ホントに日本はヤバいんじゃないか?という危惧。

むかーしに放送されてたドラマ「あばれはっちゃく」のシリーズが、この程DVD-BOXの体裁で発売されるそうです。
そういや人気ドラマだったのに、最近再放送とかされないなー、などとつらつら考えつつ、その関連リンクなどを辿り眺めておりましたら、その理由について触れているサイトを発見しました。
そこによると、再放送されない理由として、その大きなひとつが「内容的にふさわしくないから」という説が挙げられてました。


ご存知の方はご存知だと思うのですが、簡単に説明しますと「あばれはっちゃく」シリーズとは、
「勉強は苦手だが、運動・ケンカ・悪戯なら誰にも負けない腕白少年あばれはっちゃくこと桜間長太郎が学校・家・近所などで巻き起こす出来事をユーモラスに描いた人気シリーズ」
です。
昭和54年の放送開始から実に6年間に渡って放送され、最高視聴率は20%を超えたってことですので、間違いなく広く支持を集めた作品だった、と言えようかと思います。
なにしろ「腕白少年」ですので、学校や家庭内でさまざまな騒動を巻き起こすわけで、桜間少年はその度にオヤジ(東野英心)にブン殴られたり、先生に廊下に立たされたりするわけですが、そんなシリーズの何が「内容的にふさわしくない」のかというと、正にその部分がマズい、というわけです。
・先生に廊下に立たされる=他の生徒との差別化(?)=“いじめ”の遠因となり得る、また子供の人権を蹂躙する行為である
・オヤジにブン殴られる=児童虐待・・・体罰の否定

ってな次第です。
CSetcならまだしも、いかに人気作品であったとはいえ、そういう内容のものを地上波で流すのはマズいだろう、という判断です。
・・・このことは前述したように、「説」であり、すなわち、あくまで想像に過ぎなかったりするのですが、私的にはかなり信じられる「説」です。
当サイト管理人は、請われて小学校の課外授業の「先生」をしばらくやってたことがあるんですが、その際に見聞きしたモノゴトから考えると、きっとそうに違いない!と思います。思わざるを得ない、というか。
「ゆとり教育」という考え方から、公立の小中学校では先般より「学校週休二日制」が導入されております。
で、それまで登校日であった土曜日に、フリースクールとでもいうのか、地域の「オトナ」を外部講師として招いて、「普段学校では学べない事」についての授業を行なう、といった趣旨のことがあちこちで行なわれています。
例えば大工の棟梁氏は校庭で木工作教室をやってましたし、ワタシの友人の落語家は教室で落語教室などをやってました。
で、ワタシは「ビデオ撮影・編集教室」ということで、毎週土曜・計8回に渡って某公立小学校にイソイソ通ってた時期があります。
ワタシは子供を「子ども扱い」することが非常に嫌いなので、この授業に際して、16ページに渡る「教科書」を手製したり、エイゼンシュテインによるモンタージュ理論のテキストを引っ張り出したり、クロサワ作品の「どん底」を上映用テキストとして(勝手に)再編集して持って行ったり、などなど、かなり本腰を入れて授業に臨んだもんです。
しかしながら、・・・まぁ予想の範囲ではあったのですが、あくまで受講希望者のみの講義であったにも関わらず、ガキども子供達の態度が非常によろしくなかった。
よろしくなかった、なんてもんじゃなく、これほどあからさまに態度の悪いクソガキ子供たちばかりだとは思いもしませんでした。予想の範囲ではありましたが、そのレベルはワタシの「想像」のキャパを大きくはみ出るものでした。
小4~6年生12人ほどがワタシの授業を希望してくれまして、教室に一同に会したわけですが、例えば授業がつまらなくて飽きちゃって騒ぎ始める、とかいうことならわかるのですが、授業のスタートの時点から、勝手に席を立っちゃったり、などなど、ショッパナからまさに荒れ放題。
で、私的には当然のこととして、ワタシは当該の子に対してキツい注意・・・ありていに言うと怒鳴りまくったりしたわけですが、それに対する子供らのリアクションは非常に意外なものでした。
ワタシに怒られた子は、ほぼ例外なくあるリアクションを取ったです。
「キョトンとした顔して、ボーッとこちらを見る」
というものです。
不思議そうな顔をして、しばらくワタシの顔をシゲシゲと見る、というか、眺めてるんです。
怒られたことでおびえるでもなく、また怒ったワタシへの媚びやへつらいの色も無く、ただ純粋に「キョトン」とし且つ「ボーッ」としてるんです。
怒ったこちらが恐怖を覚えましたですよ。
講義終了後の懇談の時間中、集まっていた数名の先生に聞いてみました。
子供たちはなんであんなリアクションをした(しか出来ない)のか。
先生らはほぼ即答で、
“今の子供達は、「大人に怒られる」という経験を全くしていない”
“ゆえに、なぜ自分が怒られてるのかわからない”
“というより、おそらくは、“なんであの人は怒ってるんだろう?”ってな感じで受け取ったのではないか”

