モニュメント。

この7日に、フィルムが散逸し失われた名作とされていた「忠次旅日記」のフィルムがどっかの田舎の蔵の中かなんかから出てきて、フイルムセンターだかどこだかでの発見記念上映会の際、某評論家が張り切っていち早く会場入りしたら既にパイプ椅子に座ってる先客がいて、誰かと思ったら萬屋錦之介だった、って話を書きましたが、これに出演している伏見直江、彼女は江東区は門前仲町出身なのです。門前仲町1丁目、赤札堂の向かいの、今は歯医者になってて、その昔には辰巳書房があった場所、ここはそのまた昔は深川座なる芝居小屋だったそうで、そこの楽屋で生を受けたとのこと。旅役者だった父親が落ち着いた先がここで、そこで生まれ、やがて子役として舞台に立つようになったのがキャリアスタートだそうです。

伏見直江っていったら戦前の日活の大看板幹部女優ですよ。その芸能活動のルーツがここ江東区にあるってわけですが、当地、それを示すような碑があるわけでもなきゃ看板が立ってるわけでもありません。もはや面白くもナンとも無い「門前仲町」という街の、その面白くもナンとも無さの象徴のような面白くもナンとも無いビルがただ建ってるだけです。

また、ここから徒歩数分の場所が小津安二郎の生誕の地でもあります。いわずとしれた巨匠、去年発表された「史上最高の映画100選」でもこの巨匠の手による「東京物語」が第四位でしたね。ってこのランキングは当然一位であるべき「七人の侍」が二十位だったり、そもそもオレとしては「東京物語」は小津作品の中ではさほど上位ではなかったりするので、その権威には私的に疑問もありますが、とにかく我が国の誇るべき巨匠であることは間違いないでしょう。

でもこの生家のあった場所には、ここが小津の生まれた場所ですよ、っていう看板が歩道橋のたもとに立ってるだけ。胸像があるわけでも出身地オリジナルグッズ屋が建ってるわけでもありません。

まるっきり関係ないですが大杉栄と伊藤野枝は亀戸三丁目に居住していた時期があります。

これは有名ですが浅沼稲次郎は区内の同潤会アパートに住んでおられた。

日本画家の伊東深水は森下出身で、「赤ひげ」で最初に死んじゃう六助役で知られる藤原釜足は区内の印刷屋さんのセガレで、奥さんの尻に敷かれてるダンナ役をやらせたら世界一の松竹・斎藤達雄は佐賀町の米の仲買人の息子です。

ついでながら麻原彰晃はオウム神仙の会を興す前にやはり区内大島に住んでたらしいです。単なるインチキ漢方薬屋だった時期の一時期だけらしいですが、そんなこともあってオウム真理教の設立にあたって、多少の土地勘のある江東区に登記状の本拠地を持ってきた、という説もある由です。

大杉栄や麻原はともかく、上記いずれについても生家跡に記念碑があるでもなく、江東区とのつながりに関する文献が豊富にあるわけでも無く、小津だけは申し訳程度な「ここらで小津が生まれたっぽいよ」ってだけな記載の看板がありますが、それっきりです。

あとはなんもない。皆無。

江東区は上記した以外にも、いろんな人やものごとの「ゆかりの地」だったりするのですが、どうもいずれについても扱いがよろしくない気がします。それでも数年前から区の施設でも「洲崎パラダイス・赤信号」を上映するようになりましたから、まぁマシにはなってきてるのかもしれませんが、いやぁ、まだまだ、ですね。

こういう事柄を大事にしたいと、文化は育ちませんですよ。

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facebookの友達申請が大量にきている。

今年になって、大袈裟でなく15分ごとにfacebookの「友達申請」が届きます。iPadの通知が申請で埋まっています。スクロールしてもしても「申請が届いています」がひたすら並びます。どんだけオレは人気者なんだろう。どなたも似た感じのプロフ写真で、また総じて機械翻訳丸出しっぽい釣り書きなのが気にかからないでも無いですが、そういうことは気にしちゃいけない。もうオレは怒った、こうなったら全員に「許可」出してやる、と意気込んだりしたりもしましたがとてもとても間に合いません。許可ボタン押してるそばから通知が届く。またFBからホントに許可していいの?ワシャ知らんよ?みたいなメッセージも届いたりしますが、オレにも意地というものがあるのです。忍の一字です。

