その他

昔々、歌手にスカウトされた件。

昨日は区議会議員選挙への立候補を勧められた話を書きましたが、そういや同じ頃、歌手スカウトされたこともありました。

立候補要請の件と比べ、こちらはもうあからさまなサギ臭に満ちた、ウサン臭いことこの上無いお話でした。

某カラオケスナック店が主催するカラオケ大会がありまして、その収録のお仕事をいただいたのです。

で、こういうことはどうやらよくあるらしいのですが、審査時間中のステージ間つなぎにお前さんも1曲やってくんないか、と。

そう言われたら断る術はありません。しょうがないからやったわけです。

そしたら大会終了後の打ち上げの席、審査員をやってた作曲家先生がいつのまにかオレの隣に来まして、

・アンタ(オレです)の歌を聴いたが、アンタの歌にはひとの心を惹きつけるなにかがある

・だからアンタは歌い手になるべきだ。差し当たって私の教室に来るべきだ

・アンタの努力で紅白も夢じゃ無い、いやアンタなら可能だ

・私のコネでCDデビューさせてあげる

・そういう諸々を踏まえ、とりあえず私に200万預けなさい

と、熱く語るのです。

こんな昭和的なわかりやすいインチキ話も無いなぁ、と思ったのですが、オッサンがこんだけ熱く語るってことは、そこそこの成果もあるんだろうな、と。明らかに迷惑メールだとしか思えないようなアホくさい宣伝メールでも1,000通出せは1件は引っかかり、またその1件で充分な費用対効果が得られるそうです。

でもまぁ断りましたよ。普通断るよなぁ。

で、後日、主催したカラオケ店に行った際、主催者でもあるマスターにこの話をしたら、

「200万って言われなかった?あの人はなんか知らんけどいつも“200万”なんだよ(笑)。」

と。

要するにあの審査員のオッサンは、あちこちのカラオケ大会やらに審査員かなんかで潜り込んで、ほうぼうで200万200万言って歩いてる、ってわけですね。

なんで200万なのか知らんけど、決まって「200万」なのでちょっと有名なんだそうでした。

「アンタだけじゃないよ、ほら」

と見せられたのは、その店の常連さんがポーズを決めてるジャケットのCDでした。一人二人じゃなかった。

CDはCD-Rでした。ジャケットはオフセット印刷でしたけども、即ち量産プレスされたものでは無い、という意味です。なにしろ200万払った人がこの店の常連だけで何人もいる、という。

自分の店の常連客が、ありていに言ってサギにひっかかってるのを、このマスターのオッサンはただ黙って見てるんだなぁ、と思いました。

こうなるとサギの片棒担いでるのと変わらんじゃんかよ、と思いましたが、まかり間違って紅白に出たりできちゃう可能性が理論的にはゼロでは無いわけで、100%サギとは言い切れないんですね。

この世界は一時が万事こんな感じなんだな、と。

「アンタも200万出してやってみたら?(笑)」

なんて言われましたけどね、こんな業界からは1分1秒でも早くエクソダスしなければ、ということで、あれから関わってません。

やっぱり、余計なことはしないが吉、です。

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区議会議員への立候補を誘われた件。

そういえば今年は江東区長選挙・江東区議会議員選挙があるんですよね。4月だったか。

昔々に区長・区議選開票速報番組をやったことがありますが、あの頃だいたいトップ当選の方の得票数は3000くらいだったと記憶しています。それがこないだの区議選だとドンケツ当選者の得票数がそれくらい。それだけ我が江東区は人口が増えてるってことですね。いいのか悪いのか知らんけども。

その3000票でトップ当選出来てたような時期、オレも区議選に出ないかと誘われたことがあります。いや誘われたというか、今思えば結構ガチな「立候補要請」でした。供託金はこっちで持つ、各種運動はこちらで段取る、なんの具体的負担はかけない・身体ひとつでOK、という条件で、なんか書類を書いてハンコも押して、とかなんとか言われた。

