社会

コオロギその他、虫、ムシについて。

ついて。コオロギでもなんでも美味けりゃ食うわけですが、昔々に聞いたところコオロギはプリン体が結構多めなので痛風を気にする方には危険、とか。

あとまだエサの規制関係が無いので人間には不適なモノを食ってるやもしれず、ドンドン育ててガンガン食いましょう、となるまでにはまだ色々越えなきゃならないハードルがある、ってことでした。

昔々っていっても数年前くらいの話なのですが、その辺はクリアになったんですかね。なったからこれだけ色んなところで売られてるわけですよね。我が国の食品に関する規制は他国から顰蹙買うほど厳しいそうなので、それらを越えて出てきたモノですからまぁどうってことは無いんでしょうけども。

虫っていえば、某「とんかつ+お代わり自由なキャベツ&ライス&シジミの味噌汁」な店で夜メシを食った際、キャベツの中になんか虫が動いてたので、店員さんを呼んだら新しいのに替えてくれまして、これで一件落着かと思いつつ食い終わって勘定しに行ったら、なんとなんと!オレの食った分はお詫びとしてサービス=タダでOK、となった、ってことがありました。

たかだか虫がいたくらいでタダにしてもらったんじゃ申し訳ないので、レジのアンちゃんに、そんなこと気にせんでいいからカネを受け取れ、と言ったのですが、アンちゃん、ニヤッとニヒルな笑顔をひとカマシして、いやぁ、こちらの責任ですから(微笑)、と。

かくして当夜の夜メシは期せずしてタダメシになったのでした。

畑で穫れたものに虫がいるのは当たり前ですよね。まるっきりいない方が怖いよな。どういう土壌だよ、というね。

でもまぁ気持ちはわかります。キャベツやレタスの中に虫がいたら、やっぱし取っ払ってから食います。

前述の某「とんかつ+お代わり自由なキャベツ&ライス&シジミの味噌汁」な店での話からもわかるように、虫、ムシを躊躇なく食えるようになるにはまだ時間がかかりそうな気もします。

時代は変わるのであります。

どっかの高校のバレー部の顧問が「練習中、部員に暴行疑い」だそうです。「10代の男子部員1人に対し、服を引き剥がした上で髪をわしづかみにして引きずり倒し、バレーボールを顔に投げつけるなどの暴行をした疑い」って、これだけ読むともはやキチガイの所業ですが、まぁ、そうなんでしょうね。タイやカンボジアにいるマカク系のサルでも意味も無くそういうことはしません。

オレも昔、某小学生女子バレーボールの練習取材でドン引きしたことがありますよ。AM8:00からPM10:00までほとんど休憩なしで、その間監督だかコーチのオッサン、常に誰かしらを引っ叩きまくってました。あれだけビンタしたらした方の手も晴れちゃうんじゃないかと思ったものです。

恐ろしかったのは、このサイコパスでサディストな監督だかコーチもさることながら、それをまるっきり許容してる保護者ね。むしろ称賛してる空気でした。強くなるためには致し方なし、という。冷静に考えればそんなことしない方が強くなるにきまってるわけですが、もはや誰もそうは考えない。これが洗脳というモノか、と思いました。

オウム信者の多くもあのバカバカしさ極まるさまざまな「ワーク」をほぼ肯定的に捉えていた由。これとなんの違いがあろうか。

また、江東区在の某都立高校が甲子園出場した際に主力選手をスタジオにお招きして番組を作ったのですが、このときには逆の驚きがありました。1年生が3年の主将に、先輩の彼女かわいいんスよ〜、とか言ってましたよ。やめろよ〜、いいじゃないスか〜写真も放送しちゃいましょうよ〜、とかってやりとりがありました。

前述したようなサイコパスでサディストな連中には理解できないのでしょうけども、こういう感じで甲子園に行ってんだからね。

考えたら悲劇的なことでもありますね。このサイコパスでサディストな連中からしたら、こういう子らの活躍はアイデンティティの否定でもあるでしょう。オレがやってきたことはなんだったんだ、みたいな。

