食に関して。

新卒で入った会社で、ある時オンライン編集(!)のアシスタント(?)に当ったことがあります。

3日間に渡って行われたのですが、昼メシの弁当発注という重要業務がオレの担当でした。

で、初日に頼んだKAKIEMONの「和風ハンバーグ御膳」がメチャクチャ美味かったので、翌日も翌々日も同じのを頼んだら、ディレクターの先輩にそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒られまくったのでした。

「なんで同じもの食わすんだ!!!」と。

なんでって、美味かったからに決まってんじゃんか、と内心思ってたのですが、3日間同じ昼メシを食わされるのは一般的には不快なことなんだな、ということをオレはそこで学んだ次第です。

それから約10年後、某CATV局の番組で、江戸三大祭本祭生中継のチーフになった際、後輩の若者に昼メシの弁当発注という重要業務を担当させたことがあります。

やはり3日間に渡るロングランだったのですが、初日の「ビビンバ・カルビ弁当」が猛烈に美味かったのでその旨を伝えたにもかかわらず、2日目が違う弁当だったので、オレはそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒りまくったのでした。

「なんで違うもの食わすんだ!!!」と。

……と、ここまでは以前にも書いたと思います。っていうかこれはオレのいわば持ちネタとしてあちこちで喋ってるのですが、こないだフト思い立って調べたら、KAKIEMONってもう無いのですね。90年代中頃までは「高級宅配弁当のリーディングカンパニー」だったらしいですが、なんかもうとっくに無いんだとか。

もうちょっと粘ってりゃコロナ禍の折ニーズもあったろうになぁと思いますが、なにしろあの和風ハンバーグ御膳を味わう機会は永遠に失われたわけです。

で、こりゃタイヘンってことで、改めてかつて某肉店で毎度毎度買ってたビビンバ・カルビ弁当を調べたら、店はあったけどもうメニューに無かった。「月日は百代の過客にして」ですね。もうあの死ぬほど脂っこい弁当を口にすることは叶わなくなった、と。

月日は百代の過客にして、と書きましたが、行き交ふ年もまた旅人なり、つまり、往々にしてまた別のナニゴトかと行き交ったりもするものです。

もはやオレがなにも言わなくてもほぼ自動的に替え玉してくれ、また辛子高菜漬をどれだけ入れても文句を言われない、あの某店のニンニクトンコツラーメンさえあれば、今はなにもいうことはありません。おとなしくしてればナニゴトかと行き交えるものですね。ちなみにこれは代々木ってか千駄ヶ谷にあるお店ですが、かれこれ20年、ここではニンニクトンコツラーメン以外食ったことがありません。

ところでここ数日、夕刻から夜半になるとなんだか頭に疼痛、ややめまいなどがあります。なにを隠そういまもそうです。

風邪かなぁなどど思ってましたが、もしかしたらこれは、先だってに購入しバリバリ使用している火鉢による軽い一酸化炭素中毒なのではなかろうか。

換気は大切です。

食材。

昭和の御代と比べるとスーパーの品揃えは格段に良くなったように思います。かつて明太子やキムチは半ば珍味の範疇だったし、キウイなどは「南国の希少果物」だったと思う。

ゴーヤーなんかが普通に買えるようになったのはここ10年くらいなんじゃないですか。初めての訪沖は94年の2月でしたが、オレはそこで地元のスーパーに行くまでこの野菜の存在を知りませんでした。今じゃ一年中買えますけども。ちなみに「ゴーヤ」表記をよく見ますが、正確には「ゴーヤー」、ゴーヤチャンプルは「ゴーヤーチャンプルー」が正しい。

なにしろ事程左様に、購入可能な食材はグンと増えました。豊富な選択肢の、その恩恵を受けて我々は日々暮らしておるわけですが、中には見かけなくなったものも多いですね。

最たるものはナマコ。海鼠ですね。

なにを隠そうオレはナマコファン、海鼠愛好家なのですが、ここんとこトンと見かけません。昔はちょっと大きめのスーパーならどこでもあの雑巾を丸めたような塊りの個体を見かけたものです。

