区議会議員への立候補を誘われた件。

そういえば今年は江東区長選挙・江東区議会議員選挙があるんですよね。4月だったか。

昔々に区長・区議選開票速報番組をやったことがありますが、あの頃だいたいトップ当選の方の得票数は3000くらいだったと記憶しています。それがこないだの区議選だとドンケツ当選者の得票数がそれくらい。それだけ我が江東区は人口が増えてるってことですね。いいのか悪いのか知らんけども。

その3000票でトップ当選出来てたような時期、オレも区議選に出ないかと誘われたことがあります。いや誘われたというか、今思えば結構ガチな「立候補要請」でした。供託金はこっちで持つ、各種運動はこちらで段取る、なんの具体的負担はかけない・身体ひとつでOK、という条件で、なんか書類を書いてハンコも押して、とかなんとか言われた。

あの頃のオレは江東区地域情報番組を作ってまして、だいたい月30日のうち15〜20日は自分で顔出し出演しておりました。地域情報番組をやるのに、そのネタどころか当該地域のこともなんも知らない・縁もゆかりもない、ただ滑舌が良くて愛想が良いってだけのキャスターがしたり顔で「地域情報」を語るっていう図式に抵抗がありまして、じゃあ取材した当人が自ら出演して取材した事柄について喋った方が一次的でイイじゃないですか、という、要するにそういう趣旨に拠ります。数年後に東京MXTVが「東京ニュース」と銘打ってVJ:ビデオジャーナリストという概念を打ち出してきましたが、思えばアレの先駆けです。

でもって当時取材してるのがほとんどオレだったので、必然的にオレばっかし出演することとあいなった、と。

(ちなみにこの時期、勝手にベラベラ喋るオレをキャスターとして受け止めてくれたTくんとはまだ良いお付き合いをさせてもらっております)

なにしろ90分番組を1日4回リピート放送してましたので、ざっくり月に120時間くらいメディアに顔を晒してたわけです。ローカルとはいえ。

そういう体制を1年くらい続けてると、なんやかんやで顔を覚えられるようで、まず砂町のジャスコで子ども連れのお母さんに、また錦糸町、靖国通り沿いのサンクスの店員のアンちゃんに深夜に声をかけられたりしましたよあの頃。サインもらえますか?とか言って。

まぁなにしろ立候補を誘われたのですが、要するにヤツはとりあえず顔が売れてるし、当時平均年齢が23区の中でも高めと言われてた江東区議会議員の中にあって、若いヤツはその若さだけでもアドバンテージだ、ということだったみたいです。当時30歳代前半でしたんでねオレ。若い力で!とか、キャッチコピーもわかりやすい感じで設定できる、と。

あたりまえですが丁重にお断りしました。

まぁ最初からその気は無かったっちゃそうなのですが、お断りした具体的理由のひとつは、身体ひとつでOKとか言いつつ、スーツ着なきゃダメだって言うんですね。厳密にいえばそりゃ話が違うじゃんか、というわけです。

いやスーツがイヤだからというより、やっぱしスーツ着なきゃダメですか?と言った時、そりゃダメですよっていうかスーツくらい着ましょうよ(苦笑)と答えられた、その口調が気に入らなかった、というのが正確です。なんかモノの言い方がちょっとだけシャクに触った、という。

こういうのはデカいですよ。心根の底の底がこういうとこに出るもんです。

あんとき立候補してたらどうなってたかな、確か当選者の中で最低得票数は2000票をちょっと切るくらいだったと記憶してますが、間違って2000票獲得しちゃってたら区議さんですよ。また、立候補経験者ってだけでそこそこのハクにもなるとかも、あのとき言われたです。

どうなってたかなぁオレ、と時々思うのですが、冷静に考えれば皆さん一生懸命運動などに注力されてるってのにテキトーな感じで首を突っ込んだだけでそんな簡単に通るはずもなく、またどっちにしたって長続きはしてないと思うので、ってことはその分今のキャリアが削られてたわけで、やっぱし出なくて良かったなぁ、と思います。

