2020年

スーパーカブを購入。

12月頭に新車のスーパーカブが弊社にやってきます。ってもう12月だからまもなく納車。小澤さんありがとう。助かりました。

  こないだ代金の支払いと各種書類の提出に行ってきました。その時にも聞いたのですが、我が初代カブ号と比すると最新機は想像を超える進化を遂げておる由。
まず、今のバイクには「キャブレター」が無いんだそうで。4輪だとこれはもうとっくに無く、燃料供給に関しては全て電子制御だとは聞いてましたが、原付の、それもカブでさえそうなんですね。これは結構ガチで驚きました。
もう灯油だかガソリンだかでキャブ掃除しなくてもいいんだな。でも不調の時はもう自分でイジれないってことですね。

  あと、エンジンの起動がセルだった。これについては考えたら今までセルモーターでエンジン起動させるバイクに乗ったことが無いのでちょっと不安だったりします。今までのバイクは全てキック起動でした。でも聞いたらキック起動も可能だそうで、まぁ良かった。

  あと「慣らし運転」が500kmだったか1000kmだったか忘れたのでバイク屋のオッチャンに聞いたら、今はことさらそこに頓着する必要は無いんですってね。オレの記憶だと1000kmだか500kmだかまでは○回転以上エンジンを廻しちゃいけないとかそういうのがあったですが、今はそういう感じじゃ無いっぽい。
まぁ最初のうちはおとなしく乗った方がいいですよとか言われましたが、そもそものところで荒っぽく運転するつもりも無いんでね。モノがカブですからなにしろ。
確かに4輪を買ったときにミツビシのアンちゃんに同じ質問したら、なにアナクロなこと言ってんだこのオッサンみたいな顔をされて、今どきは新車でも工場出荷時にテストでガンガン廻すので慣らしとか意味無いっスよ!とそういえば言われたですが、でも50ccだから必要なのかな、と思ったのですよ。我が国の工業製品における工作精度の高さに瞠目する次第です。

  あとあと、オイル交換の時に都度ボルト&ワッシャーを交換する必要が無いんだと。
ええホントに?と思うのですが、バイク屋さんが言うんだからそうなんでしょうね。
そういえば数年前に純正のボルトetcを求めてバイク屋さんを数軒廻ったとき、その全てで「在庫なし・取り寄せ」だって言われて、メンドくさくなってオイル交換自体を止めた、ってことがありました。つまり、そういちいち換えるものじゃないってことですね。だからお店もさほど在庫しない、と。

  あとこれが一番ビックリだったのですが、我が初代カブはガチの実測で90km/リットルくらい走るのですが、この程の新車は「いやぁ、もうちょっと走りますよ」とのこと。
なんだその低燃費。これはホントなのでしょうか。

  しかし、初代のカブね。これはざっくり20年ほど前に購入したもので、サラリーマンを辞めた当時は唯一の足として、ヘタしたら収録にもこれで行ったりしたものです。それだけの愛着のあるものです。これともお別れなんだな、と思うとちょっと淋しい感じもあります。
でもまぁ結構乗ったからな。距離そのものは1万kmとちょっとですが、それは単なる数値以上に濃密なものでした。結果フロントフォークはよれ、フロントブレーキは効いたり効かなかったりし、エンジンオイルはそこかしこで漏れ、ヘッドライトは点灯したりしなかったり、と、ありていに言って満身創痍。ここで御役御免というのが良いタイミングかな、とも思う次第です。

センバツ高校野球がなんか知らんけど中止になった件について。

選抜高校野球中止ってマジですか。無観客開催ってんじゃなくて?
 