なんでナマコが払底してるのか。ありゃ思うに購入してから食えるようにするまでの過程がやたらメンドくさい&時間がかかるからですね。ハラワタを取り除いて水だか塩水だかで晒して、その後ヌルヌルの個体を押さえつけつつブツ切りにして、ポン酢と大根おろしの中に沈めて、そこでようやく可食、と。

スパゲティでもカレーでも麻婆豆腐でも、ただ湯煎したりするだけでなんでもすぐ美味しくいただける昨今、この多工程と多所要時間っぷりは受け入れられないんですね思うに。

あとこの冬、フト思ったのですが、ミカンだとかポンカンだとかは良く見かけるのですが、晩春、初夏になっても夏みかんって見かけなくなったと思いませんか。

なにを隠そうオレは夏みかんファン、夏みかん愛好家なのですが、ここ数年トンと見かけません。皮が固くて剥きにくいから、とかですかね。口の中に入れるまでの工程における困難さ具合が他の柑橘類に比べてキツめだから、という。

さらにここ数年感じるのは、カリフラワーって見かけなくなったよなぁ。ブロッコリーに駆逐された形でしょうか。

なにを隠そうオレはカリフラワーファン、カリフラワー愛好家なのですが、いやマジで滅多に見かけません。ブロッコリーもカリフラワーも胃の腑に落ちるまでのフローに大差は無いとおもうんですが、JA的な都合なんかもあるんですかね。知らんけど。

文脈上、「まとめ」としては斯様な品揃えの移り変わりを郷愁とともに受け止めたりするところですが、実を言うとナマコも夏みかんもカリフラワーも殊更好きなわけじゃないので、ああそういや最近見ないなぁ、っていうだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。だいたい海産物とか野菜とかってそんなに食わないんですよオレは。牛肉と豚肉があれば取り急ぎ大丈夫です。

そういう次第で、もう眠くなったので、もしかしたら就寝するかもしれません。おやすみなさい。

節分。

おとといは節分でした。不思議なことにだいたい節分の翌日が立春になるよね不思議だね、と常々思ってたのですが、そもそも節分の日は「立春の前日」と定められてるんだそうですね。日々勉強です。不明を恥じる次第であります。

今年の節分でも不肖ワタクシ豆を撒かせていただきました。昨年作った和装でもって。「撒かせていただきました」と書きましたが、このような機会をいただいて、いやホントにありがたいことです。

高いところからエラそうに撒くのはいささか気が引ける感じもないわけではありません。

大辞泉によりますと「気が引ける」=「気おくれがする。引け目を感じる。」だそうで、さらに「気おくれ」=「怯む、尻込みするといった心持ちを意味する表現。」とのことです。

まさにそんな感じでした。毎年のことながら。

(全然関係ないですが「まめまき」の漢字表記は「豆撒き」で合ってるんですかね。「撒」って漢字にはちょっとネガティブ寄りのイメージがありませんか。オレだけですか。)

我が和装は頗る好評でした。ただ、

・宮司さん

・神職の方

・睦会会長氏

・睦会会長代行氏

・某代議士秘書氏

・お手伝いの方

・崇敬者の方A

・同B

・同C

と、皆さん、完璧に同じことをおっしゃる。

「どこの部屋の親方が来たかと思った」

と、会う人会う人皆さんから、異口同音に、全く同じことを言われました。何人目かのときにはデジャブかなと思いました。

和服っていうとみんな襟をギュッと、キチッと締めておられるけども、ホントはちょっと緩めに、ルーズにした方がカッコいいのだ、と、長谷川一夫が徹子の部屋だったかなにかで話してました。

しかし、実際に御説の通り緩めた感じにすると、これはもう覿面にだらしない感じになっちゃいます。襟元が緩むといきなりそういう感じになります。

要するにそれは「長谷川一夫」だからカッコいいっていうか許されるのであって、そうじゃない人はやっぱしキチッとしてなきゃダメだってことですね。最初からカッコいい人は緩めてもなにしてもカッコいいけども、そうじゃない人には緩めて許されるだけのバッファが無い、と。