人間よけいなことはしないが吉、なのです。

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娯楽コンテンツについて。

娯楽コンテンツは常に「ないものねだり」の産物だ、という、斯様な仮説をたてると、物事いろいろ合点がいき、且つ色々はかが行くのであります。

「ニッポン無責任時代」がやたら流行った時期、当時のサラリーマンは高度成長の担い手としての責任感、重圧に大層苦しんでいたんだろうと想像します。あの経済成長を、ほぼ特定の世代だけが背負ったわけですからね。それはそれは大変な重圧だったことでしょう。これは余談ですが、それを為した世代が後期高齢者になってる昨今、この世代を大事にしなきゃバチがあたりますよ。

「旗本退屈男」がシリーズ30本も続いたのには、庶民において横暴な権力者に相対する「早乙女主水之介」的存在への渇望があったのでしょう。「退屈男」が最も流行ったのは戦前から昭和30年くらいまでな由。

また病身の渥美清をいつまでも「男はつらいよ」に携わらせたのは、長年に渡って続いた、マスプロ化した社会生活における閉塞感が裏にあったでしょう。保守的な松竹は最後は満男くんを「フーテン」化させてまで当作の継続にこだわりました。

こういうことは洋の東西を問わず、泥沼化するベトナム戦争のとその戦後処理、石油ショックによる不況、ウォーターゲート事件に代表される政治不信、学生運動の衰退に伴う失望感など、まさに月に叢雲といった状況にあったアメリカにおいて、その雲を散らしたいという市井の一念がダーティハリーやデス・ウィッシュetcを産んだのでしょう。

またこういうことは、こと映画だけに限りませんね。浜崎あゆみの楽曲の、あの説教臭い歌詞がやたらウケたのは、ああいう「説教」に飢えてたグループが庶民の中に多くいたということに「他なりません。バブル期の様にチヤホヤされることに飽いて且つ同時にそこに不安を覚えた後続世代の女性らが挙って支持しましたね。チヤホヤされるより、説教臭い「同調」を求めた、と。

オレ個人は我が国のポピュラーソング史において「セーラー服を脱がさないで」に始まる一連のあの一派によるあの手の曲どもは最低最悪の代物だと思うのですが、これらのヒットは、どうあれこうあれあの一派が思春期のガキどもが最も「欲しがるもの」を(大量に、数の暴力でもって)市場にブチ込んだ結果であることは疑いようもありません。

枚挙にいとまがありませんが、まぁなにしろ、映画演劇音楽と、なにによらずヒットコンテンツというものは押し並べて「ないものねだり」、その時期その時期に欠けているものが常に望まれるわけですね。

で、オレ思うに、ここ数年各種コンテンツにおいて「リアリズム」、これが結構末端、特に若者層においてやたら尊ばれてる気がするのです。

これってもしかしたら、今、そういう世代の層においてなにが欠けてるかって、他ならぬ「リアル」が欠けてるんじゃないか、と。

そういえば東日本大震災もこのたびのコロナ禍も、それらに対するSNSの書き込みが、みんなどこか他人事な感じがします。

自分自身にとっての「リアル」事として認識してない感じがします。

ドラクエやFF、また各種ソシャゲで特徴的なのは、最終的に必ず「勝つ」んですよね。

80年代頃のゲームは、インベーダーでもギャラクシァンでも最後必ず負けてゲームオーバーになったです。全機やられて負けるまでのゲームだった。ところが昨今のゲームは大抵自分が勝って終わるんですよ。

なにによらず「バーチャル」が流行る昨今ですが、コンテンツとしてはこれからは「リアリズム」が流行るんじゃないですか。

それが良いことなのかどうかオレにはわかりませんが、とにかくオレは今から「旗本退屈男 謎の決闘状」を観て寝ます。おやすみなさい。

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大学時代。

大学に入学しまして、必修科目は当然履修することになるわけですが、さてそれ以外の、いわゆる一般教養はなんの授業を取ればいいのか。

必修科目の授業の合間を縫い、且つ効率的に履修でき、またその中でも単位取得が容易なやつを取るってのが学生としての定跡っていえば定跡なわけですが、オレとしてはなんかそういうのが釈然とせず、というか潔しとせず、必修授業の合間を縫わなきゃならんのはしょうがないとして、できるだけ必修授業との兼ね合いが非効率で、且つ単位取得が難しいもしくはメンドくさいとされてる授業ばかりを、半ば嬉々として選択したものです。なんでそんな風に指向したのか自分でもわけがわかりませんが、なんかイヤだったんだな。イヤだったんだからこれは仕方がありません。

