普通の生活してたんじゃとても遭遇出来ないような人について。

世の中にはテレクラやら出会い系サイト経由やらでないととても出会えないような人がいる・テレクラやら出会い系を介すると普通の生活してたんじゃとても遭遇出来ないような人と、しかも結構頻繁に出くわしたりする……と、90年代後半に当時の同僚から突拍子もないエピソードとともにさんざん聞かされたものです。具体的にはとても書けませんが、おそらくこの投稿を読んでいる皆さんが想像するより数倍は「突拍子もない」です。いやホントに。

で、そういう人は普段はどこでどうしているんだろう、とずっと思ってたのですが、よく考えたら各種SNSにはいっぱいいるんだよな、と。

キレるポイントが摩訶不思議な人とか、間尺にあわないことでヒステリックになってる人とか、ただただイキってる人とか、明らかな変態とか、外見がありえない感じの人とか、そういうタイプには普通の生活してたらめったにお目にかかれないですが、なんだSNSにはいっぱいいるじゃんかよ、というね。

ヤバい人の可視化ツールとしてSNSは高いレベルで機能していますね。逆にいうと、少なくとも我が国では、SNSというのはひと昔前のテレクラやら出会い系サイトと同じベクトル上にあるのかもしれません。実際「パパ活」とかいうことでTwitterもといXで売春相手を探してる男女のなんと多いことか。SNSでそういうことをして無事でいられるほどこの媒体に秘匿性は無いってことくらいちょっと考えればわかりそうなものですが、いいトシしてそんなことにさえ思いが至らないアレな方々の多さ。

なんにしても、オレんとこには寄ってこないで欲しいと思ってやみません。アレな人同士のコミュニティでコトを済ませて完結していただきたいものですが、極めて残念なことにSNSという媒体は妙なレベルで平等なんですよね。困ったものです。

もう寝ます。

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昭和が遠くなったという話。

我が母校である東京都江東区立平久小学校。おそらく昭和51年頃に取り壊されたはずの旧校舎には、壁という壁に人の形、また手のひらの形の「しみ」がありました。いやそりゃもう外壁のあちこち、そこかしこにあったので、覚えておられる方も多いでしょう。っていうかオレの同学年プラマイ3年くらいの方であれば覚えてなきゃウソですね。

その正体は、東京大空襲の際に焼夷弾で焼かれた人たちが壁にもたれたり手をついたりした際に付いた脂の跡なのでした。ってそれを知ったのは後年のことで、在学当時も何回か先生に聞いたことがあったのですが、なんかウヤムヤというか、なんとなく口を濁してはっきり教えてくれなかった記憶があります。

なにしろ残っていれば間違いなくこれらは貴重な戦時遺跡になったはずです。しかしながら残念なことに昭和中期の頃はそういうことに無頓着だった由。保存するような話は一切無かったようです。実にアッサリと壊され、整地され、現在に至っています。

深川ギャザリアに面する道沿いにあったのですが、当たり前ですが当時の、そしてもちろん戦禍の面影はもはやカケラもありません。

終戦後約30年経過の当時は、まだまだ戦中の記憶を生々しく抱えておられた方が中年・壮年期。いまいましくまた辛い痕跡はあまり口にしたくない・トットと壊してしまいたい、ってな感情というか感傷も、意識無意識に限らずどこかにあったのでしょう。
また俯瞰するに時はまだ高度成長の途上。過去の事どもによけいな頓着をせず、ひたすらな、思い詰めたような前進を社会に半ば強いられてたような空気が我が国に横溢してたってこともあるでしょう。はっきり教えてくれなかった先生にも、アッサリ解体許可を出したお役所の方にも。

いずれも、今にして思えば、という立ち位置での想像でしかありませんが。

門前仲町から東22系統の都バスに乗り、東陽町交差点にさしかかるあたりに、東陽町公園というそこそこ大きい公園があります。
いつだったか……もう30年近く前のことですが、このバスの中、オレが立ってる目の前の優先席に座っていたジィさん2人の会話が聞こえてきました。

“そういやここで燃やしたなぁ、戦時中”