また外出時の服装について、これは数十年前のサンソン新春放談で大瀧詠一が言ってたのですが、30歳を過ぎたら、あそこ行くのにこのカッコじゃちょっとキチッとし過ぎかな、ってくらいで他人から見たらちょうどいい、この程度でいいだろう、っていう自己判断の服装だと他人様が見たらかなりだらしない印象となる、との由。

オッサン・オバチャンになったら、自分で思うより一段階上の服装じゃないとアカンってわけですね。

そういうもんかもしれません。

そういえば、大瀧詠一ってなにげにオシャレだったような気がします。そんなパブリックイメージは無いですが。

あと、弊社設立当時にバイトで来てたJK(当時)によると、ズボンによらずシャツ、上着によらず、オーバーサイズ志向になった瞬間がすなわちオッサンになった瞬間、だそうです。

そういうもんですか。わかる気がしないでも無いです。 

なにしろ、いいトシになったらできる限り服装には気を使いましょう。

ポケベル。

この程弊社もポケベルを導入しました。弊社のアセットでもあるコンテンツマーケティングをフリーダム且つアジャイルにバジェットシュリンクしインタラクティブなオポチュニティマネージメントとしてエスタブリッシュさせるためのインディスペンサブルなツールということでコンクルージョンしたリザルトです。

カレンダーも時計も生きてます。

ストラップもついでにもらっちゃいました。アンエクスペクテッドなフォーチュネートリーイベントにグッドインプレッションです。

なにがいいってスイッチ入れると速攻で立ち上がるのが素晴らしい。Win98を使い倒してた時期は完全起動するのに下手したら10分くらいかかってたりしました。ノートン先生にいろいろお願いしてやっと5分くらいになって安堵したものです。

劇場なんかで“上演時はスマホや携帯の電源を切れ”って言われても切らないヤツが多いのは、一旦シャットダウンしたら改めて立ち上げるのに時間がかかる=その間の数秒〜数分間はLINEやらSNSのリアクションやらが確認できない、ってのもあると思うのです結構マジで。

そこそこいいトシした方でも、飲み会の席でもずっとスマホいじってるような方がおられます。“一体全体なにをそんなにしょっちゅう確認してるの?”と聞いたことがあるのですが、もしSNSの方にレスがついてたりorLINEが届いてたりしたとき、すぐ返信しないと失礼になるから、と言われました。飲み会でひとりスマホをいじり続けてるのも大概だよなぁ、と思いましたが、そこまでは言わなかった。

思い出しましたが15年くらい前には、すでに「5分ルール」とかいって、メールの返信は5分以内に行わないのは失礼すぎてシャレにならん、と言われたっていうか怒られたことがありました。確かに放っておいたのは悪かった。編集中で、また連絡内容も「元気?」とかクソどうでもいいものだったので、区切りついたら返信しようと思ってたのです。でもその前に電話をもらいまして、なんで返信しないの!!!???と。

要するに、体感としては15年くらい前には確実に「インタラクティブなコミュニケーションの確認の即時性」を追求する流れが具体的に存在していて、それが坂道を転げるようにどんどんエスカレートしつつ現在に至っている、というわけです。15年前にはすでにオレがわざわざ電話で怒られるレベルにまでそれは進んでおりました。

これ、どの辺が歯止めになるんだろうか。近々にアイウェア型通信端末ができる由ですので、この辺りが落とし所になるんかな、という感じがあります。すなわちそれは「インタラクティブなコミュニケーションの確認の即時性」の「即時」が「同時」「リアルタイム」になるということです。常に視野のどこかで諸々を確認し続けられる、という。

なんか空恐ろしい感じですが、きっとそういうふうになるんだろうな。

ところでポケベル買ったものの、ポケベルサービスはとっくに終了してるんですね。

とりあえずカレンダー&時計&キーホルダーとしてプラクティカルユースしていきます。

回転寿司の件。

回転寿司の客が、やれ備え付けのコップをペロペロ舐めたり流れてくるお寿司にツバつけたり勝手にワサビ載せたりして炎上してます。まぁそりゃするよな。するに決まってます。

