海もいいけど牧場もね、と。


ういえば2011年3月11日の夕刻、某キー局から、宮古馬に関する番組を制作するに当たり映像提供、引いては番組監修もお願いしたいという旨の電話を貰
いました。電話の最中にも余震が何度かあり、電話の向こうも火事場の大騒ぎだった様子で、対応のAD女史もひどく狼狽しておられ、今はそれどころじゃ無い
んじゃね?と思いながら会話した覚えがあります。
で、快諾したのですがやっぱりそれどころじゃ無かったらしく、話は立ち消えになりました。ゴールデンタイムのナントカっていう人気番組の1コーーナーだった由で、もし採り上げられてたら保存会の活動も少しは報いられてたかもしれないな、と。

4月25日発売の「乗馬ライフ」誌で、この宮古馬が特集されます。そのために先日、ちょー久々に当地の牧場主氏にお電話したのですが、現在その総数38
頭、2月に待望の仔馬2頭出産、とのこと。DVDの取材時は34頭だったので、まぁ微増、です。ただ、頭数の安定的な維持には最低でも50頭は必要という
説もあるそうで、残念ながら相変わらず深刻な「絶滅危惧」の状態にあることに変わりありません。

というわけで、宮古島に行かれたら、海もいいけど牧場もね、と。

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たまには本を読まなきゃだめだね。

比較的気安く読めるエッセイやコラムを、との問いを受けて、オレとしてはサラッとごく自然に沢木耕太郎を勧めたのですが、帰社後なんとなく気になって今チョイとばかし読み返しました。「チェーン・スモーキング」と「バーボン・ストリート」(順不同)。
改めて読むと、ちょっとキザさがハナにつくところがあるなぁ、と
雨の昼下がり、雨音をBGMにミステリーを読んでいた。二回目の殺人が起こったところで部屋の電話が鳴った、とかってのは、もうね。本人もこのあたりの時期のは正直若書きだからゴメンね的なことをおっしゃってる由で、まあいいんですが。

あと勧めたのはボブ・グリーンの「チーズバーガーズ」だったのですが、これは約20年ぶりに読み返してもなかなかよろしい。ただ、20年ほど前にやたら出たボブ・グリーン作品ですが、井上一馬訳以外のはイマイチなんですね。ってことは想像以上に訳者の力が大きいのかもしれません。といって井上氏の訳が殊更高評価だったりって話も聞きませんが。

あと漱石の「夢十夜」。これは勧めなかったのですが、勧めりゃよかった。存外「気安く読める」ものでした。あ、でも「エッセイ」じゃないねこりゃ。

あと、勧めたかったけど「狐狸庵閑話」は勧めませんでした。若者にはムリなんじゃないか、ということで。

なにが言いたいかというと、たまには本を読まなきゃだめだな、と

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理不尽。

今日は高校時代の部活の先輩たちetc計6人と会ってきました。もうお互いオッサンでもあるので昔のようにわけもわからず怒られたり、河川敷に正座させられた上にバットで○○されるようなことがあるはずもなく、極めて穏やか且つ楽しい時間ではあったのですが、何故かやはり普段より緊張し、結果非常に疲れました。でもまぁ心地よい疲れではありましたが。
こういう疲労感は考えたら久々で、要するに「先輩」という存在が年々少なくなってる、という現状が実存するわけです。これはさびしい事でもあるのですが、だからといってもうあんな思いはゴメンなのであります。

で、来月は新卒で入った会社の先輩にお会いします。ここでもオレはある意味高校時代以上に怒られまくったわけなのですが、高校時代と違ってそれは理不尽なものではなく、オレ自身なんで怒られてるかの明確な理由をシッカと認識しているので、なんというか、もうハラはくくっているのであります。

ここまで書いて思い出したのですが・・・この「新卒で入った会社」で、ある時オンライン編集(!)のアシスタント(?)に当ったことがあります。
3日間に渡って行われたのですが、昼メシの弁当発注という重要業務がオレの担当でした、で、初日に頼んだKAKIEMONの「和風ハンバーグ御膳」がメチャクチャ美味かったので、翌日も翌々日も同じのを頼んだら、ディレクターの先輩(上記の方では無い)にそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒られまくったのでした。

