終戦記念日。

8月15日になりました。今日は終戦記念日です。

昭和20年の今日という日を迎えるまで、弊社のある東京は下町の皆さんは、低空飛行してくる戦闘機の窓から放たれる機関銃の弾丸に怯える日々が続いていた由。

そんな状況、環境、想像するのも苦痛ですが、これは想像しなければいけません。
そして、その上で自問しなければなりません。またそんな目に遭ったり遭わせたりしたいか?と。これは今を生きる国民の義務だと思う次第です。

弊社はNOなので、反戦です。右も左もハチのアタマもありません。

「儀式」と改元など。

今日は編集の後、約6時間に渡って某動画サイトでもって昭和天皇大喪の礼のもようを延々と見ておりました。
長いこと延々と見続けてると「儀式」というモノそのものがゲシュタルト崩壊する感じがあります。そもそも「儀式」とはなんなのか、なんのためにするのか、よくわからんようになります。

冠婚葬祭も入学式卒業式の類も、機能面だけでいえばペーパー1枚のお知らせで事足りるところ、我々は節目節目になにゆえか「儀式」を以て締め、区切りとします。

昭和天皇崩御のことでいうと、考えてみれば当時巷に溢れかえった様々な「自粛」、これもどこか儀式的でありました。国家的なそれは具体的な形でもって行われたのに対し、この「自粛という体裁での儀式」は、市井において自発的に、そして無意識的に粛々と執り行われた、と。
やっておかないとなんかマズい気がする、座りが悪い、みたいな感覚があったとすれば、それは間違いなく「儀式」でしたね、思うに。

区切り・節目といえば、天皇崩御⇒新元号制定というようなものはこれ以上ない大きな節目ではありましょう。近代国家としてそうでなきゃオカシい、てかマズかろうと思う。
してみると、昭和という時代に落とし前をつけるには、あのレベルでの「自粛」が必要だったのかもな、などと思う次第です。

以上、平成生まれみたいな方には恐らく夢想も出来ないであろうことについて、でした。
もう寝る。

「令和」に当たって。

そういえば平成元年1月8日も朝から雨だった気がします@東京。昭和天皇の葬送列が雨中を進むようすをブラウン管テレビで観ていたように思います。

「令和」の瞬間も東京は雨模様です。つまりあたりまえですが新天皇のおわします宮城も雨。恵みの雨の中で我々は新元号を受け入れ、新陛下をお迎えすることと相成ったわけですね。それもまたよし、であります。 

平らかに成るという意による「平成」は、その名の通りの「何も無かった時代」とはなりませんでしたが、それでも概ねヘイワな時代だったとは思えます。令和もその名の通り麗しい時代となって欲しいものです。 令和の世も弊社はたいらけくやすらけく在りたいと思います。引き続きどうか宜しくお願い致します。

富田靖子と「さびしんぼう」と今日の新年会。

今日の新年会、隣席の方は大林宣彦の尾道三部作に感化されて尾道にハマり、以来アラフィフになる今日まで年に3回、多い時で5回は当地に赴いているという方でした。
必然的に会話は尾道三部作に関してが中心になり、やれ「さびしんぼう」の百合子がヒロキに、自分はそんなキレイな人間じゃないから追っかけてくんな的なことを最後の最後に言い放つ場面の根底には日本神話におけるイザナギ・イザナミに通じる純日本的思想があるのだとか、「時をかける少女」で原田知世に白いブルマを穿かせるという発想は真正のロリコンでなければ出てこないとか、会場正面のカラオケで歌われている「東京五輪音頭」などをBGMに、そういう話題に花が咲くことと相成ったのでありました。

氏は「さびしんぼう」が大林の最高傑作だとおっしゃる。オレとしてはさほど大林作品に触れてるわけでは無いのでいわく言い難いものの概ね同意です。

で、オレとしてはこの時期の富田靖子の卑しい取り巻き連中にひとことありまして、「さびしんぼう」公開終了後、あれは恐らく1か月経ったか経たないかくらいの時期だと思うのですが、たまさか当時日本橋にあった東急デパートの屋上に行ったら、その富田靖子の「ミニコンサート」が催されてまして、“では今度の靖子チャンの新曲「スウィート」です!”とかいう感じで、フリフリ衣装の富田靖子がアイドル丸出しの歌をアイドル丸出しの衣装で歌ってまして、なんというか、「さびしんぼう」でもってまごうかたなき名演技を披露した彼女が、どうしてこういうアホな仕事をさせられなきゃならんのか、と、大袈裟でなく激怒したものです。
この日は日曜日で、翌日学校でも激怒して周囲にモンク言いまくった記憶があるので、もしかしたら同級生でこれを記憶してる方もおられるかもしれませんが、繰り返しになりますが「さびしんぼう」での彼女の仕事は珠玉のもので、当時有望な若手女優がカドカワ関係しかいないとか言われてる中、将来を嘱望されてしかるべき存在だったと思うのですが、にも拘らずその次の仕事が