あの頃のオレは江東区地域情報番組を作ってまして、だいたい月30日のうち15〜20日は自分で顔出し出演しておりました。地域情報番組をやるのに、そのネタどころか当該地域のこともなんも知らない・縁もゆかりもない、ただ滑舌が良くて愛想が良いってだけのキャスターがしたり顔で「地域情報」を語るっていう図式に抵抗がありまして、じゃあ取材した当人が自ら出演して取材した事柄について喋った方が一次的でイイじゃないですか、という、要するにそういう趣旨に拠ります。数年後に東京MXTVが「東京ニュース」と銘打ってVJ:ビデオジャーナリストという概念を打ち出してきましたが、思えばアレの先駆けです。

でもって当時取材してるのがほとんどオレだったので、必然的にオレばっかし出演することとあいなった、と。

(ちなみにこの時期、勝手にベラベラ喋るオレをキャスターとして受け止めてくれたTくんとはまだ良いお付き合いをさせてもらっております)

なにしろ90分番組を1日4回リピート放送してましたので、ざっくり月に120時間くらいメディアに顔を晒してたわけです。ローカルとはいえ。

そういう体制を1年くらい続けてると、なんやかんやで顔を覚えられるようで、まず砂町のジャスコで子ども連れのお母さんに、また錦糸町、靖国通り沿いのサンクスの店員のアンちゃんに深夜に声をかけられたりしましたよあの頃。サインもらえますか?とか言って。

まぁなにしろ立候補を誘われたのですが、要するにヤツはとりあえず顔が売れてるし、当時平均年齢が23区の中でも高めと言われてた江東区議会議員の中にあって、若いヤツはその若さだけでもアドバンテージだ、ということだったみたいです。当時30歳代前半でしたんでねオレ。若い力で!とか、キャッチコピーもわかりやすい感じで設定できる、と。

あたりまえですが丁重にお断りしました。

まぁ最初からその気は無かったっちゃそうなのですが、お断りした具体的理由のひとつは、身体ひとつでOKとか言いつつ、スーツ着なきゃダメだって言うんですね。厳密にいえばそりゃ話が違うじゃんか、というわけです。

いやスーツがイヤだからというより、やっぱしスーツ着なきゃダメですか?と言った時、そりゃダメですよっていうかスーツくらい着ましょうよ(苦笑)と答えられた、その口調が気に入らなかった、というのが正確です。なんかモノの言い方がちょっとだけシャクに触った、という。

こういうのはデカいですよ。心根の底の底がこういうとこに出るもんです。

あんとき立候補してたらどうなってたかな、確か当選者の中で最低得票数は2000票をちょっと切るくらいだったと記憶してますが、間違って2000票獲得しちゃってたら区議さんですよ。また、立候補経験者ってだけでそこそこのハクにもなるとかも、あのとき言われたです。

どうなってたかなぁオレ、と時々思うのですが、冷静に考えれば皆さん一生懸命運動などに注力されてるってのにテキトーな感じで首を突っ込んだだけでそんな簡単に通るはずもなく、またどっちにしたって長続きはしてないと思うので、ってことはその分今のキャリアが削られてたわけで、やっぱし出なくて良かったなぁ、と思います。

人間よけいなことはしないが吉、なのです。

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大学時代。

大学に入学しまして、必修科目は当然履修することになるわけですが、さてそれ以外の、いわゆる一般教養はなんの授業を取ればいいのか。

必修科目の授業の合間を縫い、且つ効率的に履修でき、またその中でも単位取得が容易なやつを取るってのが学生としての定跡っていえば定跡なわけですが、オレとしてはなんかそういうのが釈然とせず、というか潔しとせず、必修授業の合間を縫わなきゃならんのはしょうがないとして、できるだけ必修授業との兼ね合いが非効率で、且つ単位取得が難しいもしくはメンドくさいとされてる授業ばかりを、半ば嬉々として選択したものです。なんでそんな風に指向したのか自分でもわけがわかりませんが、なんかイヤだったんだな。イヤだったんだからこれは仕方がありません。

で、これがまぁもう見事な大失敗で、それはそれはもうホントに苦労したものです。例えば月曜の1限に、文系なオレには縁もゆかりもない&毎回出席が取られ試験も厳密だとされてた「統計学」なる授業を選択し、2限3限には取れる授業が無くて次の授業が4限、ってことは昼休みも入れると4時間以上間隔が空くわけです。

