体罰とかそういうことではない。

「大阪市立桜宮(さくらのみや)高校(大阪市都島区)の2年男子生徒(17)が昨年12月、所属するバスケットボール部の顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題」に関する話題が喧しい昨今です。

・・・オレは必ずしも体罰を全否定するものではありません。体罰によってナニゴトかが生まれることも決して無くは無いです。例えば自我の確立が未だな子供などに
は、善悪を「体で覚えさせる」ということも時には必要だと思っています。・・・と書くと、「その善悪の判断=体罰の可不可の基準はどーなるんだ!」という
反論というか質問が来たりするのが常なのですが、その判断基準こそがその家庭、引いてはその地域、さらには国・民族の「文化」だったりするわけですよ。
とにかく、時には体罰も必要です。誤解を恐れず書いちゃいますが、オレはそう思う。

・・・ただですね、今回のこの件、これは体罰云々じゃ無いんですよね。

「体罰によってナニゴトかが生まれることも決して無くは無い」と書きましたが、当然ながらこの文意は「必ずナニゴトかが生まれる」ということでは
ありませんでもって、今回の件は「なにも生まれない」究極的なサンプルでしょう。で、なにも生まない暴力は断固否定されねばなりません。当たり前ですが。

この教師は要するに年端もいかない少年を、恒常的にボコボコにブン殴ったりしてたってことらしいですが、そんなことでナニゴトかボジティブな事柄が生まれるわけねーだろ!と。

反撃される可能性が限りなくゼロに近い相手への暴力っていうのは非常に卑怯だ、とオレは思うわけです。

で、この教師は、それを「教育」だか「指導」だかという美名のもとで行ったわけで、二重の卑怯さを感じます。きたねぇヤローだなぁ!と思う。

この場合の「反撃」っていうのは必ずしも暴力的な事柄だけでなく、例えば、ブン殴ったりして指導したにも関わらずその選手が伸びなかったとしたら、本来はその時点で指導者としての格を喪失してしまうわけで、これもある種の「反撃」でしょう。報い、というかね。
事程左様に、それによって起こる全ての事柄について責任を負える覚悟と自負が無い人には、「体罰」の資格は無いんですよ。当たり前過ぎて書くのがバカらしいですが。

でも、今回のコノヤローは、そういった責務をロクスッポ果たしてないんですよね。「教育」だか「指導」だかといったことで昇華されてしまってますが、コノヤローはそれに伴う責務も、責任も、なにも果たしておらず、要はただブン殴りまくっただけで、結果なにも生まなかったばかりか、あろうことか一人の少年に自死を選択せさしめてる、という。こうなるとこれは単なるマスターベーションとしての支配欲を動機とした「殺人」でしかないです。教育も指導も、それに伴う覚悟も自負もハチのアタマも無く、単なる歪んだ自己満足の帰結としての、ひとつの悲しいサンプルです。

ただ・・・それでもなお、「体罰イコール悪」としてしまえるほど、人間関係ってのは単純なものでは無い、というところに変わりはありませんし、それを撤回するつもりも今のところありません。一律の方程式はそのまま成り立っちゃうほど人間関係は単純じゃない、と。

なにが言いたいかというと、今回のこの事件は、体罰、教育論に値するようなことではない、と。そんな高尚な「事件」では無い、単なるオナニージジイのバカな暴走と、それを黙って見てたマヌケなバカ大人による「犯罪」でしかないので、ね。

これで体罰「イコール」悪なんていう図式が固定化・絶対化してしまうことを、オレは憂います。今舞の件は別問題だよ、と。今回の件で「体罰」を論じるのは、ちょっと無理があるな、と思う次第です。

見失った人たち。

「永田町の首相官邸前で22日、関西電力大飯原発の再稼働撤回を政府に求める抗議行動」だそうです。要するに「デモ」です。
毎日新聞によると、
「主催者によると約4万5000人、警視庁によると約1万1000人が参加。周辺の歩道を埋め尽くした人が「再稼働反対」と、約2時間にわたって声を上げた。」
とのことです。

