2022年6月

子どもの頃ボクシングジムがあった。

物心つくかつかないかのホンの子どもだった頃、我が家の隣が三迫ジムでした。板張りで薄暗くて、なにしろ猛烈に汗臭いジムでした。あれほど汗臭い空間をオレは知りません。当時ボクシングジムとはそういうものだったんだろうと思います。
梁にやたらおっかない顔の肖像写真が飾ってあった記憶があるのですが、今思うともしかしてあれは野口進だったのかな、と。

当時の三迫ジムには輪島さんのほか門田新一、竹森三城といった選手がおられたと思います。
竹森選手はジム裏にハト小屋を作っておられて、夕方にひとりで世話をされてたのをよく見かけました。竹森選手については以前 https://www.c2-factory.com/wp/2004/12/03/post_10/ここでも書きましたっけ。
門田さんにはうちの父や母が選挙のたびに車で投票所まで送ってもらったりしたそうです。非常な紳士でらっしゃった、とのことです。
輪島さんは、なにしろ面白いというか、ユニークな感じだったそうです。かくいう私もそばで遊んでたら練習中の輪島さんに窓越しに“ぼうやちょっとおいで”ってな感じで手招きで声を掛けられ、寄って行ったらうがいの水を頭からかけられたことがあります。爆笑しておられたのをいまだに覚えてます。

小学校中学年くらいの時にジムは移転してしまったのですが・・・あれからもう50年近く経つんだな。懐かしいです。尊敬する人は?と聞かれたら私は必ず「輪島功一」と「渡嘉敷勝男」と答えています。

ちなみに当時の三迫ジムの建物はほぼそのまま今でも残っています。ジムが移転した後、確か葬儀屋さんになり、福祉事務所になり、いまではなんと旅館になっています。売り返しますが建物はほぼジムだったときのまま。リングのあったところがフロントになってんのかな、と思います。江東区塩浜です。

シティポップが流行ってるらしい。

今日出先で聞いてきたのですが、なんか昨今こと若者の皆さんにおかれましては80年台のいわゆるシティポップが流行ってるんだとか。
楽曲に普遍性を備えさせるのはひとえにアレンジの力だと山下達郎大先生が昔仰ってた(と思うの)ですが、確かにこの頃のこのジャンルはなにしろアレンジが素晴らしい。40年近く経った今になってまた流行るってのがその証拠です。
オレのようなオッサンの心中にはこの辺の楽曲を聴くとまず「懐かしさ」が沸いてしまいますが、これは純粋な鑑賞においては邪魔な要素です。
若さを羨ましいと思ったことは今までただの一度もないですが、これらの佳曲をいまこの時代に「初聴」できる若者に対しては例外的にそう思います。ああ羨ましい。オレはもうあの初聴時の感動を味わうことはできません。

1990年代の後半頃だと思うのですが、最新のハードウエアを駆使しての電子音系の音が横溢しておりましたヒットチャートの界隈におきまして、いきなり70年代のフォーク村から出てきたような「ゆず」が現れ席巻したりしたように、本質的なヒットソングおよびその制作者というものは必ず聴衆の主体性に依って生まれるのであります。ここは信じてよいポイントです。良いものはいついかなるときも「良い」のであって、なんだかんだ言って良いものは日の目を見るパーセンテージが高い。聴衆はそれほどアホなもんでもありません。本末転倒なマーケティングに依って計算されたものよりもアベレージは実は高いんじゃなかろうか。