時代は変わるのであります。悩み大きものよ、時代は変わってる、ですよ。斉藤哲夫ですが。

映画の話。

「フラッシュダンス」も「フットルース」も、当時はまぁそれなりに面白く観たはずなのですが、今観るとこれはもう愚にもつかないというかお話にならないというか、とにかく観ちゃいられないのです。こんなシロモノをどうして当時面白がれたのか、自分がよくわからなくなります。ウソだと思ったら今一度観てみていただきたい。きっと、ええ、ウソでしょ!?なにこれ!?ってなりますよマジで。オレはなりました。

このあたりの作品は、強引に括ってしまうと「ザ・80年代」というようなことになると思うのですが、要するに当時のオレは、時代の熱やらいろんなものに浮かされてた、ってことなんだろうと思う。

でもって、その伝で「ザ・70年代」という括りになるとどんな感じになるかというと、一連の「パニック映画」と呼ばれる諸作品がそれにあたるような気がします。ってこれだけじゃないでしょうけども、これもまた重要な構成要素ではあろうかと思う。

で、この辺のは今観てもかなり面白く観られます。面白く観られるものが多い。

面白いヤツだけが残ってて、その裏には時間経過の篩に引っ掛からなかった有象無象「面白くない・普遍性を得られるレベルじゃない作品群」が死屍累累、という、そういう感じでも無いのです。面白く観られないのも少なからずあるにはあるのですが、「ザ・80年代」の諸々に比べると佳作に出くわす率が高いです。

ただこれはほぼ思い付きの私論ですが、「ザ・70年代」の諸々は、アメリカンニューシネマの洗礼を受けたか受けてないかで2分できちゃう気がします。例えば「大空港」は受けてなくて、その続編である「エアポート’75」は間違いなく受けてるなぁ、とか。

単なる制作タイミングの問題ではなく、制作側の意識において、革命的なナニゴトかがこの時代にはあった、と言える気がします。なんとなくですが。

じゃあなにがあったんだろうか、と思うのですが、今日は13時間くらい寝てしまったので、そういうことを調べたり考えたりする熱気が我が心中に湧いてきません。

ただ、これまたなんとなくですが、機材の革新はあったんじゃないかな、という気がします。明らかに各カットの軽重が違ってる感じ。いやあくまでも「なんとなく」です。

昨日の投稿に対する反省と、サルの話。

昨日、映画鑑賞における基礎教養の重要性っていうか必要性に関してあれこれ書きましたが、一晩明けまして、よく考えたらそんなのどうでもいいことでした。そいつが面白く観られたらそれでいいじゃんか、と今は思います。めいめいが好きなものを好きなように観ればいいじゃないですか。それ以上何が必要だっていうのですかまったく。

そんなことよりここ数日感じてたのですが、我がfacebookのタイムラインがどういうわけだか猿の動画投稿でいっぱいなのです。猿、サルですね。モンキーですよ。それもどうやらやら特定の種のモンキー。思わず気になって調べましたら、いずれの動画も撮影場所はタイ王国もしくはカンボジア王国の街中もしくは恐らく街外れの森や林な由で、種類はニホンザルの近種でもあるカニクイザルらしい。

動画の内容も類型がありまして、目立つのは、

・どっかのアンちゃんがバイクでボロボロのタンボール箱を運んでくる

・箱を開けると恐らく生まれたばかりの子ザルが1匹、場合によっては複数匹入っている・詰め込まれている

・その子ザルを取り出して、あまりキレイとは言えない感じの水でザブザブ洗う

みたいな感じのやつ。ムチャクチャな扱いしてるですが大抵“so adorabke💓”とかってコメントが臆面もなく付記されてます。

どっから運んできてるんかなぁ。どっかで買ってきてるのでしょうか。でも行くとこに行けばそこら中にいるみたいなんだけどなこういうサル。

あと、親ザルにネグレクトされて怪我まみれの子ザルのようすをひたすら撮ってる、っていうのも多い。すごいなぁと思うのは、そういう怪我だらけ場合によっては血まみれのサルを、彼らは普通に素手で触って、ヘタしたらマウストゥマウスで人工呼吸したりしてるんですよ。死んじゃってハエがたかってるサルを普通に拾って穴掘って埋めたり。怖いもの知らずですね。こういうヤツらが世界中にわけわからんウイルスを伝播させてんだなと思います。っていうかよく平気でいられるよなこの人ら、と。