これに対し(ってこれに限らないけど)、「本気で原発が止められると思ってデモしてるヤツがどれだけいるんだろう」というような主旨の発言をいくつか目にしましたが、それを言っちゃぁおしまいよ、であります。

振返ってみると、’60年代の全学連、’70年代の全共闘、そして’90年代の「オウム」の人らも、本気で革命なりを起こせると思ってた人は実はさほど多くないんですよね。

学生運動においては一種の「祭り」、オウムにおいては同じく「行きがかり上」でコトが行われてたりしたようです。

必ずしも全員が「革命」なりを純粋に信じきってた、ってわけでもないらしいです。

ただそんな中において、ごく一部のアタマのオカしい一群が本気で信じてしまい、現実とのギャップの反動でもって暴走する、というのが、これらのひとつのパターンだったりするようです。

共産主義革命を本気で目指しちゃった若者の一部は、最終的に「あさま山荘」において単なる凶悪犯に成り下がり&残党は未だにパレスチナ(の支援は
実は既に失ってるという報道もありましたが)あたりでもって何やかやしてる状況がありますし、「オウム」はそのギャップを受け止められず、「ヴァジラヤー
ナ」という名のもとにサリン撒いたりなどし、さらに驚いたことに「残党」が未だに麻原の誕生日に「教祖聖誕祭」なんてなことで集ったりしてる由です。

「祭り」の締め方を見失った、若しくは「行きがかり上」という行動様式から脱却する術を見失った一群です。

いうまでもなく、福島第一原発の事故のかなり以前から、「反原発」というのは上記と同種、一種のイデオロギーであり、同時に非常に「宗教」的だったりする(でしかない)わけですが、この事故を契機にそれが先鋭化してきている感じがあります。

ってことはですね、歴史上の先例に倣うと、もしかしたら今最も恐れるべきは「反原発」な人たちの暴走、なのかもしれませんよ。

そういや先月だったか、瓦礫輸送トラックの下に妊婦が潜り込んで進行を妨げた、なんていう「妨害工作」が報じられてましたね。

こういうのは、もう立派な「暴走」ですよね。どう考えてもコンセンサスが得られない方法論なわけですが、客観的な視点を欠いてしまってるという意味でも、もはや先鋭化した一部は単なる暴徒でしかなくなってるように思えます。

ああ、デモはいいですよ。OKです。意思表示の為の方法論として決して侮れないものだとオレも思います。ガンガンやっていいんじゃないか、とかオレは思ってたりしますよ。

でも、とにかく「暴走」しないで頂きたい。本来の主旨を見失わないで頂きたいものです。

‘70年代の学生運動においても、学生側の主張はある時期まではかなり正当なもので、故にその運動は一般市民レベルにも結構評価されてたりしたそうです。

ただ、日大芸術学部(オレの母校ですが)での「闘争」の際、デモetcの鎮圧に当たった体育会学生に対し、ハダカにしたうえ針金で後ろ手に縛り、
その上で指の骨を折り、「市中引き回し」にした、なんてことがあったそうで、そんな辺りからコンセンサスを失い始め・・・という次第だったそうです。これ
などがまさに以降に連なる「暴走」の始まり、だとか言われてます。

「オウム」も、1990年年の衆議院選挙での大惨敗以前までは、メディアの扱いも「ちょっとユニークな新興宗教」ってだけのモノで、実際教団内もそれ以降に比べれば和気藹々とした雰囲気だった由です。

「あさま山荘」や「地下鉄サリン」みたいなことが起こらなきゃいいなぁ・・・とオレは思っています。

わりとマジで。

※原発の是非や、いわゆる「放射能」の現状については、あえて除けての上記です。

※ちなみに、オレはぶっちゃけた話、どちらかといえば「反原発」です。

っていうか、あんな事故を「体験」して、それでもなお「原発推進」ってのは、ちょっとありえないよな、という感じです。

ただ、その主張が、単なる「イデオロギー」若しくは宗教的感性の部分で止まってしまってはイカン、と。こういうのは「思考停止」であって、なにも生み出さないんじゃないですかね、という次第です。

