北杜夫が亡くなった件。

太宰や芥川、漱石、そして北杜夫や遠藤周作や吉行淳之介やいわゆる「第三の新人」の方々は、若き日のオレにとっていわばアイドルで、やみくもに・手当たり次第にその著作を買い捲った りしたものです。丁度嵐やAKBファンにとってのCDやグッズetcと同じ感じです。

でも、例えばAKBのファン(の一部)のように、それを買うこと自体が目的化してたりしたわけではなく、どれもガッツリ、しかも複数回読みまくり・味わいまくりでした。いわゆる「積ん読」は一切ありません。「青春記」なんかはもう何度読み返したかわかりません。

 

時にちょっとどうかと思えるような下ネタや罵詈雑言の類も見られる氏の作品ですが、どれも決して野卑に堕ちることなく、必ず一本筋の通った清廉さがありました。


の理由として氏の育ちの良さを挙げたりする方もいますが、濫読していたオレとしては決してそればかりではなく、やはり多くは氏の技巧に拠るものだったかと
思えます。後天的な研鑽によって得た技巧。そういう事柄も含め、実は非常に「大人」な文章をモノする作家だったと思う。で、パッと見そう思わせないのがス
ゴいところでしてね。

例えば、「幽霊」、「木精」、「航海記」、「青春記」、「医局記」、そして「酔族館」シリーズ、そして「回想記」という順で読み進めてみたりすると、そのあたりの変遷も朧に見えてきます。サンザン読みまくったオレが言うんだから間違いない。

でもって同時に、その順で読み進めた上で改めて「楡家の人びと」を読むと、氏の生きた世界が興味深く見えてきます。

 

もう20年くらい前には既に「オレはもう死ぬ、もうダメだ」とか事有るごとに仰ってた氏ですが、死ぬ死ぬ言いながらなかなか死なない・どころかなんだか妙に元気、というネタだと信じてました。

かなり最近まではその通りだったと思うのですが。

 

とにかく、オッサンになる前に氏の著作に触れることが出来て幸運でした。

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