました。

美味かったです。

娯楽コンテンツについて。

娯楽コンテンツは常に「ないものねだり」の産物だ、という、斯様な仮説をたてると、物事いろいろ合点がいき、且つ色々はかが行くのであります。

「ニッポン無責任時代」がやたら流行った時期、当時のサラリーマンは高度成長の担い手としての責任感、重圧に大層苦しんでいたんだろうと想像します。あの経済成長を、ほぼ特定の世代だけが背負ったわけですからね。それはそれは大変な重圧だったことでしょう。これは余談ですが、それを為した世代が後期高齢者になってる昨今、この世代を大事にしなきゃバチがあたりますよ。

「旗本退屈男」がシリーズ30本も続いたのには、庶民において横暴な権力者に相対する「早乙女主水之介」的存在への渇望があったのでしょう。「退屈男」が最も流行ったのは戦前から昭和30年くらいまでな由。

また病身の渥美清をいつまでも「男はつらいよ」に携わらせたのは、長年に渡って続いた、マスプロ化した社会生活における閉塞感が裏にあったでしょう。保守的な松竹は最後は満男くんを「フーテン」化させてまで当作の継続にこだわりました。

こういうことは洋の東西を問わず、泥沼化するベトナム戦争のとその戦後処理、石油ショックによる不況、ウォーターゲート事件に代表される政治不信、学生運動の衰退に伴う失望感など、まさに月に叢雲といった状況にあったアメリカにおいて、その雲を散らしたいという市井の一念がダーティハリーやデス・ウィッシュetcを産んだのでしょう。

またこういうことは、こと映画だけに限りませんね。浜崎あゆみの楽曲の、あの説教臭い歌詞がやたらウケたのは、ああいう「説教」に飢えてたグループが庶民の中に多くいたということに「他なりません。バブル期の様にチヤホヤされることに飽いて且つ同時にそこに不安を覚えた後続世代の女性らが挙って支持しましたね。チヤホヤされるより、説教臭い「同調」を求めた、と。

オレ個人は我が国のポピュラーソング史において「セーラー服を脱がさないで」に始まる一連のあの一派によるあの手の曲どもは最低最悪の代物だと思うのですが、これらのヒットは、どうあれこうあれあの一派が思春期のガキどもが最も「欲しがるもの」を(大量に、数の暴力でもって)市場にブチ込んだ結果であることは疑いようもありません。

枚挙にいとまがありませんが、まぁなにしろ、映画演劇音楽と、なにによらずヒットコンテンツというものは押し並べて「ないものねだり」、その時期その時期に欠けているものが常に望まれるわけですね。

で、オレ思うに、ここ数年各種コンテンツにおいて「リアリズム」、これが結構末端、特に若者層においてやたら尊ばれてる気がするのです。

これってもしかしたら、今、そういう世代の層においてなにが欠けてるかって、他ならぬ「リアル」が欠けてるんじゃないか、と。

そういえば東日本大震災もこのたびのコロナ禍も、それらに対するSNSの書き込みが、みんなどこか他人事な感じがします。

自分自身にとっての「リアル」事として認識してない感じがします。

ドラクエやFF、また各種ソシャゲで特徴的なのは、最終的に必ず「勝つ」んですよね。

80年代頃のゲームは、インベーダーでもギャラクシァンでも最後必ず負けてゲームオーバーになったです。全機やられて負けるまでのゲームだった。ところが昨今のゲームは大抵自分が勝って終わるんですよ。

なにによらず「バーチャル」が流行る昨今ですが、コンテンツとしてはこれからは「リアリズム」が流行るんじゃないですか。

それが良いことなのかどうかオレにはわかりませんが、とにかくオレは今から「旗本退屈男 謎の決闘状」を観て寝ます。おやすみなさい。

美空ひばりについて思うこと。

日本映画の観客動員数は1958年がピークだったそうですが、配給会社別に見ると東映が他社を圧倒、まではいかなくとも凌駕していた由。要するに日本映画人気全盛時代は同時に東映時代劇の全盛期でもあったってわけですね。

大卒初任給の調査は1968年から始まったようで、この年は30600円。ってことは高度経済成長期に入りたてな1958年当時だと、恐らく1万円にちょっと届かないくらいだったんじゃなかろうか。

そんな時代に、歌舞伎界からなんやらプロダクション経由で銀幕界入りした中村錦之助(=萬屋錦之介)のギャラは1本出演で100万だったそうです。

同時期に日本舞踊の世界からなんやらプロダクションを経由せず個人で東映と契約した東千代之介は、長年足元を見られまくって最後まで1本出演で10万だったとのこと。

まぁなんとヤクザチックな業界かと思いますが、今回言いたいのはそこんとこではなく、同時期、美空ひばりは1本出演で250万を下ることがなかったってことです。

250万ですよ。ニヒャクゴジュウマンエン。今年の大卒初任給は22万だそうですから、ごく単純に換算すると、1本映画出演するたびに5500万になりますか。しかもこの時期のひばり、東映だけで普通に年間10本以上出てますよ。つまり映画だけで年間最低5億5000万。ゴオクゴセンマンエンですよ、映画「だけ」、で。

でもって、ハッキリ言ってこの時期のひばりにとったら映画出演は決してメイン仕事ではなくあくまで「余技」で、新宿コマやらでのメイン公演に地方巡業公演、テレビ出演にトンでもない数のレコード発売、と、ちょっと想像できない仕事量、つまり想像を絶する収入があったはず。