で、これがまぁもう見事な大失敗で、それはそれはもうホントに苦労したものです。例えば月曜の1限に、文系なオレには縁もゆかりもない&毎回出席が取られ試験も厳密だとされてた「統計学」なる授業を選択し、2限3限には取れる授業が無くて次の授業が4限、ってことは昼休みも入れると4時間以上間隔が空くわけです。

あと確か水曜日だったかの「心理学」。これは前年まではほぼフリーパスで単位取得可能だったところ、この年度は(学生にとっては)悪名高い教授に変わるってことで敬遠されがちだったのですが、そう言われると履修したくなるという次第で、しかも水曜日は他に必修科目など無いからお休みにしようと思ったらできたところ、これも愚かなことに、なぜか嬉々として履修を決めたのでした。

なにしろこんな感じの毎日。上記したような指向は、大失敗っていう自覚がありつつも結局4年生になるまで継続しましたので、身から出た錆というか自業自得というか、おそらく同級生の誰も経験してないであろう苦労が4年間続いたわけです。

4時間も空くとこれはホントに時間潰しに難渋します。ガチで「途方に暮れる」感じ。銀河鉄道999でヒマに苛まれる回がありましたが、いやぁ良くわかりましたあのときの哲郎の気持ち。

今だったら空き時間はスマホなどで容易に・安易に潰すこともできるわけですが、当時はそういうものは無かった(っていうかスマホは今も持ってないですが)。

この自業自得な履修計画によって発生した膨大な空き時間をどう処理するか、これはもうゲーセンかメシ屋に入るしかないわけです。

西武線江古田の、もはやどっち口だった忘れましたが、北口か南口かどっちかの駅出口から我が母校に向かう一本道の道すがら、学校入り口の最寄りにラーメン屋がありまして、よくここに入り浸ったものです。ここ以外の食い物屋に行った記憶がほとんどありません。殊更美味いわけでも無かったのですが、なんかここしか身の置き所が無い感じで、なにかっていうとここばかり行ってた。多分オレくらいこの店に行ったヤツは少なくとも同世代人では他にいないでしょう。そもそもこんなメチャクチャな履修計画を立てたのもオレくらいだと思うので。関係ないですがソウル五輪でベン・ジョンソンがカール・ルイスに勝った100m走はここの店内テレビで観たです。

そんなわけで入り浸ったこの店、オッチャンが厨房で、おそらく奥さんであろうオバチャンが給仕役なのですが、結構いいトシのおじいさんが出前持ちでおられたのですね。

このおじいさんに対するオッチャンオバチャンの態度が、それはそれはひどいものでした。オッチャンらのどっちかのお父さんなんじゃないかという感じでしたが、トットと帰ってこい、とか、モタモタすんな、とかね。客前でも結構声を荒げて。

何を言われてもおじいさんは黙って黙々とお仕事されてました。

ひでぇなぁ、ああいう言い方は無いよなぁ、と冷え冷えのシナチクを食いつつ、オレは常々思ったものです。

あれからもう30年くらい経つわけで、あのオッチャンオバチャンがあの時のおじいさんくらいの年恰好になってる計算です。

どういう年寄りになってんのかな、と思う。ああいうことをのたまって良しとしてるようなヤツは因果応報でどうせロクな目にあってないんだとは思いますが。

黒澤「生きる」、あと「怪奇大作戦」でもあったな。若い息子夫婦が年老いた自分のオヤジを邪険にして、ってシチュエーション。特に「怪奇大作戦」の方は、令和5年現在、あの若夫婦がちょうど後期高齢者になってる時期かと思います。年寄りを邪険にしてたヤツはきっと自分が年寄りになったら邪険にされちゃうんだろうな、と想像する次第です。

今思い立ってGoogleストビュで見たら、ラーメン屋は無くなってました。

食べ盛り世代の若者がワンサカ集う施設が最寄りにあって、何故に店を畳むことになってしまったんかな、と思います。

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美空ひばりについて思うこと。

日本映画の観客動員数は1958年がピークだったそうですが、配給会社別に見ると東映が他社を圧倒、まではいかなくとも凌駕していた由。要するに日本映画人気全盛時代は同時に東映時代劇の全盛期でもあったってわけですね。

大卒初任給の調査は1968年から始まったようで、この年は30600円。ってことは高度経済成長期に入りたてな1958年当時だと、恐らく1万円にちょっと届かないくらいだったんじゃなかろうか。