回転寿司のお店がお客さんからああいうことされちゃうというのは、弊社でいうと本番撮影中にカメラや三脚やマイクにいたずらされるようなものですか。

だとしたらそりゃ怒るよな。シャレになりません。いかな相手が未成年とはいえ。大事な商売をあんなノリで妨げられたらたまらんなぁ、と。

1990年代後半から2012年頃に生まれた世代を俗に「Z世代」と呼ぶそうで、この回転寿司店でもってアレなことしちゃったりしてるのが正にその世代な由。でもZ世代の方がみんなしてアレなことしちゃってるわけじゃないので、このアレを世代論で語ったりするのはフェアじゃないですよね。

ああいうアレなことをするアレな人ってのは昔からいました。どの世代においてもアレな人ってのは常に一定の割合で存在します。なので今日的なニュースのネタとしては「可視化されてきています」という切り口がより正しい。

って考えたら昔からいたどころか、オレの世代だと学校の廊下をバイクで走ったり、東陽公園で他校と「抗争」したり、技術科の先生を彫刻刀で刺したりしてたじゃないですか。ってこれはオレの出身中学の話ですが、この刺傷事件に関してはアラサーになった頃に加害者の友人って方とお会いした際、あのヤローが通報なんかしやがったせいで1人の中学生の人生がワヤクチャになった、とか普通におっしゃってて、さすがのオレもちょっと引いたものです。醤油差しを鼻に突っ込んだりしてる方がずっとマシかもですよ。

なにしろ、あんましひとのことを言えた義理じゃない世代と申せましょう。だからって大目にみてやれってことじゃないですが、世代論で語ってナットクした気になってちゃいけませんね。

TV業界。

ホントにTV業界は不景気らしいですねぇ。TV業界関係者にお会いするともう景気悪い話しか出て来ませんよ。数多ある産業の中で最も不景気な業界が発信してるわけですから、発信内容も不景気なものになるのは必定ですよね。

これは一般の方には分かりにくいかもですが、ひな壇芸人さんによる番組なんかでは、もう複数カメラを設置するのも憚れる感じなので、8Kのカメラをひな壇正面に1台置いて全体を撮っとくだけで済ませちゃうんですってね。ひな壇全員を8Kでずっと撮っておいて、編集時に都度喋ってる人だけトリミングして、ということらしいです。確かに放送はフルHDですから、元が8Kであればそこそこトリミング(=拡大)しても解像度は落ちないわけです。

ホントにそんなことやってんのかどうかさすがに眉唾ではありますが、ポスプロの方がおっしゃってたので丸々ウソでもないんだろうと思います。

昔々あらゆるコンテンツは「門付け」だったんですよね。発信者がお宅を一軒一軒回って、その都度おアシをいただく、という。

それじゃ効率が悪い、ってかまとまった儲けにならんので、広場に人を集めて、まとめて大勢に発信して、まとまったおアシをゲットする形になりまして、それが「公会堂」や「劇場」のはじまりですね。

でもって、さらに一度に大勢に発信ってことで、放送というシステムやらパッケージ販売という概念やらが誕生したわけです。一箇所に集まるだけでなく、各地の方にも同じネタを、という。

そういう変遷に伴って、配信するネタも個々向けから「大勢」、大衆ウケするものへ変質していったわけです。多くの場合のそれは国家体制の堅持に大いに貢献し、我が国は先進国の仲間入りできた、という側面もありましょう。

youtubeやなんかでの個的な発信、また音楽の配信ってのは、こりゃ要するに「門付け」の現代版みたいなもんじゃないですか。発信者の単位がミニマムになっていくっていう、これはいわば先祖返りですね。

あんまし良いことじゃないよな。有象無象が勝手に発信してるばかりのカオスな世の中に戻ってどうする、と。

しかしなんでTV業界が不景気かって、ライフスタイルの変化だとかなんとか言われてまして、そりゃまぁそういう部分もあるとは思いますが、本質的には面白く無いから観ないってだけなんですよね。

現にもうTVドラマは社会構造的にダメだとか言われてるさなかに、家政婦がどうしたとか半沢ナントカってドラマは超高視聴率を記録してたじゃないですか。面白けりゃ観るんだよなみんな結局。