“ちょっと掘ったらまだいっぱい骨が出てくるんじゃねぇかね”

とかなんとか。

空襲で亡くなった方の遺骸を生き残った方々がこの公園に集めて……っていうか山積みにして、ガソリンだかなんだかでもって一斉に燃やした由です。ジィさんらはこの「山積み」にした当人、すなわち生き残った側の人で、いわく、そうでもしないとどこも足の踏み場がなかった、とか。

「山積みにして一斉に燃やした」のがこの公園だけだったはずもなく、深川、城東地区のそこかしこで同じようなことが行われてたんだと思います。
ちなみにこの手の「遺骸で足の踏み場が無かった」という趣旨の話は、方々でいろんな方から聞きました。

オレが子供の頃は8月になるとさまざまな子供向け雑誌も一様に終戦記念号になったものです。
あの少年ジャンプも各連載漫画が普段と違う調子になりました。
トイレット博士でさえギャグ抜きの終戦記念篇になってました。スナミ先生が子どもの頃の戦争体験を思い出す、みたいな感じで。

今はそういう感じじゃないようですね。あの頃は作家も編集者もガッツリ戦争体験者な世代だったんですよね。

令和7年現在。
ジャンプはいつも通りだし、東陽町公園にも平久小学校にも、碑のひとつもあるわけじゃなし、です。
先の大戦についてのアレコレも、かくして時間経過という篩には抗えず、あえなく風化していく、ということなんでしょう。
考えてみればちょっとベテランの域に足を突っ込んだくらいの学校の先生でも平成元年生まれだったりしますからね。もはや一次的にこれらを伝えられる世代は現役ではありません。どうしたって二次的、三次的な立ち位置の方が、“じゃあ今日は平和についてみんなで考えましょう”とかやってるわけです。どうしたって説得力には差があるでしょう。

もちろんやんないよりはやる方が数億倍マシですが、残念といえば残念、また一次的な体験を聞く機会がまだあったオレの世代はある意味でラッキーだったんだな、と思う次第です。

バスの中で遭遇したようなジィさんらも、刻一刻と旅立っていかれています。今日NHKで広島原爆投下の特集番組をやってましたが、往時を知る人ってことで出演されてる方々、ほぼ皆さん90歳半ばでしたね。オレが子どもの頃は「おっさん」「おばちゃん」な世代がこういう話をしてたと思うのですが……そうですか、いつのまにかこれほどの時間が経過したのですか、と。
時間経過という篩には我々は無力、これには決して抗えないのであります。

せめて修学旅行には、たとえば知覧だとか、また都内であれば靖国神社だとか東京都慰霊堂だとかに行くべきじゃないですか。ディズニーランドやUSJなんぞに行ってる場合じゃないよな、と。
「修学」なんですからね。これらの施設etcは、もはやどんどん貴重化していってる各種の一次資料でいっぱいです。

原爆投下時の広島は暑かったらしいですね。って今年の夏ほどじゃなかったんでしょうけど。

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按摩と女(DVD)

清水宏監督の代表作と言われてますが、実に穏やかで鷹揚な、それでいて隙の無い良作でした。

内容はおいといて、なにより視覚障害者に対する差別感がほぼ無いのが素晴らしい。同時に24時間TVのような妙な持ち上げ方もしてない。ここで描かれている視覚障害は単なる「特徴」でしかなく、まぁハゲとかデブとかデッパとかいうレベルの認識です。

逆にいうとその程度にはネガティブな捉え方はされてるわけですが、ピント外れでしかない言葉狩りが横行した結果、腫物に触るような無粋で却って失礼な遠慮と、反動的な差別意識が跋扈してしまってる昨今より、当作の世界はよっぽど民度が高いように見えます。

恐らく当作は、例えばTV放映などは金輪際されないでしょう。タイトルからして放送禁止用語だし。かくしてバカバカしい言葉狩りによって名作が下手したら封印されてしまうことに相なるわけですが、それでいいのか、と思う次第です。