そんな時代に、歌舞伎界からなんやらプロダクション経由で銀幕界入りした中村錦之助(=萬屋錦之介)のギャラは1本出演で100万だったそうです。

同時期に日本舞踊の世界からなんやらプロダクションを経由せず個人で東映と契約した東千代之介は、長年足元を見られまくって最後まで1本出演で10万だったとのこと。

まぁなんとヤクザチックな業界かと思いますが、今回言いたいのはそこんとこではなく、同時期、美空ひばりは1本出演で250万を下ることがなかったってことです。

250万ですよ。ニヒャクゴジュウマンエン。今年の大卒初任給は22万だそうですから、ごく単純に換算すると、1本映画出演するたびに5500万になりますか。しかもこの時期のひばり、東映だけで普通に年間10本以上出てますよ。つまり映画だけで年間最低5億5000万。ゴオクゴセンマンエンですよ、映画「だけ」、で。

でもって、ハッキリ言ってこの時期のひばりにとったら映画出演は決してメイン仕事ではなくあくまで「余技」で、新宿コマやらでのメイン公演に地方巡業公演、テレビ出演にトンでもない数のレコード発売、と、ちょっと想像できない仕事量、つまり想像を絶する収入があったはず。

そういう状況が、どんなに少なく見積もっても最低10年は続いてたはずで、また千昌夫やなんかと違って、株で損したとか不動産でズッコけたとか、マネジャーに騙し取られたとかいう話は聞きません。

ヘタしたら、今の貨幣価値に換算してトータル1兆円近く稼いだんじゃないかと思うんですよ生涯で。8歳でデビューして、結局収支が赤字になるような年度の無いまま亡くなったはずですから、イッチョウエンって数値もあながち、じゃないですかマジで。

なのに、死後、なんで借金なんかが残る状況だったのか。

ここがオレとしては不思議でなりません。

死後20有余年経過した最近になって、メディアでは某ヤクザの某組長との関係を半ば美談みたいなノリで採り上げるようになりました。「蜜月」とか言ってね。

「蜜月」でもなんでもない。ただひたすら「金づる」だったんじゃないのかね。母娘ともども丸め込んで持ち上げて。

なんといいますか、そういう美空ひばりの悲劇性について、もっと語られていいんじゃないでしょうか、とオレは思うのです。

死後20有余年、いまだにCG化させられたりすることに対して、山下達郎大先生は某FMラジオ番組でただひとこと「冒涜です」とおっしゃってました。

これも「悲劇」の一環ですよ。

ついでながら、いつのまにか代表曲が「川の流れのように」ってことになってるのも「悲劇」だと思います。ハッキリ言って美空ひばりのキャリアにおいてこれは凡作のグループに入ります。タイトルからしてこの作詞家らしいダサさと臭さに満ちております。「川の流れのように」ってなぁ。もうちょいでもヒネらんかい!と。

死してなお、作者の権威づけに利用されている、としか思えません。まだ利用され続けておられるのか、と。

悲しむべきことです。

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食について。

最近めっきり色が細くなったなどと書きましたが、アレを書いた途端になんだか食欲がめっきり旺盛になってきました。こういうのもマーフィーの法則というのでしょうか。食欲旺盛、ここ数日なにをどんだけ食って飲んだか、列記しても詮無いっていうかオレ自身がイヤんなっちゃうのでやめますが、とにかく自分でもどうかと思うレベルです。

で、その当然の帰結として、太りました。いや、現在進行形で的面に太っています。ドカ食いするとすぐ太り、控えるとすぐ痩せるという、これは体質の問題ですかね。

減量中のボクサー、計量をパスしてから試合までの数時間で普通に5、6kg、昔の韓国人ボクサーなんかだと掛け値無しで10kg以上増量してたそうですが、そこまではいかずともオレも似た感じです。食ったものがすぐ血肉になる、食わなきゃ食わないでビビッドに血肉の量が減るというね。

食べなきゃいけないのに食べられない、という方も多くおられる由。いまのところオレはそこに関しては大丈夫です。

そして睡眠欲も旺盛というか、ここ数日アベレージ11時間くらい寝てしまいます。なんでこんなに寝ちゃうのか自分でも意味不明です。

大学の同級生で、結構重症の(オレ比)不眠症という方がおられました。最後にぐっすり寝たのがいつだかもう思い出せない、とかって言ってたな。睡眠導入剤を処方してもらってもすぐ効かなくなっちゃうんだとかで、どんどん強い薬になっていくという。絵に描いたような悪循環ですが、自分ではどうにもならない由で、ああいうのは辛かろうて、と。

