センバツ高校野球がなんか知らんけど中止になった件について。

選抜高校野球中止ってマジですか。無観客開催ってんじゃなくて?
 
あくまでも私的には、ですが、中止は正直どうかと思うのです。相撲に比べても選手間での感染が成立しにくい競技だと思うのですよ野球って。まして甲子園は屋外だしね。無観客開催が難しいっていう事情がなにかあるんでしょうかね。
 
何でもかんでも中止にすりゃいいってもんでもないと思う。できること・やれることはむしろ積極的にやっていいでしょう。てかやるべきだ、と。こういう腰の引け方がなにより経済をダメにします。引かなくて良い腰は引いたらいけません。
  
フンドシ一丁で組み合う大相撲はやってるじゃないですか。開催のために相撲協会はすさまじい厳戒態勢で万全を期してますよ。そしてそれが高評価を得ています。
なぜか。
それが「腰の引けた対応」じゃないからですよ。
 
大相撲の本場所が開催出来て、屋外で、基本的に選手の接触を前提としていない、ある程度選手間の距離が保てる高校野球がどうしてやれないのか。なにやってんの高野連。てか朝日と毎日。
 
やれることからやりましょう。てかやれることはやらなきゃダメです。センバツは「やれること」だと思う。

松竹。

かつて松竹は封切った作品がコケそうになると、いつのまにか「砂の器」が併映されてたりしたものです。ああこりゃアカン大コケだわ、となったら、とりあえず「砂の器」をいっしょに掛けとけばある程度の客は囲える、という。
 
いつの頃からか、やがてその役目は「蒲田行進曲」が担う感じになりました。ナンでもカンでも「蒲田行進曲」が併映されてた感じがガチでしたものです。
だったら「砂の器」と「蒲田行進曲」を2本立てで封切館でやりゃいいじゃんか、と中学時代のオレは思ったものですが、大人になった今はそれは経営的に絶対的な禁じ手であることがわかります。
  
ところで今松竹はどうなってんのかな、というと、なんか今度「男はつらいよ」の、あろうことか「続編」が公開されたりなんかしていますね。
それがいいことなのか悪いのかはオレにはわかりません。

商売道具について。

きのうから今日にかけて、某社様の「製品紹介パンフレット」計9Pを作成しておりました。イラレ&フォトショと首っ引きでありました。9Pっていうのはよく考えたら不思議なページ数ですが、いいんです。
本来ならデザイナー様にお願いするところなのですが、予算が乏しく納期もややキビシいような場合は自分で作ります。乏しい予算なりのクオリティであることは自覚しております。
 
完全に専門外っていうかもはや門外漢の分野ではありますが、「撮影」と違って、対象が逃げていかないってのは、これはかなりデカい要素です。撮影の場合、二度と撮り直しできないようなケースもあるので、それはそれは緊張します。
 
撮影現場におきましては、ときどき他社様のクルーと一緒になることがありますが、撮影作業に相対する際の心の置き方につきまいsては、これはもう千差万別、テキトーにやってんなぁと思うこともあれば、ああ、ちゃんとしてるなぁこの人、と感じることもあります。後者は無条件でリスペクトの対象となります。
 
いつだったか、カメラを三脚に付けたまま、三脚を担いで移動してる人をみました。
昔と違ってカメラも軽量化されてますが、それにしたってもし三脚とのアタッチメントが外れたらカメラは間違いなくおシャカになります。
おっかないことやってんな・・・と思ったものです。
 
大昔いっしょになったカメラマン氏は、若い頃、ちょっとでもヒマがあったらカメラを触ってろ、マニュアルは100万回読め、とサンザン言われたそうです。
そこまですることもなかろうとは思ったりしますが、商売道具ですからまぁそれくらいやって当然なのかもしれません。そういえば、商売道具を大事にしない人は、確かに大したものは作れてないです。撮影に限らず。
黒澤の「どん底」、東野英治郎演じる鋳掛屋のオヤジについて、商売道具を売っぱらった瞬間に「人生が事実上終わった」という表現になってますね。そういうものかもしれません。
 
で、なにがいいたいかというと、カメラや三脚と同じように、今回のようなパンフetcの制作を生業としてる方々にとったら、イラレやフォトショが「商売道具」の重要なひとつになるわけですよね。
商売道具が結構な頻度で「更新」されていくってのは・・・なんともいえない心持になります。
 
