2010年

「都青少年健全育成条例」改正案について。

以前にも書いたことがありますが、ああいう愚にもつかない下品なエロマンガを「お上」がいつまでも放置してるわけねーだろ!と常々思っておりましたよ。あ
んなものを堂々と創り且つ売り続けてたら、そりゃいつかこういう規制が入るに決まってますよ。「お上」ってのはそういうもので、別の言い方をすればいつの
世もこういう規制をすることこそが「お上」のお仕事です。

この業界の人たちはそんなことがどうしてわからなかったんだろうか。なんでまたここまで無策に、されるがままになってしまってるんだろうか。不思議でなりません。アホか、と。

AV業界などは、そこんとこ上手いことやってますよ。業者間で「監視団体」を作り上げ、セッセと天下りを受け入れ、と、その功罪や善悪は置いとい
て、とにかく業界存続のために長年シコシコと努力?しております。その結果、今回の規制対象のマンガ類など比較にならないレベルでロクでもない内容である
にも関わらず、たまーにある意味生贄としいてパクられる業者が出るくらいで収まってます。

念の為繰り返しますが、あくまでも「その功罪や善悪は置いといて」の話です。

こういう努力をこの業界はどこまで行い、果たしていたんだろうか。ある種のタブーであるが故にこの手のコンテンツは確実に「売れる」わけですが、
要するにこの業界の人たちは、そういう目先の利益におぼれ、ホンのちょっとだけ想像力を働かせればわかったであろうこういう結末さえ予測できなかった、と
いうわけでしょう。自業自得っちゃその通りですが、これまた当然ながら「規制」されたらその分世の中を巡りめぐるお金も減るのが当然なわけで、そういう意
味でもはや自業自得なんて話じゃ収まらなくなっちゃったねぇ、ってのが今回のニュースの主旨(のひとつ)なわけでね。

とにかくですね、今になって「大反対」なんかしてもしょうがないです。

ただただ、一部のアホンダラのお陰でワリを食っちゃう、マトモなコンテンツ制作者(業者)がアワレでなりません。ってよく考えたらウチも他人事じゃねーじゃんか!というね。

亀田大毅vs.坂田健史戦(2010年9月25日)

理由あってここ10日ほど一歩も事務所の外に出ていません。だから外が雨なのか寒いのか暑いのかも全くわかりませんでした。さっき久々に窓を開けたら車が
濡れてたのできっと雨だったんでしょうね@東京。何年か前もこういうことがありまして、その時は試しに起床時に万歩計をつけてみたのですが、就寝時にその
数値をみたら「30歩」。要するにトイレ行く時くらいしか歩いてないってわけですが、ここ数日もほぼそんな感じです。

そんな有様なので、トップアスリートのパフォーマンスに対してアレコレ言うのは憚れるのですが・・・なにしろ今日は亀田次男vs.坂田戦がありました。

試合そのものには直接関係無いのですが、なんかヘンな試合だったなぁ。

まず試合前の選手コール。カン違いでなければ、次男が先にコールされてましたよね。チャンプは通常後からなんじゃないかなぁ。

あと、レフェリー、手袋してなかったなぁ。素手でのレフェリングなんて20年ぶりくらいに観た気がします。確かレフェリーはクリストドルー。ベテランだし、そもそも、まさかつけるの忘れたなんてこともあるまいに。

暴論だけど暴言ではない(つもり)。

以下は平成22年9月18日付読売新聞記事からの抜粋引用です。

岡山県真庭市内の県立高で、夏休みの宿題を出さなかった男子生徒(17)に対し、学級担任の男性教諭(25)が「殺すぞ」などと暴言を吐いていたことがわかった。
 同校などによると、教諭は10日午後のショートホームルームで、宿題が未提出だった生徒に、他の生徒の前で「宿題を出さにゃ殺すぞ」などと暴言を吐いた。
 教諭と生徒は提出期限を13日と決めたが、一部しか提出されなかったため、教諭は14日午後、廊下で会った生徒に「提出したから生きているんだよな」と、再び問題発言をしたという。