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選挙に行きまして。

鉛筆を持って文字を書く機会がもはや選挙のときくらいしかない、と昨日書きましたが、そもそも筆記具の類で文字を書くのがちょーひさびさだってことに改めて気づきました。

その当然の帰結でしょうか、漢字がまるっきり書けなくなりました。って昔々からそういう傾向ではあるのですが、さすがにここまで衰えるとは思わなんだ。このたびの選挙は期日前投票で済ませてきたのですが、比例の投票時に「自」のまんなかは横線何本だったか、一瞬、あくまでも一瞬だけですが、迷いました。迷ったのは事実です。

漢字どころかこれはついさっきの話ですが、ひらがなの「ぬ」を誤記しました。あれ?なんかおかしいなぁ、と思ったら「め」だった。「ぬ」って書いたつもりが「め」。

ちなみに不在者投票の際に住所氏名を記入する要があるのですが、これはちゃんと書けました。
よかったなぁちゃんと自分の名前と住所が書けて。間違えずにちゃんと書けました。えらいなぁオレ。

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熱中症と単なる暴論。

TVのニュースでもやってたらしいですが、大島の中学校で、熱中症でもって生徒が倒れて搬送、だそうです。

本日の東京地方の最高気温は24℃。数値だけ見るととても「熱中症」で「搬送」されるような値じゃない気がしますが、体感というものは押し並べて相対的なもので、一昨日くらいまでちょっと涼しかったりしましたので寒暖差に身体がついていかなかった、ってことな由です。

それでもなおオレの中の違和感がどこか拭いきれずにいます、14、5歳の子が今日この日に熱中症とはなぁ。んなアホな、と感じてしまっているオレがいます。

最近の小~高校生って、なんかみんな「細い」なぁ、と思うのです。男子も女子も良く言えば華奢、ありていに言っちゃうとヒョロってる方が多いように思えます。思えますっていうか、弊社至近に区立中学校があるのですが、登下校の子らをみてると間違いなくみんな細いです。

保護者も含めて世はそぅいう美意識下にあるのでしょうか。

また、妊娠中にあんまし食いまくると胎児がデカくなって出産が大変だからあんまし食うな、みたいな風潮なんですってね最近は。

そういや弊社担当の保険屋さんの子は出生時3800gだったそうなのですが、そんだけデカいと大変でしたねぇ、っとさんざん言われたそうです。なにを隠そうオレも聞くと3800gで生まれたらしいのですが、別に殊更なんも言われなかったとの由。このことから弁証法的に、今は昔より理想的とされる新生児体重が軽くなってきている、という答えが導き出されます。今はそういう価値観である、と。

どっちが良いのか具体的なエビデンスはあるのでしょうか。特に無いんだったらデカい方が良くないですか。

なにしろ細いってことはスタミナを貯めるタンクが物理的に小さいってことなので(ってそれが正しいかどうかは知らんけど)、そりゃ熱中症にもなるわなぁ、と勝手に想像するところです。勝手に。

もしくは、4月としては記録的な高温となっている昨今、それでも「4月」ってことで、実態に合わない厚着で運動させられたりしてんですかね。どんなに暑かろうが寒かろうが、4月にはこの服装、ってマニュアルが厳然とあったりするんでしょうか。でしょうかって、これも見てると間違いなくありますね。上着脱いだらいいじゃんか、としばしば見てて思います。

以上、勝手に想像しましたが、よく考えたら「たまたま」って可能性が一番高いですかね。たまには体調の悪い日だってあるよな。

でもデカい方が良いですよ。老いも若きもガンガン食うべし。黒澤明のお宅はあまりに食費がすごいんで税務署が来たりしたそうです。それくらい食うからこそのあの傑作群なわけ

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投票率について。

弊社の目の前の公園にあるスピーカーで、夕方の6時時点での投票率が叫ばれておりました。いわく27.8%との由。

前回の同時刻は29%だったそうなので、この時点でざっくり2ポイントのダウンとなるわけです。ってことは前回の最終投票率が46%でしたから、今回はざっくり44%後半くらいで落ち着くことになるんでしょうきっと。

前回の46%という数字も、そのまた前回と比して2ポイントのダウンだったので、要するに我が江東区における投票率は右肩下がりだってことです。こんな恥ずかしいことはありません。みっともない。