「なんで同じもの食わすんだ!!!」って。

なんでって、美味かったからなんだけどな・・・とか内心思ってたのですが、3日間同じ昼メシを食わされるのは一般的には不快なことなんだな、ということをオレはそこで学んだ次第です。

それから約10年後、某CATV局の番組・某江戸三大祭本祭生中継のチーフになった際、後輩の若者に昼メシの弁当発注という重要業務を担当させたことがあります。
やはり3日間に渡るロングランだったのですが、初日の「ビビンバ・カルビ弁当」が猛烈に美味かったのでその旨を伝えたにもかかわらず、2日目が違う弁当だったので、オレはそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒りまくったのでした。

「なんで違うもの食わすんだ!!!」って。

・・・今思うと、最も理不尽なのはオレなのかもしれないな、という。

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雪。

都内は雪が降っております。久方ぶりの雪です。

思い出すに、オレが子供の頃は2年に一回くらいはこのレベルの雪が降ってたような気がします。下校時に雪の中で遊んだ記憶がありますが、その時誰と遊んで
たかを辿ると、中1、中3の時にこんな感じ・・・いやもしかしたらそれ以上の積雪があったように思います。人通りの少ない、貨物列車の線路沿い。オシッコ
で雪上に字を書いたりして。で、その上に友人を倒したりしてね。

そういえば、高校受験の日が今日みたいな雪だった気がする。エラい日にエラい雪だなぁ、とか思ってたっけ。前夜、ズボンのすそにセッセと防水スプレーなんかしたものです。

私的な印象としては、平成に入ったくらいからあんな「豪雪」(東京比)はほとんど無くなったように思います。それに比例してオレもあんまし雪・積
雪を喜べないようになりました。現に今も、ああ今晩は車出せないなぁ、それどころかヘタしたら2、3日キツいかもなぁ、スタッドレスにしときゃよかった
なぁ、などとばかり考えています。大人になるにつれて「雪」を喜べなくなる。でもってもはやそのことについてさえノスタルジーのカケラも感じなくなってる
オレがいます。

でも、今日なんかも、フッと一瞬、”ああ、早く雪だるま作らなきゃ”とか”まだ誰も通ってないからオレが一番乗りで足あとつけちゃおう!”とか考
えてしまったりします。ホンの一瞬だけですが、どうやらまだ滓のように稚気が残ってたりするらしいです。こういうのをナントカっていうんだよな、「モラト
リアム」だったっけか。まぁなんでもいいですが。

とにかく、さしあたって都内は「豪雪」です。外出の要のある方はお足もとに気を付けて。オレは事務所内で編集作業です。

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昨日に続いて。今度はAKBのこと。

以下は2013年1月12日の日刊スポーツ記事です。

講談社は11日、12日に予定していた週刊の漫画雑誌「ヤングマガジン」の発売を延期すると発表した。AKB48河西智美(21)の胸を少年が手で隠す写
真の掲載を予定していたが、同社はこれを「社会通念上、読者に不愉快な感情を抱かせる」と判断した。出版取次会社への搬入も済んでいたが、回収した上、内
容を差し替えて今月21日に発売する予定。写真は、2月4日に発売する河西の写真集の表紙に使われる予定だったが、発売自体も白紙に戻して検討中としてい
る。

・・・いくつか想うところがあるのですが、ひとつめ。

例えばキャバクラが密集してる地域があるとして、どの店も「おさわりNG」としてる中、ある1店舗だけが「ウチはまぁちょっとくらいならOKです
よ」とやったら、ある程度嬢のレベルに難があってもやっぱし客はそちらに流れると思うのですが、要するにそういうことなんですよね。AKB商法の主要要素
のひとつはこの手の「反則技」によると思えるのです。もちろんそれが全てでは無く、彼女らの様々な努力に依る部分が主なのはわかるのですが、それ以外の部分での反則技が目立つのも事実でしょう。