・・・我ながら「学校のセンセイ」に対して事有るごとにボロクソ書いてばかりいるので、今回はできるだけ擁護の方向で書こう、一方的な悪口みたいなのは避
けよう、ってことで考えたのですが、今回に関しては、残念ながらどうしても、生徒に「殺すぞ」というような言葉を簡単に吐けちゃう教師を擁護する術が思い
つきませんでした。
故に今回も、結局悪口三昧な内容になるかと思います。
 
 
まず、人間の生き死にを軽んじるような言葉を、いいトシした大人が簡単に口にするという、これは個人的に許せません。
25歳なんてぇのはハッキリ言って「小僧」なわけですが、さすがにそれでもこういう言葉を軽々しく口にして許される年齢ではありません。

(まるっきり余談ですが、某居酒屋チェーンの社長も、会議etcの度に社員に”いますぐここ(ビルの5F)から飛び降りろ!”とか言っちゃってるみたいですね。先日雑誌だかなんだかで読みました。それが我が社員教育の極意だ、みたいな論調でした。
「ベンチャー企業の雄」だとか、さらにこともあろうに教育ナンヤラ委員会理事長だかに就いてたりなど、なにかにつけやたら持ち上げられることの多いこの社
長ですが、居酒屋店舗としては殊更目新しい事を興してるわけでもなく、要するにただ「カネ儲けが上手い」ってだけの人物です。ハッキリ言ってそれだけのハ
ナシ。なのにこの持ち上げられ方、なんかヘンな感じだなぁと思うのですが、それはともかく、こういうようなことを部下に言い放って、それをあたかも美談の
如く吹聴する神経を、オレはひたすら軽蔑します。アホか!と。)

またまた24時間TVの件。とくにマラソン。

想像通り今年も、やれ偽善だとか企画がつまらんとか出演者のギャラがどうだとかアレコレ言われてるようですが、なにしろ「やらない善よりやる偽善」です。
そもそもナンだカンだ言われつつ平均で約16%、最高で35%の視聴率という数字を叩き出してる以上、コンセンサスはこの「やる偽善」の側にあります。そ
れは否めない事実です。

今回も取り急ぎ2億円だかの浄財が集まった由。それだけの集金がこの「24時間テレビ」以外に出来るか、って話ですね。

ただねぇ、この番組中の「マラソン」の企画、これはセコい。意義云々以前に、企画としてあまりに陳腐ですよやっぱし。

24時間テレビのいわば「象徴」として、その時間中ぶっ続けで行われる企画、果たしてそれが「マラソン」でいいのか?と思ってしまう次第です。

24時間(実際はそれ以上)に渡る番組そのものには「チャリティ」という統一テーマが設定され、全てのコンテンツがそれに則って制作されてるにも関わらず、事実上主軸企画となっているこの「マラソン」にだけそれがないんですよね。

マラソンという行為そのものには「チャリティ」の意味がどこにも存在しないわけでね。

っていうか、そもそもこのマラソンには、「チャリティ」云々の話以前に、そもそもなんの必然性も無いですよね。なんかいつのまにか風物詩的に定着
してしまってますが、考えたら「いきなりマラソン」なんです。そういやなんでマラソンなの?、と問われたら、どう考えても後付けの理由しか出てこないで
しょう。

24時間ブッ続けでなにかを行って、その結果(チャリティ的な)○○が生まれる・できあがる、みたいな次第ならいいんですけどね。その方が目論見としての「ゴール=完結時の感動」が生きる・・・より感情移入できるものになると思う。

なにしろ・・・”目論見としての「ゴール=完結時の感動」”と書きましたが、そのための方策として考え出された企画が「マラソン」ってのは、あまりにも安直なんじゃないかと思う。ベタベタというかね。

