改めて「死刑」について。

山口県光市の母子殺害事件、明日、2012年2月20日に、差し戻し上告審判決、な由です。

以前も書いた気がしますが、「死刑」については、オレ的には揺れる部分があります。全面的な否定も肯定もできません。

まず、人間が人間を裁くに当たって、「死」がその選択肢に在って良いものだろうか、という疑念?が拭えません。

ただ反面、大抵の・・・ほぼ全ての「死刑囚」に対して、こいつはもう殺しても飽き足らない、と思えてしまうのもホントです。死刑囚のほぼ全員は例外無くそのレベルの「重罪人」です。ぶっちゃけてしまうと、オレの中でこの件の「犯人」はその極北です。

・人間が人間を殺すことが肯定されていいのか

・でも、殺されても仕方ないようなことしたヤツだからね

・大体にして、死を以って償うということにそもそも意味があるか否か?そいつが死ねば

 OKなのか?

・じゃあ、生かしてどうするってんんだ?

・・・こんな感じです。

なにしろ、千路に乱れる我が心情、だったりします。

ただねぇ、死刑を望む・・・他人の死を希望する、という発想ね。

こういうマインドが人間の心中に実存する限り、死刑判決を受けちゃうような大罪を犯す人間も必ず存在する・未来永劫いなくならないんじゃないか、と思ったりします。

少なくとも「こんなヤツは死刑だ!ペッ!」みたいなことを、簡単に発言するべきじゃないかな、と。

とにかく・・・判決は明日20日な由ですが、まぁ「死刑」でしょう。最高刑に処されて当然。それだけのことをこの「犯人」はやらかしました。

現状の最高刑が「死刑」である以上、まぁそりゃ死刑判決が出るでしょうよ。そのこと自体は異常な、不自然なことではありません。

※余談ですが・・・本来押さなきゃいけないはずのハンコ押印を、個人的な心情でもって拒んでる大臣さん、これはダメだよね。そう法律で決まってるんだから守らなきゃダメです。法治国家ですからね。法務大臣が遵法せんでどうする、というね。死刑の是非云々はまた別の話です。

もうすぐ一年。

表題の通り、もうすぐあの震災から一年が経過します。
このタイミングで、なんだか福島第一原発2号機の「温度上昇」について盛んに言われております。

さてさて・・・この件、決して東電「だけ」が悪いわけでも、政府「だけ」に責任があるわけでは無い。東電も保安院も政府も、そしてほぼ無自覚無意識に電源供給を受けてい
た我々も悪いです。要するにみんな悪い。少なくとも、単純にどこか・誰かを叩いてるだけでオッケーな、そういう資格のある者は誰もいないはずです。

どこか一ヶ所、若しくは誰か一人だけ叩いて、それでなんとなく収まっちゃったみたいな気分になる・・・誤解を恐れず言うならそんなことで「自己解
決」してしまうのは、あんましよろしく無い傾向に思えます。コトは誰か(どこか)ひとり(一ヶ所)だけが悪い、ってことで済むような、そんなに単純なもの
ではないはずです。ロス疑惑の三浦某や、大林雅美さんじゃないんだからね。例えが古いですが。

非常に素朴なる理想論ですが、みんな悪いんですから、みんなして反省せねばなりません。

でもって、その上で、もう少しポジティブな論点で歩みを進めていきたいものです。

例えば、工業製品・農産物輸出のライバル国は、この機に乗じて攻勢をかけてくるでしょう。その際、日本のは汚染されてるかもよ〜!くらいの事を言
い散らしたとしても不思議じゃありません。また、昨日だかの記事にありましたが、某ご近所の国が、もはや日本政府は信用に足るものではない、とかなんとか
言ってる由。

・・・言い換えると、誰が悪い・どこの責任だ、ってなことをローカルで喧々諤々していられるほど、世界は悠長じゃ無い、ってことですね。そんなことにとらわれてるバアイじゃ無い、と。

もうひとつ。

この件に限ったことじゃないですが・・・放射線数値がどうとか、容器温度がどうだとか、そういうことももちろん大事なことではありますが、なにより重要なのは、特に若年層がペシミズムに堕ちてしまうことですよ。

アレコレ、イロイロある我が国ですが、我が国は現状において例えば対外債務を抱えてるわけでもなく、要するに若年層がその気になれば先々どうにでもなる「国力」がまだまだあるわけです。若いモンがやる気だしたら、普通にこの国は上昇するはず。

オレのようなオッサン、オバチャンが、そんな若いモンのやる気を殺ぐようなことをしちゃイカンねぇ。