あと確か水曜日だったかの「心理学」。これは前年まではほぼフリーパスで単位取得可能だったところ、この年度は(学生にとっては)悪名高い教授に変わるってことで敬遠されがちだったのですが、そう言われると履修したくなるという次第で、しかも水曜日は他に必修科目など無いからお休みにしようと思ったらできたところ、これも愚かなことに、なぜか嬉々として履修を決めたのでした。

なにしろこんな感じの毎日。上記したような指向は、大失敗っていう自覚がありつつも結局4年生になるまで継続しましたので、身から出た錆というか自業自得というか、おそらく同級生の誰も経験してないであろう苦労が4年間続いたわけです。

4時間も空くとこれはホントに時間潰しに難渋します。ガチで「途方に暮れる」感じ。銀河鉄道999でヒマに苛まれる回がありましたが、いやぁ良くわかりましたあのときの哲郎の気持ち。

今だったら空き時間はスマホなどで容易に・安易に潰すこともできるわけですが、当時はそういうものは無かった(っていうかスマホは今も持ってないですが)。

この自業自得な履修計画によって発生した膨大な空き時間をどう処理するか、これはもうゲーセンかメシ屋に入るしかないわけです。

西武線江古田の、もはやどっち口だった忘れましたが、北口か南口かどっちかの駅出口から我が母校に向かう一本道の道すがら、学校入り口の最寄りにラーメン屋がありまして、よくここに入り浸ったものです。ここ以外の食い物屋に行った記憶がほとんどありません。殊更美味いわけでも無かったのですが、なんかここしか身の置き所が無い感じで、なにかっていうとここばかり行ってた。多分オレくらいこの店に行ったヤツは少なくとも同世代人では他にいないでしょう。そもそもこんなメチャクチャな履修計画を立てたのもオレくらいだと思うので。関係ないですがソウル五輪でベン・ジョンソンがカール・ルイスに勝った100m走はここの店内テレビで観たです。

そんなわけで入り浸ったこの店、オッチャンが厨房で、おそらく奥さんであろうオバチャンが給仕役なのですが、結構いいトシのおじいさんが出前持ちでおられたのですね。

このおじいさんに対するオッチャンオバチャンの態度が、それはそれはひどいものでした。オッチャンらのどっちかのお父さんなんじゃないかという感じでしたが、トットと帰ってこい、とか、モタモタすんな、とかね。客前でも結構声を荒げて。

何を言われてもおじいさんは黙って黙々とお仕事されてました。

ひでぇなぁ、ああいう言い方は無いよなぁ、と冷え冷えのシナチクを食いつつ、オレは常々思ったものです。

あれからもう30年くらい経つわけで、あのオッチャンオバチャンがあの時のおじいさんくらいの年恰好になってる計算です。

どういう年寄りになってんのかな、と思う。ああいうことをのたまって良しとしてるようなヤツは因果応報でどうせロクな目にあってないんだとは思いますが。

黒澤「生きる」、あと「怪奇大作戦」でもあったな。若い息子夫婦が年老いた自分のオヤジを邪険にして、ってシチュエーション。特に「怪奇大作戦」の方は、令和5年現在、あの若夫婦がちょうど後期高齢者になってる時期かと思います。年寄りを邪険にしてたヤツはきっと自分が年寄りになったら邪険にされちゃうんだろうな、と想像する次第です。

今思い立ってGoogleストビュで見たら、ラーメン屋は無くなってました。

食べ盛り世代の若者がワンサカ集う施設が最寄りにあって、何故に店を畳むことになってしまったんかな、と思います。

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食について。

最近めっきり色が細くなったなどと書きましたが、アレを書いた途端になんだか食欲がめっきり旺盛になってきました。こういうのもマーフィーの法則というのでしょうか。食欲旺盛、ここ数日なにをどんだけ食って飲んだか、列記しても詮無いっていうかオレ自身がイヤんなっちゃうのでやめますが、とにかく自分でもどうかと思うレベルです。

で、その当然の帰結として、太りました。いや、現在進行形で的面に太っています。ドカ食いするとすぐ太り、控えるとすぐ痩せるという、これは体質の問題ですかね。

減量中のボクサー、計量をパスしてから試合までの数時間で普通に5、6kg、昔の韓国人ボクサーなんかだと掛け値無しで10kg以上増量してたそうですが、そこまではいかずともオレも似た感じです。食ったものがすぐ血肉になる、食わなきゃ食わないでビビッドに血肉の量が減るというね。