そういえば十数年前、亀戸のコインパーキングに停めてた我が愛車のワイパーのところに、要約すると自分は20歳の女性だがカネが無いから自分の恥ずかしいビデオをいくらかで買ってくれ、という手書き(をコピーした)A4の紙が挟まっていたことがありました。義を見てせざる勇無き也ということで指示通りに手順を踏んだら、業務用のフタの茶色い、また信じられないほど軽量なVHSが3本ほど送られてきまして、再生したら砂の嵐。同封の手紙に、やっぱり最初は恥ずかしいからこれでカンベンせよ、次はガチで送る、とありましたので、素直に従ったらナシのつぶて、ということがありました。かくしてオレはまだ見ぬうら若き金欠の女性をひとり苦界から救ったというわけです。某NPOの方よりよっぽどマシな行いをした、と、

オレがそうこうしてるところで、昨年末に行きつけの焼肉店にいきましたらマスターいわく、こないだTさん(中学の同級生)きましたよ、熟女パブの女性5、6人連れて。たいそうおモテになるんだそうですよ、とのこと。ああ彼もまた苦界の女性のために尽力しておるのだなぁ、とオレはひとり彼を想ったのでした。

斯様な次第で、バーチャルの、実在するかどうか不明な皆さんらに気を取られつつ、昨年末はリアルな方の年賀状作成がとうとう叶いませんでした。ひとえに多忙に依るもので、要するにこちらの都合。慚愧に絶えません。面目ない限りです。来週「寒中見舞い」ハガキの印刷が上がってきます。

ということで今日はもそろそろ寝ます。おやすみなさい。

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実るほど‥‥‥。

「実るほど こうべを垂れる 稲穂かな」とか言いますがこれはホントです。都知事2期目くらいの頃だったと思うのですが、石原慎太郎の取材撮影に行ったことがありまして、Gパン&シャツ姿で指定の場所に入ったら、当人が先んじて立ち上がり、オレに一礼しましたよ。

「今日はよろしくお願いします(ママ)」

って。

約束の時間の5分前に行ったのですが、そのまた5分前にはもうおられました。もっとちゃんとしたカッコで行きゃよかったと思ったものです。別件収録の最中に飛び込みで入った案件だったのでね。30分弱くらいの収録でしたが、終わった時も「おつかれさまでした。ありがとう」と言われて見送られました。

なにしろ「実るほど……」なんだなぁ、と思うと同時に、巷の噂なんてものはアテにならんのだな、と思いました。痛切に。

でもって、昨年は撮影スタッフとして某区の区長のインタビューを撮りました。

13時からの約束でしたが、秘書だかなんだかの方に促されて区長室に入ったのは13時40分。

で、開口一番、

「 さ っ さ と 済 ま せ て く れ よ 」。

……まぁエラい違いだなぁ、と思ったですよ。痛切に。

こういうことは業界etcに限ったことじゃないのですね。どっかの田舎の蔵の中から「忠次旅日記」のフィルムが出てきて、フイルムセンターだかでの発見記念上映会の際、確か佐藤忠雄だと思うのですが、いち早く会場入りしたら既にパイプ椅子に座ってる先客がいて、誰かと思ったら萬屋錦之介だった、って話もあります。「蒲田行進曲」の銀ちゃんのモデルは錦之介っていうか東映全盛期のにおける錦之助だそうですが、そんな面もありつつ、自身の仕事に対しては殊勝であった、と。

まぁ、ナンですよ、オレもそうありたいと思います。

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あけましておめでとうございます。

ボーッとしてたんじゃバカになるばかりなので、おいそれとバカ化しないようにこの新年からなんか書いていこうと思います。「書いていこう」ってことは、継続していこう、という意味です。

尾張徳川家の家臣だった朝日文左衛門重章は17歳から44歳で亡くなる間際まで、約27年間という長きにわたって「鸚鵡籠中記」なる日記を書き続けておられた由。内容はやれどこそこで心中があったとか辻斬りの後始末がメンドいとか昨日見た芝居は役者がヘタだとかそういう些末事のオンパレードな感じですが、この際書き続けるってことが肝要であって、中身は二の次三の次なのであります。

