書評・映画評など

狐狸庵山人こと遠藤周作大先生についてなど。

狐狸庵山人こと遠藤周作大先生は「沈黙」を著した後、意に反して各メディアでもってやたらと「大先生」「大家」扱いされてしまうことに辟易、猛烈な羞恥心と、要するにそんな「大先生」よばわりしてシコシコ持ち上げたりお追従してるようなヤカラは結局のところどこかバカにしてるわけなので、それに対する憤りとが綯い交ぜになったあげくに、御本人曰く

「“オレはそんな大人物じゃないんだ!バカにすんな!”と世の中に大声で叫びたかった」

ということで、あの偉大なる「狐狸庵山人」なるキャラクターが産み出された、とのこと。

このキャラでもって、いかにも大家・大先生らしい「沈黙」「海と毒薬」レベルの高尚なる次作を期待する周囲のヤカラをあざ笑うかのように、やれ連れションしたら隣のヤツの方が勢いが良かったとか、吉永小百合もオレと同じように屁もすりゃウンコもするとか、チン○ンのカスでタガメを釣ったとか、さらにはそういうことを書き殴るにとどまらず、頼まれもしないのにメディアにイソイソと露出したりとか、そういうことに日々邁進しておられました。

こういう行状(?)は当時の世間に強烈なインパクトを与えた由。

で、

“ざまぁみろ!と、いたく痛快であった”

と氏は述べておられます。

(関係無いですが氏の最後の映像メディア登場は、オレ思うに富士通かIBMのワープロのCMで、

“先生、原稿は・・・”

“は!やってますやってます”

という、「締め切りに追われた作家」役だったと思う。亡くなる3、4年前だったはず。)

なにしろオレ思うに、これはイチから10までまるっと正しい。クリエイターとしてあるべきスタンスです。

大先生よばわりされ誉めそやされ持ち上げられ、して、普通でいられるような感受性レベルの人はクリエイターには向いてないと思う。

そういや小津も

“映画監督などというものは、夜中に籠をかぶって河原にいるような存在で”

云々言ってた由。

なにも夜鷹レベルまで行かんで良いとは思いますが、なにしろそういうもんです。

そういう次第なので、村上春樹や大江健三郎も、例えば

“橋本環奈もウンコする~はぁヨイヨイ”

とかいうような事柄を、出来る限り下品な週刊誌でもって「連載」などしたりしてくれたら(くれてたら)、オレも、じゃあちょっとだけ読んでみましょうか、と思わないこともないです。

別に橋本環奈じゃなくても可。

「アラビアのロレンス」におけるピーター・オトゥールのキモさについてなど。

新年度の「午前十時の映画祭」、ラインナップに「アラビアのロレンス」がありました。10時きっかりからから上映されるとして終演は昼過ぎになるわけなので、鑑賞希望の方は朝メシをガッチリ食ってくるのが良いかと思います。3時間20分というクソ長い上映時間に加え、そもそも内容からしてかなりカロリーを消費させられるものです。メシ抜きで楽しめる類の作品ではありません。

最大の見どころは……そりゃまぁいっぱいあるっちゃあるのですが、特に着目すべきはピーター・オトゥールのキモさ。

いや正確にはピーター・オトゥール演ずるロレンスのキモさですね。思い出しましたが中学の同級生に、フォレスト・ガンプに非常によく似てるけどトム・ハンクスには全然似てないってヤツがいました。どこがどうってわけじゃないけど何故か似てる・似てないという。この「どこがどうってわけじゃない」って部分がスタニフラススキー・システムの偉いとこですね。「アラビアのロレンス」以外でのピーター・オトゥールは別にキモくないですもんね。でも当作でことさら造形的に他作からキモく変化したところはないと思うのですが。

なにしろ当作のピーター・オトゥールはキモいです。ひらたく言えば変質者でありちょっとハタ迷惑な「奇人」です。なんによらずこの手の事柄に関するアケスケな表現は恐らく御法度であったろう当時の業界において、これはかなり思い切った「変態野郎」の表現だったんじゃないか、と思う。

考えたらこの当時の映画作品、業界の許す範囲で精一杯「キモい人物」表現をしてるんだろうな、ってのがちょいちょい思い当たります。

例えば「ベン・ハー」

初見時、ジュダとメッサーラの関係性になんとも言えない違和感というか引っかかりを感じたのですが、両者の関係性にはホモセクシャルの要素も有ったり無かったり、なんですってね。そういう事柄がある種のスパイスになってる由。