こういう「商法」は結局のところ所詮反則技でしかないので、往々にしてロクな結果は生まないものです。大抵の場合は反則を犯した店がペナルティを
食ってオシマイになるのですが、この「反則店」が資本的にもそれなりのポジションを確立したりした場合、その業界そのものが死んじゃうんですよね。上記の
キャバ店の例で言うと、その地域が最終的に過疎って終了、となるのが常です。たちかえって我が国の音楽シーンがどういう状況か、何をかいわんや、です。

あとAKBの場合、この反則の種類として「エロ」への訴求が目立つのですが、この訴求方法には「安定供給」は有りえないんですよね。刺激というも
のは不安定要素で、常にエスカレートし続けなければならない宿命があるわけです。だからこその「刺激」ですからね。前と同じことやったらそれはもう「刺激」ではない、そういう訴求はもう出来ない、という。

いつだったかTSUTAYAだか行きまして、なんかショートパンツ穿いた若い娘が足広げて座ってるポスターがデカデカとレジ横に貼ってあるのを見
まして、ああ、最近じゃ軽い着エロ系のコンテンツも堂々と宣伝したりしちゃってるんだな、と思ったら、それがAKBのセンターの娘の写真集だかなんだかのだっ
た、ってなことがありました。

今思えばこんなのはまだまだ軽い「刺激」だったんだな、と今回の写真を見て思いました。今回のこれなんか、もはや「軽くない着エロ」じゃねぇかよ、と。

この娘らは、もはやここまでやらなきゃAKBでいられないのかなぁ、かわいそうに・・・というのが第一印象でした。

この手に関してはオレはあまり通じてないですが、彼女らはきっと過酷なレッスンや、常人には想像もできないハードスケジュールなどを歯を食いし
ばってこなし、その上でわけわからんアンチなどによるいわれなき誹謗中傷にも耐え、してるはず。またこれだけの規模のムーブメントになると、彼女らが背負
う責任、重圧もハンパなものではないはずです。なんだかんだ言ってもみんなまだうら若き娘さんですからね。そんな娘がどれだけのストレスと戦ってるの
か、と。

その上で、若しくはそのために、彼女らは請われるままに半裸にまでならなければならないのか、と思うと、なんだかホントに悲しい話です。角兵衛獅子じゃないんだからね。

同時に、ここまでやらないと、いわゆるアイドルとして存在出来ないのだとすると、もういろんなことが業界としてオシマイなんだな、とも思いました。

ふたつめ。

仮にも大日本雄弁会講談社ともあろう存在が、なんでこの写真をそのまま通したんだろうか??というところです。

児童ポルノの規制についてこんなにヤカマしく喧々諤々されてる・・・しかも出版社というのは有る面においてその当事者なはずです。それが何で?と思わずにいられません。

誰がどう考えたって、今の日本国において、少年が成人女性のオッパイ触ってる写真がOKなわけねーだろ、と。これがOKなら、少女が成年のチ○ポ触っててもOKなのかよ、というね。全国のロリ属性の面々は大喜びでしょうが、そんなのOKなわけないよね。

エロの刺激供給にマヒしちゃってるのは、どうやら消費者だけじゃ無いようで。

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体罰とかそういうことではない。

「大阪市立桜宮(さくらのみや)高校(大阪市都島区)の2年男子生徒(17)が昨年12月、所属するバスケットボール部の顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題」に関する話題が喧しい昨今です。

・・・オレは必ずしも体罰を全否定するものではありません。体罰によってナニゴトかが生まれることも決して無くは無いです。例えば自我の確立が未だな子供などに
は、善悪を「体で覚えさせる」ということも時には必要だと思っています。・・・と書くと、「その善悪の判断=体罰の可不可の基準はどーなるんだ!」という
反論というか質問が来たりするのが常なのですが、その判断基準こそがその家庭、引いてはその地域、さらには国・民族の「文化」だったりするわけですよ。
とにかく、時には体罰も必要です。誤解を恐れず書いちゃいますが、オレはそう思う。