朝日文左衛門は享保から元禄の人物で、時代的に当然ながらこの日記も端紙と筆で書かれておるわけで、キーボードで気安くDELETEしたりUNDOできる現代とはその労力も桁違いなはず。まぁちょっとは見習おう、と。

それにしてもこの「鸚鵡籠中記」というタイトル、これは朝日文左衛門自らの命名だそうですが、これはなかなかオツなものだと思う。カゴの中の鳥が安全地帯からピーチクパーチクやってるだけみたいなものですよ、その鳥もオウムだからひたすら又聞きばかりですよ、という。

タイトルで思い出しましたが大昔の伊藤大輔作品に「御誂次郎吉格子」ってのがあります。「おあつらえじろきちごうし」。呉服屋に着物注文するとコヨリで結んだ紙に包まれて納品されますが、その真ん中には必ず「御誂」とありますよね。この作品は観りゃわかるんですが金持ち&貧乏人、次郎吉&色女という様々な軸が、ああだこうだと、さながら格子柄のように交差します。だから当作品は「次郎吉格子」の「御誂」だってわけですね。タイトルのヒネり方のベクトルがいい感じです。中身は置いといて「いま、会いにいきます」とか「チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話」とかいうのより気が利いてますな。

関係ないですが主演の大河内伝次郎、壮年以降の作品では異様な存在感と貫禄をみせますが、これはオッサンになって身についたものではなく、若年だったこの作品当時には既に貫禄たっぷり。いろいろバグってる感があります。

あと「忠臣蔵」。「忠臣」のエピソードがさながら蔵の中のようにいっぱい詰まってるよ、という意味ですね。これは実際その通りで、そういう意味で、忠臣蔵映画作品は数多ありますが、どれも一種のオムニバス作品だと言えましょう。だいたい歌舞伎なんかだとこの蔵の中からひとつふたりエピソードを引っ張り出してきて、そこだけ演じる、というスタイルですよね。ちなみに歌舞伎座の3月は天川屋ナントカの場をやりますよ確か。

そういった事柄を諸々踏まえ、もう寝ます。

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子どもの頃ボクシングジムがあった。

物心つくかつかないかのホンの子どもだった頃、我が家の隣が三迫ジムでした。板張りで薄暗くて、なにしろ猛烈に汗臭いジムでした。あれほど汗臭い空間をオレは知りません。当時ボクシングジムとはそういうものだったんだろうと思います。
梁にやたらおっかない顔の肖像写真が飾ってあった記憶があるのですが、今思うともしかしてあれは野口進だったのかな、と。

当時の三迫ジムには輪島さんのほか門田新一、竹森三城といった選手がおられたと思います。
竹森選手はジム裏にハト小屋を作っておられて、夕方にひとりで世話をされてたのをよく見かけました。竹森選手については以前 https://www.c2-factory.com/wp/2004/12/03/post_10/ここでも書きましたっけ。
門田さんにはうちの父や母が選挙のたびに車で投票所まで送ってもらったりしたそうです。非常な紳士でらっしゃった、とのことです。
輪島さんは、なにしろ面白いというか、ユニークな感じだったそうです。かくいう私もそばで遊んでたら練習中の輪島さんに窓越しに“ぼうやちょっとおいで”ってな感じで手招きで声を掛けられ、寄って行ったらうがいの水を頭からかけられたことがあります。爆笑しておられたのをいまだに覚えてます。

小学校中学年くらいの時にジムは移転してしまったのですが・・・あれからもう50年近く経つんだな。懐かしいです。尊敬する人は?と聞かれたら私は必ず「輪島功一」と「渡嘉敷勝男」と答えています。

ちなみに当時の三迫ジムの建物はほぼそのまま今でも残っています。ジムが移転した後、確か葬儀屋さんになり、福祉事務所になり、いまではなんと旅館になっています。売り返しますが建物はほぼジムだったときのまま。リングのあったところがフロントになってんのかな、と思います。江東区塩浜です。