食べなきゃいけないのに食べられない、という方も多くおられる由。いまのところオレはそこに関しては大丈夫です。

そして睡眠欲も旺盛というか、ここ数日アベレージ11時間くらい寝てしまいます。なんでこんなに寝ちゃうのか自分でも意味不明です。

大学の同級生で、結構重症の(オレ比)不眠症という方がおられました。最後にぐっすり寝たのがいつだかもう思い出せない、とかって言ってたな。睡眠導入剤を処方してもらってもすぐ効かなくなっちゃうんだとかで、どんどん強い薬になっていくという。絵に描いたような悪循環ですが、自分ではどうにもならない由で、ああいうのは辛かろうて、と。

ことほど左様に、世の中には、食欲がない、もしくは食が細いとかで悩んでおられる方が多い由。

また、不眠で困ってる方も大勢おられる。

そういう方のことを考えたらオレは幸せ者です。

そういうわけで、オレはそろそろ寝ます。

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和装について。

この正月はずっと和装で過ごしました。なんでかって楽だからです。こんなに楽なものだとは思いませんでした。肩は凝らないし動きやすいし。

七草も明け、もう洋服に戻りたくないと思いました。っていうか現在進行形でそう思っています。

行きつけの喫茶店や焼き肉屋さんによると、別に和装で来たからってウチとそしてはどうだってことはないですよ、っていうか食いこぼしに気をつけていればどんなカッコでもいいんじゃないですか、とのこと。でもそういう場所ならいいかもしんないけど、打ち合わせだとか撮影現場だとかに着物&羽織で行ったらやっぱし妙だよなぁ、ってことで、仕方なく、耐え難きを耐え忍び難きを忍び、涙を飲んで今は洋装に戻っています。でもぶっちゃけてしまうとどこにも出かけないようなときはずっと和装だったりします。事務所内でどういうカッコでいようとオレの勝手なのであります。

和装はホントに楽なのでオススメです。

ただ、角帯の結び方がちょいとメンドいっていえばメンドいかもしれません。

まぁそれも慣れなのですが、これはなかなかいい感じに慣れません。

小津「小早川家の秋」を観ますと、中村鴈治郎が囲ってる女のとこに出かけるのに、家人の目を盗んで、孫と隠れんぼなどしつつ、もういいかい、まぁだだよ、とか言いながらサッとお出かけ用の着物を箪笥から出し、廊下をウロウロしつつチャッチャと角帯を結んでそそくさと玄関を出る、ってシーンがありますが、まぁその所作の美しいことね。美しくて手際が良い。ここまで慣れるのは一朝一夕では無理無理、やはり相応のキャリアが要るな、と思ったものです。

キャリアといえばですね、和装ってのはそもそもオッサン・オバチャンが基準なのですよね。洋装は、これは明確に若者基準ですが、和装は体型が崩れてしまった状態が基準なのです。若くてスリムな方が着るときは、わざわざタオルやなんかをお腹に巻いて、中年太り状態を作らないと似合わない、という。

ついでにいうと江戸時代のチョンマゲね、あれは最初からハゲてたらわざわざ月代剃らなくて良いわけでね。ああオレも早くオッサンになってハゲて月代をいちいち剃らんでもいいようになりたいなぁ、と往時の若者は切に思ったことでしょう。

年長者が尊ばれる社会というのは良い社会ですよ。

社会全体が年長者を尊ぶ体制になっていれば、低出産率及び高齢化社会の問題もかなり解決しますよ。なんで若い世代が子どもを産まないかって、この先自分がオッサンオバチャンになり、その先に至るまで子どもをマトモに育てられるかどうかの不安と、産んだ子がオッサンオバチャン以降になる時代への不透明感、っていうのが大きな理由なんじゃないですか。これだけとは思いませんが、要するに社会として年長者が尊ばれてないさまを潜在的に見ているからですよ。

