本田猪四郎とか小津とか北杜夫とか。

「娯楽作品のいいものが芸術作品であり、いかな芸術作品であろうとも、面白くなきゃ映画は駄目だ」。

なんていい言葉なのでしょう。まず娯楽作品であるべし、芸術作品とは娯楽作品の下部フロー、あくまで数多ある属性のひとつに過ぎない、ってことですね。ちなみに本田猪四郎の言葉です。「第七芸術」且つ「総合芸術」たる映画においてそうなんですから、全ての芸術なるものはかくあるべし、ですよ。

またいわく

「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う」。

これは小津の言葉です。真理ですな。これ小津が結構若いときの言葉なんですよね確か。若くしてなかなかこういうところには至れないものですよ普通。いやさすがです。

でもって、この2発言を統合しますと、要するにひらたく言っちゃうと「オレが面白いと思えたものをおまえらも面白がれ」ってことになりませんか。

この実現には圧倒的な自己肯定の意識が必要な気がしますが、この類のパワーについて太宰は「巨腕」と表現しておりますね。シェイクスピアに対して「天才の巨腕を感じる」と、これはなにで読んだかまるで覚えてないのですが、シェイクスピアって言ってるくらいなので「新ハムレット」だと思います。多分。いや知らんけど。

要するに、良い作品を作るにはまずパワーが必要だってわけですね。

そして、自らのパワーと折り合いをつける程度の理知。

ただ「巨腕」を振り回してるばっかりじゃなく、内なるパトスを御するだけの理知的な部分が無くちゃアカンでしょうからね。この「内なるパトス」ってのは北杜夫のお言葉です。マンボウ先生が「幽霊」をモノするまでくらいの、湧き上がって湧き上がって処置に困る己がパワー、これを持て余してた時期についての表現でした。

関係ないですが北杜夫作品で一番「面白い」のは「大日本帝国スーパーマン」です。大日本帝国スーパーマンが米国のスーパーマンに勝負を挑む、というお話です。

今しがたフト思い立って当作のレビューを探してみましたが「あまりにバカバカしくて面白くなかった」とありました。これだけで必読ということがおわかりになるかと思います。異論は認めます。