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シティポップが流行ってるらしい。

今日出先で聞いてきたのですが、なんか昨今こと若者の皆さんにおかれましては80年台のいわゆるシティポップが流行ってるんだとか。
楽曲に普遍性を備えさせるのはひとえにアレンジの力だと山下達郎大先生が昔仰ってた(と思うの)ですが、確かにこの頃のこのジャンルはなにしろアレンジが素晴らしい。40年近く経った今になってまた流行るってのがその証拠です。
オレのようなオッサンの心中にはこの辺の楽曲を聴くとまず「懐かしさ」が沸いてしまいますが、これは純粋な鑑賞においては邪魔な要素です。
若さを羨ましいと思ったことは今までただの一度もないですが、これらの佳曲をいまこの時代に「初聴」できる若者に対しては例外的にそう思います。ああ羨ましい。オレはもうあの初聴時の感動を味わうことはできません。

1990年代の後半頃だと思うのですが、最新のハードウエアを駆使しての電子音系の音が横溢しておりましたヒットチャートの界隈におきまして、いきなり70年代のフォーク村から出てきたような「ゆず」が現れ席巻したりしたように、本質的なヒットソングおよびその制作者というものは必ず聴衆の主体性に依って生まれるのであります。ここは信じてよいポイントです。良いものはいついかなるときも「良い」のであって、なんだかんだ言って良いものは日の目を見るパーセンテージが高い。聴衆はそれほどアホなもんでもありません。本末転倒なマーケティングに依って計算されたものよりもアベレージは実は高いんじゃなかろうか。

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謹賀新年。

力士の四股には、「醜」を踏み潰すという意味があるそうです。そして土俵に撒く塩はいわゆる浄めの塩。
ここ数年の我が国には、踏み潰し、また清めなければならない事どもが横溢しております。

今年は美しく清らかな年にしたいものです。本年もどうか宜しくお願い致します。

株式会社C&Cファクトリー
代表取締役 安藤和明

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成人の日。

オレ自身は成人式には行きませんでした。記憶は定かではありませんが確か未明までサタデーナイトショーとオールナイトフジを観てたせいで寝坊した次第です。

起床は昼過ぎでした。当時外廊下に面していたオレの寝室の窓をカツカツと叩く音が聞こえまして、それで起床。
ノソノソ起きて窓を開けたら、スーツ姿の中学時代の友人Oくんがおりました。

成人式帰りかと思ったらさにあらずで、聞くと行ったけど会場がいっぱいで入れてもらえなかったんだ、と。
締め出されたけど行くアテもなく、仕方ないからオレん家に来た、ってわけです。
ティアラこうとうがいっぱいになる程新成人がいたんですねぇ当時は。昨今では役所の担当部署が人集めに腐心してる由。少子化なんだなぁ、と実感します。

明日っていうか今日は成人の日。なんやかやで成人式は江東区では行われないみたいです。振袖などを揃えてこの日を心待ちにしてた方も多かったでしょうに。なにより親御さんの落胆を想います。

まぁ振袖着る機会はまたありますよ。年末に観たテレビ東京「年忘れ日本の歌」では、こまどり姉妹のお二人が振袖来て歌ってましたよ。御年82歳かな。結構な絵面ではありましたが、いつなんどきも着たらアカンってな法は無いのです。

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あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。今年も変わらぬご愛顧の程どうか宜しくお願い致します。

あれはサラリーマン時代、それもペーペーの新人の頃ですからもう20有余年も前になりますか、いきなりある屋外イベントの進行&収録を振られたことがありました。

その年は梅雨明け宣言は出たものの連日雨、それも驟雨続きで、事前段取りも思うようにいかず、苛々は募るばかり。焦燥でホトホト疲れ切ったものです。
屋外イベントですのでケーブルは雨が止むまで引けないし、舞台音声はどうするんだ、出演者は屋根のあるとこに待機させなきゃ、だとかなんとか、やらなきゃならんこと・決めなきゃいけないことはいっぱいあるのに、なにもかも雨でストップしてまってしまってどうにもならん、という。

その日も雨でなにも出来ず、仕方ないのでスタジオの中でボーッとしておりました。
スタジオの中にはやはりなんにも出来ずにボケッとスタジオモニターに映るサッカー中継など眺めてる先輩方。
雨、いつ止みますかねぇ、などと取り留めもなく話しかけましたら、その先輩、