まぁなにしろ大事にしなきゃな、と思いました。ではおやすみなさい。

見る人が見れば、な話。

ひょんなことで知り合った某所のスナックだかクラブだかよくわからない店のママさんいわく、その客がヤクザかそうでないかってのは、ほぼ一瞬でわかるんだそうですね。どんな服装でどんなヘアスタイルetcでどんな腕時計をしてようと、大げさでなく入口ドアが開いた瞬間にわかるんだと。
なんでわかるのかと聞くと、やっぱしそういう空気というか雰囲気があるとしか言えない、とのことでした。
 
これはオレがヤクザでないからヤクザを例にとってそんな話をしてくれたってだけで、要はどんなに取り繕っても、見る人が見ればその生き方生業etcが丸わかり、バレバレだってことですね。
 
今年はちゃんとしようと思います。
そして、その「見る人」としての目も肥やしたいと思います。

デジタルとアナログについて。

もう10年以上も前の話ですが、当時としては斬新だった(っていうか斬新過ぎてすぐ潰れてしまったのですが)「地域情報インターネットTV」サイトの運営に関わってたことがありました。
 
相変わらず最近でも煽り文句として用いられる「デジタル新時代の象徴」みたいな惹句でもって華々しく公開、その目玉の一つがWebページ上で誰でもオンデマンドで(当り前ですが)操作できる街頭カメラ、というものでした。
 
どこかのビルの上階に設置したカメラの映像をWebページ上に埋め込みまして、その直下ある上下左右の矢印をクリックすることで、カメラの向きを誰でも変えることが出来る、という、今となってはさほど珍しくも、また難しくもないものですが、当時としては結構なスグレモノで、また結構お高いシステムだったりしたものです。
お値段相応に、公開当初から結構な人気コンテンツでした。「結構」の3連発。
 
しかしながら、この「誰でも変えられる」という所に盲点がありまして、即ちカメラの向きをいじると至近にあるビルのテナントであるキャバクラの更衣室の窓が見える、ということがやがて判明。

この段階でトットと取り外してしまえばコトが済むわけですが、そこそこの投資を経て設置したものだけにそう簡単にはいかない、ということで、システム担当の方は試行錯誤して管理者権限のある者以外操作できないようにしたのですが、2ちゃんねるに「いろいろ捗るWebカメラ」として挙げられるに至り、かくして約1か月間に及ぶデジタルいたちごっこが勃発。

最終的にどうしたかというと、カメラのリモートコントロール雲台をガムテで固定、という荒業に出て、この不毛な「いたちごっこ」に勝利したのでした。
 
オレ自身はカメラ設置の少し前に運営から抜けてたのですが、傍で見つつ、やはり「アナログ」が強いんだな、と思ったものです。
 
そういうものです。
’70年代というともう50年、半世紀ほど前になるわけですが、当時のハリウッド映画の銀塩フィルムの解像度は、デジタルメディアとして換算するとざっくり現在の8Kよりチョイ上くらいな感じだそうです。
考えてみれば「デジタル」は「アナログ」の翻訳版、若しくは基本的原理的に「無限大」であるアナログをカスタマイズ化したものが「デジタル」であるので、そもそも同じ土俵に並列に立たせること自体が無意味なのです。
デジタル化による恩恵を享受しまくってる身としては、謙虚にならねば、ということです。

謹賀新年。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
本年も相変わらずどうか宜しくお願い致します。


お正月をお祝いする言葉にもいろいろございます。

辞書によりますと、「謹」は、「 気をひきしめておろそかにしない。物事に念を入れる。恐れ敬って、ていねいにする 」という意な由。
常になにごとにもそういう姿勢で、と心から思います。

そして「賀」。こちらは「(先方にあった良いことを)喜び祝う。喜びたたえる。ことほぐ」という意味だそうです。

「“先方にあった”良いこと」が対象である、というところが素晴らしいと思います。

そういうわけで弊社としては、謹んで広くみなさまに「賀」を。
謹賀新年。 謹んで新年のお慶びを申し上げます。

レバノン。

20年ほど前になりますが、1,000人斬りを達成したって自慢してるオッチャンに会ったことがあります。取材後の雑談で結構長時間に渡って、要するに自慢話を聴かされたという。

