遠い遠い昔。

先崎学のエッセイに、なんか重いものを持ち上げた時に思わず「よっこいしょーいち!」と言ってしまって、周囲の若者にポカンとされた、という話がありました。
呆れられたりムッとされたりではなく、なぜ「ポカンとされた」かについて、著者は、彼らが若者であるが故に「横井庄一」を知らないのだ、というところに思い至るのですが、そういや先日小野田寛郎さんの逝去の報も、オレとしては思いのほか扱いが小さいなぁ、と思ったものです。

昭和も遠くなりにけり、時は常に流れ時代は変わるのだ、と改めて思うわけですが、同時に、その時代におけるメインストリームとされる世代が若年化している感じもあります。その時代の中心中核を為す世代というものが、だんだん若くなってる、そんな気がします。
例えば、我が国のありとあらゆるメディアは、20年ほど前と比べてそのターゲットが10歳は若くなってる感じがあります。確かに小野田さんに関する諸々は「昔のこと」ではありますが、それにしてもちょっと扱いが小さすぎやしませんか、と思う。

江戸時代、オトコはみんな前頭部を剃ってチョンマゲ結ってたわけですが、オレが思うにあれはハゲに合わせてるんだよな、と思う次第です。ハゲてない成人男子はみんなハゲてるオッサンに合わせろ、と。

同様に女性も・・・和服着るときって、正式名称は知らないですがなんかタオルとかをお腹部分にグルグル巻きますよね。そうしないと和服ってのはカッコよ
く着こなせないようになってるんですね。これも言ってしまえば中年太りの状態を人工的に作ってるわけで、要するに成人女性はオバさん体型に合わせろ、と
いうことに他ならないんじゃないか、と。

事程左様に、江戸時代までさかのぼるまでもなく、昔は主体がオッサン・オバチャンだったんですよね。
でも、今は間違いなく「若者」です。
FBや、各ポータルサイトの広告などを見ても、オッサンオバチャンに対する、いかに若さを保つか、といった主題のものがやたら目につきます。
まるでオッサンオバチャンであることが恥で悪ででもあるかのように。

私的には、若者であるということには、80%くらい「無知なバカ」であるという意味が含まれてると思うので、こういう様相はオッチャンオバチャン、引いては当の若者のみなさんにとってもあんましトクなことでは無いと思う次第です。

まぁなんのかんの言っても小野田さんに関する諸々が「遠い遠い昔」のことであるのはその通りなんですけどね。小野田さんも、津田信も、関係者のほとんどがもう彼岸の人です。