もうひとつ。

法的な義務はどうなのか知らないけども、日本テレビは、これはやはり収支を明らかにしなきゃいけません。大メディアとしてそれは必須だろうと思います。

募金で領収書を要求するヤツはおらんので、その辺は日本テレビ側のいわば良心に委ねられるわけですが、ここのところはどうなってんだろうか。ある程度はサイトなんかで公表されてるみたいですが、なにしろ2億オーバーですからね。カッチリやって頂きたい。

最後に繰り返しますが、「やらない善よりやる偽善」。

チャリティの名の下に24時間で2億集めるってのは、これはやっぱしスゴいことですよ。政治家だって一晩で2億集めるのは至難でしょう。

またそういう意味で、TVメディアってのはダメだダメだと言われながら、まだまだ死んではいませんなぁ、と思います。その是非はともかく。

山本モナさんの件。

山本モナさんが結婚して芸能界引退、だそうです。
トラは死して皮を残すとか言いますが、その道を志した以上、どういう理由で去るにしろ何らかの形を残していきたいと思うわけです。しかるにこの「山本モナ」とかいう方は、ここで辞めちゃったら単にお笑い種という存在でしかない。事実上表現者としてなーんにも残していないわけですが、果たして、なにより本人はそれでOKなんだろうか。良い大学出て難関のマスコミ受験の網を掻い潜り、して、天下の朝日放送のキャスターまでやって、これで辞めちゃってなんの悔いも無いのでしょうかね。オレ的には不可思議だったりさえします。
そんなこと言ったら今の「TVタレント」と括られる人の中で、例えば代表作と言えるパフォーマンスを残してる人がどんだけいるか、という話になっちゃうわけですが、これはその方が異常なんですよね本来は。
制作費削減傾向にあるとはいえ、まだまだ「地上波TV番組」の制作費は他メディアに比べて群を抜いて高額、相対的にかなり潤沢に表現のためにお金を掛けられる状況にあるはずです。
そんだけお金を掛けての「表現活動」が日々飽くことなく続けられてるにも関わらず、その出演者がひたすら「使い捨て」状況である、という、考えたらこんな異常なこと、そして不遜というか傲慢というか、なによりもったいない事は本来あっちゃいけません。
TV番組制作者には、出演者が自身の「代表作」をモノできるような、それが期待できるような制作姿勢を望みたいところです。
で、出演者の方も、真摯な「創作」姿勢でいて欲しい、それがイヤな人はマスメディアから去り、相応の舞台に活躍の場を見出して頂きたい、と思います。本来「芸能人」というものはそういうものだったはずです。
でもって、それはきっと視聴者にとっても、スポンサー側にとっても多大なメリットがあるはずです。
ところでこの山本モナさんですが、キャスターの仕事が決まると決まってその直後に露見するスキャンダル、一度ならず二度までも、というのは・・・なんか、思わずちょっとウラを勘繰ってしまいます。
もしかして、モナさんがキャスターに抜擢されると困る人(たち)がいたりするのでしょうか。

ただ長文なだけで中身は乏しい

またまた痛ましい事件が起きてしまいました。下記は2010年7月30日22時23分発の読売新聞記事からです。
 
大阪2児遺体、23歳母「世話嫌になり家を出た」
 大阪市西区南堀江1のマンションに男女2人の幼児の遺体が放置されていた事件で、大阪府警捜査1課と西署は30日、母親の風俗店従業員下村早苗容疑者(23)を死体遺棄容疑で逮捕した。
 下村容疑者は容疑を認め、「子供の世話が嫌になり、いなければよかったと思い、2人を残して家を出た」と供述している。府警は下村容疑者がネグレクト(育児放棄)の末に2人を死なせたとみて、殺人や保護責任者遺棄致死容疑での立件を検討する。
 発表によると、下村容疑者は6月下旬、自宅マンションに長女の桜子ちゃん(3)と長男の楓(かえで)ちゃん(1)を置き去りにし家を出て、数日後に帰宅した際、2人が死んでいるのを確認したが、そのまま遺体を放置し、遺棄した疑い。
 司法解剖の結果、2人は死後約1~2か月で、死亡直前数日間は何も食べていなかったとみられる。死因は特定できなかったが、いずれも栄養不足状態だった。
 下村容疑者は「ご飯をあげたり、風呂に入れたりするのが嫌になった。ご飯も水も与えず、子供たちだけで生きてはいけないことはわかっていた。『助けてやらなければ』という気にはならなかった。(置き去りにしてから)1週間後には死んでいるかもしれないと思った」と話しているという。
 下村容疑者は勤務先の同僚男性に携帯電話で呼び出され、30日午後、待ち合わせ場所に現れたところを捜査員に任意同行された。

