2019年

レバノン。

20年ほど前になりますが、1,000人斬りを達成したって自慢してるオッチャンに会ったことがあります。取材後の雑談で結構長時間に渡って、要するに自慢話を聴かされたという。

最高だったのは白系ロシア人なのだそうで、じゃあ最悪なのは?と聞きましたら、そりゃもうレバノン、とにかくレバノンは最悪だった、と即答。

「呼ぶ女呼ぶ女、どいつもこいつも一人残らず「渡辺二郎」なんだよ」

とのことでした。
ご存命ならもう100歳になっておられると思うのですが、どうしてるかな。いかにも昭和的な自慢話です。こちらがドン引きしてるのもお構いなし。
ただ、渡辺二郎みたいな女ってどんなんかな、というところがちょっと気になるというかなんというか。

そんなレバノンにゴーンさんはいるんだな、と、ちょっと思い出した次第です。

「男はつらいよ」について。

こないだ新聞に載ってましたが今度の「男はつらいよ」のセット、

「高齢夫婦のために座敷にはソファが置かれ、土間からの上がり口には手すりを設置」

となってるんだそうで。

高齢夫婦って誰だと思ったらさくらさん夫婦なのね。第一作じゃ若いカップルだったのにな。

考えてみたら存命なのは桜さん夫婦とその息子と寺男だけなんじゃないか。月日は百代の過客、であります。

新作は明日封切りだそうですが、「母と暮らせば」を観る限り残念ながら山田洋次にはもはやなんの期待も持てません。

山田洋次におけるアレは黒澤における「夢」以降の諸作品、篠田正浩における「スパイ・ゾルゲ」の位置づけです。ミもフタも無い言い様をすれば「老醜」というやつです。悲しいことです。

これもまた月日は百代の過客にして、です。

クリスマスソング。

ロケ時の虫抑えということで久方ぶりにデニーズに入りましたら、時節柄店内BGMがクリスマスソング三昧。
聴くともなしに聴いてましたら、
 
ジョン・レノン「Happy Xmas (War Is Over)」

マライヤ・キャリー「All I Want for Christmas Is You」

ワム!「Last Christmas」

バンド・エイド「Do They Know It’s Christmas?」

と来ました。

さて次の曲はどういうことになるんだろう、この4曲と同レベルのベタベタなクリスマスソングといったらなんだろう、そんなのあるかしら、と思ってましたら、ありましたありました。
 
ポール・マッカートニー「Wonderful Christmastime」。
 
いや失礼しました。史上最高レベルのベタベタクリスマスソングであります。
メロディ、アレンジはもとより、歌詞も「ムードはいい感じ」「気分もワクワク」「さぁパーティが始まるよ」とかそういう感じ。よくもまぁ臆面もなくこういう詞が書けるな、と思う。まぁハッキリ言ってあざといっちゃあざとい歌です。あざといっていうか図々しいというか、さすがはポール・マッカートニー、であります。
このあざとさ・図々しさ、いかにも商業主義的なところが気に入らねぇんだよ的なことを言われがちなのがポール・マッカートニーなのでありますが。
 
ただ、考えてみると、同じくビートルズメンバーであったジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」は70年だか71年だかの作品だったと思うのですが、この時期にこういう歌を作るジョンの方がよっぽどあざとく且つ図々しいよな、と今のオレは強く思います。79年とか80年という時期における「Wonderful Christmastime」より、70年代初頭における「Happy Xmas (War Is Over)」の方に、オレはよりあざとさ・図々しさを感じます。あの時代にこういう歌を作って恥じるところのない感じがいかにもだなぁ、みたいな。
 
さらに考えてみると、ジョン・レノンって人は、実にあざとく図々しいソングライターだとオレには強く強く思えます。
改めて聴くと、これとか「Starting over」とかってのは結構あざとい歌ですよ。そうじゃないっぽく装ってる感じがなおのことあざとい&図々しいとオレ的に思えてしまう次第です。
 
もう一か月くらいずっと風邪ひいてるので、もう寝ます。

iMac。

編集作業途中で先月買ったiMacの電源がいきなり落ちました。これが金曜日夜で、土曜日にサポートに電話。
最新のOSだとadobe製品を使うとよく落ちるんですよくある話ですと言われ、そんなバカな、と思いつつそのままジーニアスバーを予約。
で、今日ザギンのアップルに本体を持って行きまして、このadobe云々の話をしたら

