2023年1月22日

区議会議員への立候補を誘われた件。

そういえば今年は江東区長選挙・江東区議会議員選挙があるんですよね。4月だったか。

昔々に区長・区議選開票速報番組をやったことがありますが、あの頃だいたいトップ当選の方の得票数は3000くらいだったと記憶しています。それがこないだの区議選だとドンケツ当選者の得票数がそれくらい。それだけ我が江東区は人口が増えてるってことですね。いいのか悪いのか知らんけども。

その3000票でトップ当選出来てたような時期、オレも区議選に出ないかと誘われたことがあります。いや誘われたというか、今思えば結構ガチな「立候補要請」でした。供託金はこっちで持つ、各種運動はこちらで段取る、なんの具体的負担はかけない・身体ひとつでOK、という条件で、なんか書類を書いてハンコも押して、とかなんとか言われた。

あの頃のオレは江東区地域情報番組を作ってまして、だいたい月30日のうち15〜20日は自分で顔出し出演しておりました。地域情報番組をやるのに、そのネタどころか当該地域のこともなんも知らない・縁もゆかりもない、ただ滑舌が良くて愛想が良いってだけのキャスターがしたり顔で「地域情報」を語るっていう図式に抵抗がありまして、じゃあ取材した当人が自ら出演して取材した事柄について喋った方が一次的でイイじゃないですか、という、要するにそういう趣旨に拠ります。数年後に東京MXTVが「東京ニュース」と銘打ってVJ:ビデオジャーナリストという概念を打ち出してきましたが、思えばアレの先駆けです。

でもって当時取材してるのがほとんどオレだったので、必然的にオレばっかし出演することとあいなった、と。

(ちなみにこの時期、勝手にベラベラ喋るオレをキャスターとして受け止めてくれたTくんとはまだ良いお付き合いをさせてもらっております)

なにしろ90分番組を1日4回リピート放送してましたので、ざっくり月に120時間くらいメディアに顔を晒してたわけです。ローカルとはいえ。

そういう体制を1年くらい続けてると、なんやかんやで顔を覚えられるようで、まず砂町のジャスコで子ども連れのお母さんに、また錦糸町、靖国通り沿いのサンクスの店員のアンちゃんに深夜に声をかけられたりしましたよあの頃。サインもらえますか?とか言って。

まぁなにしろ立候補を誘われたのですが、要するにヤツはとりあえず顔が売れてるし、当時平均年齢が23区の中でも高めと言われてた江東区議会議員の中にあって、若いヤツはその若さだけでもアドバンテージだ、ということだったみたいです。当時30歳代前半でしたんでねオレ。若い力で!とか、キャッチコピーもわかりやすい感じで設定できる、と。

あたりまえですが丁重にお断りしました。

まぁ最初からその気は無かったっちゃそうなのですが、お断りした具体的理由のひとつは、身体ひとつでOKとか言いつつ、スーツ着なきゃダメだって言うんですね。厳密にいえばそりゃ話が違うじゃんか、というわけです。

いやスーツがイヤだからというより、やっぱしスーツ着なきゃダメですか?と言った時、そりゃダメですよっていうかスーツくらい着ましょうよ(苦笑)と答えられた、その口調が気に入らなかった、というのが正確です。なんかモノの言い方がちょっとだけシャクに触った、という。

こういうのはデカいですよ。心根の底の底がこういうとこに出るもんです。

あんとき立候補してたらどうなってたかな、確か当選者の中で最低得票数は2000票をちょっと切るくらいだったと記憶してますが、間違って2000票獲得しちゃってたら区議さんですよ。また、立候補経験者ってだけでそこそこのハクにもなるとかも、あのとき言われたです。

どうなってたかなぁオレ、と時々思うのですが、冷静に考えれば皆さん一生懸命運動などに注力されてるってのにテキトーな感じで首を突っ込んだだけでそんな簡単に通るはずもなく、またどっちにしたって長続きはしてないと思うので、ってことはその分今のキャリアが削られてたわけで、やっぱし出なくて良かったなぁ、と思います。