 
・・・あえてこのソープだかヘルスだかの女を非難することは控えてみます。そういうことはオレ以外の多くの皆さんが既に書いてます。恐らくおんなじようなことを書き連ねるだけで、それは詮無い事です。
そもそもオレは独り者で、しかもどっちかというとブラブラしてる感じで生きてますので、だいたいこの女を非難する資格があるのかどうかからして疑わしいです。おまえさんにアレコレ言う資格は御座いませんよ、と言われたら、言い返す術が無い。少なくともそういう自戒が我が心中にあります。
間違ってもこの毎日新聞の記者氏のように、テメーらの「不祥事」は棚に上げて
> 大阪市こども相談センターには、マンション住民から虐待を疑う通報が
> 3月30日~5月18日に計3回あった。計5回の訪問をしたが、呼び鈴を押しても
> 反応がなく、不在票を置いて引き揚げた。子どもの安否確認や警察への連絡も
> しなかった。
などという、奥歯に物の挟まったようなインケンな言い回しでもって社会制度・構造批判するような、卑怯で下品で鉄面皮なヤカラにまでは堕ちるまい、と思って止みません。
(連絡「も」 しなかった、だってさ。ナニサマのつもりで書いてんでしょうかね、余談ですが)

「AKB48」の件。

一昨日DVCAMのテープ買いにアキバ行ったんですけどね。なんか、いろいろビックリしました。

ホントにいろいろビックリしたんですが、一番ビックリしたのが、この娘らの各種映像がそこかしこに「散乱」してるってことね。
そうか、いつのまにかこんなことになってんのか、と。

CD買った人しかメンバー人気投票に参加できないとか、中身が一緒で特典バージョンが違う・・・それも44種類ランダムに有るCD売ったりというような、いわゆる「AKB商法」。
CDやグッズなどの大量購入を煽るこのやり口に対しては批判の声も多いようですが、反面「買うヤツは好きで買ってんだからほっとけ」的な意見も散見されます。

まぁ、そりゃそうです。
須らく消費者が自由意志でもって買ってんですから、それもまた正論です。

ただ・・・こういう商法に引っかかる人っていうのは、善し悪しは別にして、とにかく直情的というか、純粋・一途に走るタイプの人が主なはず。
そういう人で無かったら・・・少しでもそういう傾向の有る人で無かったら、自分のオキニに投資するなんてことはしないはずです。

でですね、思うに、こういうタイプの人等を煽り、毟り取るという所業は、非常に危険なんですよ。全て毟られ尽した後、物質面に限らず多くの事柄を失った彼等が、その末に暴走しないと誰が言い切れるでしょうか。

一途に走ってきて、その末になにも残らないということに気付いたとき、彼等のその「直情」のベクトルが怒りや虚無感とともに矛先を変え、妙なテロルに昇華したりしないだろうか。このあたりがちょっと心配なのと同時に、無責任な運営者に怒りを覚えます。

早くも、やれメンバーの郵便物をパクっただとか、握手会の参加券を偽造しただとか、なんだか喧しいです。
まだ暴力的な方向への発露にはなってないみたいですが、この先こういう「商法」で彼等を追い詰め続けたら、どうなるかわからんですよ。