白黒ハッキリさせりゃいいってもんじゃないのだ。

なんでもカンでも白黒ハッキリさせればいいってもんじゃない、と思うのです。世の中には、「白」、「黒」と同列且つ同格でもって

「白なんだか黒なんだかよくわからないけどまあいいか!」

という価値観が存在するのであります。

「大相撲」なんてのは、この3つ目な価値観の極北です。

“八百長のウワサもあるねぇ、でも取組みるとガチっぽいなぁ、でも・・・まぁその辺は、ねぇ”

というのが大相撲の醍醐味の大きなひとつだったりするんですよ。

むしろ「なんでもカンでも白黒ハッキリさせればいい」という価値基準、これの方がオレ的には摩訶不思議です。

っていうかね・・・あくまでも私的にですが、この「白なんだか黒なんだかよくわからないけどまあいいか」という価値観を理解できるかどうか、若しくはどこまで咀嚼できるか、そこんとこでそのニンゲンのインテリジェンスの多くが問える、と思います。

なんだかよくわからん、な事柄をいかに・どこまで具現的に捉えられるか。ここが豊穣な人生を送れるか否かの分水嶺ですよ。

もっとハッキリ言っちゃいますとね・・・「なんでもカンでも白黒ハッキリさせればいい」なんてのは、これはアホの発想ですよ。そう思えてなりません。

しかし、この「白黒ハッキリ」という思想、いったいどっから来たものなんだろうか。西洋的な思想かっていうと必ずしもそうでもない気がします。
WWEに熱狂してるアメリカ人たちのうち、それがガチ試合だと思って観てる人は恐らく皆無でしょう。リング上の選手等がガチで闘ってるわけではないことを
理解しつつ、それでも彼等は赤・青コーナーの選手の応援に熱中しています。で、そんな様を「非常にアメリカ的だ」なんていう目でワレワレは見ています。

そんなわけで、どうやらアメリカ文化の影響ってわけでもなさそうです。じゃあなんなんだ、と。どっから湧いてきた発想なんだろうか。

とにかく、こういうルーツもよくわからん思想・発想に踊らされてはイカンです。

とりあえず、世の全ての「試験」で、マークシートを廃絶することかは始めなきゃイカンですかね。

阪神・淡路大震災から16年。

今日の「天声人語」も阪神・淡路大震災が題材でしたが・・・今日は心震える内容でした。ちょっとご紹介します。

明治末、当時の報知新聞に賞金付きの川柳投稿欄が設けられまして、社会部長で小説家でもあった野村胡堂が自ら選者を務めた由。

で、彼が「不朽の名作」としたのが、下記の一句です。

「するが町広重の見た富士が見え」

「するが町」というのは今の日本橋のあたりですが、関東大震災でもって界隈に立ち並ぶ高層の建物が軒並み崩れ落ち、その結果かつて広重が見た・描いた通りに富士山が心ならずも望めてしまう、その様子・・・そうなってしまった町並みの様子を詠んだものだそうです。

俳句だ短歌だ川柳だ、というものにオレは丸っきり門外漢ですので、この句も”なんのこっちゃ?”と言う感じ・・・いや、そうさえも考えなかったくらいなのですが、この解説を読んで、思わず背筋が伸びましたね。

あるべきもの・・・単にそこにある建物だけでなく、それも含めた町の世界観というものが一瞬で瓦解してしまった、その後で呆けたように立ち尽くす、放心状態の空気感。なんと恐ろしい句か、と、朝から震えました。

