黒澤映画音楽についてちょっとだけ。

黒澤の「赤ひげ」において、佐藤勝はハイドンやらブラームスやらから盛大にパクりまくった、などという不埒不遜な見解に対して、今オレは大いに憤っております。
ただまぁ事情を知らなかったらそう考えてしまうのも宜なるかなで、要するに「赤ひげ」内の、例えばメインテーマは完全にブラームスの交響曲(何番だかは忘れた)だし、長坊が出てくるテーマはハイドンの「驚愕」(正式名称は知らない)にクリソツです。それはまぁ事実そうなんで、そこのところには抗いません。
でもね、と。
 
有名な話ですが、黒澤は作曲家に発注?する際、例えば「ベートーベンの第○みたいな曲を」というようなことを言ってきたそうで、さらに確かこの「赤ひげ」のときは、実際にベートーベンの第九だかに合わせて編集した映像素材をみせて、こういう風にしたいんでよろしく、と言い放ったとか。
初めてこのエピソードを知った際、オレは引いた。引きました。ドン引きでしたね。逆の立場だったら顔面蒼白茫然自失、恐らく怒りも忘れて忘我の境地、です。
少しでも、単なる収録物ではない「映像編集」をやったことのある方なら、これがどんだけムチャな要望かおわかりになると思う。音楽の旋律・小節に映像を合わせてつないで、それでバッチリだってんなら、もうその曲を使ってもらわなきゃどうにもなりません。ちなみに武満徹は「乱」だかでやはりこれをやられて、「オマエとは金輪際仕事しないぜ!」となった由。そりゃそうでしょう。さすがにやってられませんこれはね。
 
で、こんな想像を絶するムチャ振りに対して、よくもまぁ佐藤勝はこんな名曲をモノしたもんだなぁ、と感嘆する次第です。スゴすぎます。
そして、作ってる立場のことも考えずに、安易にパクっただナンだというヤツに憤るのです。
 
 
ということで、明日はいよいよ納品です。

太宰(フォロー編)

昨日は編集の修正したり打ち合わせに行ったりして疲労困憊しており、またとにかく眠かったので、その勢い?にまかせて太宰について、やれ中二病だ、恥ずかしくって読めたもんじゃない、などと思わずボロクソ書いてしまいましたが、その後12時間近く寝てさらにユンケルもキメて復活した今になって振り返るに、それはさすがに少々書き過ぎであった、筆が滑ったにもホドがある、ということで目下少々反省しておりまして、といってオレは太宰にはこんなことする縁もゆかりもないですが、ここでちょっとだけフォローしておきたいと思います。
 
恥ずかしくって読めたもんじゃない、とまで書いておいてナンですが、太宰は面白いです。
 
伝記などをひもとくに太宰は非常に「座持ち」のする人だった由。
中学1年のとき、産休の代理で来た国語の先生が、おしゃべりな人の文章というのはとにかく1文が長い。漱石なんかは寡黙な人だったそうで、確かに一文がバシバシと切られて短い、野坂昭如はテレビであんな感じである通り作品も冗長でダラダラ長い、なんてな話をしてくれました。
今思えば12、3歳のガキによくそんな話をしたもんだと思うのですが、とにかく当時のオレはいたく納得したものです。
 
その伝でいうと、太宰の諸作品は、やたらめったら一文が長い。文庫本見開き2ページにおいて「。」がひとつだけ、なんてこともままあります。要するにやたらめったらよくしゃべるオッサンだったんだろうと思う次第です。
で、これは疑う余地もなく、太宰は猛烈な遊び人だった由。要するに「よくしゃべる座持ちの良い遊び人」だったというわけですが、そういう人の話や書いたものがつまらないわけが無いのでありますよ。
 
でもって、そこはやはり「走れメロス」を書いた人なわけで、ベラボーな物語創造能力のある人でもあった、という。
そういう能力を持つ人が、生涯ほぼ全身全霊を賭して、「座持ち」=見聞きするひとを飽きさせずに面白がらせる、ということに腐心しまくってたわけですから、そりゃ名作が産まれますわ。
 
「晩年(関係無いですが処女作品集にこんなタイトルを付けちゃうところがいかにも中二っぽくてイイ)」から「グッド・バイ」までを並べてみると、ある面においては、「座持ち」能力の変遷記録、という見方もできるんですね。当然ながらそれはさながらメロラップのごとくガンガン・ズンズン・グイグイ上昇しておりまして、「グッド・バイ」などは、未完ながらこれはもう大傑作ですよ。太宰の「座持ち」力の頂点ですね。未読の方は一度読んでみたらおわかりになると思います。
しかし残念ながら、恐らくはいつものように「カフェ」の「女給」を、オレはもうダメだ、一緒に死んでくれ、とか言って口説いたら、いつもなら「大人の対応」されるところ何故か本気にされてしまい、行きがかり上心中しなきゃなんなくなってしまって、結果未完となってしまったわけで、非常にもったいない話だなぁ、と思う次第です。
 
