2004年

ホントに日本はヤバいんじゃないか?という危惧。

むかーしに放送されてたドラマ「あばれはっちゃく」のシリーズが、この程DVD-BOXの体裁で発売されるそうです。
そういや人気ドラマだったのに、最近再放送とかされないなー、などとつらつら考えつつ、その関連リンクなどを辿り眺めておりましたら、その理由について触れているサイトを発見しました。
そこによると、再放送されない理由として、その大きなひとつが「内容的にふさわしくないから」という説が挙げられてました。

愛すべきムチャクチャな人たち。

当サイト管理人は、現在は法人化しいてやっておりますが、その昔はいわゆるフリーランスとして活動しておりました。
今思えば実に色んな映像製作会社に出入りしたものです。
「映像制作会社」の雰囲気にはある種の類型があるにはあるのですが、それでも規模の大小、得意分野などによって、実に様々。
以下は、ワタシがお世話になった数多の制作会社の中でも、ひときわ「特異」であった会社の話です。
撮影、編集、と、そこから頂いていた仕事内容は多岐に渡りましたが、常勤してるわけでもなく、ときどきこの社に出向いて、自分の仕事+気が向いたら社員の皆さんの仕事を手伝ったり、などなど、妙にこの業界に浸かったり、逆に妙に慇懃に距離を取ったり、といった部分には一切気を使わず、まぁマッタリとやっておりました。もはやいい思い出であります。
いわば単なる外注スタッフであるので、有る意味全てにおいて客観的な立場でいられたわけですが、こういうスタンスは非常に気楽なものでした。
この会社は、想像を絶するレベルでムチャクチャな人たちばかりなのですが、そういう皆さんを表題のように「愛すべき・・・」という冠付きで表現というか紹介できるのは、この気楽さがあるがゆえ、です。

死刑になるべき人たち、病んでる国、その他。

表題について、まず、
http://www.my-roots.jp/bideo/
こちらをご覧頂きたい。
「bideo」というアホなアドレスについて言ってるんじゃありません。リンク先の内容です。
こういう作品を作ってるやつらが死刑にならないで、誰が死刑になるというんでしょうか。

東京青年会議所というところに入ってるのでした。

ワタシは今年から、「東京青年会議所」という組織に入れて頂いております。
その東京青年会議所(以下「JC」と略す)には毎月「例会」というものがあります。
やれ京王プラザだとか赤坂プリンスだとか、そういういかにもリッパな会場でもって、日本の再建は如何に!?とか、自立型社会を支える教育改革とは!、とか、そういうテーマで「東京JCの運動の方向性や政策を確認する」場です。
・・・そんなことを書く前に、まず東京JCとは何ぞや?という事を説明しなきゃイカンわけですが、新米ペーペー会員であるワタシなどが説明するのもナンですので、以下、「東京JCの特質」という部分を引用させて頂きます。

ボクサー

「沢木耕太郎氏の全集読みまくり」もそろそろ終盤に入ってまいりました。昨日「深夜特急」を読了、そのまま続けて「一瞬の夏」に入りました。
「一瞬の夏」は、著者とカシアス内藤というボクサーとの「関わり」を綴ったものです。
陳腐な言い方ですが、ある才能あるボクサーの栄光と限りない挫折の物語、と言えようかと思います。

この作品を読むのは何度目かになるのですが、今回フト思い出しました。
むかーし住んでた家の隣がボクシングジムで、そこには、当時小学校低学年だったワタシにとってちょっと怖い感じの「おにいさん」らがたくさんいたこと。

小学生時代。当時私は江東区南部のとあるアパートに住んでたのですが、隣が世界王者を何人も輩出してる高名なボクシングジムでした。

・・・隠すような話ではなかろうと思うので書いちゃいますが、それは三迫ジムというジムで、当時は世界王者の輪島選手、東洋王者の門田選手といった選手が「看板」だった・・・はずです。
「はず」というのは、当時ワタシはなにしろ小学校低学年、いや、幼稚園だったかな?とにかくそういう年代で、有名な選手がたくさんいるということはわかってたものの、それがボクシング業界的にどんなレベルだったのかまではわかってませんでした。
しかし、時折テレビの取材や、タレントなんかも収録に来たりしてたので、輪島さんや門田さんは有名なんだな、くらいは理解してたような気がします。
そういうトップレベルの選手がいたこともあってか、ジムには若いボクサーたちが大勢いました。

ジムの中は極めて暗く、なんかオッカないオッサンの写真の額が飾ってあったりしまして(今考えるとそれは三迫会長の師匠であるライオン野口の写真だったのかもしれない)、とてもワタシのようなガキがオイソレと近づける雰囲気ではなかったのを覚えてます。

誰もいない時などにコッソリ中をのぞいたりすると、ジム内はトンでもなく汗臭く、なおさら近寄り難かったように記憶しております。

薄暗いは臭いはで、ジム周辺にはあまり近づく事も無かったのですが、唯一比較的気楽に近寄れるところがありまして、そこはどこかというと、ジムの裏になぜかあった、大きなハト小屋。
子供が3、4人入れるくらいの本格的なもので、整然とエサ箱などがレイアウトされ、ハトが10羽くらい飼われてたように思います。
金網越しに、よくボーッとハトを眺めてたりしたもんです。

このハト小屋の管理人(?)は、ジムの中でもとりわけ若いボクサーで、ジム内でもかなり期待されてる選手だったそうです。
前出の門田選手、たまに我が家にチケット売りに来てたりしたらしいんですが、そのたびに

“こいつは強くなります。宜しくお願いします”

