オウム真理教関係

いろいろ。

長いこと「失われた名作」とされていた「忠次旅日記」のネガの一部が松竹の倉庫だかどっかの田舎の蔵だかで発見され、無事に修復も終えられていざ上映!と相成ったとき、その公開場であったフィルムセンターのパイプ椅子席には萬屋錦之介の姿があったそうですよ。

また、山下達郎大先生はほぼ習慣的に若手アーチストのライブに足を運ぶそうで。
狭くて小汚い小屋の一隅にちょっと場違いな、しかしどこかシャレオツな壮年夫婦がいる、という感じだそうです。

売れっ子スターであってもやはり観るべきものは観なければならず、して学ぶべきことは真摯に学ばねばならぬのであります。

そういうこととはほぼ関係無く、「忠次旅日記」に出演している伏見直江は江東区門前仲町の出身です。ちなみに小津安二郎はお隣の深川一丁目で生を受けておる由。

さらにまるっきり関係ないですが大杉栄と伊藤野枝は亀戸三丁目に居住していた時期があり、これは有名ですが浅沼稲次郎は区内の同潤会アパートに住んでおられた。.
ついでながら麻原彰晃はオウム神仙の会を興す前にやはり区内大島に住んでたそうで。

いずれも、生家跡に記念碑があるでもなく、江東区とのつながりに関する文献が豊富にあるわけでも無く、小津だけは清住通り沿いに申し訳程度な「ここらで小津が生まれたっぽいよ」ってだけな記載の看板がありますが、それっきりです。あとはなんもない。皆無。

麻原はともかく、そういうことでいいいんか。

クズの連鎖。

高橋克也容疑者:金を脅し取られた…菊地容疑者同居の男に

とのこと。

・・・オウムにつきましては、昨日、麻原のクズさ・クソッタレぶりについて書きましたが、この教団の周辺にはホントに想像を是するクズばかりが屯しておりまして、もはや瞠目し過ぎてメダマがこぼれ落ちるレベルです。 

中でも・・・この記事を信用するならばという前提付きですが、この「高橋寛人容疑者(41)」は、もうホントにクズ過ぎて言葉を失います。 

「こいつら指名手配犯人だから、なにやっても通報されないから、やることやっちゃおう」 

・・・この発想がクズのそれでなくて何なんだ、って話です。 

でもって、世論が菊地etcになんとなく同情的なのはなぜかというと、こういうクズ連中の中で、相対的にまだ彼らの方がクズ度が低い(ような印象がある)、ってことなんですね。元々高学歴だったとか、各々のサイドストーリーがそう感じさせるものだったりするんでしょうけど。 

そういう側面が一面において有るのは確かですが、やはりどこをどう取っても、どう転んでも、彼らは結局のところ「指名手配逃亡犯」ですからね。過度な同情は、過度に攻撃的だったりすることと同様に危険なことだと思うし、やっぱり間違ってる、とオレは思います。 

大体がですね、 

> 克也容疑者は一時、川崎市の自宅アパートに「タンス預金」として1700万円程度を保管していた 

と記事にありますが、これについて菊地は「2人で働いてためた」と供述してますよね。 
内装屋の(恐らくは)個人親方と、高齢者介護ヘルパーだかなんだかやってる二人が、ものの数年でこんだけ貯められるわけねーだろ!と、オレは思いますよぶっちゃけた話。 
カネの出どころはどこなんだよ、と。 

とはいいつつ、特に菊地に関しては、同じオウム関連での各判決と照らすとどこをどうコネクりまわしても重刑が科せられる感じではなさそうだし、オウムなんぞにハマらなければ、それなりの社会的地位に居ることも可能だったろうにな、彼女にとってこの17年ってなんだったのかな、などとは思ったりしていますが。 


ところで・・・この「高橋寛人容疑者(41)」、菊地の供述によると、長年の同棲の末に求婚した際に、自分がオウム手配犯だと告白された、という次第ですよね。 
では、高橋克也をそう認識したタイミングはいつだったんでしょうか。 
また、そう認識した際の状況、ね。これがよくわからんです。 