言われてみれば、恋に破れたメッサーラが嫉妬によってサディスティックな面を発露している、という感じがちょっとあるかもしれません。

もひとつ思い出すのは、ホークスの「赤い河」。

若い男二人が馬上でもって

「おい……オレの銃、見たいか?」

「(モジモジしつつ)……じゃあ見せてくれよ」

「オマエのも見せろよ……」

「オレのはお前ほどリッパじゃないよ……」

なんてな会話があるのですが、これも「そういうこと」だったりしてなぁ、なんて思ってたらホントにそういう説もあるんだそうで。

今は声高にLGBTQQIAAPPO2Sの権利が叫ばれてるくらいなので、この手の表現を遠慮する必要が無くなったわけでしょうけども、それが故に「アラビアのロレンス」のようななんとも言えないキモさを内包した作品は生まれ得なくなったわけです。

それが良いんだか悪いんだかはオレは知らん。

「クリント・イーストウッド」について。

クリント・イーストウッドがなんかまた新作の準備に入ったとかなんとか。たぶん今年93歳になるはずですが、いやぁなんともお元気な。リーフェンシュタールは確か100歳で作ったのが最後の作品だったと思いますが、目指せリーフェンシュタール!ですね。いやホントに。っていうかリアルに。

もちろん天賦の才の所持者であるってことはそうなんでしょうが、イーストウッドにつきましてはそれに加えて非常な勉強家なんだろうな、と思えます。どの作品からも、過去の名作と呼ばれる諸作品のエッセンスをそこかしこに感じられます。

「グラン・トリノ」にも、「黄色いリボン」や「エルダー兄弟」といったフォードの諸作品だったり、「東京物語」だったりの感じが見うけられるように思います。単に主題が同じ・似てるというところに留まらず、切り取り方までに相似がある気がします。

事ほど左様に、「ペイルライダー」や「ブロンコ・ビリー」にはやはりフォード、ホークス作品や「リオ・ブラボー」っぽい感じ、また「用心棒」「椿三十郎」に似たカットがあったりしましたし、「許されざる者」は結構あからさまにやはり「用心棒」「椿三十郎」の感じがありました。

そこまで映画を観まくったりしてるわけでもないオレでもこの辺に気付くくらいなので、観る人が見ればもっといっぱい見つけられるんだろうと思いますが、なにしろ彼は大変な勉強家であり、つまりは努力家なんだろうと思います。

いろいろ観て、学んでおられるはず。それはきっと今でも継続中なんだろうと思います。

イーストウッドにしてそうなんですから、凡才の極みであるオレなんかはもっとガンバらなければいけないわけですが、彼の「天賦の才」は、クリエイティブ能力そのものに留まらず、努力を惜しまない才能と、見聞きした事どもを効果的に吸収する力、というところにもあるんでしょうきっと。

しかし、ついこないだ(でもないけど)まで“Go Ahead, Make My DAY”なんてなセリフがバッチリ決まっちゃうようなキャラだったイーストウッドが、「許されざる者」や「グラン・トリノ」では、要するにあとは退くタイミング待ちな老人、という役回りです。

「グラン・トリノ」なんかは要するに最後の死に場所探ししてるわけですから。

また身も蓋もない言い方をしてしまうと、「許されざる者」は自分が世に(世界に)出る足掛かりとなった「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」の否定、「グラン・トリノ」は「ダーティガリー」的な事柄の全否定ですもんね。

ある程度の年齢になるとそういう域に到達できちゃうもんなんでしょうか。すなわち、もうなにも失うものはない、どっちかっていうと全部捨てたい、みたいな境地。こうなるともはや「禅」の範疇です。

まぁなにしろ息が長い。言うのは簡単ですが、スゴいことです。いろいろ。

本田猪四郎とか小津とか北杜夫とか。

「娯楽作品のいいものが芸術作品であり、いかな芸術作品であろうとも、面白くなきゃ映画は駄目だ」。

なんていい言葉なのでしょう。まず娯楽作品であるべし、芸術作品とは娯楽作品の下部フロー、あくまで数多ある属性のひとつに過ぎない、ってことですね。ちなみに本田猪四郎の言葉です。「第七芸術」且つ「総合芸術」たる映画においてそうなんですから、全ての芸術なるものはかくあるべし、ですよ。