AKB=アキバってことでいうと、この街はついこの間、同種の「暴徒」に襲われた歴史がありますよね。

また、中森明夫あたりがこの「商法」を半ば肯定してるってことが自ずからその証明になってますが、この方式は非常に「80年代」的な、ハッキリ言ってオールドファッションで、ある意味陳腐なものです。
要するに、20年くらい前に、既に実行され、有る程度の成功を収めた手法ですよね。オッサン世代ならみんなわかってるはず。

決して高嶺の花ではなく、よりアナタらに身近な存在ですよ、さらにメンバーの頭数揃ってますから選りどりみどりですよ、と。

その上で、アナタのオキニの娘は他の娘より人気無くなってますよ、ほらガンバって!、というね。

実にアホらしい煽り方ですよ。

で、こういうのは昔、オレのようなオッサン世代が引っかかった手法です。「おニャン子」でね。

あれから20有余年。それに引っかかった世代が去って、この手法そのものを知らない・未経験な世代が芸能界を支える主流になってきたのを見計らって、また同じ手口で太ろう、というね。

ロクでもない連中、としかいいようがありません。

秋元はじめ、運営側は要するにこういう商法しか出来ない連中なんですよね。ただ今回のこれは、かつてより数段エゲツなくなってますね。この記事のような、陳腐で下品な、プロレスでも恥ずかしくて出来ないようなサイドストーリー。

・・・いやプロレスのそれはOKです。あれは「格闘技」という明確な対戦構図がベースの世界観が前提ですからね。
今回のこれは、本来そういうところの対極にあるべき価値観の中で有るわけですからね。だから下品であるよ、と。こういう煽り方は、いわゆるアイドル・・・それも10歳代後半の娘らに適応すべきことじゃ無いと思うんですよ。

それだけ・・・そこまでやっちゃうほどに高慢になったのか、若しくはよりカネへの執心が増したのか。

なにしろ、とりあえず違法でこそ無いようですが、こんな手法はアナタ、冷静に考えたらほぼ「脱法」行為ですよ。そう言ってしまって差し支えないでしょう。

かわいそうだなぁ、と思いました。この娘らが、です。

帰りにTSUTAYA行ったら、メンバーのなんやらって娘がショートパンツ?姿で股開いてるデカいポスターが貼ってありました。国民的アイドルとか言いつつ、こんなんやらされてんのか、と。

昔の角兵衛獅子などのほうがまだマシだったんじゃなかろうか。ねぇ。

長文ついでにもうひとつ書いちゃいますが、要するにこの娘らのはじき出している「数字」は、多くはこの商法に乗ったファンの人たちの、様々な「大量購入」によって支えられてたりするわけですよね。

だとしたら、それは「国民的アイドル」では無いよね。

岡田監督(サッカーの方ね)について。

以下は5月26日のサンスポの記事からの引用です。

 えっ…冗談なの!? サッカー日本代表の岡田武史監督(53)は25日、0-2で敗れた24日の韓国戦(埼玉)後に日本協会・犬飼基昭会長(67)へ自
身の進退を尋ねた件について、「真剣に言ったわけではない」などと話し、冗談だったと弁明した。選手にも練習前の円陣で説明。南アW杯に向けて26日未明
に日本をたつ直前というのに、指揮官自ら混乱を巻き起こした。

・・・このオッチャンもちったぁタイミングを考えてモノを言えよ、とは思うのですが、各マスコミも少々叩きすぎな感があるように感じます。

この際このオッチャンをいくら叩いたところで大局的なメリットは皆無ですよ。メディアとして、とにかく叩いてりゃコトが済む、って話でもあるまい
に、と。

要するにマスコミ的には、とりあえず今はこのオッチャンを叩いとけば、少なくとも自らに火の粉がかかることもあるまい、このオッチャンを悪者にし
とけば文句も言われにくい、ってことなんでしょうが、とにかくこの際あまりに保身ばかり目に付くような記事は控えたらどうですかね。