ことほど左様に、世の中には、食欲がない、もしくは食が細いとかで悩んでおられる方が多い由。

また、不眠で困ってる方も大勢おられる。

そういう方のことを考えたらオレは幸せ者です。

そういうわけで、オレはそろそろ寝ます。

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和装について。

この正月はずっと和装で過ごしました。なんでかって楽だからです。こんなに楽なものだとは思いませんでした。肩は凝らないし動きやすいし。

七草も明け、もう洋服に戻りたくないと思いました。っていうか現在進行形でそう思っています。

行きつけの喫茶店や焼き肉屋さんによると、別に和装で来たからってウチとそしてはどうだってことはないですよ、っていうか食いこぼしに気をつけていればどんなカッコでもいいんじゃないですか、とのこと。でもそういう場所ならいいかもしんないけど、打ち合わせだとか撮影現場だとかに着物&羽織で行ったらやっぱし妙だよなぁ、ってことで、仕方なく、耐え難きを耐え忍び難きを忍び、涙を飲んで今は洋装に戻っています。でもぶっちゃけてしまうとどこにも出かけないようなときはずっと和装だったりします。事務所内でどういうカッコでいようとオレの勝手なのであります。

和装はホントに楽なのでオススメです。

ただ、角帯の結び方がちょいとメンドいっていえばメンドいかもしれません。

まぁそれも慣れなのですが、これはなかなかいい感じに慣れません。

小津「小早川家の秋」を観ますと、中村鴈治郎が囲ってる女のとこに出かけるのに、家人の目を盗んで、孫と隠れんぼなどしつつ、もういいかい、まぁだだよ、とか言いながらサッとお出かけ用の着物を箪笥から出し、廊下をウロウロしつつチャッチャと角帯を結んでそそくさと玄関を出る、ってシーンがありますが、まぁその所作の美しいことね。美しくて手際が良い。ここまで慣れるのは一朝一夕では無理無理、やはり相応のキャリアが要るな、と思ったものです。

キャリアといえばですね、和装ってのはそもそもオッサン・オバチャンが基準なのですよね。洋装は、これは明確に若者基準ですが、和装は体型が崩れてしまった状態が基準なのです。若くてスリムな方が着るときは、わざわざタオルやなんかをお腹に巻いて、中年太り状態を作らないと似合わない、という。

ついでにいうと江戸時代のチョンマゲね、あれは最初からハゲてたらわざわざ月代剃らなくて良いわけでね。ああオレも早くオッサンになってハゲて月代をいちいち剃らんでもいいようになりたいなぁ、と往時の若者は切に思ったことでしょう。

年長者が尊ばれる社会というのは良い社会ですよ。

社会全体が年長者を尊ぶ体制になっていれば、低出産率及び高齢化社会の問題もかなり解決しますよ。なんで若い世代が子どもを産まないかって、この先自分がオッサンオバチャンになり、その先に至るまで子どもをマトモに育てられるかどうかの不安と、産んだ子がオッサンオバチャン以降になる時代への不透明感、っていうのが大きな理由なんじゃないですか。これだけとは思いませんが、要するに社会として年長者が尊ばれてないさまを潜在的に見ているからですよ。

まずは和装回帰するところから始めますか、ラクだし。

和装はオススメです。単価は高いですが、そうそうムチャしなけりゃ結構長持ちするっぽいので、長い目で見たらリーズナブルですよ。ってモノにも依りますが

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街について。

よく考えたら昨年末から制作の案件を6本抱えたまま新年を迎えたのでした。ひとつかふたつくらいは年内で終えられるかと思ったのですがそうはいかなかった。これは弊社の問題ばかりではなく、カレンダー的な巡り合わせの問題だったり、なんだかんだでコロナ禍の故だったり、まぁいろいろ。コロナ禍に関しては、それだからこそ発生した案件もあり、なにしろ、いろいろ、です。

そんなこんなで昨日も都内をアチコチ徘徊してまして、で、これはもう実名を挙げて差し支えないかと思うのですが、墨田区の京島だとか立川だとか鐘ヶ淵のあたりってのは、まぁスゴいですね。