 
ということで、現在第11校目となる編集修正指示の待機中です。

太宰。

高校時代あれほどハマり、そのあまり自分だけで収められず、当時隣の席だった舎人のガソリン屋のムスコ氏にまで波及させた我が太宰熱でしたが、あれからン十年、改めて諸作品を読むと・・・いや、読めないのですね。気恥ずかしくて読了できない。
奥野健男は、初老の域に達してなお、太宰は人間失格を書くために小説家になったと言っても過言じゃない、みたいなことを堂々と書いておられましたが、当時の氏よりはるか若年、未だ中年域の段階であるオレは最早そんな感想を抱くはるか以前のレベルで、独特の文体もハナについて仕方なくなってしまいました。
要するに「行き過ぎた露悪趣味」という感じでしか捉えられないでおります。読んでるこっちが恥ずかしくなる、という感じのが多いです。「晩年」なんかその最たるもので、これは要するに重症の中二病患者の手になるものですよ。そうじゃなかったらこれはなんだ、という。まだ「畜犬談」なんかはいい感じに枯れてて良いのですが、初期作品はムリ、無理ね。
良く言えばうまいこと中二病から脱却できたとも言えますが、悪くいやぁ感性が老化し鈍麻してしまった、ということかもしれません
でもって一番よくないのは、この件に関しては自分自身恐らく後者だと思うのですが、それでも別にヘイチャラでいられる、というところですね。実にタチの悪いオッサンです我ながら。当時こういうオッサンにだけはなるまいと思ってたはずなんですが、ものの見事に「太宰を鬱陶しがる忌まわしいオヤジ」になってしまいました。いやはや。
U田くん、申し訳ないね。当時さんざん勧めておいてこれだよ、という。
 
ただ、「津軽」だけは別ね。太宰の代表作品は?なんて問いに対して、(奥野氏も含め)たいていの人は「人間失格」を挙げ、ちょっとスノッブなヤローは「晩年」を推し、普遍的なその文学性云々ってことで「走れメロス」をピックアップする人も多くおられますが、いいオッサンになったオレとしては、「津軽」が最高傑作である、となんの疑問も猶予もなく思うのです。
 
ちなみに、当時愛読していて、今再読しても変わらず面白いものにはどんなのがあるか。
これがですね、自分でも少々意外なのですが、太宰以外は大抵変わらず堪能できるのですね。
とはいうものの堪能の仕方に多少のズレはあります。例えば丸谷才一の「男のポケット」なんかは往時も面白く読んだもののちょっとシブ過ぎ地味すぎかなとか思ってたのですが、今としてはシブ過ぎず地味すぎずイイ感じです。吉行淳之介の諸作品などはぶっちゃけ当時読み取れなかったところなんかもどうにかこうにか理解できるようになった、という明確な自覚があります。
ただ吉行作品に関しては、まだ読み切れてない感じがあります。してみると今のオレは、太宰を堪能するにはオッサン過ぎ、吉行作品を愉しむには青二才過ぎる、という、非常にダメなところにいるらしい。
 
で、繰り返しになりますが、なにしろ一番ダメダメなのは、別にそれでもヘイチャラである、というところですね。吉行作品の掘り出し物なんかが転がってたりしないか、とAmazon内をサーフィンしていながら、「応募即撮りH系さな写真集」なんてのがフト出てくるとほぼ無意識にとりあえずクリックし、なんだこのブ○○クな女は、クリックに所要した時間を返せ、などとブツブツ一人で毒づいているオレがいます。
  
そういうわけで、kindle生活もまぁ順調な今日この頃です。

ポール・マッカートニー!