・・・ただですね、今回のこの件、これは体罰云々じゃ無いんですよね。

「体罰によってナニゴトかが生まれることも決して無くは無い」と書きましたが、当然ながらこの文意は「必ずナニゴトかが生まれる」ということでは
ありませんでもって、今回の件は「なにも生まれない」究極的なサンプルでしょう。で、なにも生まない暴力は断固否定されねばなりません。当たり前ですが。

この教師は要するに年端もいかない少年を、恒常的にボコボコにブン殴ったりしてたってことらしいですが、そんなことでナニゴトかボジティブな事柄が生まれるわけねーだろ!と。

反撃される可能性が限りなくゼロに近い相手への暴力っていうのは非常に卑怯だ、とオレは思うわけです。

で、この教師は、それを「教育」だか「指導」だかという美名のもとで行ったわけで、二重の卑怯さを感じます。きたねぇヤローだなぁ!と思う。

この場合の「反撃」っていうのは必ずしも暴力的な事柄だけでなく、例えば、ブン殴ったりして指導したにも関わらずその選手が伸びなかったとしたら、本来はその時点で指導者としての格を喪失してしまうわけで、これもある種の「反撃」でしょう。報い、というかね。
事程左様に、それによって起こる全ての事柄について責任を負える覚悟と自負が無い人には、「体罰」の資格は無いんですよ。当たり前過ぎて書くのがバカらしいですが。

でも、今回のコノヤローは、そういった責務をロクスッポ果たしてないんですよね。「教育」だか「指導」だかといったことで昇華されてしまってますが、コノヤローはそれに伴う責務も、責任も、なにも果たしておらず、要はただブン殴りまくっただけで、結果なにも生まなかったばかりか、あろうことか一人の少年に自死を選択せさしめてる、という。こうなるとこれは単なるマスターベーションとしての支配欲を動機とした「殺人」でしかないです。教育も指導も、それに伴う覚悟も自負もハチのアタマも無く、単なる歪んだ自己満足の帰結としての、ひとつの悲しいサンプルです。

ただ・・・それでもなお、「体罰イコール悪」としてしまえるほど、人間関係ってのは単純なものでは無い、というところに変わりはありませんし、それを撤回するつもりも今のところありません。一律の方程式はそのまま成り立っちゃうほど人間関係は単純じゃない、と。

なにが言いたいかというと、今回のこの事件は、体罰、教育論に値するようなことではない、と。そんな高尚な「事件」では無い、単なるオナニージジイのバカな暴走と、それを黙って見てたマヌケなバカ大人による「犯罪」でしかないので、ね。

これで体罰「イコール」悪なんていう図式が固定化・絶対化してしまうことを、オレは憂います。今舞の件は別問題だよ、と。今回の件で「体罰」を論じるのは、ちょっと無理があるな、と思う次第です。

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ドウランの 下に涙の・・・

モー娘。石田亜佑美と工藤遥、けがで「24時間テレビ」欠席

だそうです。

このモー娘。とか、AKBとか最近じゃももクロだとかはたまたジャニーズ事務所所属の皆さんを見るにつけ、オレはどうしても角兵衛獅子を想ってしまいます。角兵衛獅子については http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%B3%D1%CA%BC%B1%D2%BB%E2%BB%D2 
こちらを参照のこと。とにかく・・・「ドウランの 下に涙の 喜劇人」などと言いますが、こと喜劇人のみならず、彼ら・彼女らのステージ上etcでの笑顔
の裏にはどれだけの「涙」が有ることか。想像するに余りあります。普通に生活してたら、全治一か月の足首捻挫だとか、半月板損傷だなんてハメにはそうそう
遭うもんじゃありませんよ。オレは四十路も半ばにして、未だ半月板損傷なんて目にあったことは無いです。
・・・って、ああ、2008年にアキレス腱切ったりしましたが、あれは要するに寝ぼけてコケて切った=件の彼女らのようにある意味において肉体的キャパシティを超える労働を強いられて切っちゃったってわけじゃないので、これはまったく別のお話です。

