死ぬこと、と、生きること。

ここ数日、いや、数ヶ月ほど、人生始まって以来ってくらいの多忙、多忙。多忙を極めました。
もはやblogの更新どころではなく、それどころかホントにメシ食うヒマもなかった。ここ数ヶ月食事らしい食事の席に着いた記憶が3回くらいしかありません。経営者としてこんなにウレシく且つ有り難いことはありません。当サイト管理人は特定の宗教にクミするものではありませんが、とにかく神様に感謝しなければいけません。
また、多忙である=仕事がたくさん有る、なわけですが、欲張ってナンでもカンでも抱えてバタバタした結果、すっかり体調を崩しました。
これも人生始まって以来くらいの重症で、高熱にうなされ、セキは出る・・・というか、セキしたいんだけども肺が痛くてセキこめない、という次第で、数日間文字通り寝込んでました。
どうにかこうにかカムバックしまして、改めて健康の有りがたさを実感しているところです。
ああ、生きてるっていいなぁ!、と。


寝込んでる間は本当にツラく、ああ、人間、死ぬ時はこんな感じなんだろうな、などと考えたりしました。
日が経つにつれて少しずつ体力も回復していきましたが、死ぬ時はこれが逆になるんだろうな、と。
すなわち、日に日に少しずつ体力が削り落とされて行き、しまいには息を吸ったり吐いたりする力も失われ、最後はロウソクをフッと吹き消す感じでコト切れるんだろうな、とか。
また同時に考えた。すべからく人間はそういう風に死んでいくのが理想なのかもしれないです。
少しずつ、ゆっくり、そして静かに死と向かい合い、融和して逝きたいものです。
どうせいつか死ぬのなら。
考えてみると、人間が「生きる」ということは、非常に不自然なことなのかも知れません。
16時間、起きて活動するために、我々は8時間も寝なきゃならない・・・我々はかなり「無理して」生きてるのかもしれません。8時間もの間、体のスイッチをオフにして充電・休養しなければ、16時間活動出来ない・・・こんな非効率的なことはありません。電機製品だったらリコール対象です。
そんな無理をして、人はなんのために生きるのか?
黒澤明「生きる」の主人公は、その予告編中のテロップを借りますが、「なにかしたい」という部分に生きる意味を見出しました。
なにか人の役に立ちたい、その証を立てて死にたい、と。
ネタバレになりますが、役人である主人公は、地域住民の為の公園を作り、その完成を見届けたのち、まさにその公園のブランコでコト切れました。
もう何年か前の話になりますが、あるAV女優さんが、彼氏(とされている男性)とともに、文字通り変死しました。
いわゆる「トップ女優」の一人で、人気も絶頂に近い時期の、突然の死でした。
あれからもう何年か経ってますが、未だに彼女の出演しているビデオ作品を、あちこちの店で見ることができます。
ジャケット写真には、全裸の彼女が微笑んでいます。
それが彼女の仕事だったわけですので、当然といえば当然ですが。
・・・彼女は人気AV女優のまま亡くなったわけですが、それは彼女の本意だったのだろうか。
また、先日はあるボクサー、日本チャンプが、そのタイトルを賭けた試合の後に亡くなりました。
判定で負け、タイトルは移動、彼は「前王者」になって、そのまま間もなく帰らぬ人になってしまいました。
ボクサーとして、リング上で死ぬのは本望・・・いや、果たして、本当にそうなのか?
そして、先日は、関西で大きな列車事故がありました。
死者総数100人を超えるであろう、といわれています。
救助作業中、客車の中から、ひっきりなしに携帯電話の呼び出し音が鳴ってるそうです。
身を案じたご家族etcからの電話でしょうが、誰も出ないうちに、やがて切れる、そうです。

人はなんのために生きるのか?

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