人間よけいなことはしないが吉、なのです。

娯楽コンテンツについて。

娯楽コンテンツは常に「ないものねだり」の産物だ、という、斯様な仮説をたてると、物事いろいろ合点がいき、且つ色々はかが行くのであります。

「ニッポン無責任時代」がやたら流行った時期、当時のサラリーマンは高度成長の担い手としての責任感、重圧に大層苦しんでいたんだろうと想像します。あの経済成長を、ほぼ特定の世代だけが背負ったわけですからね。それはそれは大変な重圧だったことでしょう。これは余談ですが、それを為した世代が後期高齢者になってる昨今、この世代を大事にしなきゃバチがあたりますよ。

「旗本退屈男」がシリーズ30本も続いたのには、庶民において横暴な権力者に相対する「早乙女主水之介」的存在への渇望があったのでしょう。「退屈男」が最も流行ったのは戦前から昭和30年くらいまでな由。

また病身の渥美清をいつまでも「男はつらいよ」に携わらせたのは、長年に渡って続いた、マスプロ化した社会生活における閉塞感が裏にあったでしょう。保守的な松竹は最後は満男くんを「フーテン」化させてまで当作の継続にこだわりました。

こういうことは洋の東西を問わず、泥沼化するベトナム戦争のとその戦後処理、石油ショックによる不況、ウォーターゲート事件に代表される政治不信、学生運動の衰退に伴う失望感など、まさに月に叢雲といった状況にあったアメリカにおいて、その雲を散らしたいという市井の一念がダーティハリーやデス・ウィッシュetcを産んだのでしょう。

またこういうことは、こと映画だけに限りませんね。浜崎あゆみの楽曲の、あの説教臭い歌詞がやたらウケたのは、ああいう「説教」に飢えてたグループが庶民の中に多くいたということに「他なりません。バブル期の様にチヤホヤされることに飽いて且つ同時にそこに不安を覚えた後続世代の女性らが挙って支持しましたね。チヤホヤされるより、説教臭い「同調」を求めた、と。

オレ個人は我が国のポピュラーソング史において「セーラー服を脱がさないで」に始まる一連のあの一派によるあの手の曲どもは最低最悪の代物だと思うのですが、これらのヒットは、どうあれこうあれあの一派が思春期のガキどもが最も「欲しがるもの」を(大量に、数の暴力でもって)市場にブチ込んだ結果であることは疑いようもありません。

枚挙にいとまがありませんが、まぁなにしろ、映画演劇音楽と、なにによらずヒットコンテンツというものは押し並べて「ないものねだり」、その時期その時期に欠けているものが常に望まれるわけですね。

で、オレ思うに、ここ数年各種コンテンツにおいて「リアリズム」、これが結構末端、特に若者層においてやたら尊ばれてる気がするのです。

これってもしかしたら、今、そういう世代の層においてなにが欠けてるかって、他ならぬ「リアル」が欠けてるんじゃないか、と。

そういえば東日本大震災もこのたびのコロナ禍も、それらに対するSNSの書き込みが、みんなどこか他人事な感じがします。

自分自身にとっての「リアル」事として認識してない感じがします。

ドラクエやFF、また各種ソシャゲで特徴的なのは、最終的に必ず「勝つ」んですよね。

80年代頃のゲームは、インベーダーでもギャラクシァンでも最後必ず負けてゲームオーバーになったです。全機やられて負けるまでのゲームだった。ところが昨今のゲームは大抵自分が勝って終わるんですよ。

なにによらず「バーチャル」が流行る昨今ですが、コンテンツとしてはこれからは「リアリズム」が流行るんじゃないですか。

それが良いことなのかどうかオレにはわかりませんが、とにかくオレは今から「旗本退屈男 謎の決闘状」を観て寝ます。おやすみなさい。