なにしろ今回も50%に届かないのはほぼ確実ということですが、ってことは要するに2人に1人しか投票に行ってない、ということになります。

どころか正確にはそれ以下なわけですが、なにしろなんだかマヒしちゃってますがこれは異常なことだとオレは思う。民主主義国家を標榜する以上、ホントはせめて7割くらいは投票に行ってないとオカシい、と思う次第です。

もっと言うと、50%を切ってるということは、江東区民の総意として民主主義が「否決」された、ということになるのではなかろうか。

民主主義の理念からいくと、“我が区におきましては過半数によりまして選挙は執り行わないことと相成りました”となるわけです。民主主義の理念に準じて民主主義が否定されるというワケわからん事態になって然るべし、ということです。

それでいいのか。

やがて各世代ごとの投票率が(公開されるかどうかはともかく)出されると思うのですが、ごく基本的なマーケティングの考え方として、立候補者は高投票率の世代向けの公約を挙げるに決まってます。

つまり棄権するってことは結局自分(ら)の首を締めてるのに他ならないわけですが、

それでいいのかマジで。

ちなみにオレは昨日期日前投票してきました。関係ないですがあの投票用紙はプラスチック素材でできてるんですってね。開票作業の迅速化簡便化ということで、折り畳んでもやがて自然に開くようになってるとか。

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iPadがイカれたのと選挙演説会について。

長年使い倒してきた我が愛用のiPad mini 4 がとうとうイカれてしまいました。まずwi-fiの受信選択ボタンがグレーアウトして動かなくなりました。この部分はアレコレやってどうにか選択できるようになったものの、今度はオンにしてもwi-fiの波を認知してくれない。要するにイカれた、ということです。それ以上でもそれ以下でも無い。

最後のインターネット接続による視聴は、東南アジアのどこかの国のオッサンの脇の下にできたドデカい粉瘤から膿がドバドバ出てくる動画でした。長年の愛機の最後がこんなのの視聴というのはなんとも切ないですが、もうどうにもなりません。

で、無きゃどうにもなりませんので、起床してすぐ注文。今度のは1世代飛び越して「6」となります。とうとうホームボタンの無いアップル製品を使うことになった、と。

なにしろいきなり10マンほどの出費が発生、と相成った次第です。予期せぬジュウマンエンの出費はこれまた切ない限りですが、これもまた致し方なし、です。まぁ6、7年くらい使いまくってたので、もうモトは取ったかな、とも思えます。

ところで生前のジョブズ、タブレットだけは絶対に作るな、と常々言ってたそうですが、これはどういう理由なんでしょうか。iPadが口火を切って以来様々なメーカーが後続しまくりで、「タブレット端末」もすっかり存在感を確立、浸透したように思えます。ジョブズはなにを危惧したのかな、と思う。

本日は夕刻からこの度の選挙を踏まえた演説会にいく予定となっておりましたので、慌ててデータをバックアップ。iTunesはなにしろメンドい&時間がかかるので慌ててやったのですが、MacOS ventureだとこの辺は簡単なのね。遅刻もせず会場に出向くことができました。

そういや全く関係ないですが本日の演説会、隣席のオバチャンだかバァサンの二人組が演説中ずーーーーっとベチャベチャと私語しまくりで閉口しました。

ベチャベチャ喋ってるかと思えば、カバンからタッパーみたいのを取り出して持参したシャケオニギリかなんかを食いはじめ、やっと食い終わったかと思ったら落花生だとかアメの袋を取り出してバリバリ開け、後ろの席のオッチャンに“○○さん、アメちゃん食べる〜?”って。

目の前で候補者の方々が真剣に演説してんだからね。ああいうのは良くない。いやホントに良くない。膝を正して、ってまでいかんでも、とりあえず静かに聴かなきゃいけません。

でもシャケオニギリはちょっとうまそうだった。

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岸田森のようなどこか様子のおかしい役者さんについて。

円谷プロ制作の「怪奇大作戦」にハマってた時期がありました。なんでハマったのか自分でもよくわかりませんが、第一話から順に観て数周したと思います。「怪奇大作戦大全」みたいな本も買ったりしました。