まずは和装回帰するところから始めますか、ラクだし。

和装はオススメです。単価は高いですが、そうそうムチャしなけりゃ結構長持ちするっぽいので、長い目で見たらリーズナブルですよ。ってモノにも依りますが

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またコロナ禍について。

今の小・中・高校生はコロナで遠足にも修学旅行にも行けなくてかわいそう、とよく言われるのですが、これは超暴論だと我ながら承知はしつつ、そこまでかわいそうでも無いよな、とぶっちゃけオレは思うのです。10年後か20年後か、コロナ禍のアレコレがすっかり風化して「歴史エピソード」にまでなった際、リアルタイムのガチ当事者としてそのエピソードを語れるっていうのは、ある意味うらやましくさえありますよ。

経済的な打撃を被ってたりしたら話は別ですが、そうでない小・中・高校生に対してオレは言いたい。キミたちは「おいしいネタ」を授けられた世代なのですよ、と。

オレが今中学生だったら、きっとマスコミだとか先生だとかの大人に対して、

“早くコロナ前の生活に戻りたい”

だとか

“修学旅行に行けなくて悲しいです”

かなんかを、いかにもしおらしく言うと思うのですが、きっとその心中では“しめしめ!”と思ってます。そうに違いない。他の世代の経験していないことを経験できている!というカタルシスをどこかで感じてると思います。

繰り返すようですがコロナ禍によって経済的な打撃を被ってたりしたら話は別ですが、そもそも遠足や修学旅行の愉しみっていうのは、それが「非日常」だからって部分もあるじゃないですか。コロナ禍っていうのはそう言う意味で究極の「修学」旅行ですよ。

もちろん相応のトークスキルは必須ですが、10年後か20年後か、コロナ禍を知らない世代の連中に混じっての飲み会なんかあったら、このコロナ禍におけるアレコレは格好のネタになるはずです。オレの世代にはそういう大ネタは無いので、そういうネタのある世代はとりあえずうらやましいです。

逆に、今の小・中・高校生は、このコロナ禍をネタとして昇華できるくらいの逞しさを持ってもらいたいものです。

「戦争を知らない子どもたち」って歌がありあますが、あれは戦争体験の無い第一世代が、その上の世代からことあるごとに“おまえら戦争も知らないくせにナマ言うな!”って言われまくったあげくに、そのフラストレーションから生まれた歌ですよ。

“おまえらコロナも知らないくせにナマ言うな!”まで言う必要はないですが、せめて「面白大ネタ」としてコロナを語れるくらいの逞しさは有って良いですよ。よろしく頼みます。

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コロナなどいろいろ。

今日も今日とて実在してるかどうかもわからない方々から大量の「友達申請」が届いています。さすがのオレサマも逐一の「承認」作業に疲れました。オレが悪かったです。どうかもうご容赦いただきたい。

こないだ新型コロナに関してちょっと目にした記事ですが、小学5年生だかの男の子と映画鑑賞に行ったお母さん、ノーマスクで行ったら館の係員に注意され、ウチはなにがどうあってもマスクはしないさせない、ってことですったもんだが発生、その末に男の子が、お母さんもういいよマスクしようよ、と泣いてしまい、それに対して、

“ウチの子を泣かせたマスク強要社会を私は許さない!”

と憤慨、という。

似たような話が東日本大震災のときにもありました。こちらは、学校給食は放射能汚染されてるからウチの子だけは給食拒否、持参の弁当以外食べさせない!とやってたら、ある日小学生の娘が、どうして私だけ給食食べたらダメなの?私もみんなと一緒に食べたい!と泣きながら帰宅、そんな我が子にお母さんは、

“ごめんね、あなたを守ってあげられるのはお母さんだけなのよ”

と。

こういうのは悲しく切ないですね。悪意がどこにも存在せず介在せず、しかし確実にどこか間違っていて、且つ確実に本来最も守られなければならない弱者が泣くことになる、という。

黒澤「生きものの記録」のジィさんもこんな感じっちゃそうでしたので、要するに昔々からのテーマなわけですね。

こういうのはおしなべて「死の恐怖」に起因することです。とどのつまりは全てその問題。目前に迫る具体的な「死」に対するリアクションとして、これはきっと正しいものです。丸腰で相対するときっとみんなこうなる。人間とはきっとそういうものなのです。ガタガタいわんとマスクすりゃいいじゃんか・食べればいいじゃんか、とすぐに思ってしまうオレなどよりずっと人間らしい人間なんだと思う。

