安藤和明

子どもの頃ボクシングジムがあった。

物心つくかつかないかのホンの子どもだった頃、我が家の隣が三迫ジムでした。板張りで薄暗くて、なにしろ猛烈に汗臭いジムでした。あれほど汗臭い空間をオレは知りません。当時ボクシングジムとはそういうものだったんだろうと思います。
梁にやたらおっかない顔の肖像写真が飾ってあった記憶があるのですが、今思うともしかしてあれは野口進だったのかな、と。

当時の三迫ジムには輪島さんのほか門田新一、竹森三城といった選手がおられたと思います。
竹森選手はジム裏にハト小屋を作っておられて、夕方にひとりで世話をされてたのをよく見かけました。竹森選手については以前 https://www.c2-factory.com/wp/2004/12/03/post_10/ここでも書きましたっけ。
門田さんにはうちの父や母が選挙のたびに車で投票所まで送ってもらったりしたそうです。非常な紳士でらっしゃった、とのことです。
輪島さんは、なにしろ面白いというか、ユニークな感じだったそうです。かくいう私もそばで遊んでたら練習中の輪島さんに窓越しに“ぼうやちょっとおいで”ってな感じで手招きで声を掛けられ、寄って行ったらうがいの水を頭からかけられたことがあります。爆笑しておられたのをいまだに覚えてます。

小学校中学年くらいの時にジムは移転してしまったのですが・・・あれからもう50年近く経つんだな。懐かしいです。尊敬する人は?と聞かれたら私は必ず「輪島功一」と「渡嘉敷勝男」と答えています。

ちなみに当時の三迫ジムの建物はほぼそのまま今でも残っています。ジムが移転した後、確か葬儀屋さんになり、福祉事務所になり、いまではなんと旅館になっています。売り返しますが建物はほぼジムだったときのまま。リングのあったところがフロントになってんのかな、と思います。江東区塩浜です。

シティポップが流行ってるらしい。

今日出先で聞いてきたのですが、なんか昨今こと若者の皆さんにおかれましては80年台のいわゆるシティポップが流行ってるんだとか。
楽曲に普遍性を備えさせるのはひとえにアレンジの力だと山下達郎大先生が昔仰ってた(と思うの)ですが、確かにこの頃のこのジャンルはなにしろアレンジが素晴らしい。40年近く経った今になってまた流行るってのがその証拠です。
オレのようなオッサンの心中にはこの辺の楽曲を聴くとまず「懐かしさ」が沸いてしまいますが、これは純粋な鑑賞においては邪魔な要素です。
若さを羨ましいと思ったことは今までただの一度もないですが、これらの佳曲をいまこの時代に「初聴」できる若者に対しては例外的にそう思います。ああ羨ましい。オレはもうあの初聴時の感動を味わうことはできません。

1990年代の後半頃だと思うのですが、最新のハードウエアを駆使しての電子音系の音が横溢しておりましたヒットチャートの界隈におきまして、いきなり70年代のフォーク村から出てきたような「ゆず」が現れ席巻したりしたように、本質的なヒットソングおよびその制作者というものは必ず聴衆の主体性に依って生まれるのであります。ここは信じてよいポイントです。良いものはいついかなるときも「良い」のであって、なんだかんだ言って良いものは日の目を見るパーセンテージが高い。聴衆はそれほどアホなもんでもありません。本末転倒なマーケティングに依って計算されたものよりもアベレージは実は高いんじゃなかろうか。

謹賀新年。

力士の四股には、「醜」を踏み潰すという意味があるそうです。そして土俵に撒く塩はいわゆる浄めの塩。
ここ数年の我が国には、踏み潰し、また清めなければならない事どもが横溢しております。

今年は美しく清らかな年にしたいものです。本年もどうか宜しくお願い致します。

株式会社C&Cファクトリー
代表取締役 安藤和明

成人の日。

オレ自身は成人式には行きませんでした。記憶は定かではありませんが確か未明までサタデーナイトショーとオールナイトフジを観てたせいで寝坊した次第です。

起床は昼過ぎでした。当時外廊下に面していたオレの寝室の窓をカツカツと叩く音が聞こえまして、それで起床。
ノソノソ起きて窓を開けたら、スーツ姿の中学時代の友人Oくんがおりました。