なにがって街並みの昭和っぷりが。

この令和の世、木造二階建てで屋根の上に物干し台のあるお宅なんてそうそうありませんよ。

2011年の3月1日は東京も震度5弱ほど揺れたはずですが、それでもアレは耐えたんだなぁ、と。

警察署の生活安全課などでは、空き巣やなんかが多いから玄関のカギは2つつけましょうとか盛んにおっしゃってますが、まだまだガラス扉の戸建住宅も多いです。こうなるとピッキング対策もハチの頭もありません。最近は電線etcに地下埋設も進んでいる由で、すっかり電信柱も少なくなっているようですが、あのあたりはオレの記憶が確かならば3年くらい前まで木製の電信柱が立ってましたよ。さすがに現役ではなかったようでしたが、とりあえず立ってました。押尾川部屋のあるあたりですね。墨田区の。

弊社の以前の事務所は東向島にあったのですが、よくデカいスチルカメラ持った方が複数人で写真撮って歩いておられました。聞くと、失われつつある昭和の雰囲気を残す路地や建物を残したい、という御趣味であられる由。現にそこに住んでるオレとしてはちょっと複雑な心持ちだったりもしたものです。

東向島を後にしてもう17、8年経ちまして、あのあたりも新築建売戸建住宅が増えている由。それに伴って軽自動車でギリギリだった道幅も少しづつ広くなってきています。街並みが変わる寂しさもありますが、これは正しい成り行きです。消防車も入れないような道はできるだけ無い方が良いし、空き巣やなんかの危険はできるだけ避けなければなりません。

京島あたりだとまだ平屋の長屋などもそこそこ残っているのですが、リノベーションによるそんな建物を活かしての街づくりっていう計画も進んでいるとか聞きました。板張りトタン屋根の長屋建物にカフェやら個人事業主用事務所が入ってたり、とか。

なんというか、良い具合に変わっていくといいですね、と。

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またコロナ禍について。

今の小・中・高校生はコロナで遠足にも修学旅行にも行けなくてかわいそう、とよく言われるのですが、これは超暴論だと我ながら承知はしつつ、そこまでかわいそうでも無いよな、とぶっちゃけオレは思うのです。10年後か20年後か、コロナ禍のアレコレがすっかり風化して「歴史エピソード」にまでなった際、リアルタイムのガチ当事者としてそのエピソードを語れるっていうのは、ある意味うらやましくさえありますよ。

経済的な打撃を被ってたりしたら話は別ですが、そうでない小・中・高校生に対してオレは言いたい。キミたちは「おいしいネタ」を授けられた世代なのですよ、と。

オレが今中学生だったら、きっとマスコミだとか先生だとかの大人に対して、

“早くコロナ前の生活に戻りたい”

だとか

“修学旅行に行けなくて悲しいです”

かなんかを、いかにもしおらしく言うと思うのですが、きっとその心中では“しめしめ!”と思ってます。そうに違いない。他の世代の経験していないことを経験できている!というカタルシスをどこかで感じてると思います。

繰り返すようですがコロナ禍によって経済的な打撃を被ってたりしたら話は別ですが、そもそも遠足や修学旅行の愉しみっていうのは、それが「非日常」だからって部分もあるじゃないですか。コロナ禍っていうのはそう言う意味で究極の「修学」旅行ですよ。

もちろん相応のトークスキルは必須ですが、10年後か20年後か、コロナ禍を知らない世代の連中に混じっての飲み会なんかあったら、このコロナ禍におけるアレコレは格好のネタになるはずです。オレの世代にはそういう大ネタは無いので、そういうネタのある世代はとりあえずうらやましいです。

逆に、今の小・中・高校生は、このコロナ禍をネタとして昇華できるくらいの逞しさを持ってもらいたいものです。

「戦争を知らない子どもたち」って歌がありあますが、あれは戦争体験の無い第一世代が、その上の世代からことあるごとに“おまえら戦争も知らないくせにナマ言うな!”って言われまくったあげくに、そのフラストレーションから生まれた歌ですよ。

“おまえらコロナも知らないくせにナマ言うな!”まで言う必要はないですが、せめて「面白大ネタ」としてコロナを語れるくらいの逞しさは有って良いですよ。よろしく頼みます。

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コロナなどいろいろ。

今日も今日とて実在してるかどうかもわからない方々から大量の「友達申請」が届いています。さすがのオレサマも逐一の「承認」作業に疲れました。オレが悪かったです。どうかもうご容赦いただきたい。

こないだ新型コロナに関してちょっと目にした記事ですが、小学5年生だかの男の子と映画鑑賞に行ったお母さん、ノーマスクで行ったら館の係員に注意され、ウチはなにがどうあってもマスクはしないさせない、ってことですったもんだが発生、その末に男の子が、お母さんもういいよマスクしようよ、と泣いてしまい、それに対して、

“ウチの子を泣かせたマスク強要社会を私は許さない!”