ま ぁ 、 今 ま で 止 ま な か っ た 雨 は 無 い な 。

ああそうか、止まない雨は無いんだな。
この雨もいつかは止むんだ。
止んだらまた歩き出せばいいんだ。

……と、状況は何も変わってないのにも関わらず、なぜだかこの先輩の言葉に救われた気がして、スッと気持ちが楽になったのを覚えています。

たちかえって今般の我が国は正に長雨のさなかです。

タチが悪いのは、いまひとつ止む時期が見通せない、というところ。

でも、止まない雨はありません。この雨もいつかは止むのです。
止んだらまた歩き出しましょう。

上記した「屋外イベントの進行&収録」云々の話は丸々作り話で、新人時代どころか令和三年元日の段階でそんな案件をやったことはただの一度もありませんし、あらゆる「先輩」にこんなことを言われたことも一切無いし、そもそも雨でなんにもできないならトットと帰るに決まってるわけで、とにかく全部ウソ話なのですが、とりあえず「止まない雨は無い」ってのは真だと思います。

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スーパーカブを購入。

12月頭に新車のスーパーカブが弊社にやってきます。ってもう12月だからまもなく納車。小澤さんありがとう。助かりました。

  こないだ代金の支払いと各種書類の提出に行ってきました。その時にも聞いたのですが、我が初代カブ号と比すると最新機は想像を超える進化を遂げておる由。
まず、今のバイクには「キャブレター」が無いんだそうで。4輪だとこれはもうとっくに無く、燃料供給に関しては全て電子制御だとは聞いてましたが、原付の、それもカブでさえそうなんですね。これは結構ガチで驚きました。
もう灯油だかガソリンだかでキャブ掃除しなくてもいいんだな。でも不調の時はもう自分でイジれないってことですね。

  あと、エンジンの起動がセルだった。これについては考えたら今までセルモーターでエンジン起動させるバイクに乗ったことが無いのでちょっと不安だったりします。今までのバイクは全てキック起動でした。でも聞いたらキック起動も可能だそうで、まぁ良かった。

  あと「慣らし運転」が500kmだったか1000kmだったか忘れたのでバイク屋のオッチャンに聞いたら、今はことさらそこに頓着する必要は無いんですってね。オレの記憶だと1000kmだか500kmだかまでは○回転以上エンジンを廻しちゃいけないとかそういうのがあったですが、今はそういう感じじゃ無いっぽい。
まぁ最初のうちはおとなしく乗った方がいいですよとか言われましたが、そもそものところで荒っぽく運転するつもりも無いんでね。モノがカブですからなにしろ。
確かに4輪を買ったときにミツビシのアンちゃんに同じ質問したら、なにアナクロなこと言ってんだこのオッサンみたいな顔をされて、今どきは新車でも工場出荷時にテストでガンガン廻すので慣らしとか意味無いっスよ!とそういえば言われたですが、でも50ccだから必要なのかな、と思ったのですよ。我が国の工業製品における工作精度の高さに瞠目する次第です。

  あとあと、オイル交換の時に都度ボルト&ワッシャーを交換する必要が無いんだと。
ええホントに?と思うのですが、バイク屋さんが言うんだからそうなんでしょうね。
そういえば数年前に純正のボルトetcを求めてバイク屋さんを数軒廻ったとき、その全てで「在庫なし・取り寄せ」だって言われて、メンドくさくなってオイル交換自体を止めた、ってことがありました。つまり、そういちいち換えるものじゃないってことですね。だからお店もさほど在庫しない、と。

  あとこれが一番ビックリだったのですが、我が初代カブはガチの実測で90km/リットルくらい走るのですが、この程の新車は「いやぁ、もうちょっと走りますよ」とのこと。
なんだその低燃費。これはホントなのでしょうか。

  しかし、初代のカブね。これはざっくり20年ほど前に購入したもので、サラリーマンを辞めた当時は唯一の足として、ヘタしたら収録にもこれで行ったりしたものです。それだけの愛着のあるものです。これともお別れなんだな、と思うとちょっと淋しい感じもあります。
でもまぁ結構乗ったからな。距離そのものは1万kmとちょっとですが、それは単なる数値以上に濃密なものでした。結果フロントフォークはよれ、フロントブレーキは効いたり効かなかったりし、エンジンオイルはそこかしこで漏れ、ヘッドライトは点灯したりしなかったり、と、ありていに言って満身創痍。ここで御役御免というのが良いタイミングかな、とも思う次第です。

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