シングル「スウィート」(c/w)「嫌いキラキラ愛してる」

って、それはないんじゃないか、と。

結局・・・あんまし詳しくは無いですが、富田靖子は「女優」としては「南京の基督」くらいしか着目すべき作品は無いんじゃないかと思う。
これはひとえに、当時の卑しい取り巻き連中どもに見る目が無かったが故の悲劇で、彼らの責任は重い、とオレは強く思う次第です。

今日の会話と、先だっての引越しの際に、このミニコンサート時に行われたジャンケン大会でインチキしてゲットした「YASUKO SWEET ハンドタオル」が出てきたので、思い出した次第です。

いろいろ。

長いこと「失われた名作」とされていた「忠次旅日記」のネガの一部が松竹の倉庫だかどっかの田舎の蔵だかで発見され、無事に修復も終えられていざ上映!と相成ったとき、その公開場であったフィルムセンターのパイプ椅子席には萬屋錦之介の姿があったそうですよ。

また、山下達郎大先生はほぼ習慣的に若手アーチストのライブに足を運ぶそうで。
狭くて小汚い小屋の一隅にちょっと場違いな、しかしどこかシャレオツな壮年夫婦がいる、という感じだそうです。

売れっ子スターであってもやはり観るべきものは観なければならず、して学ぶべきことは真摯に学ばねばならぬのであります。

そういうこととはほぼ関係無く、「忠次旅日記」に出演している伏見直江は江東区門前仲町の出身です。ちなみに小津安二郎はお隣の深川一丁目で生を受けておる由。

さらにまるっきり関係ないですが大杉栄と伊藤野枝は亀戸三丁目に居住していた時期があり、これは有名ですが浅沼稲次郎は区内の同潤会アパートに住んでおられた。.
ついでながら麻原彰晃はオウム神仙の会を興す前にやはり区内大島に住んでたそうで。

いずれも、生家跡に記念碑があるでもなく、江東区とのつながりに関する文献が豊富にあるわけでも無く、小津だけは清住通り沿いに申し訳程度な「ここらで小津が生まれたっぽいよ」ってだけな記載の看板がありますが、それっきりです。あとはなんもない。皆無。

麻原はともかく、そういうことでいいいんか。

あけましておめでとうございます。

「平成」という元号に対して、平らかであることなどに価値を置いてしまうような思想が今の日本を停滞させている、という趣旨の発言をみました。どこで見かけたかは失念。
……いやいや、やはり平らかであることは大切です。「平らかで無い」ことで我が国は何度もいらぬ苦労をしてきたはず。新たな元号がなんであれ、ここはひとつ「たいらけく、やすらけく」なベースでコトに当たりたいと思います。
 
謹賀新年。
「賀」は「(先方にあったよい事を)喜び祝う。喜びたたえる。ことほぐ」という意味だそうです。「先方にあったよい事」が対象である、というところが素晴らしいと思います。そういうわけで弊社としても、謹んで広くみなさまに「賀」を。
 
本年も変わらずどうか宜しくお願い致します。
 
平成31年元旦。

7月1日未明。

門松は冥土の旅の一里塚などといいますが、満年齢計算が専らの昨今では誕生日がその「一里塚」になるのでしょう。
おかげさまで無事に今年の一里塚を迎えまた超えることができました。感謝。
 
今日の早い時間帯に、大学の同級生の訃報が届きました。オレが遊び惚けてる間に、一里塚どころか冥土の旅をゴールインしてしまった同級生がいる、というわけです。
 
ついこないだ新卒入社した会社での同期が亡くなって、そのお通夜に行ったばかりです。とにかく、こういうのはまだ早い。オレもたいがいなオッサンになりまして、ってことは同級生も等しくオッサンオバチャンになってるわけですが、だからといってまだ素直にゴールインしてよい世代ではさすがになかろうと思う。
 
しばらくご遠慮したいところですが、これから誕生日を迎え且つ超える回数が増すのに比例して、この手の報が、非常に、冷酷に、そしてあくまで淡々と増えていくんだと思う。どころか、場合によってはオレの側が報の発信元になるやもしれず。
それは承知しているつもりですが、それでもなお、まだ早い、早い、と。
 
とにかく今年の誕生日は無事に迎えることが出来ました。
まずは、そのことに感謝したいと思います。ホントに。

「コンサート」について。

数年前に山下達郎大先生のライブチケットを2枚入手することが出来まして、弊社従業員と行くことになりました。NHKホールだったな確か。
その弊社従業員はさほど大先生に関する知識も無かったので、せっかくだからちょっと予習しとこうってことで、オレん家から大先生のCDやらカセットやらいっぱい持ってったものです。
 
で、ライブ当日。
大先生のMCの一発目に出た言葉は、
 
“ボクのライブに初めて行くって方がおられたら、絶対に過去アルバムなどで予習などせぬように言っとけ”
 
“だいたいライブに行くのに「予習」ってのは不毛です。ライブとはそういうものじゃない”
 
というものでした。
弊社従業員はズッコけておりました。
 
対していつだか行ったPerfumeのライブ。
開始早々あーちゃんの口から出たのは
 
“みんな、ちゃんと私たちのアルバム聴いてきた!?”
 