ご承知の通り、「SRI(科学捜査研究所)」なる組織が怪事件難事件を解決していくというお話ですが、このメンバーの中にちょっと様子のおかしい人がいるのです。どこがって言われると説明が難しいのですが、なんかおかしい。どこか様子がおかしい、としか言いようが無いのです。

物語の構成としては若くて沈着冷静なイケメンサイエンティストということなのですが、まぁそれはその通りでありつつ、やっぱしどこかおかしい。妙なのです。

調べたらこの役をやってたのは「岸田森」という俳優さんでした。

「帰ってきたウルトラマン」でも、自動車修理工場の主人だかなんだかの役をされてましたが、こっちもなんかおかしかった。主人公の頼れるカッコいい先輩という役どころなはずなのですが、やっぱりどこか「様子がおかしい」感じでした。

今だと誰になるんかなぁ。竹中直人とか香川照之なんかはいわば「様子のおかしさ」が一種のウリだったりするじゃないですか。岸田森さんのおかしさはもっとそこはかとない感じですよね。上記2作においても役柄としてはあくまでもイケメン枠であって、にも関わらずどこかイカれてる、どこかが妙だ、という。

ほんとはこんな様子のおかしい感じじゃダメなはずの役柄で、なのにそんなどこかおかしい感じのままでちゃんと成立させている、という、そういうところが魅力なわけです。

70年代中頃くらいまで、この手の「どこか様子がおかしい」役者さんってのが我が国には多くおられたように思います。

例えば三島雅夫さん。東映時代劇では町人、農民から大大名まで、大袈裟でなくありとあらゆる役柄をこなしておられますが、どれもこれも、なんかどこかイカれてるというか、やっぱり「様子がおかしい」のです。どんな役をやってても、いきなり笑いながらひとを刺し殺しそうな感じがあります。

※余談ですが東映「ゆうれい船」では、50歳代前半でありながら13〜14歳の役をやられてます。いやぁこれはすごいです。でも不思議なことに5分くらい観てると、まぁそんなもんか、みたいな感じになります。その辺が名優たる所以なんですかね。

田中春男さんもいろんな役をこなしておられますが、なんかどこまでいっても「ホントは全部ウソなんじゃないか」と思わせられる感じがあります。本来役柄としてそれじゃダメだろと思えるところですが、むしろそういう感じが魅力的なのです。「浮草」なんかスゴかったです。

……考えたらこんなの挙げ出したらキリがないのでやめますが、往時にはこういう、場合によっては役柄から逸脱するイカれた感じを保ちつつ、それを補って、いやむしろそのことによって役柄の魅力をブーストさせちゃったりするような役者さんがポツポツおられたように思います。

あの頃はまだ日本国自体にまだイカれた感じがあったんでしょうね。今はあの時期に比べたら、なんのかんの言ってもずっと成熟してますよ。

それでも、今だってああいう「様子のおかしい」感じの役者さんはきっとおられるのだとは思います。

でも、世に出にくくなってはいるのかもしれません。知らんけども。

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「危うきに近寄らず」から。

ネット内であろうがリアルであろうが、また正誤や善悪を越えて、あからさまに自分と価値判断基準・価値観の違う人とは関わるべからず、です。君子危うきに近寄らず。世の中の「危うさ」の大半はとりもなおさずこの価値判断基準・価値観の違いからくるものでしょう。

とはいいつつこれ、タイミングの問題はありますかね。

価値判断基準・価値観が確立するのは何歳くらいでしょう。ひとによるっていえばそうですが、なにしろこれは確立してからの話で、自己帰属意識が曖昧なうちに「危うきに近寄らず」では、これはヘンクツに過ぎるとも言えましょう。ヘンクツなガキはロクな大人になりません。同様にいいトシして曖昧なままの大人はもっとロクでもない。