またいわく

「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う」。

これは小津の言葉です。真理ですな。これ小津が結構若いときの言葉なんですよね確か。若くしてなかなかこういうところには至れないものですよ普通。いやさすがです。

でもって、この2発言を統合しますと、要するにひらたく言っちゃうと「オレが面白いと思えたものをおまえらも面白がれ」ってことになりませんか。

この実現には圧倒的な自己肯定の意識が必要な気がしますが、この類のパワーについて太宰は「巨腕」と表現しておりますね。シェイクスピアに対して「天才の巨腕を感じる」と、これはなにで読んだかまるで覚えてないのですが、シェイクスピアって言ってるくらいなので「新ハムレット」だと思います。多分。いや知らんけど。

要するに、良い作品を作るにはまずパワーが必要だってわけですね。

そして、自らのパワーと折り合いをつける程度の理知。

ただ「巨腕」を振り回してるばっかりじゃなく、内なるパトスを御するだけの理知的な部分が無くちゃアカンでしょうからね。この「内なるパトス」ってのは北杜夫のお言葉です。マンボウ先生が「幽霊」をモノするまでくらいの、湧き上がって湧き上がって処置に困る己がパワー、これを持て余してた時期についての表現でした。

関係ないですが北杜夫作品で一番「面白い」のは「大日本帝国スーパーマン」です。大日本帝国スーパーマンが米国のスーパーマンに勝負を挑む、というお話です。

今しがたフト思い立って当作のレビューを探してみましたが「あまりにバカバカしくて面白くなかった」とありました。これだけで必読ということがおわかりになるかと思います。異論は認めます。

映画の話。

「フラッシュダンス」も「フットルース」も、当時はまぁそれなりに面白く観たはずなのですが、今観るとこれはもう愚にもつかないというかお話にならないというか、とにかく観ちゃいられないのです。こんなシロモノをどうして当時面白がれたのか、自分がよくわからなくなります。ウソだと思ったら今一度観てみていただきたい。きっと、ええ、ウソでしょ!?なにこれ!?ってなりますよマジで。オレはなりました。

このあたりの作品は、強引に括ってしまうと「ザ・80年代」というようなことになると思うのですが、要するに当時のオレは、時代の熱やらいろんなものに浮かされてた、ってことなんだろうと思う。

でもって、その伝で「ザ・70年代」という括りになるとどんな感じになるかというと、一連の「パニック映画」と呼ばれる諸作品がそれにあたるような気がします。ってこれだけじゃないでしょうけども、これもまた重要な構成要素ではあろうかと思う。

で、この辺のは今観てもかなり面白く観られます。面白く観られるものが多い。

面白いヤツだけが残ってて、その裏には時間経過の篩に引っ掛からなかった有象無象「面白くない・普遍性を得られるレベルじゃない作品群」が死屍累累、という、そういう感じでも無いのです。面白く観られないのも少なからずあるにはあるのですが、「ザ・80年代」の諸々に比べると佳作に出くわす率が高いです。

ただこれはほぼ思い付きの私論ですが、「ザ・70年代」の諸々は、アメリカンニューシネマの洗礼を受けたか受けてないかで2分できちゃう気がします。例えば「大空港」は受けてなくて、その続編である「エアポート’75」は間違いなく受けてるなぁ、とか。

単なる制作タイミングの問題ではなく、制作側の意識において、革命的なナニゴトかがこの時代にはあった、と言える気がします。なんとなくですが。

じゃあなにがあったんだろうか、と思うのですが、今日は13時間くらい寝てしまったので、そういうことを調べたり考えたりする熱気が我が心中に湧いてきません。

ただ、これまたなんとなくですが、機材の革新はあったんじゃないかな、という気がします。明らかに各カットの軽重が違ってる感じ。いやあくまでも「なんとなく」です。

忠臣蔵とか「彼岸花」とかいろいろ。

日本映画興収が最大だった1958年、東映が「旗本退屈男」やら「若さま侍」やら「忠臣蔵」で派手によろしくやってたその同じ時期に、松竹が満を時して「オールスター総出演総天然色大作」として世に放ったのが小津の「彼岸花」。集まる誰もが皆微動だにせずモノも言わずただ俯いて着座する、まるで判決言い渡し時の裁判所内かのような厳粛な空気の会場内、なんだかよくわからない詩吟だか浪曲だかが延々とうたわれる、そういうシーンがオープニングから数分に渡って続くアレです。

斯様な地味極まりないオープニングが終わったと思ったら佐分利信は結局最後までシブい顔してなんかブツブツ言い続け、中村伸郎、北竜二は相変わらずセクハラ的な姿勢を崩さないという、今だったらヘタしたら炎上にまで至るであろう当作ですが、これ大ヒットしてるんですよね当時。間違いなく佳作であるとは思うのですが、いけすかないインテリゲンちゃんのみならず広く老若男女の支持を得て、松竹はウハウハだった由。