ここ数日遊んだり仕事したりその他いろいろしてる間に、世の中にもまたいろいろあったようで、なによりポール・マッカートニーがまたまたまた来日公演することになった由。こないだ来たばっかしじゃんか、と思うのですが、まぁ当方としては何度来てもらっても構いません。
 
昔はともかく、今は熱意も知識量としても、堂々と「ポールのファンです」と胸張って言えるような状況に無いオレなのでメッタなことは言うべきじゃないとは
思うのですが、それでも書いてしまうと、ここんとこポール及びその取り巻きは、ずいぶん変わったなぁ、と思う次第です。大げさに言うと「変質」した感じが
あります。
聞くところによると、なんか日本の週刊誌かなんかの取材で、あの、ポロシャツの胸ポケットだかに大麻を入れたまま成田の税関を抜けようとして捕まって拘置
所にブチ込まれた際の話なんかをペラペラ喋ったりしてる由。そんな質問をするやつ(湯川れい子だった気がする)もするやつですが、ペラペラ答えるポールも
ポールで、やれ看守にサイン求められただとか、同房のクリカラモンモンのヤクザと妙に気が合ったとか、そういうことを喋る人じゃなかったような気がするのです。ヘンクツなイメージがあったわけじゃ無いのですが、こういう質問に対してはなにより周囲がピリピリしてたんじゃなかったかな、というね。
人間、功成り名をあげ、且つトシをとると、昔の事柄なんぞどうでも良くなるんですねきっと。
 
ところで地球上の人類は、まぁ中には極めて例外的に「どっちも好き」とか「どちらも別に」なんていうよくわからない価値観の人がいたりもしますが、基本的にポール派とジョン派に大別出来ます。ホモ・サピエンスは必ずこのどちらかに属します。
で、ANNなんかを聴くに例えば坂崎@アルフィーや拓郎はジョン派だそうで、いわく「若い時は、なんとなくポールの商業主義的な感じがなじめなくてなァ」
とのこと。事程左様にどっちかっていうとジョンにシンパシーを感じる、という方がやや多数派な気がします。なんとなくですが。

しかし、オレは正にそのポールの商業主義的な部分、もっと言うと、その他に類を見ない「臆面の無さ」をこよなく愛します。
前回の来日時のライブ、オレの記憶に間違いが無ければ、セットリスト1曲目が「Eight Days A Week」だったはず。こういう曲を一発目に持ってきちゃうところがいかにもポールらしくてオレは大好きなのです。
 
20年くらい前に「ヤァ!ブロード・ストリート」なる映画がありましたが、これはもうスゴい映画でした。ポールの脚本・主演作なのですが、簡単に言うと、
竹馬の友(=リンゴ・スター)がなんか殺人だかの事件の犯人として捕まってしまい、世論もリンゴに否定的なところで、ポール扮する主人公が「世界の誰もが
疑ってもボクだけはリンゴを信じる!」とかいって苦心の末に真犯人を見つけ出し、最後はメデタシメデタシ、という、まぁはっきり言ってバカバカしさもここ
に極まるロクでも無い映画で、興行成績も惨憺たる有様だった由なのですが、オレはこういう脚本を臆面も無く書いて、しかも自身が主役で制作してしまうポー
ルの図々しさに惚れましたね。ポールはそうでなくっちゃいけない、と。
 
むしろビートルズ時代から、ポールのスゴさは、こういう臆面も無いド正面からの曲を数多作っていながら、それが全て陳腐に落ちないところだと思うのです。
音楽に限らず、普通はこういう図々しいスタンスでモノ作りすると陳腐でみちゃいらんない出来になっちゃうものだと思うのですが、ポールの場合少なくとも音
楽というジャンルにおいては決してそうならない。上記の「ブロード・ストリート」も、映画作品としてはロクなもんじゃないですが、サントラ盤は不思議なく
らい素晴らしいものでした。どっちも同じスタンスで作られてるはずなのですが。
 
その他にも、マイケル・ジャクソンが「スリラー」でブレイクしたと思ったらすぐ声を掛けて「セイ・セイ・セイ」etcを「共同制作」し”ぼくらの友情の証
しさ!”なんてな発言をしてみたり、若い頃からさんざんハッパやらLSDやらをやりまくっておきながら、いつのまにか「麻薬撲滅キャンペーン」などを主宰してみ
たり、どころかベジタリアンになっちゃったりするポールが大好きです。
今回の来日ライブも、もしかしたら1曲目が「イエスタディ」だったりするんじゃないかと期待している次第です。
 
なんでこういうことをこんな夜中に書いてるかというと、今回の来日に対して、さすが親日家のポール!なんてことを書いてる方を散見したからです。
なんにもわかってないなァ。ポールはヨーコが生まれた国であり、元ビートルズメンバーである自分をムショにブチこんだりしたこの日本国なんか大嫌いなはずですよ。
でもきっとライブでは、臆面も無く図々しく堂々と、ハロー!親愛なるニホンのミナサン!ボクは愛するニホンに来れてベリーハッピーだよ!などと叫ぶに違いなく、そんなポールを観てオレはきっとウレシ涙をこぼすのです。