2015年

阿川弘之の訃報に接して。

いつだかも書いたようにいわゆる「第三の新人」の方々は中~大学時代の私のいわばアイドルで、著者名にそこに属する方の名があれば無条件で買い漁り読み漁りしたものです。今でも我が本棚には「志賀直哉」から「きかんしゃ やえもん」に至るまで揃っております。

氏の著作には妙なところで影響を受けておりまして、「井上成美」の終章、一人暮らしの井上の部屋が加齢臭に満ちていた云々のくだりを読んで、オレはそうならないように今からちゃんとフロに入ろうと決心したり、私流ステーキの焼き方が「鮎の宿」にあるほんの2行ほどの「私的ビフテキレシピ」のくだりそのままだったり。
前者からはホントに老齢の侘しさが滲んでおりましたし、後者のステーキはホントに美味そうだったんですね。ああ、そういうところが「ブンガク」なのかもなぁ、と感心したりしたものです。

氏を「第三の新人」に入れることには是非もある由ですが、なにしろそのメンバーでご存命なのは三浦朱門ご夫妻だけになってしまいました(多分)。27年も経てばそりゃ昭和も遠くなるに決まってますが、いやぁホントに遠くなっちゃったなぁ、と改めて実感する次第です。

「街は生き物」という話。

この1か月で8本の映像編集と1編のPPT制作を行い、完成後は1週間ほど事実上泊まり込みでもって広義の生中継での撮影を担当しておりました。ということでほぼ1か月ぶりのFBログインですが、なにも変わって無くてこれはこれでビックリです。
でもって、下記はそんなFBと違って、エラく「変わった」お話しになります。
 
木更津の駅前某所での泊まり込みだったのですが、まず木更津駅周辺の寂れっぷりに大げさでなく驚愕しました。一応JRの基幹駅なはずの木更津駅ですが、
リッパな駅ビルがあるもののテナントは10%くらいしか入ってないし、駅前アーケード通りには殆ど開いてる店が有りません。いやホントにどこも開いてな
い。灯りのついてるのが銀行の無人出張所が1軒と、サラ金の無人コーナー1軒だけだった気がします。要するに絵にかいたようなゴーストタウンでしたマジ
で。
15年くらい前にもこの地での撮影案件がありまして、あの時も”なんかサビシげな町だなぁ”と思いましたが、このあたり、もはや歯止めのきかない衰退の流れ、なのでしょう。
 
ただ、駅前はそんな感じですが、木更津全体としては隣接する君津なんかと比すればまだマシな由。確かにこの地にはうすらデカいナンヤラアウトレットパーク
だかモールが出来て、そこは大いに賑わっておる由。また街道沿いには大型店舗が続々集結し、まぁそこそこ盛り上がってるとのことです。
当地のクライアント様に聞いた話なので、まぁそうなんでしょう。
要するに、街の「中心地」が移った、ということなんですね。
潰れっぱなしなわけじゃなく「移った」んであるなら無問題か、というとそんなことは無く、駅周辺に賑わいが無いってことは他地域との人口交流が乏しいってことに他なら無いわけで、やっぱしあまりよろしくない感じが有ります。
 
中心地の移動ってことですぐ思いつくのは、沖縄は北部の、名護、ですね。
オレが初めて訪沖した94年頃の観光ガイドブックには、名護=ピンプンガジュマルの木から連なる随一の賑やかな商店街が魅力的!なんてな記述があります
が、もはやこの辺りもかなりゴーストタウン化しておりまして、昨年夏に訪沖した折には、なにしろ人通りがまるっきり無かった。サンエー・名護十字路店に入
ればそこそこ人影があるのですが、まぁジィサンバァサンばかりで、94年ごろにひしめいていた層はどこ行っちゃったんだろう、と。
 

「とにかくAKB出さないと刺さらない」話。

しばらく前に某ちょー大手広告代理店の方と焼肉食ってたときにAKBの話題が出まして、氏いわく、
「(イベントなどには)とにかくAKB出さないと刺さらないんだよねぇ」
としきりに仰ってたものです。AKB出せばとりあえず刺さる、という言い方もされてました。
へぇ、そういうもんなのか、しかし「刺さる」って言い方がいかにも代理店だなぁ、などと思いつつカルビやらレバ刺やら食ってたものです。
 
最後の一文でわかる通り(←まだレバ刺が普通に食えてた時期なわけです)これはもう3、4年前の話なのですが、相変わらずAKBの関係モロモロは「刺さ
る」ネタな由で、今日は「総選挙」なるものが行われ、その結果を天下の朝日やら読売やらが写真+動画も交えて大々的に報じておりますな。TVでも「完全生
中継」したりしてたそうで。
 
10歳代そこそこで、ちょー大手代理店etcから「刺さる」ネタとされる気持ちはどんなもんなんですかね。
アイドルと呼ばれる少年少女には、猫背の方が多いそうですよ。ナントカって心理学者がどっかに書いてましたが、これは恐らく心因的なもので、分不相応なプレッシャーを与えられ続けると自然にそういう姿勢になっちゃいがちなんだそうです。
 
文字通り寝るヒマもメシ食うヒマも無くコキ使われまくったピンクレディーのお二人、人気絶頂期には”こんな状態がいつまでも続くわけない”とお互い言い聞かせてガンバったんだそうです。
「でなきゃホントに死んじゃってたかも(笑)」
とこないだラジオで仰ってました。
 