江戸時代の武士だとだと「元服」が厳然とした分水嶺で、これにはいやもおうも無かった由。

ちなみに同じ霊長類であるおサルさんたちの中では、母乳が不要になった瞬間がそれにあたるようです。

ホモ・サピエンスにはそういう明確なものはあんまし無い感じですねぇ。少なくとも近代以降は。

その辺の曖昧なのが影響してか、ここ数年上記の「ヘンクツなガキ」と「曖昧なままのオッサン・オバチャン」が目立ちませんか。特にSNSはそういう種類の方々との親和性が高いようで、両極のロクでもない感じの方が殊更多い気がします。

こう書いてるオレもその仲間かもしれないので、気をつけようと思います。

って……ああ、そうか。我々の採るべき道は「ひとのふり見て我がふり直せ」なのですね。

「我がふり」を直そうと思い至らしめる「ひとのふり」は、間違いなくあからさまに自分と価値判断基準・価値観の違う人のものでしょうから、ここで文頭に戻るわけです。丸くおさまった。

ということでまもなくMP4出力が終わります。

考えたらブラウザ開いたりしてたらその分リソースが食われて出力処理が遅くなったりするんですかね。どうなんでしょうか。

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セルフ手術。

先だってにも書いたようにここ最近は角栓やらデキモノの膿etcを抽出する動画が我がTLに横溢しておりまして、一種のASMRとして就寝時のおともになってるわけですが、そういや昔オレ自身にも斯様なデキモノができて往生したことがありました。

オレの場合はおケツでした。大学4年の頃でした。最初はある種の違和感がある、という程度だったのですが、やがて日を追うにつれ、椅子に座るなんてもっての外、普通に歩くのもままならず、というレベルにまで到達してしまいました。

トットと医者に行けば良かったのですが、ちょうど卒業制作作品の制作真っ只中でそれが叶わず、ゆえに放置してたら、いよいよ動けないレベルになりました。

もう息するのも痛い、でも息をしないと死んじゃう、さあどうする?みたいな。

ああ、オレは痔持ちなのか、手術しなきゃダメなのか……と腹をくくったのですが、とにかく一度見てみようってことで恥ずかしながら鏡でおケツを見てみました。

そしたら、おケツの横っちょに、デカいデキモノが出来てた。

ああ、これが痛みの原因か、ってことはとりあえず痔ってわけじゃないんだな、と、わずかながら安心したりしたのですが、それでも痛いものは痛い。

でも当分医者に行くヒマは無い。

で、どうしたかというと、自分で肥後守で切ったんですね。

ブラックジャックも砂漠の真ん中で自分で腹を切って寄生虫だかなんだかを取り除いたりしてました。エキノコックスでしたかね。なにしろブラックジャックにできてオレにできないはずはない、という判断です。

※もしかしたら「肥後守」を知らない方もおられるのかもしれませんが、刃渡り10cmくらいの折りたたみ式ナイフっていうか趣としてはほぼ「短刀」です。

そりゃもう空前絶後の激痛でした。

で、スサマじい量の血と膿が、大げさでなく「噴出」しました。

激痛と大量の出血etcで、一瞬気が遠くなりました。失神するときってこんな感じなんだな、などと考えた記憶があります。

しかし、その激痛の波がいったん過ぎ去ったら、もうそれまでがウソのように痛みが引きました。

こんなことならトットと切っちゃえばよかったなぁ、と思ったものです。

ただ後で聞くと、医者行ったら麻酔してもっとラクに且つアッという間に切って膿etcを出してくれる&ヘタに汚い刃物etcで切ったりすると化膿しておケツ丸ごと切除しなきゃならなくなる、とのこと。

やっぱし無理してでも医者に行った方が良いと今は思います。

そういや10年くらい前、シーズン野田という方が脇の下にデカいデキモノができて往生しておられました。

医者行きたいけど保険証がないからどうしよう、などと悲しいことを当時おっしゃってましたが、その後どうなったんでしょうか。

この数年後、弊社アシスタント女子も同様に脇の下に巨大なデキモノができて、医者に行ったらこの部位には様々な神経や太い血管があるので手術はそこそこ難しいとか言われた由。

なんにしても早めの受診を、と思います。オレのおケツは今は結構です。

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