成人式帰りかと思ったらさにあらずで、聞くと行ったけど会場がいっぱいで入れてもらえなかったんだ、と。
締め出されたけど行くアテもなく、仕方ないからオレん家に来た、ってわけです。
ティアラこうとうがいっぱいになる程新成人がいたんですねぇ当時は。昨今では役所の担当部署が人集めに腐心してる由。少子化なんだなぁ、と実感します。

明日っていうか今日は成人の日。なんやかやで成人式は江東区では行われないみたいです。振袖などを揃えてこの日を心待ちにしてた方も多かったでしょうに。なにより親御さんの落胆を想います。

まぁ振袖着る機会はまたありますよ。年末に観たテレビ東京「年忘れ日本の歌」では、こまどり姉妹のお二人が振袖来て歌ってましたよ。御年82歳かな。結構な絵面ではありましたが、いつなんどきも着たらアカンってな法は無いのです。

あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。今年も変わらぬご愛顧の程どうか宜しくお願い致します。

あれはサラリーマン時代、それもペーペーの新人の頃ですからもう20有余年も前になりますか、いきなりある屋外イベントの進行&収録を振られたことがありました。

その年は梅雨明け宣言は出たものの連日雨、それも驟雨続きで、事前段取りも思うようにいかず、苛々は募るばかり。焦燥でホトホト疲れ切ったものです。
屋外イベントですのでケーブルは雨が止むまで引けないし、舞台音声はどうするんだ、出演者は屋根のあるとこに待機させなきゃ、だとかなんとか、やらなきゃならんこと・決めなきゃいけないことはいっぱいあるのに、なにもかも雨でストップしてまってしまってどうにもならん、という。

その日も雨でなにも出来ず、仕方ないのでスタジオの中でボーッとしておりました。
スタジオの中にはやはりなんにも出来ずにボケッとスタジオモニターに映るサッカー中継など眺めてる先輩方。
雨、いつ止みますかねぇ、などと取り留めもなく話しかけましたら、その先輩、

ま ぁ 、 今 ま で 止 ま な か っ た 雨 は 無 い な 。

ああそうか、止まない雨は無いんだな。
この雨もいつかは止むんだ。
止んだらまた歩き出せばいいんだ。

……と、状況は何も変わってないのにも関わらず、なぜだかこの先輩の言葉に救われた気がして、スッと気持ちが楽になったのを覚えています。

たちかえって今般の我が国は正に長雨のさなかです。

タチが悪いのは、いまひとつ止む時期が見通せない、というところ。

でも、止まない雨はありません。この雨もいつかは止むのです。
止んだらまた歩き出しましょう。

上記した「屋外イベントの進行&収録」云々の話は丸々作り話で、新人時代どころか令和三年元日の段階でそんな案件をやったことはただの一度もありませんし、あらゆる「先輩」にこんなことを言われたことも一切無いし、そもそも雨でなんにもできないならトットと帰るに決まってるわけで、とにかく全部ウソ話なのですが、とりあえず「止まない雨は無い」ってのは真だと思います。

スーパーカブを購入。

12月頭に新車のスーパーカブが弊社にやってきます。ってもう12月だからまもなく納車。小澤さんありがとう。助かりました。

  こないだ代金の支払いと各種書類の提出に行ってきました。その時にも聞いたのですが、我が初代カブ号と比すると最新機は想像を超える進化を遂げておる由。
まず、今のバイクには「キャブレター」が無いんだそうで。4輪だとこれはもうとっくに無く、燃料供給に関しては全て電子制御だとは聞いてましたが、原付の、それもカブでさえそうなんですね。これは結構ガチで驚きました。
もう灯油だかガソリンだかでキャブ掃除しなくてもいいんだな。でも不調の時はもう自分でイジれないってことですね。