まぁ前記したような角兵衛獅子と違って、これはあくまで真っ当な「仕事」であり、基本的に本人が望んでこの苦界に飛び込んで行ってるわけなので安直な同情など無用であるのは承知ですが、年端もいかない子らがテレビやライブステージで歌ったり踊ったり時には道化を演じたりしているさま、
なんか、どうも素直に楽しめなかったりします。パフォーマンスを堪能するより先に、なんだか痛々しくってねぇ。ダメだねオレは、こういうのは、ね。

あと、こういう子らをさんざん踊らせて、その裏でもってギャラを抜いてるオトナの存在が見えちゃうんですね。

いったんこういうのが見えちゃうと、クドいようですがもうダメね。オレは。

昔は、こういう存在の「オトナ」は奥に引っ込んでるのが普通だったですよ。当たり前の話で、ピンハネでもってメシ食ってるようなのは表に出たりしちゃいけない、という一種のモラルが我が国に厳然と存在してたですからね。

で、当の抜いてる本人らにも、嘗てはいわば日陰者としての自覚があったように思えます。
若い子らを表に立てて踊らせて大儲けして、そのピンハネした金でもって当たり前にベンツだクライスラーだ乗ったり、いかにもなマンションをホイホイ買っちゃったりなど、我が
世の春をいかに謳歌してようとも、決して表にでるもんじゃない、という、これまた一種の、自負、というかね、そういうものが抜いてる側にもあったはずで
す。任侠としてのマインドというかモラルというか。

それがまぁ、最近じゃフツーに表に出てきてるようですね。なんなんだオマエらは、恥を知れ、と、オレは思いますよ。「プロデューサー」とかカタカ
ナで自称してるけども、やってることは要するに角兵衛獅子の親方じゃねぇか、というね。なんでそんなヤツがエラソーにメディアでもってしたり顔でペラペ
ラ喋ったりしてるんだろう、と。

とにかく、件の彼女らの快癒をお祈り致します。

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アニマル浜口について。

昔々の昭和の御世、我が国には全日本プロレス、新日本プロレス、そして国際プロレスという3つのプロレス団体がございまして、この3団体が文字通り三つ巴でもって国内プロレス市場を独占しておりました。
昨今はいわゆる「インディーズ」団体が雨後のタケノコのように生まれては消えしておりますが、当時はこの3団体が日本のプロレス団体の全てと言って良い状況でありました。・・・あ、男子の、ね。

ただ・・・「三つ巴」と書きましたが、いずれも「国民的英雄」力道山の愛弟子であったジャイアント馬場、アントニオ猪木の率いる全日本、新日本と比して、そういった系譜からすると直系筋ではなかった国際プロレスは、まぁなんというか、いかんせん地味というか、とにかく前記2団体の後塵を拝する立ち位置を余儀なくされておりました。

国際プロレスのエースは「金網の鬼」ことラッシャー木村。
そしてマイティ井上、アニマル浜口がいわば中堅として脇を固め、ルチャ的空中殺法の使い手であるマッハ隼人に、テクニシャン寺西勇と、コマはそれなりに揃ってたんですけどね。
でもって外人選手もなにげにイイ感じのが挙って来てたんですが、いかんせん力道山直系の2団体との人気差はいかんともしがたいものがありました。

でまぁ経緯・詳細は割愛しますが、あれはオレが中学二年生の頃、この国際プロレスがつぶれちゃうわけです。

団体の倒産によって宙ぶらりんになっちゃった旧国際プロの選手ら。
・・・これまた詳しくは省きますが、この選手らに目を付けたのが、辣腕で知られた新日本のプロモーター(でいいのかな)・新間某氏です。
またまた経緯は省略しちゃいますが、氏はいわば会社都合でもって無職化の危機にあった旧国際プロのラッシャー木村・アニマル浜口・寺西勇を、団体のスターでありいわば「正義のヒーロー」的役回りであったアントニオ猪木に対する「悪玉」として起用し、新日本のリングに上げたわけです。

