大学時代。

大学に入学しまして、必修科目は当然履修することになるわけですが、さてそれ以外の、いわゆる一般教養はなんの授業を取ればいいのか。

必修科目の授業の合間を縫い、且つ効率的に履修でき、またその中でも単位取得が容易なやつを取るってのが学生としての定跡っていえば定跡なわけですが、オレとしてはなんかそういうのが釈然とせず、というか潔しとせず、必修授業の合間を縫わなきゃならんのはしょうがないとして、できるだけ必修授業との兼ね合いが非効率で、且つ単位取得が難しいもしくはメンドくさいとされてる授業ばかりを、半ば嬉々として選択したものです。なんでそんな風に指向したのか自分でもわけがわかりませんが、なんかイヤだったんだな。イヤだったんだからこれは仕方がありません。

で、これがまぁもう見事な大失敗で、それはそれはもうホントに苦労したものです。例えば月曜の1限に、文系なオレには縁もゆかりもない&毎回出席が取られ試験も厳密だとされてた「統計学」なる授業を選択し、2限3限には取れる授業が無くて次の授業が4限、ってことは昼休みも入れると4時間以上間隔が空くわけです。

あと確か水曜日だったかの「心理学」。これは前年まではほぼフリーパスで単位取得可能だったところ、この年度は(学生にとっては)悪名高い教授に変わるってことで敬遠されがちだったのですが、そう言われると履修したくなるという次第で、しかも水曜日は他に必修科目など無いからお休みにしようと思ったらできたところ、これも愚かなことに、なぜか嬉々として履修を決めたのでした。

なにしろこんな感じの毎日。上記したような指向は、大失敗っていう自覚がありつつも結局4年生になるまで継続しましたので、身から出た錆というか自業自得というか、おそらく同級生の誰も経験してないであろう苦労が4年間続いたわけです。

4時間も空くとこれはホントに時間潰しに難渋します。ガチで「途方に暮れる」感じ。銀河鉄道999でヒマに苛まれる回がありましたが、いやぁ良くわかりましたあのときの哲郎の気持ち。

今だったら空き時間はスマホなどで容易に・安易に潰すこともできるわけですが、当時はそういうものは無かった(っていうかスマホは今も持ってないですが)。

この自業自得な履修計画によって発生した膨大な空き時間をどう処理するか、これはもうゲーセンかメシ屋に入るしかないわけです。

西武線江古田の、もはやどっち口だった忘れましたが、北口か南口かどっちかの駅出口から我が母校に向かう一本道の道すがら、学校入り口の最寄りにラーメン屋がありまして、よくここに入り浸ったものです。ここ以外の食い物屋に行った記憶がほとんどありません。殊更美味いわけでも無かったのですが、なんかここしか身の置き所が無い感じで、なにかっていうとここばかり行ってた。多分オレくらいこの店に行ったヤツは少なくとも同世代人では他にいないでしょう。そもそもこんなメチャクチャな履修計画を立てたのもオレくらいだと思うので。関係ないですがソウル五輪でベン・ジョンソンがカール・ルイスに勝った100m走はここの店内テレビで観たです。

そんなわけで入り浸ったこの店、オッチャンが厨房で、おそらく奥さんであろうオバチャンが給仕役なのですが、結構いいトシのおじいさんが出前持ちでおられたのですね。

このおじいさんに対するオッチャンオバチャンの態度が、それはそれはひどいものでした。オッチャンらのどっちかのお父さんなんじゃないかという感じでしたが、トットと帰ってこい、とか、モタモタすんな、とかね。客前でも結構声を荒げて。

何を言われてもおじいさんは黙って黙々とお仕事されてました。

ひでぇなぁ、ああいう言い方は無いよなぁ、と冷え冷えのシナチクを食いつつ、オレは常々思ったものです。

あれからもう30年くらい経つわけで、あのオッチャンオバチャンがあの時のおじいさんくらいの年恰好になってる計算です。

どういう年寄りになってんのかな、と思う。ああいうことをのたまって良しとしてるようなヤツは因果応報でどうせロクな目にあってないんだとは思いますが。

黒澤「生きる」、あと「怪奇大作戦」でもあったな。若い息子夫婦が年老いた自分のオヤジを邪険にして、ってシチュエーション。特に「怪奇大作戦」の方は、令和5年現在、あの若夫婦がちょうど後期高齢者になってる時期かと思います。年寄りを邪険にしてたヤツはきっと自分が年寄りになったら邪険にされちゃうんだろうな、と想像する次第です。

今思い立ってGoogleストビュで見たら、ラーメン屋は無くなってました。

食べ盛り世代の若者がワンサカ集う施設が最寄りにあって、何故に店を畳むことになってしまったんかな、と思います。