2014年2月

五輪について。

特にフィギュアみたいな採点競技においては・・・いや他全ての競技においても、とにかくメダルを期待したり、それに重圧を感じたりっていうのは、五輪にお
いては全く持ってバカバカしい、ほぼ無意味な所業です。五輪の審判なんかしたり顔してるだけのワケワカランやつがやってんだから、
そんなやつの採点なんかなんの意味も無いのです。過度な期待がダメだってんじゃないです。「期待」そのものが有る意味罪なんじゃないかと思うのです。

昔ボクシング競技で韓国の辺丁一選手がオレでもわかるバカ丸出しの判定でもってメダルを逸し、その結果を不服としてジャッジをブン殴って乱闘に
なったことがありました。、クドいようですがこういう事案というのはボクシング競技に限ったことでは無く、要するに夏だろうが冬だろうが、ロス大会以降の五
輪というのはもはや単なるイベントであって、純粋なスポーツ競技会では無いのです。盛り上がればなんでもアリなんです=より盛り上がるヤツがそれとなく勝
つんです往々にして。
「純粋なスポーツ競技会」だったらあんな判定やらかしたジャッジは永久追放モンです。ただそもそもこの時のジャッジはボクシング畑の人じゃ無かった(!)わけなので、永久追放されても痛くもカユくも無いんですよね。これがオカシな話じゃなくてなんなんだ、というね。
(なお、これまたクドいようですが、だからって審判をブン殴って良いってことじゃないです念の為。)

逆に言うと事程左様な国際的な一大イベントであるのは事実なので、それが純粋なスポーツ競技会で無い以上、やれ国策であるとか、実力者のフトコロであると
か、「純粋なスポーツ競技会」だった場合には余分なものである事柄がより重視されるのもこれまた必然で、そういう意味で浅田さんとか高梨さんなんかは、こ
れはもう被害者、当人及び周辺の方々にしてみりゃいいメイワクだろうと思う次第です。意識してるかどうかはともかく。

またまた逆に言うと、「純粋なスポーツ競技会」であった場合には余分である事柄、上記で言うとフトコロ云々はともかく、一例として、まず国策としての有用
性ってのは厳然とあるわけです。いろんな事情でもって、デカいイベントを一発ブチ上げたい国ってのはあるわけですね。近しい国でいうと、80年代のソウ
ル、ミレニアム以降の北京にはそういう「需要」があったってわけですね。

じゃあ、2020年に、東京でその大イベントをやる必然性ってのはどうなのか、ね。
少なくとも具体的な根拠は見当たらないですね。どっちかっていうとやったほうがマシになる気がする、みたいな、極めて抽象的な根拠しかオレには見えない。
要するに2020年東京五輪ってのは、これはある意味バクチなんですね。やったほうがマシになる気がするけど、やんなきゃよかった、ってな結果になるかもしれない。ツボを開けてみないと丁半はわからんのです。
1964年の東京五輪にはかなり具体的なメリットやメソッドが想定されてたはずですが、今度のはよりギャンブル性が高いように思うんですね。

今さらなようですが、イベントだからダメだって言ってんじゃないですよ。デカいイベントってのは心躍るものです。心躍って悪いことはあんまり無いですよ。
だから、2020年は盛大にブチ上げて欲しいと思う次第です。やることになった以上オレとしては「成功」に張りたいと思う。
でも、だからって、たかがイベントごとで、選手やチームをゲヒンな持ち上げ方したりそうかと思えば落としたりなどして弄んじゃいけません。

またまた「インターネット」について。

「ネット人格」「メール人格」なる言葉がありますが、確かにインターぶネット上で伺える人となりとリアルでのそれが異なる、というのはよくあることです。
その傾向は、当然ながらことSNSにおいてより強くみられるかと思うのですが、もっというと、「まるっきり逆な人」と「完全に同じな人」とに分かれる気がします。いわゆる二極化ですね。こんなところまでデジタルなわけですね。
世界は一家、人類はみな兄弟、SAVE THE EARTH!などと笹川某みたいなことを頻繁に書いてる人が、近しい人に聞いてみるとカネ払いは悪いは時間にルーズだわ、実は存外ロクデナシだった、なんてことも良くあるようです。誰ってわけじゃないですけども。
同様に、上記のような笹川的な事を頻繁に書いてて、実際その通りな人もおられます。
逆もまたしかりで、ロクデナシ丸出しなことばかり書かれてながら、その実像は高潔だったり。なにしろネット上での印象はアテになりません。

考えてみると、このことは対人に限ったことではなくて、ネットでの事柄は全てそうなんですよね。決してネットで盛んに言われてることが必ずしもそのまま「世論」では無い。まるっきり逆か、完全に同じか、どっちかです。

対応策としては、あったりまえですがネット上での事柄を盲信しない事ですね。妙な固定観念を持つべからず、です。実際のところはこの目で見なきゃわからんのだよ、と、取り急ぎ心しておくことが大事ですね。

ただ、これは存外難しいのですね。いい大人でもこのあたりが上手いことさばけなくてエラい目に遭ってる方が多い由。
いわんや子どもをや、です。ずいぶん昔ですが佐世保の方で女子小学生が同級生のクビをナイフだかでかっ切って殺しちゃった事件がありましたが、あれもそう
いやネット上でのトラブルが元だったはず。リアルでの人間関係構築能力も拙いようなレベルの子どもが、ネットでの取捨選択など出来ようはずもないのであり
ますよ。そういう意味で被害者も加害者も非常に不幸だな、と。
(関係無いですがこの件の舞台になったサイトは、この後程なく閉鎖されました。いつのまにか無くなった、という感じでした。逃げやがった、と言っても良いですね。)

佐世保の事件は、もう10年以上前のことだと思いますが、昨今コンビニの冷蔵庫に入ったりしてヒドい目にあってる面々は、もしかしたらこの被害者・加害者と同世代かもしれないなぁそういや。
なにしろ「インターネット」というのは言っちゃえば単なるツール=道具でしかないはずなのですが、単なる道具ごときで一喜一憂し、ましてや人生棒に振ったりするのはバカらしいです。
バカらしいことはしないが吉です。気を付けたいと思う次第です