と憤慨、という。

似たような話が東日本大震災のときにもありました。こちらは、学校給食は放射能汚染されてるからウチの子だけは給食拒否、持参の弁当以外食べさせない!とやってたら、ある日小学生の娘が、どうして私だけ給食食べたらダメなの?私もみんなと一緒に食べたい!と泣きながら帰宅、そんな我が子にお母さんは、

“ごめんね、あなたを守ってあげられるのはお母さんだけなのよ”

と。

こういうのは悲しく切ないですね。悪意がどこにも存在せず介在せず、しかし確実にどこか間違っていて、且つ確実に本来最も守られなければならない弱者が泣くことになる、という。

黒澤「生きものの記録」のジィさんもこんな感じっちゃそうでしたので、要するに昔々からのテーマなわけですね。

こういうのはおしなべて「死の恐怖」に起因することです。とどのつまりは全てその問題。目前に迫る具体的な「死」に対するリアクションとして、これはきっと正しいものです。丸腰で相対するときっとみんなこうなる。人間とはきっとそういうものなのです。ガタガタいわんとマスクすりゃいいじゃんか・食べればいいじゃんか、とすぐに思ってしまうオレなどよりずっと人間らしい人間なんだと思う。

人生とは全て死に至る旅で、それを憂鬱なものでなくするために、我々には「気晴らし」を見つけて目を逸らす以外の選択肢は無い、とパスカルは「パンセ」に書いてます。

まぁそういうもんです。世の中にはいろいろありますが、取り急ぎオレには世の中のそういうことより、今日の雨に対して傘が無いことの方が問題だ、と。人生の達人とはすなわち気晴らしの達人である、というわけですね。

50歳を超えると、さながら灰汁のようにさまざまな気晴らしテクニックが身に付くものです。

鉄壁のそれを身につけたいと思います。

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食が細くなった件。

とにかくここ数年、食が細くなったなぁ、と思う。1回の食事での摂取量がめっきり少なくなりました。

もう20年ほど通ってるラーメン店がありまして、ここは替え玉を3回すると海苔、4回目にはチャーシューをサービスしてくれるのですが、ここ数年チャーシューまで行き届きません。海苔どまりでもう満腹。

通い初めの頃は2周目のチャーシューまで普通に行ってたんだけどなぁ。

食が細くなったなぁ、という実感は、摂取量が数値化される回転ずし店においてより容赦無く突きつけられます。

かつてのオレは「回転ずし」に対してある種のこだわりを持っておりました。

即ち、何はさておいても、まずは16皿食べる。

でもって、16皿完食した時点での体調etcで、そのあとどれだけ食べるか決める、というものです。

言い換えると、要するに16皿食ってからがホントの食い始め・スタートだった。ああ、もう16皿食ったか。じゃあカウント開始するか、みたいな。

さらにさらに言うと、まず16皿食わないと空腹にさえならない、というのがより正確でして、16皿食って初めて一般的な空腹状態になる、という。

なんで16皿なのかは、なんか理由があった気がするのですが覚えてません。なんかしらんけどとにかく16皿が基準だった。

去年の秋口だったか、久方ぶりにスシローに行きました。

気の向くままに皿を取って、食って、ああそこそこ食ったなぁ、もうハラいっぱいだ、となったところで皿の数を数えてみたら、16皿だった。

ああそうか、オレは老いたのだ、とシミジミ思いました。思わされたというべきか。ここ数年スシローは明らかにシャリ量が減りました。それでいてこのありさまです。

(関係ないですがスシロー南砂店はどうしてああ常に混んでるんでしょうか。曜日や時間帯に関わらず、いつ行っても50〜80分待ち。ほど近くの葛西店などはそこまで待たされません。わけわがからん。)

今日はどういうわけか起きてからずっと眠いのです。正代が負けたからでしょうか。

とにかくそろそろ寝ようかと思います。おやすみなさい。

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