最高だったのは白系ロシア人なのだそうで、じゃあ最悪なのは?と聞きましたら、そりゃもうレバノン、とにかくレバノンは最悪だった、と即答。

「呼ぶ女呼ぶ女、どいつもこいつも一人残らず「渡辺二郎」なんだよ」

とのことでした。
ご存命ならもう100歳になっておられると思うのですが、どうしてるかな。いかにも昭和的な自慢話です。こちらがドン引きしてるのもお構いなし。
ただ、渡辺二郎みたいな女ってどんなんかな、というところがちょっと気になるというかなんというか。

そんなレバノンにゴーンさんはいるんだな、と、ちょっと思い出した次第です。

「男はつらいよ」について。

こないだ新聞に載ってましたが今度の「男はつらいよ」のセット、

「高齢夫婦のために座敷にはソファが置かれ、土間からの上がり口には手すりを設置」

となってるんだそうで。

高齢夫婦って誰だと思ったらさくらさん夫婦なのね。第一作じゃ若いカップルだったのにな。

考えてみたら存命なのは桜さん夫婦とその息子と寺男だけなんじゃないか。月日は百代の過客、であります。

新作は明日封切りだそうですが、「母と暮らせば」を観る限り残念ながら山田洋次にはもはやなんの期待も持てません。

山田洋次におけるアレは黒澤における「夢」以降の諸作品、篠田正浩における「スパイ・ゾルゲ」の位置づけです。ミもフタも無い言い様をすれば「老醜」というやつです。悲しいことです。

これもまた月日は百代の過客にして、です。

クリスマスソング。

ロケ時の虫抑えということで久方ぶりにデニーズに入りましたら、時節柄店内BGMがクリスマスソング三昧。
聴くともなしに聴いてましたら、
 
ジョン・レノン「Happy Xmas (War Is Over)」

マライヤ・キャリー「All I Want for Christmas Is You」

ワム!「Last Christmas」

バンド・エイド「Do They Know It’s Christmas?」

と来ました。

さて次の曲はどういうことになるんだろう、この4曲と同レベルのベタベタなクリスマスソングといったらなんだろう、そんなのあるかしら、と思ってましたら、ありましたありました。
 
ポール・マッカートニー「Wonderful Christmastime」。
 
いや失礼しました。史上最高レベルのベタベタクリスマスソングであります。
メロディ、アレンジはもとより、歌詞も「ムードはいい感じ」「気分もワクワク」「さぁパーティが始まるよ」とかそういう感じ。よくもまぁ臆面もなくこういう詞が書けるな、と思う。まぁハッキリ言ってあざといっちゃあざとい歌です。あざといっていうか図々しいというか、さすがはポール・マッカートニー、であります。
このあざとさ・図々しさ、いかにも商業主義的なところが気に入らねぇんだよ的なことを言われがちなのがポール・マッカートニーなのでありますが。
 
ただ、考えてみると、同じくビートルズメンバーであったジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」は70年だか71年だかの作品だったと思うのですが、この時期にこういう歌を作るジョンの方がよっぽどあざとく且つ図々しいよな、と今のオレは強く思います。79年とか80年という時期における「Wonderful Christmastime」より、70年代初頭における「Happy Xmas (War Is Over)」の方に、オレはよりあざとさ・図々しさを感じます。あの時代にこういう歌を作って恥じるところのない感じがいかにもだなぁ、みたいな。
 
さらに考えてみると、ジョン・レノンって人は、実にあざとく図々しいソングライターだとオレには強く強く思えます。
改めて聴くと、これとか「Starting over」とかってのは結構あざとい歌ですよ。そうじゃないっぽく装ってる感じがなおのことあざとい&図々しいとオレ的に思えてしまう次第です。
 
もう一か月くらいずっと風邪ひいてるので、もう寝ます。

iMac。

編集作業途中で先月買ったiMacの電源がいきなり落ちました。これが金曜日夜で、土曜日にサポートに電話。
最新のOSだとadobe製品を使うとよく落ちるんですよくある話ですと言われ、そんなバカな、と思いつつそのままジーニアスバーを予約。
で、今日ザギンのアップルに本体を持って行きまして、このadobe云々の話をしたら

「そんなことは断じてありません、なんかの間違いです!」

と明快に否定されました。
まぁそりゃそうだよな、と思いつつ、じゃああのサポートの発言はなんなんだ、と。

しかしアップルの相談窓口「ジーニアスバー」とは、なんというか、大きく出たなぁ、と思う。「ジーニアス」ってか。

あと毎度思うのですがアップルの店員の独特のリア充感は、あれはなんなんだろう。

って、そうか、「ジーニアス」だからか。なるほど。