このたびのこと。その1、当日など。

リアルに迫り来る「死」、それに対して人間はどう反応するか。どのようなリアクションをとるのか。このたびの震災と原発事故によって、その類型をさまざま
見せられてきた感じがあります。特に震災発生から数日間には、ネット内を見ても、怯える人、なぜか居丈高になる人、虚無に落ちる人、やたら粗暴になる人、
と、実にいろんなリアクションを見ることができました。

まるでハリウッド映画などのCGのような「津波」や、無残に瓦礫化した街の風景がクドいほとメディアに流れ、そしてなにしろ「原子力発電所」が、
あろうことか複数回に渡って「爆発」したりしてるわけですから、こういったリアクションを笑える人など一人もいないはずです。これで多少なりとも「死」を
意識しないでいられるような人はそう多くないでしょう。ビビって当然、このたびの諸々は、それほどの・・・各々の死生観が露呈してしまうほどの大事だ、と
いうことです。

早いもので震災発生からまもなく4ヶ月にもなります。ホントにアッという間の4ヶ月でした。そういえばここ数日、やたら寒かったあの頃がウソのよ
うな酷暑が続いています。季節が180度入れ替わるくらいの時が経ったんだなぁ、と、エアコンのフィルター掃除などしながらフト思いました。


あの日は朝イチで病院行ってたんでした。昨年末からヒジの関節炎ってことで整形外科に通ってまして、その日も待合室で知り合ったオッサンとダラダラしゃべったりしてたんだった。

で、診察が終わったのがAM10:30頃だったか。好天で珍しく気温もそこそこ上がってましたので、ヒマにあかせてブラブラ散歩し、帰宅したのが昼前。そして、だらしなくもそのまま昼寝なんかしてたのでした。

で、寝てる間に地震発生。

・・・東京は最終的には震度5弱ということになったようですが、幸運なことに我が家や周辺にはほとんど被害らしい被害はありませんでした。外付け
のHDDが2つほど床に落下し、卓上に積んであった名刺の束がちらばったくらいのものでした。このHDDもこれで壊れることなく、今でも使用しています。

揺れがおさまった頃に恐る恐る表に出てみましたが、地割れがあるでもなく、ご近所の壁やガラス窓が落ちてたりすることもなく、PM3:00過ぎの時点において、我が町は全くいつもと変わらぬ様子でした。

その日の夜。

友人が東銀座で働いているのですが、電車が動かないとかなんとかで、車で迎えに行ったんですね。PM9:00過ぎだったか。

いつもなら東銀座まで、まぁこの時間帯であれば30分もあれば行けるのですが、なんだかんだで1時間半ほどかかりまして、この時点で、あれ?なんかおかしいなぁ、と。

で、東銀座に着いて友人を乗せて、地元に向かって走り出したんですが、ここで大渋滞。未曾有の大渋滞。

結局帰宅まで7時間かかりました。車中でも数分おきにデカめの余震があったりしてね。ああ、こりゃ、どうやらタダごとじゃないな、と、ここで実感した次第です。

翌々日の13日。

お世話になってる神社様の「初午祭」にお邪魔したのですが、境内の灯篭という灯篭が全て倒れているのを目の当たりにして、改めてこの「タダごとじゃ無さ」を実感させられました。

そして、その直会の場で区長、区議会議長のお話を聞く機会があったのですが、新大橋通りに地割れが起きていることや、比較的新興の埋立地域が揃って液状化していることなどを聞くに及んで、この実感がさらにブーストされた、という次第です。

ここからの数日は、ウチのアシスタント氏の言葉を借りますが、まさに「胃の痛む日々」でしたね。被災地の惨状ももちろんですが、夜寝る⇒朝起きる=大抵の場合原発の状況が悪化してる、という、この繰り返しでねぇ。

例えば13日、3号機の燃料棒が露出、なんて報道を聞いて”朝には少しは良くなってるといいなぁ”なんてことで寝て、翌日起きると新聞にデカデカ
と「3号機、爆発」なんて見出しがイヤでも目に入る、というね。しばらくはこういうことの繰り返しだった気がします。またどういうわけか(って、新聞の締
切時間を考慮して、に決まってるわけですが)東電や保安委からの重要事項の発表が大抵夜中の3:00過ぎだったりするので、新聞やテレビが必ずしも最新情
報とは限らなかったりするのもこの「胃の痛む」理由の大きなひとつだったりしましてね。

被災地におられる方々はより具体的な「災害」に苦しんでらっしゃるわけなので、考えてみれば原発関連に一喜一憂できている状況ってのは非常に恵ま
れている、とも言えるわけですが、当時はなかなかそうは考えられなかった。このことは直接被災していない人たち皆そうだったようで、それ故の、冒頭に記し
たような次第になるわけです。

このたびのことに関しては、言いたい事がワンサとあるので、とても一回では書ききれません。

なのでまた改めていろいろ書こうと思うのですが、ひとつだけ。下記。

冒頭に、

「各々の死生観が露呈してしまうほどの大事だ、ということです。」

と書きましたが、これは決して

「大事だった」

では無いんですね。まだ過去形で語るには尚早である、と。

「だった」と言っちゃっていいタイミングでは無いんだ、ということです。

被災地の状況も、原発も、あれから4ヶ月弱経過してはいますが、復興の進んでいる部分もあればむしろ悪化してるポイントもあり、まぁいわばプラマイゼロ、若しくはちょっとだけマイナスが勝ってるようなところもあるかと思っています。

瓦礫撤去・整備復興の進んでいる地域もあれば、いまだ瓦礫のままな土地もある。どころか、瓦礫化したまま放置された結果、家畜etcが野生化してしまってたり、陸揚げされていた海産物が腐敗して悪臭や感染症の元になってたりするようなところもある由。

原発も、いまだいずれの炉内も煮え滾ったままで、循環冷却システムの施工もなかなかスムーズには進んでいない様子です。また、主に爆発時に多く排出されてしまった放射性物質の影響がそこかしこに出てきています。

その他、何に拠らず、あれから日数が経っているからこその諸問題も頻発してる昨今です。

最近じゃすっかりTVも平常運転なようですが、まだなにも解決して無い、我々はまだリアルタイムのなかにいる、ってことだけは意識しなければいかん、と思います。

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