ニホンザルの近種であるこのカニクイザル、性質はニホンザルよりずっと穏やかで人懐っこく、またタイもカンボジアも敬虔な仏教国であるので、サルが糞尿を撒き散らしたり(サルは賢いけどもトイレを決して覚えないのだそうで)、蛇口を捻って水を飲むけども飲み終わって元通りに締めることが無いからあたりが水浸しになったり、露店の食い物を持ってったりでもって街を結果的に荒らしても、この国民の皆さんは決して「駆除」「処分」という発想にはならない由。

だからまぁサルたちはやりたい放題なわけですね。

で、そんなやりたい放題のサルをひたすら撮ってる動画が世界的に人気コンテンツなようで、当地にはサル動画youtuberが大量にいるんだとか。

前述の「親ザルにネグレクトされて怪我まみれの子ザル」ですが、これはまごうかたなきネグレクト、シッポ掴んで数十メートル引きずったり、あちこち噛みまくったりしてます。これはある種の「しつけ」なんだそうで、これを経て子は親に従順になり、その従順さを以て親による庇護をしっかり受けられるようになるんだとか。

文字通り半殺しに近いような攻撃も見られますが、たまにまかり間違って「全殺し」となっちゃうこともある由。ボロ雑巾のように成り果ててハエがたかってしまってる赤ちゃんザルの動画も大量に流れてきます(そういうのを普通に素手で触っちゃってるわけです彼の国の方々)。

所詮は畜生の悲しさよ、ということになりますが、考えたら人間でもそういうヤツ、ネグレクトの末に殺しちゃう親人間がたまにいますよね。してみるとこの手のヤツは群れ集団においての標準偏差水準を下回っているエテ公と同レベルだと言えますね。いや、しつけの意思がほぼゼロでもって「全殺し」してんだからサルのレベルにも達して無いわけですか。なにしろ、もはやホモ・サピエンスの埒外だと言っても過言ではありませんね。

しかし何故にオレのタイムライン、斯様なサル動画が蔓延するにまで至ったのでしょうか。

不思議です。

忠臣蔵とか「彼岸花」とかいろいろ。

日本映画興収が最大だった1958年、東映が「旗本退屈男」やら「若さま侍」やら「忠臣蔵」で派手によろしくやってたその同じ時期に、松竹が満を時して「オールスター総出演総天然色大作」として世に放ったのが小津の「彼岸花」。集まる誰もが皆微動だにせずモノも言わずただ俯いて着座する、まるで判決言い渡し時の裁判所内かのような厳粛な空気の会場内、なんだかよくわからない詩吟だか浪曲だかが延々とうたわれる、そういうシーンがオープニングから数分に渡って続くアレです。

斯様な地味極まりないオープニングが終わったと思ったら佐分利信は結局最後までシブい顔してなんかブツブツ言い続け、中村伸郎、北竜二は相変わらずセクハラ的な姿勢を崩さないという、今だったらヘタしたら炎上にまで至るであろう当作ですが、これ大ヒットしてるんですよね当時。間違いなく佳作であるとは思うのですが、いけすかないインテリゲンちゃんのみならず広く老若男女の支持を得て、松竹はウハウハだった由。

してみると、今を生きるものとしては少々口惜しいところですが、今と比してこの当時の日本人の文化レベルは高かった、と申せましょう。あの延々と続く詩吟だか浪曲だかのシーンも、当時の鑑賞者は、これだけ続くからこそ生きる後続シーンを待つだけの、おそらく無意識的なところでの「期待力」があった。