そういう状況が、どんなに少なく見積もっても最低10年は続いてたはずで、また千昌夫やなんかと違って、株で損したとか不動産でズッコけたとか、マネジャーに騙し取られたとかいう話は聞きません。

ヘタしたら、今の貨幣価値に換算してトータル1兆円近く稼いだんじゃないかと思うんですよ生涯で。8歳でデビューして、結局収支が赤字になるような年度の無いまま亡くなったはずですから、イッチョウエンって数値もあながち、じゃないですかマジで。

なのに、死後、なんで借金なんかが残る状況だったのか。

ここがオレとしては不思議でなりません。

死後20有余年経過した最近になって、メディアでは某ヤクザの某組長との関係を半ば美談みたいなノリで採り上げるようになりました。「蜜月」とか言ってね。

「蜜月」でもなんでもない。ただひたすら「金づる」だったんじゃないのかね。母娘ともども丸め込んで持ち上げて。

なんといいますか、そういう美空ひばりの悲劇性について、もっと語られていいんじゃないでしょうか、とオレは思うのです。

死後20有余年、いまだにCG化させられたりすることに対して、山下達郎大先生は某FMラジオ番組でただひとこと「冒涜です」とおっしゃってました。

これも「悲劇」の一環ですよ。

ついでながら、いつのまにか代表曲が「川の流れのように」ってことになってるのも「悲劇」だと思います。ハッキリ言って美空ひばりのキャリアにおいてこれは凡作のグループに入ります。タイトルからしてこの作詞家らしいダサさと臭さに満ちております。「川の流れのように」ってなぁ。もうちょいでもヒネらんかい!と。

死してなお、作者の権威づけに利用されている、としか思えません。まだ利用され続けておられるのか、と。

悲しむべきことです。

シティポップが流行ってるらしい。

今日出先で聞いてきたのですが、なんか昨今こと若者の皆さんにおかれましては80年台のいわゆるシティポップが流行ってるんだとか。
楽曲に普遍性を備えさせるのはひとえにアレンジの力だと山下達郎大先生が昔仰ってた(と思うの)ですが、確かにこの頃のこのジャンルはなにしろアレンジが素晴らしい。40年近く経った今になってまた流行るってのがその証拠です。
オレのようなオッサンの心中にはこの辺の楽曲を聴くとまず「懐かしさ」が沸いてしまいますが、これは純粋な鑑賞においては邪魔な要素です。
若さを羨ましいと思ったことは今までただの一度もないですが、これらの佳曲をいまこの時代に「初聴」できる若者に対しては例外的にそう思います。ああ羨ましい。オレはもうあの初聴時の感動を味わうことはできません。

1990年代の後半頃だと思うのですが、最新のハードウエアを駆使しての電子音系の音が横溢しておりましたヒットチャートの界隈におきまして、いきなり70年代のフォーク村から出てきたような「ゆず」が現れ席巻したりしたように、本質的なヒットソングおよびその制作者というものは必ず聴衆の主体性に依って生まれるのであります。ここは信じてよいポイントです。良いものはいついかなるときも「良い」のであって、なんだかんだ言って良いものは日の目を見るパーセンテージが高い。聴衆はそれほどアホなもんでもありません。本末転倒なマーケティングに依って計算されたものよりもアベレージは実は高いんじゃなかろうか。

クリスマスソング。

ロケ時の虫抑えということで久方ぶりにデニーズに入りましたら、時節柄店内BGMがクリスマスソング三昧。
聴くともなしに聴いてましたら、
 
ジョン・レノン「Happy Xmas (War Is Over)」

マライヤ・キャリー「All I Want for Christmas Is You」

ワム!「Last Christmas」

バンド・エイド「Do They Know It’s Christmas?」

と来ました。

さて次の曲はどういうことになるんだろう、この4曲と同レベルのベタベタなクリスマスソングといったらなんだろう、そんなのあるかしら、と思ってましたら、ありましたありました。
 
ポール・マッカートニー「Wonderful Christmastime」。
 
いや失礼しました。史上最高レベルのベタベタクリスマスソングであります。
メロディ、アレンジはもとより、歌詞も「ムードはいい感じ」「気分もワクワク」「さぁパーティが始まるよ」とかそういう感じ。よくもまぁ臆面もなくこういう詞が書けるな、と思う。まぁハッキリ言ってあざといっちゃあざとい歌です。あざといっていうか図々しいというか、さすがはポール・マッカートニー、であります。
このあざとさ・図々しさ、いかにも商業主義的なところが気に入らねぇんだよ的なことを言われがちなのがポール・マッカートニーなのでありますが。
 
ただ、考えてみると、同じくビートルズメンバーであったジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」は70年だか71年だかの作品だったと思うのですが、この時期にこういう歌を作るジョンの方がよっぽどあざとく且つ図々しいよな、と今のオレは強く思います。79年とか80年という時期における「Wonderful Christmastime」より、70年代初頭における「Happy Xmas (War Is Over)」の方に、オレはよりあざとさ・図々しさを感じます。あの時代にこういう歌を作って恥じるところのない感じがいかにもだなぁ、みたいな。
 
さらに考えてみると、ジョン・レノンって人は、実にあざとく図々しいソングライターだとオレには強く強く思えます。
改めて聴くと、これとか「Starting over」とかってのは結構あざとい歌ですよ。そうじゃないっぽく装ってる感じがなおのことあざとい&図々しいとオレ的に思えてしまう次第です。
 
もう一か月くらいずっと風邪ひいてるので、もう寝ます。