そんなオレはここ20年くらいTV番組をほとんど観てなかったのですが、最近「クイズ脳ベルSHOW」だけ時々観てたんですよ。

でもどういうわけか毎日やってたのに週イチ放送になっちゃいました。残念です。

江東区、豊洲。

江東区、枝川から朝凪橋を渡ってざっくり150mくらい進んだ左側に豊洲4丁目都営団地がありますが、あの一角は全て再開発ってことで取り壊しになって、一角丸々ひとつのデカいビルになるんですってね。このあたり選出の区議さんが嬉々として報告しておられました。ってコロナやなんやらで計画が変更になってる可能性もありますが、タワマンなんかが立ったりしてもはや高級住宅街と化した彼の地において、どのみち昭和感丸出しなこの一角がいつまでもそのまま捨て置かれるとはちょっと思えません。そのうちどうにかなるんでしょう。

きっとどうにかなり、またそれは住民当事者の方々にとって決して悪いことではなかろうと他人事のようにオレは思うわけですが、気になることが2点ほどありましてですね。

ひとつめ。枝川から進んで左側、セブンイレブン日本第1号店の角を左折ししばらく行くと、お地蔵様があるのです。オレが通ってた幼稚園はこの突き当たりにあったのですが、その頃にはすでにありました。この頃の段階でもう出来立てホヤホヤって感じではなかった。

あのお地蔵様はどうなるんかな、と。まさか無くしちゃうなんてこともないよなぁ、とか思いつつちょっと調べたら、諸々建て替え再開発後も残されるそうで、よかったよかった、です。前述の区議さんがやはり嬉々としてご報告されてました。

そうでなくちゃいけません。

ということでひとつめはちょっと調べたらアッサリ解決した次第なのですが、ふたつめ。

この団地群、何号棟だか知りませんが、1Fが駄菓子屋さんになってる棟があります。あの駄菓子屋さんはどうなるんかな、と。

店内で「もんじゃ」を作って食べられる店でした。店内でベビースターと、なんか白濁した液体が金属のボウルに入ってるやつを買って、店内の鉄板にドバッと広げて、傍に置かれた牛乳瓶かなんかに挿さってるスプーンだかなんだかで食う、という。

もんじゃイートインの駄菓子屋が江東区内には何軒かあったように記憶しているのですが、ああいう店って飲食店として許可取ってたんかな、と思います。スプーンとかボウルとか、都度洗ってたような形跡がなかったもんな。

まぁでもあそこのもんじゃ食って食中毒で死んだとかって話も聞かないので問題無いわけですよね。ってもしかしたらオレが知らないだけで、どうにかなっちゃった方もおられたのかもしれませんが。

なにしろ、あの駄菓子屋さんが無くなるのは惜しい感じがあります。少子化のみぎり、駄菓子屋さんも継続していくのはさぞかし大変だろうとは思うものの、さびしいねぇ、と。

って思わず無くなる前提で書きましたが、都営のタワマンかなんかになって、その1Fがイートイン駄菓子屋ってのもなかなかオツなものじゃないですか。デベロッパー各社様には一考をお願いしたい。

なおこの団地群の1Fにはこの駄菓子屋さんだけではなく、他にも布団屋さんだとかいろんなお店が入ってました。

あのお店らはみんな無くなっちゃうんでしょうね現実的には。タワマンの1Fが駄菓子屋&建具屋&靴屋&ラーメン屋、ってのはやはり問題があるんですかね。いいじゃんねぇ。

演歌歌手の方の件。

カラオケ大会って言えば、これはほぼ100%演歌なわけですが、演歌歌手でひとつ思い出しました。

ある時、ご当地演歌歌手がデビューするってことで取材したことがありました。24歳男性。年男デビューっていう、だからどうした的なキャッチコピーが付いてました。

ご当人&マネジャー的なスナックのマスターにいろいろお話を伺いました。

まずは現在に至るまでのプロフィール。

・小さい頃から音楽が好きだった

・中学生くらいで、自分でも音楽をやろう、と思い立った

・で、高校生の時にナントカ先生に内弟子入り

・でもって24歳で弟子奉公が明けて、晴れてデビューが許された

音楽こそが我が自己表現の術である、とご当人、厚く語っておられました。

そこでオレは、極めて素朴な疑問をぶつけたわけです。

小さい頃から音楽が好きで、中学高校生になって自分でもやってみようと思い立った際に、選択としてはバンド組んだりギターやったり、となる方が多いと思うのだが、なんでまたアナタは「演歌」だったのでしょう。