  あと、エンジンの起動がセルだった。これについては考えたら今までセルモーターでエンジン起動させるバイクに乗ったことが無いのでちょっと不安だったりします。今までのバイクは全てキック起動でした。でも聞いたらキック起動も可能だそうで、まぁ良かった。

  あと「慣らし運転」が500kmだったか1000kmだったか忘れたのでバイク屋のオッチャンに聞いたら、今はことさらそこに頓着する必要は無いんですってね。オレの記憶だと1000kmだか500kmだかまでは○回転以上エンジンを廻しちゃいけないとかそういうのがあったですが、今はそういう感じじゃ無いっぽい。
まぁ最初のうちはおとなしく乗った方がいいですよとか言われましたが、そもそものところで荒っぽく運転するつもりも無いんでね。モノがカブですからなにしろ。
確かに4輪を買ったときにミツビシのアンちゃんに同じ質問したら、なにアナクロなこと言ってんだこのオッサンみたいな顔をされて、今どきは新車でも工場出荷時にテストでガンガン廻すので慣らしとか意味無いっスよ!とそういえば言われたですが、でも50ccだから必要なのかな、と思ったのですよ。我が国の工業製品における工作精度の高さに瞠目する次第です。

  あとあと、オイル交換の時に都度ボルト&ワッシャーを交換する必要が無いんだと。
ええホントに?と思うのですが、バイク屋さんが言うんだからそうなんでしょうね。
そういえば数年前に純正のボルトetcを求めてバイク屋さんを数軒廻ったとき、その全てで「在庫なし・取り寄せ」だって言われて、メンドくさくなってオイル交換自体を止めた、ってことがありました。つまり、そういちいち換えるものじゃないってことですね。だからお店もさほど在庫しない、と。

  あとこれが一番ビックリだったのですが、我が初代カブはガチの実測で90km/リットルくらい走るのですが、この程の新車は「いやぁ、もうちょっと走りますよ」とのこと。
なんだその低燃費。これはホントなのでしょうか。

  しかし、初代のカブね。これはざっくり20年ほど前に購入したもので、サラリーマンを辞めた当時は唯一の足として、ヘタしたら収録にもこれで行ったりしたものです。それだけの愛着のあるものです。これともお別れなんだな、と思うとちょっと淋しい感じもあります。
でもまぁ結構乗ったからな。距離そのものは1万kmとちょっとですが、それは単なる数値以上に濃密なものでした。結果フロントフォークはよれ、フロントブレーキは効いたり効かなかったりし、エンジンオイルはそこかしこで漏れ、ヘッドライトは点灯したりしなかったり、と、ありていに言って満身創痍。ここで御役御免というのが良いタイミングかな、とも思う次第です。

センバツ高校野球がなんか知らんけど中止になった件について。

選抜高校野球中止ってマジですか。無観客開催ってんじゃなくて?
 
あくまでも私的には、ですが、中止は正直どうかと思うのです。相撲に比べても選手間での感染が成立しにくい競技だと思うのですよ野球って。まして甲子園は屋外だしね。無観客開催が難しいっていう事情がなにかあるんでしょうかね。
 
何でもかんでも中止にすりゃいいってもんでもないと思う。できること・やれることはむしろ積極的にやっていいでしょう。てかやるべきだ、と。こういう腰の引け方がなにより経済をダメにします。引かなくて良い腰は引いたらいけません。
  
フンドシ一丁で組み合う大相撲はやってるじゃないですか。開催のために相撲協会はすさまじい厳戒態勢で万全を期してますよ。そしてそれが高評価を得ています。
なぜか。
それが「腰の引けた対応」じゃないからですよ。
 
大相撲の本場所が開催出来て、屋外で、基本的に選手の接触を前提としていない、ある程度選手間の距離が保てる高校野球がどうしてやれないのか。なにやってんの高野連。てか朝日と毎日。
 