「そんなことは断じてありません、なんかの間違いです!」

と明快に否定されました。
まぁそりゃそうだよな、と思いつつ、じゃああのサポートの発言はなんなんだ、と。

しかしアップルの相談窓口「ジーニアスバー」とは、なんというか、大きく出たなぁ、と思う。「ジーニアス」ってか。

あと毎度思うのですがアップルの店員の独特のリア充感は、あれはなんなんだろう。

って、そうか、「ジーニアス」だからか。なるほど。

終戦記念日。

8月15日になりました。今日は終戦記念日です。

昭和20年の今日という日を迎えるまで、弊社のある東京は下町の皆さんは、低空飛行してくる戦闘機の窓から放たれる機関銃の弾丸に怯える日々が続いていた由。

そんな状況、環境、想像するのも苦痛ですが、これは想像しなければいけません。
そして、その上で自問しなければなりません。またそんな目に遭ったり遭わせたりしたいか?と。これは今を生きる国民の義務だと思う次第です。

弊社はNOなので、反戦です。右も左もハチのアタマもありません。

「儀式」と改元など。

今日は編集の後、約6時間に渡って某動画サイトでもって昭和天皇大喪の礼のもようを延々と見ておりました。
長いこと延々と見続けてると「儀式」というモノそのものがゲシュタルト崩壊する感じがあります。そもそも「儀式」とはなんなのか、なんのためにするのか、よくわからんようになります。

冠婚葬祭も入学式卒業式の類も、機能面だけでいえばペーパー1枚のお知らせで事足りるところ、我々は節目節目になにゆえか「儀式」を以て締め、区切りとします。

昭和天皇崩御のことでいうと、考えてみれば当時巷に溢れかえった様々な「自粛」、これもどこか儀式的でありました。国家的なそれは具体的な形でもって行われたのに対し、この「自粛という体裁での儀式」は、市井において自発的に、そして無意識的に粛々と執り行われた、と。
やっておかないとなんかマズい気がする、座りが悪い、みたいな感覚があったとすれば、それは間違いなく「儀式」でしたね、思うに。

区切り・節目といえば、天皇崩御⇒新元号制定というようなものはこれ以上ない大きな節目ではありましょう。近代国家としてそうでなきゃオカシい、てかマズかろうと思う。
してみると、昭和という時代に落とし前をつけるには、あのレベルでの「自粛」が必要だったのかもな、などと思う次第です。

以上、平成生まれみたいな方には恐らく夢想も出来ないであろうことについて、でした。
もう寝る。

「令和」に当たって。

そういえば平成元年1月8日も朝から雨だった気がします@東京。昭和天皇の葬送列が雨中を進むようすをブラウン管テレビで観ていたように思います。

「令和」の瞬間も東京は雨模様です。つまりあたりまえですが新天皇のおわします宮城も雨。恵みの雨の中で我々は新元号を受け入れ、新陛下をお迎えすることと相成ったわけですね。それもまたよし、であります。 

平らかに成るという意による「平成」は、その名の通りの「何も無かった時代」とはなりませんでしたが、それでも概ねヘイワな時代だったとは思えます。令和もその名の通り麗しい時代となって欲しいものです。 令和の世も弊社はたいらけくやすらけく在りたいと思います。引き続きどうか宜しくお願い致します。

富田靖子と「さびしんぼう」と今日の新年会。

今日の新年会、隣席の方は大林宣彦の尾道三部作に感化されて尾道にハマり、以来アラフィフになる今日まで年に3回、多い時で5回は当地に赴いているという方でした。
必然的に会話は尾道三部作に関してが中心になり、やれ「さびしんぼう」の百合子がヒロキに、自分はそんなキレイな人間じゃないから追っかけてくんな的なことを最後の最後に言い放つ場面の根底には日本神話におけるイザナギ・イザナミに通じる純日本的思想があるのだとか、「時をかける少女」で原田知世に白いブルマを穿かせるという発想は真正のロリコンでなければ出てこないとか、会場正面のカラオケで歌われている「東京五輪音頭」などをBGMに、そういう話題に花が咲くことと相成ったのでありました。