これ、この「力」こそが教養なのですよ。

また例えば「おはよう」。

これを「ファスト映画」にしたら、オナラを競ったガキが最後にウンコ漏らすとか押し売りを牛刀で撃退するとか、わけわからんエピソードがわけわからん順番で並ぶわけわからん代物になりますよ。って当作はハッキリ言って普通に観たってわけわからんのですが、このわけわからん事どもの向こう側から匂ってくる機微を楽しむだけの度量が、当時のオーディエンスには厳然とあった、と。

これもまた「教養」です。

小津に限らず、当時の制作側には、物知らずなヤツは置いていって構わない、という割り切りがあったのでしょうね。たとえば前述の「忠臣蔵」でいうと大石の東下りのシーン、大石家と浅野家の家紋がなにであるか知らなかったら意味わかんないですよね。でも、そういうシーンは存在し、また大抵の鑑賞者はこれを名シーンだとしています。つまり大抵の人はを知ってるわけです。

物知らずなヤツは置いてかれるから、観る側の方がちょっと頑張ってる形跡がありますよ。大石と浅野の家紋も知らんで映画なんか観るな、旗本とはどういうものかも知らんで映画館に来るな、ってなことを言われちゃうから、多少は勉強しなきゃアカンな、というね。こういうのを教養、基礎教養というのです。

昨年末だったか、ファスト映画で何億円だか荒稼ぎしたヤツが捕まってました。作品を(勝手に)10分くらいに編集しちゃうアレ。

これはですね、作ったやつも、これを喜んで観たヤツもアカンです。著作権云々以前の話で、ことドラマ型コンテンツというものはストーリーだけわかればいいってだけのものじゃないのです。それは全体の「愉しみ」の、せいぜい4割弱くらいじゃないですか。

ただ10割愉しむには「基礎教養」が必要だ、と。

節分。

おとといは節分でした。不思議なことにだいたい節分の翌日が立春になるよね不思議だね、と常々思ってたのですが、そもそも節分の日は「立春の前日」と定められてるんだそうですね。日々勉強です。不明を恥じる次第であります。

今年の節分でも不肖ワタクシ豆を撒かせていただきました。昨年作った和装でもって。「撒かせていただきました」と書きましたが、このような機会をいただいて、いやホントにありがたいことです。

高いところからエラそうに撒くのはいささか気が引ける感じもないわけではありません。

大辞泉によりますと「気が引ける」=「気おくれがする。引け目を感じる。」だそうで、さらに「気おくれ」=「怯む、尻込みするといった心持ちを意味する表現。」とのことです。

まさにそんな感じでした。毎年のことながら。

(全然関係ないですが「まめまき」の漢字表記は「豆撒き」で合ってるんですかね。「撒」って漢字にはちょっとネガティブ寄りのイメージがありませんか。オレだけですか。)

我が和装は頗る好評でした。ただ、

・宮司さん

・神職の方

・睦会会長氏

・睦会会長代行氏

・某代議士秘書氏

・お手伝いの方

・崇敬者の方A

・同B

・同C

と、皆さん、完璧に同じことをおっしゃる。

「どこの部屋の親方が来たかと思った」

と、会う人会う人皆さんから、異口同音に、全く同じことを言われました。何人目かのときにはデジャブかなと思いました。

和服っていうとみんな襟をギュッと、キチッと締めておられるけども、ホントはちょっと緩めに、ルーズにした方がカッコいいのだ、と、長谷川一夫が徹子の部屋だったかなにかで話してました。

しかし、実際に御説の通り緩めた感じにすると、これはもう覿面にだらしない感じになっちゃいます。襟元が緩むといきなりそういう感じになります。

要するにそれは「長谷川一夫」だからカッコいいっていうか許されるのであって、そうじゃない人はやっぱしキチッとしてなきゃダメだってことですね。最初からカッコいい人は緩めてもなにしてもカッコいいけども、そうじゃない人には緩めて許されるだけのバッファが無い、と。