AKBの皆さんもそんな感じなんですかね。

「将棋電王戦」雑感。

精鋭プロ棋士と「コンピューター将棋ソフト」が対戦する「将棋電王戦」。昨日「第4回電王戦」の第4局が行われましてプロ棋士・村山慈明七段が敗北、都合2勝2敗で第5局=最終局で雌雄が決せられる、というドラマチックな展開と相成りました。
第5局で阿久津主税八段が勝てば3勝2敗でプロ棋士側の勝ち越し、負ければCOM側の勝ち越し、となります。
 
以下はこの「電王戦」に関する雑感です。
 
数年前からあちこちで書いてるのですが、「人間」と「COM」が対局するに当たり、そもそも「人間」vs.「人間」の際のルールが適応されるというということに意味があるのだろうか、という疑問があります。非公式戦ですので特段に意味がなければならない理由も無いのですが。
コンピューターはあくまでもコンピューターであって、人間では無い。記憶や解析のシステム、引いては流れる時間そのものが人間のそれとは異質別質なものです。そういうものとの対局において、勝った負けたで一喜一憂することにどれほどの意味があるのか、と思うわけです。もうそういう段階でも無かろう、と。
 
っていうかですね、そもそも対人ルールで「コンピューター」と対戦して、人間が勝てるわけねーだろ!というのが私的な意見です。
そうでなきゃおかしい。またそうでなかったら、現状のコンピューター技術は少なくとも「将棋」の世界においてはまだまだ使い物にならないレベルだということになってしまう、と思うのです。
人力では取り扱えないほど重いものを運びたいからダンプだユンボだフォークリフトだ、と発明され、いちいち暗算やソロバン使ってる場合じゃないからってことで電卓が生まれ、我が業界に関することで言えば、コマごとにカッターで切ってスプライシングテープでつないで貼ったりしてたんじゃ速報性etcに対応できないからノンリニア編集システムが出来たりしてるわけで、それらには前提として「人間がやるより優秀である」必要がある(あった)わけです。人間がやるより効率的、高クオリティであることを求めて、人は「ツール」を使うわけですから。
 
「コンピューター将棋ソフト」も然りで、対人ルールだったら当たり前のようにCOMの方にに勝ってもらわなきゃいけません。
でなきゃ意味が無い。存在する意義がありません。
 
そういう意味で、第2回電王戦の第5局、将棋ソフト「GPS将棋」を東京大学にある600台超のPCを連結させた状態で稼働させ、当時A級バリバリだった三浦八段(当時)と対局させたあの1局、これが「コンピューター将棋ソフト」が人間にとって使い物になるレベルのツールであるかどうかの貴重且つ有意義な試金石だったわけですね。
果して「GPS将棋」は三浦先生に勝利し、ここに「コンピューター将棋ソフト」は人間にとって有益なツールである、ということの証明としての貴重な一歩が記されたわけです。
「対人ルールで「コンピューター」と対戦して、人間が勝てるわけねーだろ!」という、極めて当たり前な図式が公に成り立った瞬間であった、と。
同時にこのことは、人間vs.COMにおいて、「勝った負けたで一喜一憂する」ことが無意味になった瞬間でもあった、と思う次第です。
 
さらに同時に、「コンピューター将棋ソフト」、引いてはゲームプログラミング、また「人工知能」といった関連付け可能な分野において、このことは貴重な「スタートライン」だったのかもしれません。
もはや「勝った負けたで一喜一憂」してる場合ではありません。「人間」vs.「人間」の際のルールが適応される状況下で人間が負けるのは当たり前。そうでなきゃ困るのです。
あの1局を境に、私たちはそういうところから脱却し、次の人間とCOMとの共存共栄の為の一歩を踏み出すべき段階に入った、と言えるかと思います。
 
さて、この「将棋電王戦」には、恐らく多くは興業的な都合によって「人類vs.コンピューター」という極めて単純明快な対立構図が設定されています。
「vs.」という分かりやすい構図が無いと、なかなか広い層への訴求は難しいですからね。これは仕方の無い(!)ところでしょうか。
 
対人ルールを適用するとコンピューター将棋ソフトがほぼ勝つ、というのは、前述のGPS将棋で明示された事柄なわけですが、やはり前述の通りここをスタートラインとすると、必要なことは「継続」ということになるかと思います。
 
継続させるにはぶっちゃけた話「カネ」が要るわけで、「カネ」をかけなきゃ双方の発展も難しい・・・・・・ということで、単純な対立構図を保持したまま「コンピューター将棋ソフト」と人間の双方に有益な形で「継続」させるというのは非常に難しいことだと思うのですが、その辺り、この電王戦関連は非常にスピンオフ企画が面白いです。
既存の対人ルールから離れ、では持ち時間を図抜けて超時間にしてみたらどうなんだろうか、とか、人間と「コンピューター将棋ソフト」、純粋な棋力ではどのような優劣、差異が出るんだろうか、と、面白い&非常に有意義に思える企画が多く実現しています。
 
逆に言うと、既存の対人ルールでの単純な「人間vs.コンピューター将棋ソフト」という図式には、もはやポジティブな意味は無いと思えます。
そういう意味で・・・・・・開催中の第5回電王戦は「final」と銘打たれておりますが、賢明だな、と思う次第です。