と、答えてくれました。
・・・こりゃ、スゲー事態だなぁ!と思ったです。
幼稚園児じゃない、小4~6年生という、いわゆる「高学年」の子らですよ。
こういう世代の子らにして、大人に怒られたっていう経験がほぼ皆無である、という、この現実。
恐ろしいハナシではありませんか?
さらにワタシは質問を続けました。
そんな事態を認知しているにも関わらず、なぜあなた方は相応の処置に当らないのか?
具体的には、なぜあなた方はこんな事態の渦中にあって子供を叱らないのか?怒らないのか?

先生方、これにも、即答してくれました。
いわく
“問題になってしまうから、しない”
とのこと。
ちょっとキツく叱ると、すぐにPTAから抗議が来るので、したくても出来ない、ということでした。
そういった抗議に対しても毅然とした態度で臨むのが「職業意識」ってものなんじゃねーの??という言葉がノド元まで出かかりましたが、そもそもそんな発言をしちゃう人たちなわけですから言ってもムダなのは自明でしたので、はぁ、先生方も大変ですねー、とかなんとか言ってその場を辞しました。
・・・なにしろ、今の子供達は、大人に怒られるっていう経験が乏しいようです。
大げさでなく、ほぼ皆無、という状況らしいです(地域差etcはありそうですが)。
つまり、今の子供達は、「ちゃんとした大人」になるために必要な事を、ほとんど教わらず・その機会も与えられずに年齢を重ねざるを得ない状況のようです。
ワタシは、・・・言葉はキツいですが、子供には「人権」は無い、と思ってます。
もっと言うと、彼らはまだ「人間」ではない、などとも考えます。
当然ながら、決して、虐待してもいい、もしくは、「家畜」としてコキ使ってもいい、という意味ではありません。
彼らは、将来、人権・・・「権利」と「義務」と「責任」をそれぞれ全うできるリッパな大人・・・人間になるための、いわば修行の時期である、と思うのです。
将来、一人前の「人間」になるため、正にその為だけのために、彼らの日常はあるべきだとも考えます。
だからこそ、悪い事は悪い、良い事は良い、ということを、この時期にキチンと、体で覚えさせなければいけない。
そのためには、多少の体罰も仕方ないんじゃないか、とも思っています。
ちゃんとした人間になるために必要な事は、場合によっては体で覚えさせなきゃいけないケースだってあろうぞ、と。
逆に言うと、彼らに上記の様な「教育」を施す側・・・我々オトナも、子供らの範たるに足る「リッパな大人」でなければならないわけです。
体罰がしばしば問題になってたりするのは、確かに必要以上に過敏に反応するPTA等もいるのかもしれませんが、殆どの場合、「子供らに上記の意味での「教育」を施すだけのレベルに無い大人」がそれを行なってしまってるから、だと思うのです。
人を育てるってのは大変なことです。ですが、大人には、子供を育てる義務があります。
自分の子だけではない、全ての子供らを、上記したような「リッパな大人」に育てる責任があります。
これはキツいことかも知れませんが、考えてみれば人間、いや、生き物は全て、先達の背を見、その立ち振る舞いを範として成長し、継がれていってるわけですからね。
「先達の背を見、その立ち振る舞いを範として成長する」という図式が崩れてしまった社会etcには、もはや未来は無い、と思えます。
お父さんは「マイホームパパ」になり、先生は抗議etcを恐れて具体的行動に出ない・出にくい。
近所のおじさんおばさんは、自分の子以外の子供には無頓着・無関心を貫く。
で、まだちゃんとした道徳観念・判断力を持たない子供達は、自らの嗜好・本能にまかせて無軌道に野放図に年齢を重ねる。
・・・そりゃ、こんなんじゃ、未来など無いですよ、我がニッポン。