あくまでも私的には、ですが、中止は正直どうかと思うのです。相撲に比べても選手間での感染が成立しにくい競技だと思うのですよ野球って。まして甲子園は屋外だしね。無観客開催が難しいっていう事情がなにかあるんでしょうかね。
 
何でもかんでも中止にすりゃいいってもんでもないと思う。できること・やれることはむしろ積極的にやっていいでしょう。てかやるべきだ、と。こういう腰の引け方がなにより経済をダメにします。引かなくて良い腰は引いたらいけません。
  
フンドシ一丁で組み合う大相撲はやってるじゃないですか。開催のために相撲協会はすさまじい厳戒態勢で万全を期してますよ。そしてそれが高評価を得ています。
なぜか。
それが「腰の引けた対応」じゃないからですよ。
 
大相撲の本場所が開催出来て、屋外で、基本的に選手の接触を前提としていない、ある程度選手間の距離が保てる高校野球がどうしてやれないのか。なにやってんの高野連。てか朝日と毎日。
 
やれることからやりましょう。てかやれることはやらなきゃダメです。センバツは「やれること」だと思う。

松竹。

かつて松竹は封切った作品がコケそうになると、いつのまにか「砂の器」が併映されてたりしたものです。ああこりゃアカン大コケだわ、となったら、とりあえず「砂の器」をいっしょに掛けとけばある程度の客は囲える、という。
 
いつの頃からか、やがてその役目は「蒲田行進曲」が担う感じになりました。ナンでもカンでも「蒲田行進曲」が併映されてた感じがガチでしたものです。
だったら「砂の器」と「蒲田行進曲」を2本立てで封切館でやりゃいいじゃんか、と中学時代のオレは思ったものですが、大人になった今はそれは経営的に絶対的な禁じ手であることがわかります。
  
ところで今松竹はどうなってんのかな、というと、なんか今度「男はつらいよ」の、あろうことか「続編」が公開されたりなんかしていますね。
それがいいことなのか悪いのかはオレにはわかりません。

商売道具について。

きのうから今日にかけて、某社様の「製品紹介パンフレット」計9Pを作成しておりました。イラレ&フォトショと首っ引きでありました。9Pっていうのはよく考えたら不思議なページ数ですが、いいんです。
本来ならデザイナー様にお願いするところなのですが、予算が乏しく納期もややキビシいような場合は自分で作ります。乏しい予算なりのクオリティであることは自覚しております。
 
完全に専門外っていうかもはや門外漢の分野ではありますが、「撮影」と違って、対象が逃げていかないってのは、これはかなりデカい要素です。撮影の場合、二度と撮り直しできないようなケースもあるので、それはそれは緊張します。
 
撮影現場におきましては、ときどき他社様のクルーと一緒になることがありますが、撮影作業に相対する際の心の置き方につきまいsては、これはもう千差万別、テキトーにやってんなぁと思うこともあれば、ああ、ちゃんとしてるなぁこの人、と感じることもあります。後者は無条件でリスペクトの対象となります。
 
いつだったか、カメラを三脚に付けたまま、三脚を担いで移動してる人をみました。
昔と違ってカメラも軽量化されてますが、それにしたってもし三脚とのアタッチメントが外れたらカメラは間違いなくおシャカになります。
おっかないことやってんな・・・と思ったものです。
 
大昔いっしょになったカメラマン氏は、若い頃、ちょっとでもヒマがあったらカメラを触ってろ、マニュアルは100万回読め、とサンザン言われたそうです。
そこまですることもなかろうとは思ったりしますが、商売道具ですからまぁそれくらいやって当然なのかもしれません。そういえば、商売道具を大事にしない人は、確かに大したものは作れてないです。撮影に限らず。
黒澤の「どん底」、東野英治郎演じる鋳掛屋のオヤジについて、商売道具を売っぱらった瞬間に「人生が事実上終わった」という表現になってますね。そういうものかもしれません。
 
で、なにがいいたいかというと、カメラや三脚と同じように、今回のようなパンフetcの制作を生業としてる方々にとったら、イラレやフォトショが「商売道具」の重要なひとつになるわけですよね。
商売道具が結構な頻度で「更新」されていくってのは・・・なんともいえない心持になります。
 