人生とは全て死に至る旅で、それを憂鬱なものでなくするために、我々には「気晴らし」を見つけて目を逸らす以外の選択肢は無い、とパスカルは「パンセ」に書いてます。

まぁそういうもんです。世の中にはいろいろありますが、取り急ぎオレには世の中のそういうことより、今日の雨に対して傘が無いことの方が問題だ、と。人生の達人とはすなわち気晴らしの達人である、というわけですね。

50歳を超えると、さながら灰汁のようにさまざまな気晴らしテクニックが身に付くものです。

鉄壁のそれを身につけたいと思います。

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食が細くなった件。

とにかくここ数年、食が細くなったなぁ、と思う。1回の食事での摂取量がめっきり少なくなりました。

もう20年ほど通ってるラーメン店がありまして、ここは替え玉を3回すると海苔、4回目にはチャーシューをサービスしてくれるのですが、ここ数年チャーシューまで行き届きません。海苔どまりでもう満腹。

通い初めの頃は2周目のチャーシューまで普通に行ってたんだけどなぁ。

食が細くなったなぁ、という実感は、摂取量が数値化される回転ずし店においてより容赦無く突きつけられます。

かつてのオレは「回転ずし」に対してある種のこだわりを持っておりました。

即ち、何はさておいても、まずは16皿食べる。

でもって、16皿完食した時点での体調etcで、そのあとどれだけ食べるか決める、というものです。

言い換えると、要するに16皿食ってからがホントの食い始め・スタートだった。ああ、もう16皿食ったか。じゃあカウント開始するか、みたいな。

さらにさらに言うと、まず16皿食わないと空腹にさえならない、というのがより正確でして、16皿食って初めて一般的な空腹状態になる、という。

なんで16皿なのかは、なんか理由があった気がするのですが覚えてません。なんかしらんけどとにかく16皿が基準だった。

去年の秋口だったか、久方ぶりにスシローに行きました。

気の向くままに皿を取って、食って、ああそこそこ食ったなぁ、もうハラいっぱいだ、となったところで皿の数を数えてみたら、16皿だった。

ああそうか、オレは老いたのだ、とシミジミ思いました。思わされたというべきか。ここ数年スシローは明らかにシャリ量が減りました。それでいてこのありさまです。

(関係ないですがスシロー南砂店はどうしてああ常に混んでるんでしょうか。曜日や時間帯に関わらず、いつ行っても50〜80分待ち。ほど近くの葛西店などはそこまで待たされません。わけわがからん。)

今日はどういうわけか起きてからずっと眠いのです。正代が負けたからでしょうか。

とにかくそろそろ寝ようかと思います。おやすみなさい。

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モニュメント。

この7日に、フィルムが散逸し失われた名作とされていた「忠次旅日記」のフィルムがどっかの田舎の蔵の中かなんかから出てきて、フイルムセンターだかどこだかでの発見記念上映会の際、某評論家が張り切っていち早く会場入りしたら既にパイプ椅子に座ってる先客がいて、誰かと思ったら萬屋錦之介だった、って話を書きましたが、これに出演している伏見直江、彼女は江東区は門前仲町出身なのです。門前仲町1丁目、赤札堂の向かいの、今は歯医者になってて、その昔には辰巳書房があった場所、ここはそのまた昔は深川座なる芝居小屋だったそうで、そこの楽屋で生を受けたとのこと。旅役者だった父親が落ち着いた先がここで、そこで生まれ、やがて子役として舞台に立つようになったのがキャリアスタートだそうです。

伏見直江っていったら戦前の日活の大看板幹部女優ですよ。その芸能活動のルーツがここ江東区にあるってわけですが、当地、それを示すような碑があるわけでもなきゃ看板が立ってるわけでもありません。もはや面白くもナンとも無い「門前仲町」という街の、その面白くもナンとも無さの象徴のような面白くもナンとも無いビルがただ建ってるだけです。

また、ここから徒歩数分の場所が小津安二郎の生誕の地でもあります。いわずとしれた巨匠、去年発表された「史上最高の映画100選」でもこの巨匠の手による「東京物語」が第四位でしたね。ってこのランキングは当然一位であるべき「七人の侍」が二十位だったり、そもそもオレとしては「東京物語」は小津作品の中ではさほど上位ではなかったりするので、その権威には私的に疑問もありますが、とにかく我が国の誇るべき巨匠であることは間違いないでしょう。