このあたりの事情は当時からのプオタであれば誰もが熟知しているのですが、だからといってあんまし割愛してばかりなのもアレなので、、ここはwikipediaから引用しておきます。

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1981年10月8日、蔵前国技館にて、「新日本プロレス対国際プロレス」の”全面対抗戦”が行われた。その直前に国際は倒産して興行機能を失っており、そこで新日本との対抗戦を模索したものだが、この大会のポスターにも名を連ねていたマイティ井上・鶴見五郎など多くの選手が反発し、全日本プロレスへ移籍するなどしたため、残党としてラッシャー木村・アニマル浜口・寺西勇の3人が新日本へ乗り込んだ。

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・・・ここに至って、ラッシャー木村・アニマル浜口・寺西勇の3選手は、「はぐれ国際軍団」として、猪木の敵役というアイデンティティを得たわけです。

で、この役回りを「より良く」遂行するために、上記引用しました1981年10月8日・蔵前国技館興業に先駆けて、その前フリ・事前煽りの機会が彼らに与えられました。
これについても、またまた引用。

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これ(=1981年10月8日・蔵前国技館興業)に先駆けた1981年9月23日、木村と浜口は新日本の田園コロシアムでの興行に姿を現し、決意表明。この際に、マイクを向けられた木村は「こんばんは…」と第一声を発してファンからの苦笑を誘った一方、浜口は「俺たちが勝つんだ! 10月8日を見てろ!」とアジテートし、うって変わってファンからのヒートを買った。

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そうです。これがかの有名な「ラッシャー木村マイク事件」。

・・・ただね、オレは、この木村マイクよりも、、

> 浜口は「俺たちが勝つんだ! 10月8日を見てろ!」とアジテートし、うって変わってファンからのヒートを買った。

ここね。ここが非常に印象的でした。

この場面は、恐らくyoutubeなどにもUPされてると思うので、未見の方は是非みて頂きたい。
木村の誠実・実直な人柄とともに、アニマル浜口というレスラーの、卓越した空気読み能力、誤解を恐れず言うならば「プロレス芸」。
あの時、アニマルが木村からマイクを受け取って「アジテート」してなかったら、その後の彼らは間違いなく存在していなかったはずです。
愚かなるガキであったオレは当時全く気付きませんでしたが、オトナになってようやく、この浜口の至芸に感嘆するに至った次第であります。

この後、猪木vs.「はぐれ国際軍団」3名の1対3ハンディキャップマッチなどという、今考えたらかつてメジャー団体のエースだった面々としては屈辱以外の何物でもなかったであろうマッチメイクが組まれたりしたのですが、ラッシャーも新間氏も既に彼岸にある今となってはどうでもよいことです。
(ちなみに木村はその後全日本プロレス~プロレスリング・ノアで、前座に無くてはならない存在として永く愛されるに至りました。)
 
 
 
さてさて、この度の五輪です。

アニマルの愛嬢である京子ちゃん、残念ながら一回戦負けと相成ってしまいましたが、やはりその傍には、あのアニマルが、寄り添っております。

思えば、常にアニマルが前面に出、時に道化を演じたりすることで、どれだけ無粋なマスコミ取材から京子ちゃんが守られたことか。

ワケのわからんバラエティ番組に引っ張り出された際も、アニマルの「卓越した空気読み能力」によるパフォーマンスで、どれだけ京子ちゃんの負担が減ったことか。

アニマルの例の「気合いだ!」etcが注目されることで、結果としてどれだけ京子ちゃんの練習時間が守られ、精神面での負荷が軽減されたか。

考えたら、賛否両論あれど、国際プロレス残党をすんでのところで救ったのも、アニマルの「卓越した空気読み能力」でした。

アニマル浜口、アンタはすごい人だよ・・・と、オレは思っています。

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大津の「いじめ」事件から。

こと中学生というものは要するに「気力体力の有り余ったバカタレ」なのであって、だからこそ彼らは「未」成年なわけです。放っておいたらイジメもするだろうし、夜の校舎の窓ガラス壊して廻ったりするに決まってます。そういうヤツが現れたってなんの不思議もありません。だって彼らは「未だ青年にあらず」なんですから、それは仕方の無いことです。