また外出時の服装について、これは数十年前のサンソン新春放談で大瀧詠一が言ってたのですが、30歳を過ぎたら、あそこ行くのにこのカッコじゃちょっとキチッとし過ぎかな、ってくらいで他人から見たらちょうどいい、この程度でいいだろう、っていう自己判断の服装だと他人様が見たらかなりだらしない印象となる、との由。

オッサン・オバチャンになったら、自分で思うより一段階上の服装じゃないとアカンってわけですね。

そういうもんかもしれません。

そういえば、大瀧詠一ってなにげにオシャレだったような気がします。そんなパブリックイメージは無いですが。

あと、弊社設立当時にバイトで来てたJK(当時)によると、ズボンによらずシャツ、上着によらず、オーバーサイズ志向になった瞬間がすなわちオッサンになった瞬間、だそうです。

そういうもんですか。わかる気がしないでも無いです。 

なにしろ、いいトシになったらできる限り服装には気を使いましょう。

回転寿司の件。

回転寿司の客が、やれ備え付けのコップをペロペロ舐めたり流れてくるお寿司にツバつけたり勝手にワサビ載せたりして炎上してます。まぁそりゃするよな。するに決まってます。

回転寿司のお店がお客さんからああいうことされちゃうというのは、弊社でいうと本番撮影中にカメラや三脚やマイクにいたずらされるようなものですか。

だとしたらそりゃ怒るよな。シャレになりません。いかな相手が未成年とはいえ。大事な商売をあんなノリで妨げられたらたまらんなぁ、と。

1990年代後半から2012年頃に生まれた世代を俗に「Z世代」と呼ぶそうで、この回転寿司店でもってアレなことしちゃったりしてるのが正にその世代な由。でもZ世代の方がみんなしてアレなことしちゃってるわけじゃないので、このアレを世代論で語ったりするのはフェアじゃないですよね。

ああいうアレなことをするアレな人ってのは昔からいました。どの世代においてもアレな人ってのは常に一定の割合で存在します。なので今日的なニュースのネタとしては「可視化されてきています」という切り口がより正しい。

って考えたら昔からいたどころか、オレの世代だと学校の廊下をバイクで走ったり、東陽公園で他校と「抗争」したり、技術科の先生を彫刻刀で刺したりしてたじゃないですか。ってこれはオレの出身中学の話ですが、この刺傷事件に関してはアラサーになった頃に加害者の友人って方とお会いした際、あのヤローが通報なんかしやがったせいで1人の中学生の人生がワヤクチャになった、とか普通におっしゃってて、さすがのオレもちょっと引いたものです。醤油差しを鼻に突っ込んだりしてる方がずっとマシかもですよ。

なにしろ、あんましひとのことを言えた義理じゃない世代と申せましょう。だからって大目にみてやれってことじゃないですが、世代論で語ってナットクした気になってちゃいけませんね。

TV業界。

ホントにTV業界は不景気らしいですねぇ。TV業界関係者にお会いするともう景気悪い話しか出て来ませんよ。数多ある産業の中で最も不景気な業界が発信してるわけですから、発信内容も不景気なものになるのは必定ですよね。

これは一般の方には分かりにくいかもですが、ひな壇芸人さんによる番組なんかでは、もう複数カメラを設置するのも憚れる感じなので、8Kのカメラをひな壇正面に1台置いて全体を撮っとくだけで済ませちゃうんですってね。ひな壇全員を8Kでずっと撮っておいて、編集時に都度喋ってる人だけトリミングして、ということらしいです。確かに放送はフルHDですから、元が8Kであればそこそこトリミング(=拡大)しても解像度は落ちないわけです。

ホントにそんなことやってんのかどうかさすがに眉唾ではありますが、ポスプロの方がおっしゃってたので丸々ウソでもないんだろうと思います。

昔々あらゆるコンテンツは「門付け」だったんですよね。発信者がお宅を一軒一軒回って、その都度おアシをいただく、という。

それじゃ効率が悪い、ってかまとまった儲けにならんので、広場に人を集めて、まとめて大勢に発信して、まとまったおアシをゲットする形になりまして、それが「公会堂」や「劇場」のはじまりですね。