しかし、後段の紹介される句で感じた恐怖感は、まだ記憶が生々しいだけにそんなレベルじゃなかったです。

「平成七年一月十七日 裂ける」

阪神・淡路大震災の、まさにその朝、地元神戸の川柳作家の方が詠んだ句だそうです。

都内在住のオレとしては、そうか、あのとき、なにもかもが「裂けた」んだな・・・と思うしかありません。

さてさて・・・オレは当時も在京でしかも今以上に愚かな大学生でしたが、

http://bit.ly/8o0nLC

これは観ていました。

その後メディアに関わる仕事に就き現在に至りますが、番組中の発言については自戒するばかりです。

ただ長文なだけで中身は乏しい

またまた痛ましい事件が起きてしまいました。下記は2010年7月30日22時23分発の読売新聞記事からです。
 
大阪2児遺体、23歳母「世話嫌になり家を出た」
 大阪市西区南堀江1のマンションに男女2人の幼児の遺体が放置されていた事件で、大阪府警捜査1課と西署は30日、母親の風俗店従業員下村早苗容疑者(23)を死体遺棄容疑で逮捕した。
 下村容疑者は容疑を認め、「子供の世話が嫌になり、いなければよかったと思い、2人を残して家を出た」と供述している。府警は下村容疑者がネグレクト(育児放棄)の末に2人を死なせたとみて、殺人や保護責任者遺棄致死容疑での立件を検討する。
 発表によると、下村容疑者は6月下旬、自宅マンションに長女の桜子ちゃん(3)と長男の楓(かえで)ちゃん(1)を置き去りにし家を出て、数日後に帰宅した際、2人が死んでいるのを確認したが、そのまま遺体を放置し、遺棄した疑い。
 司法解剖の結果、2人は死後約1~2か月で、死亡直前数日間は何も食べていなかったとみられる。死因は特定できなかったが、いずれも栄養不足状態だった。
 下村容疑者は「ご飯をあげたり、風呂に入れたりするのが嫌になった。ご飯も水も与えず、子供たちだけで生きてはいけないことはわかっていた。『助けてやらなければ』という気にはならなかった。(置き去りにしてから)1週間後には死んでいるかもしれないと思った」と話しているという。
 下村容疑者は勤務先の同僚男性に携帯電話で呼び出され、30日午後、待ち合わせ場所に現れたところを捜査員に任意同行された。

 
・・・あえてこのソープだかヘルスだかの女を非難することは控えてみます。そういうことはオレ以外の多くの皆さんが既に書いてます。恐らくおんなじようなことを書き連ねるだけで、それは詮無い事です。
そもそもオレは独り者で、しかもどっちかというとブラブラしてる感じで生きてますので、だいたいこの女を非難する資格があるのかどうかからして疑わしいです。おまえさんにアレコレ言う資格は御座いませんよ、と言われたら、言い返す術が無い。少なくともそういう自戒が我が心中にあります。
間違ってもこの毎日新聞の記者氏のように、テメーらの「不祥事」は棚に上げて
> 大阪市こども相談センターには、マンション住民から虐待を疑う通報が
> 3月30日~5月18日に計3回あった。計5回の訪問をしたが、呼び鈴を押しても
> 反応がなく、不在票を置いて引き揚げた。子どもの安否確認や警察への連絡も
> しなかった。
などという、奥歯に物の挟まったようなインケンな言い回しでもって社会制度・構造批判するような、卑怯で下品で鉄面皮なヤカラにまでは堕ちるまい、と思って止みません。
(連絡「も」 しなかった、だってさ。ナニサマのつもりで書いてんでしょうかね、余談ですが)

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「綾波レイのヌードはOK」――都が条例改正案のFAQ公開、「条文と違う」と指摘も

以下は2010年04月27日付ITMediaNews http://www.itmedia.co.jp/news/記事からの引用です。
「綾波レイのヌードはOK」――都が条例改正案のFAQ公開、「条文と違う」と指摘も