でもこの生家のあった場所には、ここが小津の生まれた場所ですよ、っていう看板が歩道橋のたもとに立ってるだけ。胸像があるわけでも出身地オリジナルグッズ屋が建ってるわけでもありません。

まるっきり関係ないですが大杉栄と伊藤野枝は亀戸三丁目に居住していた時期があります。

これは有名ですが浅沼稲次郎は区内の同潤会アパートに住んでおられた。

日本画家の伊東深水は森下出身で、「赤ひげ」で最初に死んじゃう六助役で知られる藤原釜足は区内の印刷屋さんのセガレで、奥さんの尻に敷かれてるダンナ役をやらせたら世界一の松竹・斎藤達雄は佐賀町の米の仲買人の息子です。

ついでながら麻原彰晃はオウム神仙の会を興す前にやはり区内大島に住んでたらしいです。単なるインチキ漢方薬屋だった時期の一時期だけらしいですが、そんなこともあってオウム真理教の設立にあたって、多少の土地勘のある江東区に登記状の本拠地を持ってきた、という説もある由です。

大杉栄や麻原はともかく、上記いずれについても生家跡に記念碑があるでもなく、江東区とのつながりに関する文献が豊富にあるわけでも無く、小津だけは申し訳程度な「ここらで小津が生まれたっぽいよ」ってだけな記載の看板がありますが、それっきりです。

あとはなんもない。皆無。

江東区は上記した以外にも、いろんな人やものごとの「ゆかりの地」だったりするのですが、どうもいずれについても扱いがよろしくない気がします。それでも数年前から区の施設でも「洲崎パラダイス・赤信号」を上映するようになりましたから、まぁマシにはなってきてるのかもしれませんが、いやぁ、まだまだ、ですね。

こういう事柄を大事にしたいと、文化は育ちませんですよ。

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facebookの友達申請が大量にきている。

今年になって、大袈裟でなく15分ごとにfacebookの「友達申請」が届きます。iPadの通知が申請で埋まっています。スクロールしてもしても「申請が届いています」がひたすら並びます。どんだけオレは人気者なんだろう。どなたも似た感じのプロフ写真で、また総じて機械翻訳丸出しっぽい釣り書きなのが気にかからないでも無いですが、そういうことは気にしちゃいけない。もうオレは怒った、こうなったら全員に「許可」出してやる、と意気込んだりしたりもしましたがとてもとても間に合いません。許可ボタン押してるそばから通知が届く。またFBからホントに許可していいの?ワシャ知らんよ?みたいなメッセージも届いたりしますが、オレにも意地というものがあるのです。忍の一字です。

そういえば十数年前、亀戸のコインパーキングに停めてた我が愛車のワイパーのところに、要約すると自分は20歳の女性だがカネが無いから自分の恥ずかしいビデオをいくらかで買ってくれ、という手書き(をコピーした)A4の紙が挟まっていたことがありました。義を見てせざる勇無き也ということで指示通りに手順を踏んだら、業務用のフタの茶色い、また信じられないほど軽量なVHSが3本ほど送られてきまして、再生したら砂の嵐。同封の手紙に、やっぱり最初は恥ずかしいからこれでカンベンせよ、次はガチで送る、とありましたので、素直に従ったらナシのつぶて、ということがありました。かくしてオレはまだ見ぬうら若き金欠の女性をひとり苦界から救ったというわけです。某NPOの方よりよっぽどマシな行いをした、と、

オレがそうこうしてるところで、昨年末に行きつけの焼肉店にいきましたらマスターいわく、こないだTさん(中学の同級生)きましたよ、熟女パブの女性5、6人連れて。たいそうおモテになるんだそうですよ、とのこと。ああ彼もまた苦界の女性のために尽力しておるのだなぁ、とオレはひとり彼を想ったのでした。

斯様な次第で、バーチャルの、実在するかどうか不明な皆さんらに気を取られつつ、昨年末はリアルな方の年賀状作成がとうとう叶いませんでした。ひとえに多忙に依るもので、要するにこちらの都合。慚愧に絶えません。面目ない限りです。来週「寒中見舞い」ハガキの印刷が上がってきます。

ということで今日はもそろそろ寝ます。おやすみなさい。

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