してみると、今を生きるものとしては少々口惜しいところですが、今と比してこの当時の日本人の文化レベルは高かった、と申せましょう。あの延々と続く詩吟だか浪曲だかのシーンも、当時の鑑賞者は、これだけ続くからこそ生きる後続シーンを待つだけの、おそらく無意識的なところでの「期待力」があった。

これ、この「力」こそが教養なのですよ。

また例えば「おはよう」。

これを「ファスト映画」にしたら、オナラを競ったガキが最後にウンコ漏らすとか押し売りを牛刀で撃退するとか、わけわからんエピソードがわけわからん順番で並ぶわけわからん代物になりますよ。って当作はハッキリ言って普通に観たってわけわからんのですが、このわけわからん事どもの向こう側から匂ってくる機微を楽しむだけの度量が、当時のオーディエンスには厳然とあった、と。

これもまた「教養」です。

小津に限らず、当時の制作側には、物知らずなヤツは置いていって構わない、という割り切りがあったのでしょうね。たとえば前述の「忠臣蔵」でいうと大石の東下りのシーン、大石家と浅野家の家紋がなにであるか知らなかったら意味わかんないですよね。でも、そういうシーンは存在し、また大抵の鑑賞者はこれを名シーンだとしています。つまり大抵の人はを知ってるわけです。

物知らずなヤツは置いてかれるから、観る側の方がちょっと頑張ってる形跡がありますよ。大石と浅野の家紋も知らんで映画なんか観るな、旗本とはどういうものかも知らんで映画館に来るな、ってなことを言われちゃうから、多少は勉強しなきゃアカンな、というね。こういうのを教養、基礎教養というのです。

昨年末だったか、ファスト映画で何億円だか荒稼ぎしたヤツが捕まってました。作品を(勝手に)10分くらいに編集しちゃうアレ。

これはですね、作ったやつも、これを喜んで観たヤツもアカンです。著作権云々以前の話で、ことドラマ型コンテンツというものはストーリーだけわかればいいってだけのものじゃないのです。それは全体の「愉しみ」の、せいぜい4割弱くらいじゃないですか。

ただ10割愉しむには「基礎教養」が必要だ、と。

あけましておめでとうございます。

ボーッとしてたんじゃバカになるばかりなので、おいそれとバカ化しないようにこの新年からなんか書いていこうと思います。「書いていこう」ってことは、継続していこう、という意味です。

尾張徳川家の家臣だった朝日文左衛門重章は17歳から44歳で亡くなる間際まで、約27年間という長きにわたって「鸚鵡籠中記」なる日記を書き続けておられた由。内容はやれどこそこで心中があったとか辻斬りの後始末がメンドいとか昨日見た芝居は役者がヘタだとかそういう些末事のオンパレードな感じですが、この際書き続けるってことが肝要であって、中身は二の次三の次なのであります。

朝日文左衛門は享保から元禄の人物で、時代的に当然ながらこの日記も端紙と筆で書かれておるわけで、キーボードで気安くDELETEしたりUNDOできる現代とはその労力も桁違いなはず。まぁちょっとは見習おう、と。

それにしてもこの「鸚鵡籠中記」というタイトル、これは朝日文左衛門自らの命名だそうですが、これはなかなかオツなものだと思う。カゴの中の鳥が安全地帯からピーチクパーチクやってるだけみたいなものですよ、その鳥もオウムだからひたすら又聞きばかりですよ、という。

タイトルで思い出しましたが大昔の伊藤大輔作品に「御誂次郎吉格子」ってのがあります。「おあつらえじろきちごうし」。呉服屋に着物注文するとコヨリで結んだ紙に包まれて納品されますが、その真ん中には必ず「御誂」とありますよね。この作品は観りゃわかるんですが金持ち&貧乏人、次郎吉&色女という様々な軸が、ああだこうだと、さながら格子柄のように交差します。だから当作品は「次郎吉格子」の「御誂」だってわけですね。タイトルのヒネり方のベクトルがいい感じです。中身は置いといて「いま、会いにいきます」とか「チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話」とかいうのより気が利いてますな。

関係ないですが主演の大河内伝次郎、壮年以降の作品では異様な存在感と貫禄をみせますが、これはオッサンになって身についたものではなく、若年だったこの作品当時には既に貫禄たっぷり。いろいろバグってる感があります。