“そうか、こいつら二人とも、指名手配中なのか” 
と、このクズ(「高橋寛人容疑者(41)」)が認識したのはどのタイミングだったのか、そしてその後、この度逮捕されるまでの、このウルトラクズがなにをし、なにを考えてたのか、その辺がちょっとばかり気になってたりします。  

「オウム」についてのこと。

菊地が逮捕される1週間くらい前から「オウム」関係の本を読み齧り始めてたところなので、ここのところの逃走犯逮捕ラッシュには驚いております。なんたる偶然か、これがシンクロニシティというものか、と。 
逃走していたメンツのうち、高橋は平田や菊地に比べ重刑の科される可能性が非常に高いので、ちょっと注目したいと思っています。ってオレが注目したところで大勢に毛ほどの影響も無いわけですが。 

さてさて、「オウム」関係の本など読んでますと、まぁなにしろ教祖であった麻原のクズっぷりに瞠目させられます。法廷での意味不明発言や、露骨な責任転嫁などについては知られていますが、そんなどころじゃない、正真正銘のクズヤローだ、と。 

例えば、某幹部が、オウムとしては禁忌になっている恋愛沙汰を起こした際、麻原は彼に4日間の懲罰房行きを命じるのですが、この幹部が懲罰期間を終えた後、彼は麻原にこう言われます。 

「まぁ○○よ、あの娘じゃあ(恋愛沙汰になっても)しかたないな」 

・・・彼は、なんでこんな妙なことを麻原が言うのか不思議に思いながら通常の「修行」に戻るのですが、その後麻原の居室に入った際、彼女が麻原の寝室で寝てるのを目撃してしまうんですね。 
ゲヒンな言い方をしちゃうと、要するに彼氏を懲罰房に入れてる間にテメーが食っちゃってるわけですよ。その上で、上記のセリフと相成るわけです。 

こんなエピソードがこの教団には満載なわけですが、例えば上記の件において、この幹部はさらに驚いたことに、決して麻原を責めたりなどしていないんですね。 

むしろこの場合、彼はひたすら自分を責めたわけです。 

「オレの修行が足りないから、尊師はオレに試練を与えて下さったのだ」 

と。 

こうなると、クズなニンゲンとしては、正にクズであるが故の当然帰結として、ドンドン、ガンガン増長していきますわなぁ。 
で、その増長が暴走というレベルで膨れ上がった結果が、坂本弁護士一家の殺害や、地下鉄サリン事件となるわけです。 


そんなわけで、一連の「オウム」の所業に関しては、こと麻原側に関しては単純に説明可能だったりします。即ち「クズがトップに立つとロクなことにならない」、このことの究極形、ということで無問題だ、とオレは思います。 

しかし、じゃあなんでまたこんなクズがトップに立てちゃったのだろうか?、という部分。これについても、研究書etcがゴマンとあるわけですが、いずれも明快な解を示すまでには至ってません。 
教祖としての麻原に父性を(勝手に)見出し依存していった、とか、非常に複雑怪奇な利害関係が個々に存在していたのだ、とか、まぁいろいろ言われてはいるようですが、100%の核心は捉えきれていないように思えます。 

・・・まぁねえ、100%の核心、なんてものは、信者が全て独立した個人である以上、存在しないのかもしれません。 
かといって、麻原がそんな個々に対して、個別の「洗脳」を施したとも考えられません。そんなマメな男では無い。 

逆に、オレなどがなんとなく感じるのは、その想像を絶するクズ人間っぷりで、ブルドーザーのように圧倒していった、というイメージです。 
有無を言わせぬクズっぷりに相対すると、なんかもうモノを言う気力が無くなっちゃったりするじゃないですか。 
大抵の場合、それには「呆れ」などといった感情が伴うと思うのですが、もうそれも許さないくらいのクズ、というかね。 

で、他面において、「圧倒」され洗脳された信者らの方にも、どこかでそれを望んでたようなフシがあるんですね。 
それが或る場合においては前述したような「父性の渇望」という形になってるのかもしれませんが、それもこれも含め、どこかにある種のマゾヒズムがあるような気がします。 
クズ人間に圧倒される快感、というかね。 