と言ってたらしいです。

あれから30年も経ったというのに、我が実家の面々がこういうことをしっかり覚えてるというのは、それがよっぽど熱いものだったからに相違ありません。

門田選手と、このハト小屋管理人選手、どちらもいわゆる「みなしご」だったそうで、ハト小屋の選手は故郷からボストンバッグひとつで上京し、そのままジムに住み込みで練習してる、とのことでした。

ご本人は非常に無口で、普段はなんとなく影が薄いというか、地味で、色白かつヒョロヒョロな感じの青年でした。
天涯孤独で、10歳台で単身上京し、ボクシングに賭けてる若者・・・いわゆるハングリーボクサーの見本みたいな選手だったようです。
夕方、ひとりで小屋の掃除などしているこの選手の姿を何度か見かけました。

ずいぶん長い事、このハト小屋は稼動(?)してたのですが、ワタシの学年が増すにつれて少しづつ寂れ、いつのまにか小屋内はカラッポになり、やがて小屋そのものもいつのまにか無くなってしまいました。

管理人だったその若いボクサーも、いつのまにかその姿を見なくなりました。

そして、ジムもいつのまにかどこかへ引っ越していきました。

さらに我が家も引っ越しまして、その結果、ジムや、選手達、あのハト小屋も、ワタシを含めたホンの数名の記憶の中にのみその存在の痕跡を残している、というのが現況です。

あの管理人のボクサーは、竹森三城といいます。

当時のボクシングマガジンなどをひもときますと、かなり・・・世界王座までもの期待をされてた選手だったみたいです。

ヒョロヒョロで地味な印象しか無いのですが、ファイトスタイルは典型的なブルファイターだったそうで、ちょっと意外な感じがします。
もう50歳代の、いいオッチャンになっておられると思うのですが、どうされているのでしょうか。

ガキにはネットを禁ずる、という案。

今日「も」こんな事件があったらしいです。以下のソースはサンスポですが、おそらくはどの新聞にも出てる事件です。
【社会】「小さい子に触りたかった」小3女児に抱きつき男逮捕
 香川県警坂出署は28日、小学3年の女児(9)に抱きついたとして香川県迷惑防止条例違反(みだらな行為の禁止)の疑いで、同県○○町、アルバイト○○○○容疑者(23)を逮捕した。
 調べでは、同容疑者は24日午後1時半ごろ、同県坂出市内のスーパーで、友達といた女児に「記念写真を撮ろう」と声を掛け、後ろから抱きつくなどした疑い。
 ○○容疑者は「小さい子に触りたかった」と容疑を認めているという。同署は同様の余罪があるとみて調べている。

武士の情けで(?)氏名、住所は伏せましたが、このオトコ名前でもってgoogle等で検索すると、こいつによるあちこちのBBSへの書き込みがワンサカ出てきます。
主に小中学生が集う、というか、じゃれあうというか、馴れ合ってる類のBBSで、このオトコは時にはオトナのオトコとして、また時には小学生と称して、馴れ合い・じゃれあいの書き込みをモノしてたりします。
「友達になってね!」とか、場合によっては「エッチ友達募集!」とかいう感じだったりもします。
で、これらのBBSのうちのいくつかでは、このオトコも、多少キモがられつつも、ある種の形で肯定されて受け入れられてたりもしてたようで、恐ろしいことこの上ないです。
こういう真性かつ悪性のロリコン氏のことはおいといて、少々ビックリしたのは、こういうBBSやチャットに書き込んでる子らについてでした。
彼ら彼女らは、こういう真性悪性ロリ属性男も、ホンjのはずみで受け入れちゃったりするんです。
あまりにも無防備・・・危なっかしいことこの上ない。
そこで思った。
16歳未満は、インターネットアクセス禁止にしたらどうか、と。

オキナワでキジムナーに会ったかもしれない話。

先日オキナワの話を書いてから、イモヅル式にオキナワに関するあれこれを思い出しています。
なにしろ20回以上訪沖してるので、そりゃまぁいろんなことがあったわけで、それぞれ甘かったり苦かったり酸っぱかったりするのですが、中でも一番衝撃的だったのが、私的に「キジムナー遭遇事件」と呼んでる一件です。
“もしかしたらオレはキジムナーに・・・!?”
という感じで。

小野田寛郎さんにお会いした話。

新聞によりますと、終戦後約30年間、フィリピン・ルバング島のジャングルで潜伏生活を続けた元陸軍少尉の小野田寛郎さん(82)の帰還30年を祝う式典が19日、都内のホテルであった、とのことです。
これで思い出した。当サイト管理人は小野田さんにお会いしたことがあったのでした。

我が愛する沖縄・オキナワの話。

沖縄は北谷のバス停当サイト管理人はかつて「オキナワ」に関するWebサイトを作り、運営しておりました。純然たる個人サイトで、手前勝手にオキナワについてモロモロ紹介したりしておりました。
「おりました」と書きましたが、サイトそのものは今でも残ってまして、閲覧可能ではあるのですが、ゆえあって更新は残念ながらストップ中。
しかし、だからと言ってオキナワに対するワタシの「愛」が冷めてしまった、とか、そういうことはなく、多忙ゆえに一時ほどの頻度では無いにしても、ヒマとカネさえあればいつでも・どこからでもまた赴く気マンマンでおります。
※左の写真は、沖縄は北谷です。クリックすると別画面で大きな写真が出ます。

人の話を聞く、ということ、など。

いわゆる「大人買い」というやつで、先日、先般出された沢木耕太郎全集を(今出てる分だけ)まとめて購入しまして、まさに毎日むさぼるように読んでおります。
そのおかげで今週のトータル睡眠時間計8時間(11月5日(金)現在)という状態で、まぁなにしろ眠い毎日なわけですが、昨日は「壇」を読了しました。
氏のどの著作も、ワタシには非常に面白く読めるのですが、この「壇」には、それ以外の微妙な「感動」を得るきっかけを与えられました。