で、そういう「気力体力の有り余ったバカタレ」の、「気力」や「体力」も含めたいろんなことを横道にそらさぬ様に、進むべき道を指し示すのが「成年」、すなわちオトナの仕事です。
仕事っていうか「義務」ですね、オトナとしての義務。

そういう意味で・・・オレはきっと少数派なんだと思うのですが、このイジメ「加害者」のガキどもも被害者ですね。進むべき道を指し示してくれる「マトモなオトナの存在」というものが、報道をみる限り、彼らの周囲にはちょっと異様なほど欠落しています。
親も、教師も、近所のオッサンオバチャンも、誰も彼らをマトモに扱わなかった。中学生として、なにが悪くて何が良いのか、こんなことも彼らはこのトシになるまで本質的に教わることがなかった。
ここに最大の不幸があります。

いにしえの子供らは、「ドラえもん」なんかのマンガでも描かれてたりするように、都市部でもそこかしこに存在した空地etcで、内包する「気力」や「体力」を昇華し、またする術を学んでいました。

やがて都市化etcによって、まずそういう場が失われた結果、彼らはそのエネルギーを鬱屈させ夜の校舎の窓ガラス壊して廻ったりなどの「校内暴力」、「家庭内暴力」にその代替を求めました。

そして、それらが組織的に抑えられた結果、彼らはさらにエネルギーを鬱屈させると同時に、「組織的に抑えられにくい方法論」でもってそれを昇華するよりほか無くなってしまった、というわけですね。

・・・要するに彼らにとって「いじめ」は必然なのですねきっと。他に選択できる方法ってあるかな。ないよな思うに。

繰り返しますがこと中学生というものは要するに「気力体力の有り余ったバカタレ」でしかないわけですが、それへの対応策として「組織的に抑える」しか手段を見いだせなかった「オトナ」の罪、これは重いですよ。

そういう意味でですね、オレは正直言っちゃうと「ゆとり教育」っていう指針に、ちょっと期待してたとこがありましたよ。
ああ、ようやく、ただ抑えつけるだけが能じゃ無いんだってことに気付いたですか、それはなにより、と、ね。

でも、ダメでしたね。単に授業時間減らしたりっていう、表層的なところで終わっちゃいました。どうして「ゆとり教育」が必要なのか、ってところが、どうやら現場に全く浸透してなかったみたいでね。
もっというと、教える側が、「ゆとり教育履行マニュアル」に従ってしか動いてなかったですからね。
ああ要するに授業時間減らして、円周率も「だいたい3くらい」とかいう感じでテキトーにしちゃえばいわけですね、了解です、みたいな。
教える側が「マニュアル馬鹿」なんだから、そりゃダメになるに決まってるわなぁ。

じゃあ今後どうなるのかというと・・・なんかこないだ、警察庁長官がこの件について会見したりしてましたね。でもって、教育委員会だとか学校そのものに「家宅捜査」が入ったとか。

ここまで来たら、警察でも自衛隊でもなんでも入らなきゃどうにもなりませんよね。そういうレベルの事件ですよ今回のは。

で、警察にとって「教育現場」への介入はある意味悲願だったはずですから、今回前例ができた以上、今後もガンガン介入してくることになると思います。

それがまた新たな「抑えつけ」に繋がっちゃわないことを祈ります。

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見失った人たち。

「永田町の首相官邸前で22日、関西電力大飯原発の再稼働撤回を政府に求める抗議行動」だそうです。要するに「デモ」です。
毎日新聞によると、
「主催者によると約4万5000人、警視庁によると約1万1000人が参加。周辺の歩道を埋め尽くした人が「再稼働反対」と、約2時間にわたって声を上げた。」
とのことです。