あと「忠臣蔵」。「忠臣」のエピソードがさながら蔵の中のようにいっぱい詰まってるよ、という意味ですね。これは実際その通りで、そういう意味で、忠臣蔵映画作品は数多ありますが、どれも一種のオムニバス作品だと言えましょう。だいたい歌舞伎なんかだとこの蔵の中からひとつふたりエピソードを引っ張り出してきて、そこだけ演じる、というスタイルですよね。ちなみに歌舞伎座の3月は天川屋ナントカの場をやりますよ確か。

そういった事柄を諸々踏まえ、もう寝ます。

松竹。

かつて松竹は封切った作品がコケそうになると、いつのまにか「砂の器」が併映されてたりしたものです。ああこりゃアカン大コケだわ、となったら、とりあえず「砂の器」をいっしょに掛けとけばある程度の客は囲える、という。
 
いつの頃からか、やがてその役目は「蒲田行進曲」が担う感じになりました。ナンでもカンでも「蒲田行進曲」が併映されてた感じがガチでしたものです。
だったら「砂の器」と「蒲田行進曲」を2本立てで封切館でやりゃいいじゃんか、と中学時代のオレは思ったものですが、大人になった今はそれは経営的に絶対的な禁じ手であることがわかります。
  
ところで今松竹はどうなってんのかな、というと、なんか今度「男はつらいよ」の、あろうことか「続編」が公開されたりなんかしていますね。
それがいいことなのか悪いのかはオレにはわかりません。

「男はつらいよ」について。

こないだ新聞に載ってましたが今度の「男はつらいよ」のセット、

「高齢夫婦のために座敷にはソファが置かれ、土間からの上がり口には手すりを設置」

となってるんだそうで。

高齢夫婦って誰だと思ったらさくらさん夫婦なのね。第一作じゃ若いカップルだったのにな。

考えてみたら存命なのは桜さん夫婦とその息子と寺男だけなんじゃないか。月日は百代の過客、であります。

新作は明日封切りだそうですが、「母と暮らせば」を観る限り残念ながら山田洋次にはもはやなんの期待も持てません。

山田洋次におけるアレは黒澤における「夢」以降の諸作品、篠田正浩における「スパイ・ゾルゲ」の位置づけです。ミもフタも無い言い様をすれば「老醜」というやつです。悲しいことです。

これもまた月日は百代の過客にして、です。

クリスマスソング。

ロケ時の虫抑えということで久方ぶりにデニーズに入りましたら、時節柄店内BGMがクリスマスソング三昧。
聴くともなしに聴いてましたら、
 
ジョン・レノン「Happy Xmas (War Is Over)」

マライヤ・キャリー「All I Want for Christmas Is You」

ワム!「Last Christmas」

バンド・エイド「Do They Know It’s Christmas?」

と来ました。

さて次の曲はどういうことになるんだろう、この4曲と同レベルのベタベタなクリスマスソングといったらなんだろう、そんなのあるかしら、と思ってましたら、ありましたありました。
 
ポール・マッカートニー「Wonderful Christmastime」。
 
いや失礼しました。史上最高レベルのベタベタクリスマスソングであります。
メロディ、アレンジはもとより、歌詞も「ムードはいい感じ」「気分もワクワク」「さぁパーティが始まるよ」とかそういう感じ。よくもまぁ臆面もなくこういう詞が書けるな、と思う。まぁハッキリ言ってあざといっちゃあざとい歌です。あざといっていうか図々しいというか、さすがはポール・マッカートニー、であります。
このあざとさ・図々しさ、いかにも商業主義的なところが気に入らねぇんだよ的なことを言われがちなのがポール・マッカートニーなのでありますが。
 
ただ、考えてみると、同じくビートルズメンバーであったジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」は70年だか71年だかの作品だったと思うのですが、この時期にこういう歌を作るジョンの方がよっぽどあざとく且つ図々しいよな、と今のオレは強く思います。79年とか80年という時期における「Wonderful Christmastime」より、70年代初頭における「Happy Xmas (War Is Over)」の方に、オレはよりあざとさ・図々しさを感じます。あの時代にこういう歌を作って恥じるところのない感じがいかにもだなぁ、みたいな。
 
さらに考えてみると、ジョン・レノンって人は、実にあざとく図々しいソングライターだとオレには強く強く思えます。
改めて聴くと、これとか「Starting over」とかってのは結構あざとい歌ですよ。そうじゃないっぽく装ってる感じがなおのことあざとい&図々しいとオレ的に思えてしまう次第です。
 
もう一か月くらいずっと風邪ひいてるので、もう寝ます。