演歌の世界を自ら選択した、もしくはご自身にとって演歌でなければならなかった理由というのは、なにかあるのでしょうか、と。

これはホントに単純かつ素朴な疑問で放題で、この世代で、たまただどっかののど自慢でスカウトされたとか、近親者に演歌業界人がいたとかでなく、中高生が自分の意思で演歌界に進むってのはちょっと珍しいかもな、と思ったわけです。

どういうわけでこの目の前の青年は、この珍しい道に自ら飛び込んだのかな、と。

そしたらこの青年、ちょっとの間考えて、やがてスナックの天井をやや見上げて言いました。

“たぶんそういう方と私とでは、最初に教わった先生が違った、ってことなんじゃないでしょうか”

と。

これを聞いた瞬間、ああ、住む世界の違いってあるんだな、と思いました。

あんましロックとかフォークで、センセイのとこに内弟子に入って、数年後に、ああそろそろオマエも年季明けだねぇ、とかいってバンド組むのを許されて、なんてのは無いと思うんですよね。

いや誰かを「師匠と仰いで」「目標にして」ってのはあるんだろうと思いますが、まるっきり徒弟制度で、師匠のお墨付きがあって初めて世に出られる、ってんじゃ無いですよね思うに。

でもこの目の前の青年は、そうは思ってないわけです。どんなジャンルでもそういう道筋だと思ってる。そう信じていささかの疑いも無い。だから考えた挙句に出た答えが上記なわけで。

“ボクも最初に出会ったのがロックやフォークの先生で、最初に通ったのがロックの教室だったら、今ごろロックやフォークをやってるかもしれません”

とも言ってました。

彼にそう思わせしめたのはどういう理由によってのことか、とちょっと興味がわいたんで、根掘り葉掘り聞いてみたかったのですが、取り巻きのオッサンらに止められて取材は打ち切りとなりました。

あんまし余計なことを聞いてくれるな、という空気だったのを覚えてます。

ある意味で純粋培養なこの24歳の青年はいかにして作られたのか、ホントに興味があった。

テレビやなんかを観て、同世代の「アーチスト」がロックやらなんやらやってるのを観てどう思うか、とか、中高生時代の友人やご両親はどう思っておられたのか、とか、いろいろ聞きたかったのですが。

デバカメ的な興味ばかりでなく、さほど世代の違わないオレ自身との対照、という関心もありました。この青年のなにがオレと違ってて、なにが一緒なのか。

この青年もそろそろアラフィフだと思うのですが、どうしてるのかな、と。

プロはスゴい!という件。

先日カラオケ大会の場で歌手にスカウトされた話を書きましたが、ちょっと規模のデカいカラオケ大会などを覗きますと、まぁ上位入賞の方はそりゃもう上手いのです。そりゃもう上手い。上手いとしか言いようがない。そういう方がスカウトされてその気になっちゃうのも無理はない、と思えるものです。

実際こういう場からデビューされてる方も多い由。サギ話も多いとは思うものの、ここからのプロデビューってのも強ち荒唐無稽とばかりは言えないのであります。それゆえに#19で書いたような200万円オジサンみたいなのも横行するわけで、だからタチが悪いってことも言えましょうけども。

なにしろ上位入賞者の方は上手いのです。オレも15年くらい前まではときどき大会の収録を頼まれたりしてましたが、そこそこデカい大会だと各地の小さな大会の優勝常連みたいな方ばかりで、誰も彼も上手い。そんな中で上位入賞される10人くらいの方々はそりゃもう滅法上手い。実際大会荒らし的な方も多いようです。