これに対し(ってこれに限らないけど)、「本気で原発が止められると思ってデモしてるヤツがどれだけいるんだろう」というような主旨の発言をいくつか目にしましたが、それを言っちゃぁおしまいよ、であります。

振返ってみると、’60年代の全学連、’70年代の全共闘、そして’90年代の「オウム」の人らも、本気で革命なりを起こせると思ってた人は実はさほど多くないんですよね。

学生運動においては一種の「祭り」、オウムにおいては同じく「行きがかり上」でコトが行われてたりしたようです。

必ずしも全員が「革命」なりを純粋に信じきってた、ってわけでもないらしいです。

ただそんな中において、ごく一部のアタマのオカしい一群が本気で信じてしまい、現実とのギャップの反動でもって暴走する、というのが、これらのひとつのパターンだったりするようです。

共産主義革命を本気で目指しちゃった若者の一部は、最終的に「あさま山荘」において単なる凶悪犯に成り下がり&残党は未だにパレスチナ(の支援は
実は既に失ってるという報道もありましたが)あたりでもって何やかやしてる状況がありますし、「オウム」はそのギャップを受け止められず、「ヴァジラヤー
ナ」という名のもとにサリン撒いたりなどし、さらに驚いたことに「残党」が未だに麻原の誕生日に「教祖聖誕祭」なんてなことで集ったりしてる由です。

「祭り」の締め方を見失った、若しくは「行きがかり上」という行動様式から脱却する術を見失った一群です。

いうまでもなく、福島第一原発の事故のかなり以前から、「反原発」というのは上記と同種、一種のイデオロギーであり、同時に非常に「宗教」的だったりする(でしかない)わけですが、この事故を契機にそれが先鋭化してきている感じがあります。

ってことはですね、歴史上の先例に倣うと、もしかしたら今最も恐れるべきは「反原発」な人たちの暴走、なのかもしれませんよ。

そういや先月だったか、瓦礫輸送トラックの下に妊婦が潜り込んで進行を妨げた、なんていう「妨害工作」が報じられてましたね。

こういうのは、もう立派な「暴走」ですよね。どう考えてもコンセンサスが得られない方法論なわけですが、客観的な視点を欠いてしまってるという意味でも、もはや先鋭化した一部は単なる暴徒でしかなくなってるように思えます。

ああ、デモはいいですよ。OKです。意思表示の為の方法論として決して侮れないものだとオレも思います。ガンガンやっていいんじゃないか、とかオレは思ってたりしますよ。

でも、とにかく「暴走」しないで頂きたい。本来の主旨を見失わないで頂きたいものです。

‘70年代の学生運動においても、学生側の主張はある時期まではかなり正当なもので、故にその運動は一般市民レベルにも結構評価されてたりしたそうです。

ただ、日大芸術学部(オレの母校ですが)での「闘争」の際、デモetcの鎮圧に当たった体育会学生に対し、ハダカにしたうえ針金で後ろ手に縛り、
その上で指の骨を折り、「市中引き回し」にした、なんてことがあったそうで、そんな辺りからコンセンサスを失い始め・・・という次第だったそうです。これ
などがまさに以降に連なる「暴走」の始まり、だとか言われてます。

「オウム」も、1990年年の衆議院選挙での大惨敗以前までは、メディアの扱いも「ちょっとユニークな新興宗教」ってだけのモノで、実際教団内もそれ以降に比べれば和気藹々とした雰囲気だった由です。

「あさま山荘」や「地下鉄サリン」みたいなことが起こらなきゃいいなぁ・・・とオレは思っています。

わりとマジで。

※原発の是非や、いわゆる「放射能」の現状については、あえて除けての上記です。

※ちなみに、オレはぶっちゃけた話、どちらかといえば「反原発」です。

っていうか、あんな事故を「体験」して、それでもなお「原発推進」ってのは、ちょっとありえないよな、という感じです。

ただ、その主張が、単なる「イデオロギー」若しくは宗教的感性の部分で止まってしまってはイカン、と。こういうのは「思考停止」であって、なにも生み出さないんじゃないですかね、という次第です。

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