やれることからやりましょう。てかやれることはやらなきゃダメです。センバツは「やれること」だと思う。

松竹。

かつて松竹は封切った作品がコケそうになると、いつのまにか「砂の器」が併映されてたりしたものです。ああこりゃアカン大コケだわ、となったら、とりあえず「砂の器」をいっしょに掛けとけばある程度の客は囲える、という。
 
いつの頃からか、やがてその役目は「蒲田行進曲」が担う感じになりました。ナンでもカンでも「蒲田行進曲」が併映されてた感じがガチでしたものです。
だったら「砂の器」と「蒲田行進曲」を2本立てで封切館でやりゃいいじゃんか、と中学時代のオレは思ったものですが、大人になった今はそれは経営的に絶対的な禁じ手であることがわかります。
  
ところで今松竹はどうなってんのかな、というと、なんか今度「男はつらいよ」の、あろうことか「続編」が公開されたりなんかしていますね。
それがいいことなのか悪いのかはオレにはわかりません。

商売道具について。

きのうから今日にかけて、某社様の「製品紹介パンフレット」計9Pを作成しておりました。イラレ&フォトショと首っ引きでありました。9Pっていうのはよく考えたら不思議なページ数ですが、いいんです。
本来ならデザイナー様にお願いするところなのですが、予算が乏しく納期もややキビシいような場合は自分で作ります。乏しい予算なりのクオリティであることは自覚しております。
 
完全に専門外っていうかもはや門外漢の分野ではありますが、「撮影」と違って、対象が逃げていかないってのは、これはかなりデカい要素です。撮影の場合、二度と撮り直しできないようなケースもあるので、それはそれは緊張します。
 
撮影現場におきましては、ときどき他社様のクルーと一緒になることがありますが、撮影作業に相対する際の心の置き方につきまいsては、これはもう千差万別、テキトーにやってんなぁと思うこともあれば、ああ、ちゃんとしてるなぁこの人、と感じることもあります。後者は無条件でリスペクトの対象となります。
 
いつだったか、カメラを三脚に付けたまま、三脚を担いで移動してる人をみました。
昔と違ってカメラも軽量化されてますが、それにしたってもし三脚とのアタッチメントが外れたらカメラは間違いなくおシャカになります。
おっかないことやってんな・・・と思ったものです。
 
大昔いっしょになったカメラマン氏は、若い頃、ちょっとでもヒマがあったらカメラを触ってろ、マニュアルは100万回読め、とサンザン言われたそうです。
そこまですることもなかろうとは思ったりしますが、商売道具ですからまぁそれくらいやって当然なのかもしれません。そういえば、商売道具を大事にしない人は、確かに大したものは作れてないです。撮影に限らず。
黒澤の「どん底」、東野英治郎演じる鋳掛屋のオヤジについて、商売道具を売っぱらった瞬間に「人生が事実上終わった」という表現になってますね。そういうものかもしれません。
 
で、なにがいいたいかというと、カメラや三脚と同じように、今回のようなパンフetcの制作を生業としてる方々にとったら、イラレやフォトショが「商売道具」の重要なひとつになるわけですよね。
商売道具が結構な頻度で「更新」されていくってのは・・・なんともいえない心持になります。
 
まぁなにしろ大事にしなきゃな、と思いました。ではおやすみなさい。

見る人が見れば、な話。

ひょんなことで知り合った某所のスナックだかクラブだかよくわからない店のママさんいわく、その客がヤクザかそうでないかってのは、ほぼ一瞬でわかるんだそうですね。どんな服装でどんなヘアスタイルetcでどんな腕時計をしてようと、大げさでなく入口ドアが開いた瞬間にわかるんだと。
なんでわかるのかと聞くと、やっぱしそういう空気というか雰囲気があるとしか言えない、とのことでした。
 
これはオレがヤクザでないからヤクザを例にとってそんな話をしてくれたってだけで、要はどんなに取り繕っても、見る人が見ればその生き方生業etcが丸わかり、バレバレだってことですね。
 
今年はちゃんとしようと思います。
そして、その「見る人」としての目も肥やしたいと思います。