この国(に限らないか)のマスコミには、とかく「英雄」と、一方的な攻撃対象としての「戦犯」を安易に設定しがちな傾向があるように思えます。

かの大戦時にも、死ぬまでラッパを離さなかった、なんて人物が英雄としてほぼ「捏造」されたりしたらしいですね。そこまで遡らなくても、例えば大
林某女史や故三浦某が上記の意味での「戦犯」として、また主に「亡くなった」若しくは「海外で評価された」人らが、場合によってはその功績以上に高評価さ
れ「英雄」化されてるような気がします。

で、今はこのオッチャンに、「戦犯」として論われる順番が来てる、と。要はそんだけの話なんですよね。オレ思うに。

ラッシャー。

ラッシャー木村が亡くなってしまいました。

・・・国際プロレスの絶対的エースだったラッシャー木村。

その崩壊後「国際軍団」として新日本プロレスに「殴りこみ」・・・要は新日のブッカーにコマとして買われたわけですが・・・オレは当時、この「猪
木率いる新日=善」vs「国際軍団=悪」という図式にドップリ嵌った小学生でした。

今考えりゃ、この善悪はむしろ逆だよなぁ・・・と、今、動画サイトでもって猪木vs国際軍団3人のハンディキャップマッチを観つつ想う。

こんなに「国際軍団」側にとって悲しい試合は無いよな、と。

引退時、また三沢の逝去時などにも、その姿をついぞ現されることが無かったので、もしかして体調が芳しくないのかしらん、とは思ってたりしたので
すが・・・人の死というものは常に、必ず「突然」なものですな。

今年は確か鶴田が亡くなって十年。

で、来年の一月には馬場の十三回忌。

そして三沢ももういない。剛竜馬の死も去年だったか。

・・・月並みですが、本当に日に日に、リアルに「昭和」の灯が消えていくようです。

ご冥福をお祈り致します。

北野武映画について。

こと対「世間一般」において、いわゆる北野映画は「キッズ・リターン」くらいのところで既に終わってます。

ただ、その際「残念ながら」というような枕詞は似つかわしくありません。

北野武監督(以下「タケちゃん」)は、もう好きなように、作りたい映画を作りたいように作ってくれればいいんです。正にそれであるが故に「菊次郎
の夏」だとか「監督、ばんざい!」などは感動的でした。だからある意味結果論ではありますが、このことはこれっぽっちも「残念」ではない。

いわば他人のオナニーに付き合う快感、というところかもしれません。で、それを変態というならそうなのかもしれませんが、小説にしろ舞台演劇にし
ろ映画にしろ、要は他人のウソ話に付き合って泣いたり笑ったりしてるわけで、考えてみればこういうのは押しなべて変態の所業、己が変態的神経への刺激で快
感を得てるのに他ならない、と考える次第です。

作る方にしても、言いたいことをわざわざ別媒体でもって表現しようなんていう屈折した指向というか嗜好は、これはもはや紛う方無き変態です。

作る方も観る方も変態なのだから、この際オナニーくらいでどうのこうの言っても始まらないのでありますよ。

きっと今度の作品も、タケちゃんは自らの望むところに忠実に従って撮り、繋ぎ、し、その結果として恐らく国内興行成績は例によって惨憺たる有様
で、それ故タケちゃんは資金捻出・補填のためにまたアホみたいなTV番組にシコシコと出張る羽目になるんだろうと思う。

そうまでして「勝ち得た」オナニーであるので、この作品もきっと前出の「菊次郎・・・」や「監督・・・」若しくは「アキレス・・・」と同様同種の
感動をもたらしてくれることでしょう。

賭す事柄の重い・大きいオナニーは美しいんですよ。神聖なんです。・・・多分ですけど。

同時に、恐らく「HANA-BI」くらいから、意識してオナニーに邁進しているタケちゃんに、オレとしては大向こうから声を掛けてあげたいと思い
ます。

「ナイス!」っつってね。