・・・まぁこれも「100%の核心」だとはとても思えないですけどね。我ながら。 


その上で・・・「オウム」に関する全ての裁判で、この「圧倒」、洗脳=マインドコントロールに関してあまり深く触れられてないのは、オレ的には、なんというか、ちと残念也、という感じです。 
裁判は常に個々の犯行に対してひらかれたわけですから、その分析が「オウム」関連の全てを総括する「00%の核心」である必要など無いわけです。 
だから、もっと仔細な分析があってもよかったんじゃないか、と思う次第です。 

昨日に続いて。

昨日に続いて「菊地直子容疑者逮捕」に関して。

逮捕時の報道をみると・・・読売、産経、毎日とも、「殺人と殺人未遂容疑での逮捕」となっていますが、これが少々よくわからないです。彼女を「殺人罪」に問うのは、私的にはちょっと無理があるような気がします。 

彼女は「地下鉄サリン事件」と「都庁小包爆弾事件」への関わりが疑われているわけですが、後者では死者は出ていませんし、前者でも直接的行為者だったわけでもないので・・・オレは法律関係は素人ですが、「殺人」での立件・起訴はちょっと難しいんじゃないか、と思えてなりません。 

ちなみに「目黒公証役場事務長拉致事件」において、拉致実行犯の井田喜広は懲役6年、当時TV見てた人にはおなじみの松本剛は懲役4年、林武は懲役3年・執行猶予4年、「拉致命令」者として飯田エリ子には懲役6年6ヶ月の刑が確定しています。 
全く別の事件ではありますが、幹部でもなんでもなかった彼女が、上記以上の刑を受けるとはちょっと思えないんですよね。 

帰社してネット繋げてみたら、今日は各紙に、逮捕直後と思われる彼女の写真が公表されてました。 
逮捕時に報じられた「青色トレーナーにジーンズ姿」そのままでしたので、ホントに直後に撮ったんでしょうね。 

で、それに対するネットの反応は「なんか普通のオバチャンだなぁ」的なものが多数です。 
40歳を過ぎたら、人相etcにそれまでの人生が出る、といいます。実物に会ったわけじゃないのでホントのところはどうだかわかりませんが、写真の通りの「普通のオバチャン」だったとしたら、それは彼女が、普通のオバチャンとしての生活を続けていたから、ということになります。 

至る所に自分の手配写真が貼られまくってる中、普通のオバチャンでいることは相当の苦労を伴ったろうな、と想像します。 
っていうか、そんなことがホントに可能なの?とも思うのですが、確かに写真を見る限り「普通のオバチャン」以外のなにものでもないですよね。 
逃走中の彼女の「生活」については、これからおいおい明らかになっていくと思うので、その辺興味深いところです。 

「カルト」とか、いろいろについて。

オウムの菊池直子が、なんか捕まった由。
突然のことで驚いていますが、考えたら大抵の「タイホ」は突然であるわけなので、そこはそんなにビックリするこっちゃないやね。
しかしそれにしても、ついこないだNHKでオウム関連特番の放送があったばかりで、しかも実はこのGWくらいから関連の本など読み始めたところだったので、やっぱり大変ビックリなニュースでした。 

ああ、だからこんなヘンな時期に特番なんぞやったのかな、しかもあんな大掛かりな・・・などと、ヘソ曲がりなことを考えたりしつつ報道に触れているところです。 

もうかれこれ10年以上前の話ですが、当時のオレは某ローカルTV局に勤務し、そこである情報番組を担当しておりました。 
番組には警察・消防・税務などといった「署」関係の枠がありまして、それこそオウム逃走犯の告知や、交通安全だ防災訓練だ確定申告だといった特集を組んだりしておりました。 
そんなわけで、必然的に各署の皆さんとも(公私ともに)いろいろお付き合いがあったりしたのですが、中でも特に昵懇だった某警察署の生安や刑事といった課の皆さんに、よくこのオウムに関する話を聞かされたものです。 

「菊池と高橋はともかくなぁ、平田は確実に日本にいるんだよ!」 

とかね。 

当時は”なんで平田だけ?”とか思ったりしたのですが、先般その平田「だけ」が、しかも自分から出てきたりしたので、ああもしかしたら、あながち・・・とか、なんか不思議な心持がしたものです。 