氏は「さびしんぼう」が大林の最高傑作だとおっしゃる。オレとしてはさほど大林作品に触れてるわけでは無いのでいわく言い難いものの概ね同意です。

で、オレとしてはこの時期の富田靖子の卑しい取り巻き連中にひとことありまして、「さびしんぼう」公開終了後、あれは恐らく1か月経ったか経たないかくらいの時期だと思うのですが、たまさか当時日本橋にあった東急デパートの屋上に行ったら、その富田靖子の「ミニコンサート」が催されてまして、“では今度の靖子チャンの新曲「スウィート」です!”とかいう感じで、フリフリ衣装の富田靖子がアイドル丸出しの歌をアイドル丸出しの衣装で歌ってまして、なんというか、「さびしんぼう」でもってまごうかたなき名演技を披露した彼女が、どうしてこういうアホな仕事をさせられなきゃならんのか、と、大袈裟でなく激怒したものです。
この日は日曜日で、翌日学校でも激怒して周囲にモンク言いまくった記憶があるので、もしかしたら同級生でこれを記憶してる方もおられるかもしれませんが、繰り返しになりますが「さびしんぼう」での彼女の仕事は珠玉のもので、当時有望な若手女優がカドカワ関係しかいないとか言われてる中、将来を嘱望されてしかるべき存在だったと思うのですが、にも拘らずその次の仕事が

シングル「スウィート」(c/w)「嫌いキラキラ愛してる」

って、それはないんじゃないか、と。

結局・・・あんまし詳しくは無いですが、富田靖子は「女優」としては「南京の基督」くらいしか着目すべき作品は無いんじゃないかと思う。
これはひとえに、当時の卑しい取り巻き連中どもに見る目が無かったが故の悲劇で、彼らの責任は重い、とオレは強く思う次第です。

今日の会話と、先だっての引越しの際に、このミニコンサート時に行われたジャンケン大会でインチキしてゲットした「YASUKO SWEET ハンドタオル」が出てきたので、思い出した次第です。

いろいろ。

長いこと「失われた名作」とされていた「忠次旅日記」のネガの一部が松竹の倉庫だかどっかの田舎の蔵だかで発見され、無事に修復も終えられていざ上映!と相成ったとき、その公開場であったフィルムセンターのパイプ椅子席には萬屋錦之介の姿があったそうですよ。

また、山下達郎大先生はほぼ習慣的に若手アーチストのライブに足を運ぶそうで。
狭くて小汚い小屋の一隅にちょっと場違いな、しかしどこかシャレオツな壮年夫婦がいる、という感じだそうです。

売れっ子スターであってもやはり観るべきものは観なければならず、して学ぶべきことは真摯に学ばねばならぬのであります。

そういうこととはほぼ関係無く、「忠次旅日記」に出演している伏見直江は江東区門前仲町の出身です。ちなみに小津安二郎はお隣の深川一丁目で生を受けておる由。

さらにまるっきり関係ないですが大杉栄と伊藤野枝は亀戸三丁目に居住していた時期があり、これは有名ですが浅沼稲次郎は区内の同潤会アパートに住んでおられた。.
ついでながら麻原彰晃はオウム神仙の会を興す前にやはり区内大島に住んでたそうで。

いずれも、生家跡に記念碑があるでもなく、江東区とのつながりに関する文献が豊富にあるわけでも無く、小津だけは清住通り沿いに申し訳程度な「ここらで小津が生まれたっぽいよ」ってだけな記載の看板がありますが、それっきりです。あとはなんもない。皆無。

麻原はともかく、そういうことでいいいんか。

あけましておめでとうございます。

「平成」という元号に対して、平らかであることなどに価値を置いてしまうような思想が今の日本を停滞させている、という趣旨の発言をみました。どこで見かけたかは失念。
……いやいや、やはり平らかであることは大切です。「平らかで無い」ことで我が国は何度もいらぬ苦労をしてきたはず。新たな元号がなんであれ、ここはひとつ「たいらけく、やすらけく」なベースでコトに当たりたいと思います。
 
謹賀新年。
「賀」は「(先方にあったよい事を)喜び祝う。喜びたたえる。ことほぐ」という意味だそうです。「先方にあったよい事」が対象である、というところが素晴らしいと思います。そういうわけで弊社としても、謹んで広くみなさまに「賀」を。
 
本年も変わらずどうか宜しくお願い致します。
 
平成31年元旦。