でもって、さらに一度に大勢に発信ってことで、放送というシステムやらパッケージ販売という概念やらが誕生したわけです。一箇所に集まるだけでなく、各地の方にも同じネタを、という。

そういう変遷に伴って、配信するネタも個々向けから「大勢」、大衆ウケするものへ変質していったわけです。多くの場合のそれは国家体制の堅持に大いに貢献し、我が国は先進国の仲間入りできた、という側面もありましょう。

youtubeやなんかでの個的な発信、また音楽の配信ってのは、こりゃ要するに「門付け」の現代版みたいなもんじゃないですか。発信者の単位がミニマムになっていくっていう、これはいわば先祖返りですね。

あんまし良いことじゃないよな。有象無象が勝手に発信してるばかりのカオスな世の中に戻ってどうする、と。

しかしなんでTV業界が不景気かって、ライフスタイルの変化だとかなんとか言われてまして、そりゃまぁそういう部分もあるとは思いますが、本質的には面白く無いから観ないってだけなんですよね。

現にもうTVドラマは社会構造的にダメだとか言われてるさなかに、家政婦がどうしたとか半沢ナントカってドラマは超高視聴率を記録してたじゃないですか。面白けりゃ観るんだよなみんな結局。

そんなオレはここ20年くらいTV番組をほとんど観てなかったのですが、最近「クイズ脳ベルSHOW」だけ時々観てたんですよ。

でもどういうわけか毎日やってたのに週イチ放送になっちゃいました。残念です。

江東区、豊洲。

江東区、枝川から朝凪橋を渡ってざっくり150mくらい進んだ左側に豊洲4丁目都営団地がありますが、あの一角は全て再開発ってことで取り壊しになって、一角丸々ひとつのデカいビルになるんですってね。このあたり選出の区議さんが嬉々として報告しておられました。ってコロナやなんやらで計画が変更になってる可能性もありますが、タワマンなんかが立ったりしてもはや高級住宅街と化した彼の地において、どのみち昭和感丸出しなこの一角がいつまでもそのまま捨て置かれるとはちょっと思えません。そのうちどうにかなるんでしょう。

きっとどうにかなり、またそれは住民当事者の方々にとって決して悪いことではなかろうと他人事のようにオレは思うわけですが、気になることが2点ほどありましてですね。

ひとつめ。枝川から進んで左側、セブンイレブン日本第1号店の角を左折ししばらく行くと、お地蔵様があるのです。オレが通ってた幼稚園はこの突き当たりにあったのですが、その頃にはすでにありました。この頃の段階でもう出来立てホヤホヤって感じではなかった。

あのお地蔵様はどうなるんかな、と。まさか無くしちゃうなんてこともないよなぁ、とか思いつつちょっと調べたら、諸々建て替え再開発後も残されるそうで、よかったよかった、です。前述の区議さんがやはり嬉々としてご報告されてました。

そうでなくちゃいけません。

ということでひとつめはちょっと調べたらアッサリ解決した次第なのですが、ふたつめ。

この団地群、何号棟だか知りませんが、1Fが駄菓子屋さんになってる棟があります。あの駄菓子屋さんはどうなるんかな、と。

店内で「もんじゃ」を作って食べられる店でした。店内でベビースターと、なんか白濁した液体が金属のボウルに入ってるやつを買って、店内の鉄板にドバッと広げて、傍に置かれた牛乳瓶かなんかに挿さってるスプーンだかなんだかで食う、という。

もんじゃイートインの駄菓子屋が江東区内には何軒かあったように記憶しているのですが、ああいう店って飲食店として許可取ってたんかな、と思います。スプーンとかボウルとか、都度洗ってたような形跡がなかったもんな。

まぁでもあそこのもんじゃ食って食中毒で死んだとかって話も聞かないので問題無いわけですよね。ってもしかしたらオレが知らないだけで、どうにかなっちゃった方もおられたのかもしれませんが。