まぁなにしろ大事にしなきゃな、と思いました。ではおやすみなさい。

見る人が見れば、な話。

ひょんなことで知り合った某所のスナックだかクラブだかよくわからない店のママさんいわく、その客がヤクザかそうでないかってのは、ほぼ一瞬でわかるんだそうですね。どんな服装でどんなヘアスタイルetcでどんな腕時計をしてようと、大げさでなく入口ドアが開いた瞬間にわかるんだと。
なんでわかるのかと聞くと、やっぱしそういう空気というか雰囲気があるとしか言えない、とのことでした。
 
これはオレがヤクザでないからヤクザを例にとってそんな話をしてくれたってだけで、要はどんなに取り繕っても、見る人が見ればその生き方生業etcが丸わかり、バレバレだってことですね。
 
今年はちゃんとしようと思います。
そして、その「見る人」としての目も肥やしたいと思います。

デジタルとアナログについて。

もう10年以上も前の話ですが、当時としては斬新だった(っていうか斬新過ぎてすぐ潰れてしまったのですが)「地域情報インターネットTV」サイトの運営に関わってたことがありました。
 
相変わらず最近でも煽り文句として用いられる「デジタル新時代の象徴」みたいな惹句でもって華々しく公開、その目玉の一つがWebページ上で誰でもオンデマンドで(当り前ですが)操作できる街頭カメラ、というものでした。
 
どこかのビルの上階に設置したカメラの映像をWebページ上に埋め込みまして、その直下ある上下左右の矢印をクリックすることで、カメラの向きを誰でも変えることが出来る、という、今となってはさほど珍しくも、また難しくもないものですが、当時としては結構なスグレモノで、また結構お高いシステムだったりしたものです。
お値段相応に、公開当初から結構な人気コンテンツでした。「結構」の3連発。
 
しかしながら、この「誰でも変えられる」という所に盲点がありまして、即ちカメラの向きをいじると至近にあるビルのテナントであるキャバクラの更衣室の窓が見える、ということがやがて判明。

この段階でトットと取り外してしまえばコトが済むわけですが、そこそこの投資を経て設置したものだけにそう簡単にはいかない、ということで、システム担当の方は試行錯誤して管理者権限のある者以外操作できないようにしたのですが、2ちゃんねるに「いろいろ捗るWebカメラ」として挙げられるに至り、かくして約1か月間に及ぶデジタルいたちごっこが勃発。

最終的にどうしたかというと、カメラのリモートコントロール雲台をガムテで固定、という荒業に出て、この不毛な「いたちごっこ」に勝利したのでした。
 
オレ自身はカメラ設置の少し前に運営から抜けてたのですが、傍で見つつ、やはり「アナログ」が強いんだな、と思ったものです。
 
そういうものです。
’70年代というともう50年、半世紀ほど前になるわけですが、当時のハリウッド映画の銀塩フィルムの解像度は、デジタルメディアとして換算するとざっくり現在の8Kよりチョイ上くらいな感じだそうです。
考えてみれば「デジタル」は「アナログ」の翻訳版、若しくは基本的原理的に「無限大」であるアナログをカスタマイズ化したものが「デジタル」であるので、そもそも同じ土俵に並列に立たせること自体が無意味なのです。
デジタル化による恩恵を享受しまくってる身としては、謙虚にならねば、ということです。

謹賀新年。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
本年も相変わらずどうか宜しくお願い致します。


お正月をお祝いする言葉にもいろいろございます。

辞書によりますと、「謹」は、「 気をひきしめておろそかにしない。物事に念を入れる。恐れ敬って、ていねいにする 」という意な由。
常になにごとにもそういう姿勢で、と心から思います。

そして「賀」。こちらは「(先方にあった良いことを)喜び祝う。喜びたたえる。ことほぐ」という意味だそうです。

「“先方にあった”良いこと」が対象である、というところが素晴らしいと思います。

そういうわけで弊社としては、謹んで広くみなさまに「賀」を。
謹賀新年。 謹んで新年のお慶びを申し上げます。