美空ひばりについて思うこと。

日本映画の観客動員数は1958年がピークだったそうですが、配給会社別に見ると東映が他社を圧倒、まではいかなくとも凌駕していた由。要するに日本映画人気全盛時代は同時に東映時代劇の全盛期でもあったってわけですね。

大卒初任給の調査は1968年から始まったようで、この年は30600円。ってことは高度経済成長期に入りたてな1958年当時だと、恐らく1万円にちょっと届かないくらいだったんじゃなかろうか。

そんな時代に、歌舞伎界からなんやらプロダクション経由で銀幕界入りした中村錦之助(=萬屋錦之介)のギャラは1本出演で100万だったそうです。

同時期に日本舞踊の世界からなんやらプロダクションを経由せず個人で東映と契約した東千代之介は、長年足元を見られまくって最後まで1本出演で10万だったとのこと。

まぁなんとヤクザチックな業界かと思いますが、今回言いたいのはそこんとこではなく、同時期、美空ひばりは1本出演で250万を下ることがなかったってことです。

250万ですよ。ニヒャクゴジュウマンエン。今年の大卒初任給は22万だそうですから、ごく単純に換算すると、1本映画出演するたびに5500万になりますか。しかもこの時期のひばり、東映だけで普通に年間10本以上出てますよ。つまり映画だけで年間最低5億5000万。ゴオクゴセンマンエンですよ、映画「だけ」、で。

でもって、ハッキリ言ってこの時期のひばりにとったら映画出演は決してメイン仕事ではなくあくまで「余技」で、新宿コマやらでのメイン公演に地方巡業公演、テレビ出演にトンでもない数のレコード発売、と、ちょっと想像できない仕事量、つまり想像を絶する収入があったはず。

そういう状況が、どんなに少なく見積もっても最低10年は続いてたはずで、また千昌夫やなんかと違って、株で損したとか不動産でズッコけたとか、マネジャーに騙し取られたとかいう話は聞きません。

ヘタしたら、今の貨幣価値に換算してトータル1兆円近く稼いだんじゃないかと思うんですよ生涯で。8歳でデビューして、結局収支が赤字になるような年度の無いまま亡くなったはずですから、イッチョウエンって数値もあながち、じゃないですかマジで。

なのに、死後、なんで借金なんかが残る状況だったのか。

ここがオレとしては不思議でなりません。

死後20有余年経過した最近になって、メディアでは某ヤクザの某組長との関係を半ば美談みたいなノリで採り上げるようになりました。「蜜月」とか言ってね。

「蜜月」でもなんでもない。ただひたすら「金づる」だったんじゃないのかね。母娘ともども丸め込んで持ち上げて。

なんといいますか、そういう美空ひばりの悲劇性について、もっと語られていいんじゃないでしょうか、とオレは思うのです。

死後20有余年、いまだにCG化させられたりすることに対して、山下達郎大先生は某FMラジオ番組でただひとこと「冒涜です」とおっしゃってました。

これも「悲劇」の一環ですよ。

ついでながら、いつのまにか代表曲が「川の流れのように」ってことになってるのも「悲劇」だと思います。ハッキリ言って美空ひばりのキャリアにおいてこれは凡作のグループに入ります。タイトルからしてこの作詞家らしいダサさと臭さに満ちております。「川の流れのように」ってなぁ。もうちょいでもヒネらんかい!と。

死してなお、作者の権威づけに利用されている、としか思えません。まだ利用され続けておられるのか、と。

悲しむべきことです。