 東京都青少年・治安対策本部は、アニメ・漫画に登場する18歳未満のキャラクターを「非実在青少年」として、性的描写などの内容によっては不健全図書に
指定して青少年への販売を禁じる「東京都青少年の健全な育成に関する条例」(青少年育成条例)改正案に関する質問・回答集(FAQ)を、4月26日に公開
した。
 対象となる漫画やアニメは「子どもとの性行為の描写を不当に賛美したり強調したりしたものに限定られる」とし、「ドラえもん」のしずかちゃんの入浴シー
ンや「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイのヌードシーンなどは「対象ではない」などと説明しているが、識者からは「条文と違う」という指摘も出ている。

畑は違えど同じコンテンツ制作者という立場からの意見なのですが、かの「条例」につきましては、ああ、いつかこういう締め付けが来ると思ってたよ!という
感じです。商業、非商業とそのベースはどうあれ、こういう作品を無軌道に頻発してたらそりゃいつか規制食うわなぁ、と。

確かにこの条例を読みますと、少なくともその文面上は、もうナンでもカンでも、当局がダメだと言ったらそれ即ち規制対象、と成り得ちゃう内容で
す。ここまで規制しちゃったら、もうなんでもアリじゃねーかよ!というね。

> 対象となる漫画やアニメは「子どもとの性行為の描写を不当に賛美したり強調したり

> したものに限定られる」とし、「ドラえもん」のしずかちゃんの入浴シーンや

> 「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイのヌードシーンなどは「対象ではない」などと

> 説明している

・・・って、わざわざこういうFAQを出すってこと自体がもはやその良い証明。こんな説明されたところで、条文がそういう内容になってないんです
からね。おためごかしとはこのことです。

尤もらしい内容っぽくなっておりますが、良く読んだら、これはおっかない「条例」ですよ。

ただですね、規制されちゃっても仕方ないような作品が多く世に出されてしまってる、ってのも、残念ながら事実でしょう。そう思う。思わざるを得な
い。”こんなの売っちゃっていいの?”という内容のものも沢山出てますよね。

こんなもの無軌道に売っちゃってたらイカン、こういうのが世に頻出することで、当局に付け入る隙を与えるのは全く持って得策じゃない、ないんだけ
ども、この状況が変わらない限りいつか来るだろうな、と、もう数年前から感じてましたよ。

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話は千路に乱れる。

以下は毎日JPhttp://mainichi.jp/からの引用です。

「真っ赤なシャボン玉ができたよ!」。スペースシャトル「ディスカバリー」に乗り組んだ山崎直子宇宙飛行士(39)が、長女、優希(ゆうき)ちゃん
(7)の「無重力では色つきのシャボン玉が作れる?」という疑問に実験で応えた。

 優希ちゃんは2年前、幼稚園の自由研究で「色つきシャボン玉」に関する疑問を発表した。入浴剤で着色したお湯で作ったシャボン玉は、なぜか透明に
なる。父、大地(たいち)さん(37)と試してみると、シャボン玉の下のしずくだけに色がつくことが分かった。「しずくができない無重力なら色がつくか
も」と、宇宙飛行士の母に謎を託した。

・・・こういうのも、例の「仕分け人」諸氏にかかると、

「そんなんがわかったところでどうだっていうんですか!?」

みたいな話になっちゃうんでしょうか。少なくとも”なりかねない”のは事実でしょうね。シャボン玉の色がどうであろうと、取り急ぎ銭にはならな
いってのは、これはホントです。

ただ、無重力でシャボン玉の色がこうなるってことがわかって・実証されることによって初めて生まれる事柄もあるでしょうから、こういうのを無駄と
言ってしまってはいけない。それは即ち技術の死、引いては技術立国としての死を意味します。

いや、「仕分け」そのものに文句言ってるわけではありません。実際問題として無駄なこと、非効率的なことも多いんでしょう。岡目八目といいまし
て、外部からの目によってそういう諸々に初めて気付かされる、なんてなことも多かろうと思います。もはや我が国には「意味の無い無駄」を許す余裕もそうそ
う無いはず。だからこの際「仕分け」そのものは肯定すべき・・・というか、肯定せざるを得なかったりするでしょう。それが現実です。