でも……その時もそこそこデカい大会だったのですが、ひとしきり出場者の歌唱が終わって審査タイムになった時、その時はその大会の音響担当者の方のミニショー、ということになったのですね。

音響担当者といってもその方の本業は売れない歌手で、売れないがゆえに副業でスナックやったり音楽イベントの音響さんやったりして食ってるという方。予定よりかなり時間が空いたってことで、バック演奏なし、アカペラで数曲やらにゃならんってことになったのです。

そこで美空ひばり「悲しい酒」をフルで演られたのですが、これはスゴかった。それまで100人近い「上手い素人」の歌を聴かされてた会場ですが、みんな静まり返りましたよ。あまりの上手さに。

あちこちのカラオケスナックみたいな店でカラオケ大会みたいなものが行われ、そこで優勝の常連みたいなレベルの方が集まってその地区のカラオケ大会に出られ、またそこで優勝常連の方が集まってそこそこデカい大会に出られ、そこで優勝する方であっても、もはや相手に

ならないくらい上手い、ということです。

ああ、これがプロなんだな、と思いました。思わされたというべきか。

どんなに上手くても所詮素人は素人、プロと素人の間には決定的な、エゲツない差があるのですね。

後日、その大会主催者の方、この方はそこそこ知られてる作曲家先生なのですが、その方に聞いたのですが、○○くん(=このときの売れない歌手氏)は確かに上手いんだけど、いまひとつ聴衆を惹きつけるものがないんだよなぁプロとしては、とのことでした。

あれで「いまひとつ」なのか、じゃあその「売れてる」人ってのはいったいどれほどなんだろう、と。

あちこちのカラオケスナックみたいな店でカラオケ大会みたいなものが行われ、そこで優勝の常連みたいなレベルの方が集まってその地区のカラオケ大会に出られ、またそこで優勝常連の方が集まってそこそこデカい大会に出られ、そこで優勝する方でももはや勝負にならないくらい上手いレベルのプロが大勢集まって、その中で大衆を惹きつける、「売れる」レベルの巧者はほんのひとつまみ、というわけです。

とにもかくにも「歌い手」のプロの道は険しいのであります。

全然関係ないですが前述の売れない演歌歌手氏、ある打ち合わせで事務所件住居にお邪魔したのですが、普段が完璧なオネエ言葉でビビったものです。

打ち合わせ終わったらウチのお店で手料理ご馳走してあげるわね!と言われました。

美味かったです。

火鉢を購入。

来るべき寒波に備えて火鉢を買ってきました。といっても上に乗って跨ったりできるようなヤツはデカすぎて邪魔になるという判断で、小ぶりなヤツを調達。海鼠釉のイカしたヤツです。

火鉢だけあっても、それだけであったかくなるわけではないので、中に入れる灰&炭も同時に購入。

この火鉢に対してどれくらいの量の灰が必要なのか、とか、それらに対してどういう種類の炭がどれくらい必要で、またそれはどれくらい持つものなのかなど、なにもかもがわからんまま、見切り発車っていえば見切り発車での使用開始ですが、とにかく今のところ非常に快適、あったかく過ごせております。

ただ、なんか、灰が足りない感じがあるんですけどね。8分目くらいまで灰が入ってるのが普通な気もするのですが、もう無くなっちゃったんですよ灰が。ここに入れた分で全部。

追加で買うべきでしょうかやっぱし。

この冬は電気代もガス代もなんかやたら値上げしてますから、この際火鉢生活に戻ったらいいんじゃないですか、なんて去年の忘年会やこないだの宴席で話しましたら、もうね、その場の全員から反対されましたよ。軽くアホ扱い。あんなものはちっともあったかくない、あったかいのは火鉢の真上だけ、なのに場所だけ食って邪魔でしょうがない、と。

そう言われると書いたくなるのが人情というものです。いいじゃないですか火鉢。エネルギーインフラへの依存レベルが比較的低い暖房スタイルです。3.11みたいなのがまた襲ってきたら、これがあると無いとでエラい違いになりますよ。

そういうわけでオレはっていうか弊社はこの冬をこれで乗り切る予定です。

ちなみに2つ目ももう注文済み。