なにしろ、あの駄菓子屋さんが無くなるのは惜しい感じがあります。少子化のみぎり、駄菓子屋さんも継続していくのはさぞかし大変だろうとは思うものの、さびしいねぇ、と。

って思わず無くなる前提で書きましたが、都営のタワマンかなんかになって、その1Fがイートイン駄菓子屋ってのもなかなかオツなものじゃないですか。デベロッパー各社様には一考をお願いしたい。

なおこの団地群の1Fにはこの駄菓子屋さんだけではなく、他にも布団屋さんだとかいろんなお店が入ってました。

あのお店らはみんな無くなっちゃうんでしょうね現実的には。タワマンの1Fが駄菓子屋&建具屋&靴屋&ラーメン屋、ってのはやはり問題があるんですかね。いいじゃんねぇ。

昔々、歌手にスカウトされた件。

昨日は区議会議員選挙への立候補を勧められた話を書きましたが、そういや同じ頃、歌手スカウトされたこともありました。

立候補要請の件と比べ、こちらはもうあからさまなサギ臭に満ちた、ウサン臭いことこの上無いお話でした。

某カラオケスナック店が主催するカラオケ大会がありまして、その収録のお仕事をいただいたのです。

で、こういうことはどうやらよくあるらしいのですが、審査時間中のステージ間つなぎにお前さんも1曲やってくんないか、と。

そう言われたら断る術はありません。しょうがないからやったわけです。

そしたら大会終了後の打ち上げの席、審査員をやってた作曲家先生がいつのまにかオレの隣に来まして、

・アンタ(オレです)の歌を聴いたが、アンタの歌にはひとの心を惹きつけるなにかがある

・だからアンタは歌い手になるべきだ。差し当たって私の教室に来るべきだ

・アンタの努力で紅白も夢じゃ無い、いやアンタなら可能だ

・私のコネでCDデビューさせてあげる

・そういう諸々を踏まえ、とりあえず私に200万預けなさい

と、熱く語るのです。

こんな昭和的なわかりやすいインチキ話も無いなぁ、と思ったのですが、オッサンがこんだけ熱く語るってことは、そこそこの成果もあるんだろうな、と。明らかに迷惑メールだとしか思えないようなアホくさい宣伝メールでも1,000通出せは1件は引っかかり、またその1件で充分な費用対効果が得られるそうです。

でもまぁ断りましたよ。普通断るよなぁ。

で、後日、主催したカラオケ店に行った際、主催者でもあるマスターにこの話をしたら、

「200万って言われなかった?あの人はなんか知らんけどいつも“200万”なんだよ(笑)。」

と。

要するにあの審査員のオッサンは、あちこちのカラオケ大会やらに審査員かなんかで潜り込んで、ほうぼうで200万200万言って歩いてる、ってわけですね。

なんで200万なのか知らんけど、決まって「200万」なのでちょっと有名なんだそうでした。

「アンタだけじゃないよ、ほら」

と見せられたのは、その店の常連さんがポーズを決めてるジャケットのCDでした。一人二人じゃなかった。

CDはCD-Rでした。ジャケットはオフセット印刷でしたけども、即ち量産プレスされたものでは無い、という意味です。なにしろ200万払った人がこの店の常連だけで何人もいる、という。

自分の店の常連客が、ありていに言ってサギにひっかかってるのを、このマスターのオッサンはただ黙って見てるんだなぁ、と思いました。

こうなるとサギの片棒担いでるのと変わらんじゃんかよ、と思いましたが、まかり間違って紅白に出たりできちゃう可能性が理論的にはゼロでは無いわけで、100%サギとは言い切れないんですね。

この世界は一時が万事こんな感じなんだな、と。

「アンタも200万出してやってみたら?(笑)」

なんて言われましたけどね、こんな業界からは1分1秒でも早くエクソダスしなければ、ということで、あれから関わってません。

やっぱり、余計なことはしないが吉、です。