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ヘドが出る。

15年間ほぼ「引きこもり」状態で、家庭内でしばしば警察沙汰になるほどの諍いを引き起こし、その件で家族は頻繁に当局に相談、さらにオヤジのクレカで勝
手に、しかも2~300万円という大金を浪費、そのあげくに「一家5人殺傷事件」。

・・・エラい事件が起こったものですが、もしかしたらこれも「インターネット」や「ゲーム」の影響だとか、「引きこもりに向かわせる世相の歪み」、なんていう紋切り型の論調で語
られ、それでケリが付けられてしまったりするのかもしれませんが、このレベルはもはやそういう次元の話では無いように私的には思えます。もはや病気です。
ビョーキ、ね。

いや冗談ではなく、ホントにメンタル面の精査が必要なんじゃなかろうか。若しくは必要「だった」んじゃなかったろうか、と思います。

容疑者には通院歴などは無かったのでしょうか。いずれにしても痛ましく、悲しい事件です。

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「おはぐろどぶ」

東京・江戸川区の旧中川で15日夕方、へその緒がついた男児の遺体が浮いているのが見つかった。外傷はなく、死後5日から1週間がたっているという。身元
がわかるものなどは発見されなかった。警視庁は死体遺棄事件として捜査している。

・・・だそうです。

弊社の旧事務所は都内・墨田区東向島というところにありました。

この界隈には・・・事務所のあったところは微妙に外れてたのですが、なにしろ程近くに「玉の井」といういわゆる私娼街がありました。永井荷風『濹
東綺譚』だとか、滝田ゆうの作品にもよくその名が出てきます。

最近まで私も知らなかったのですが、玉の井にはかつて「お歯黒どぶ」という堀があったそうです。

要するに下水溝ですが、ものの本に「水面はまるで、お歯黒の液を流したように黒く濁っていた」という記述があります。それゆえ「お歯黒どぶ」。
真っ黒で、メタンガスのアブクが常にブクブク沸きあがる、なにしろどうしょうもなく不衛生な堀だった、と。黒澤明「酔ひどれ天使」に似たような池?沼?が
出てきますが、あんな感じだったんでしょうきっと。

・・・要するに、高度成長期に至る以前の我が国を象徴しているような「どぶ」だったわけです。

この「お歯黒どぶ」には、なにしろそんな「どぶ」なので、なんでもかんでも廃棄され放題。犬や猫の死骸のほか、しばしば嬰児の死体なども流れてき
たりしたそうです。

政府に公認されない(されてたところもさして違いは無かったんでしょうが)「私娼街」の最寄ということで、意に反して妊娠・出産した玉の井の女性
が、処置に困り果ててここに流してしまう、ということです。

痛ましい話です。どういうわけで玉の井に流れ着いたのか、その理由は様々でしょうが、いずれにしても「苦界に身を落とす」ということが悲惨で無いわけがありません。

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高齢者と若者の「問題」。

いわゆる「文明開化」以前の我が国は、非常に高齢者に優しい国だったんですよね。

優しい、若しくは、高齢者を基準にした社会だった、と。

例えば和服。

男女問わず、あれは年寄りになればなるほど似合うんです。年取って体形が崩れて初めてシックリくるように出来ている。

だから、例えば成人式なんかで若者が着物着るときには、わざわざお腹に詰め物?したりして、人口j的に「中年太り」を作るんです。そういう体形
じゃなきゃ似合わないんですね、和服というものは。

また例えば、チョンマゲ。

ああいう髪型?がスタンダードであることによって、ハゲがみっともなくなる。どころか、むしろハゲてる方がビシッと決まるんです。

事ほど左様に、かつての日本は、年寄りが基準でありました。若い者は年寄りに合わせてひび暮らすのが常であり、常識でありました。

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