そして今日、菊池直子の身柄確保の報。 
副署長レベルも交えて、どう告知すべきか、なんてよく打ち合わせしたっけなぁ、などと、なんだか感慨深いものがあります。 


ところで・・・このオウムという教団は、よくよく調べると、実はなにからなにまで失敗の連続で、それどころかその失敗のどれもこれも、もうバカ丸出しのマヌケなものばかりだったりするんですよね。 
VXガス作れば失敗するし、ガス噴霧器作ったら間違って自分らがかぶっちゃったり、コスモクリーナーなどという宇宙戦艦ヤマトかぶれ丸出しなシロモノを結構なカネかけて作っちゃったり、もう枚挙に暇がありません。 

なので、残る高橋も・・・いっときは国外でもって影のドン的支援者に匿われてるのでは!?なんて話も出てましたけど、結局は普通にずっと国内でフラフラしてるんじゃないか、という気がします。最大級の警戒をしたものの、いざフタを開けてみたら予想を大幅に下回ってた、なんてことばかりのマヌケ集団でしたからね。 

※ちなみにアホな失敗ばかりの彼等でしたが、なぜかサリンの製造には成功しちゃったんですね。これが最大級に不幸な「偶然」だった、と言わざるを得ません。 


こないだのNHKの特番も含め、現在まで実にいろんなメディアでこの教団の犯罪、引いてはこの教団そのものについて、これも実にさまざまな分析etcが試みられていますが、ひらたく言ってしまえば、全ての根源は、要するに彼等が上から下まで、もう徹底的に「世間知らず」であった、ということです。これに尽きるんですね。 
幹部にしても、世間知らずの先鋭的エリートが、世間知らずであるが故にその「夢想」に抑えが効かなくなって暴走してしまった、と言えるように思います。 
で、その抑えのタガを外した、若しくは、自らのタガを外すためのある種の逃げ道としたのが、麻原という「カリスマ」とされた存在なんですね。 
なにしろ「超能力者」なんですから、どんなにリクツに合わなくても、どんなに理不尽でも、もはやなんの問題も無いわけです。 

事ほど左様に、世間知らずであるというのは、恐ろしいことです。 
でもって、そんな彼等の世間知らずを笑えるものは、実はそんなに多くない、という。 
これもまた恐ろしいことです。 

弊社などもいわゆる零細企業ですから、それは即ち、社会活動の範囲が狭くなりがちだ、ということに他成りません。。 
自分の周りの「社会」が全てだとか、夢にも考えたりしないように、これは意識していかなければいけない、と、この零細企業の社長であるオレは常々思っています。 
上記のサラリーマン時代は、仕事柄、警察、消防、税務、町内会のオッサン&オバチャン、学校に幼稚園・保育園、政治家、各種代理店、と、それこそありとあらゆる職種や立場の人と、決して浅からぬお付き合いをしてたものです。退社する直前の2年間くらいは、実際に出社するのなんて月に1、2回だけでした。なにしてたのかというと、上記したような人と常に「お付き合い」してるわけです。 

なので、あの頃に比べると、今はやっぱし世界が狭くなってるなぁ、と自覚しています。 
それはつまり、その狭くなった分だけ、極論すれば「カルト」化してる、と、言って言えない事もないわけでね。 


無理矢理な結論ですが、我々は常に「世間知らず」に堕ちる可能性を内在してるのですよ。 
で、その行き着く先は、究極的には「カルト」です。 
オウムの、幹部のみならず全ての信者も、一足飛びにあそこまで至ったわけじゃないですからね。 
また彼等には、教祖という、自らをカルト化してしまうのに格好の逃げ道が在ったわけですが、同じようなモノが我々のそばに居ないなんて保証はどこにもないわけです。 
SOHOなどの人はいうまでも無く、会社内と、一部外部関係業者とだけのお付き合いしかしてないなぁ、とか、そういやご近所くらいしかお付き合いがないな、とかね。そういうのも「落とし穴」ですよ。