でした。
 
どっちが良い・悪い、正しい・間違ってるって話では無く、ライブってもいろいろだなぁ、と。
 
ちなみに吉田拓郎大先生には、ライブに「“人間なんて”ツアー」と銘打っておきながら、結局一度も「人間なんて」をやらなかった、なんてなことがあります。
 
“オレにとってこの歌は今演るべきものじゃないんだ”
 
との由。
 
じゃあそんなツアータイトルにすんなよ!と誰もが突っ込んだものです。

TOKIOの山口さんが未成年の同業界の娘を自宅?に呼び込んでアレしたりして訴えられていろいろワヤになった件。

表題につきまして、どういうわけか被害者の娘を叩く流れもある由。
 
まぁ確かに、この娘が誘いに応じて自宅に行ったりしなければそもそも(少なくともこの日は)物理的になにも起こらなかったわけなので、そういう意味ではその分だけの罪はあるのかもしれません。
 
しかしながら、50近い遊び人のオッサンが同業界の未成年の娘を自宅に呼ぶにあたっては、あらかじめ“どうしてもこりゃ行かないわけには行かない”と思わせるようなところまで諸々周到な下ごしらえをしてるに決まってるので、百歩譲ってこの娘に斯様な「罪」があったとしても、それは決して「罰」をうけなきゃならないようなものでは無いとオレは思うのです。
 
汝らの中で罪を犯したことの無いものだけが石を投げよ、です。そもそも“ノコノコ家に行った娘が悪い”なんてことは、アラフィフの筋金入り遊び人なオッサンの手練手管を食らってなお自身を守れる鉄のメンタルを持つ者だけが発して良い言葉であって、16、7歳でもってそんな域にまで達してる人は現状のようにネット内で一大勢力になるほと多くないはずです。
それでもなお「オレ・ワタシは絶対大丈夫」と思う方もおられるかと思いますが、そんな風に思っちゃうヤツに限ってひっかかるのですよ。
今回はたまさか若い女性が「ならでは」の被害を受けたわけですが、こういうことはなにも女性に限ったことでは無く、老若男女誰でも被害者に成り得ると思う次第です。無論オレもなので、気を付けようと思う。

映画案内サイトの素人レビューについて。

あそこがダメ、ここがつまらん、展開が遅いとか早いとか、長文に渡ってさんざんクサしておいて、最後に
 
「というわけで開始40分で観るのをやめました」
 
って、全部観てないのかよ!と思わず突っ込んでしまうわけですが、考えたら映画案内サイトのレビュー欄というのは、あくまでも個人的な感想を勝手に書いてOKという趣旨で設けられたものであるので、なんでもアリ、謳ってる通りになんだって勝手に書いてOK、なのですよね。
 
オレも例えばジョン・フォードの「三人の名付親」観て、ああ、ジョン・ウエイン以外の2人も最後まで生きててほしかったなぁかわいそうに、みたいなことを感じたりしたものです。
2人が死んじゃうからこその名作なのは承知の上で、またこういう風に観後に感じてもらうことこそが恐らくは狙いなので、それはそれで個人的感想としては全くアリでしょう。
 
要はまぁ書き方の問題で、2人が死んじゃうから「駄作」だ、という具合に、オノレの分も弁えず「上から」書くところが問題、問題、大問題なわけですね。
 
「大脱走」⇒出てくるのが男ばかりでムサ苦しくてダメ
 
とか、
 
「タワーリング・インフェルノ」⇒上映開始から40分経たない
と火事が発生しないのでその間がつまんない
 
とか、
 
「ベン・ハー」⇒長すぎて観る気がしない
 
とか、
 
「燃えよドラゴン」⇒ブルース・リーが強すぎてリアリティが感じられない
 
とかいう「レビュー」にはアゼンボーゼンとさせられますが、考えたらオレも昔「大脱走」観たあとに焼き肉など食いつつ、
 
“しかしムサい苦しい映画だよなぁ考えたら(笑)”
 
みたいなことを(同行者に)話したかもしれません。
 
彼らは書き方がやたら「上から」なだけで、単純に且つ素朴にそう感じたに過ぎないのですきっと。かつての焼肉屋でのオレと同じく。
 
そういうわけで、この手のレビューには寛容であろうと心に決めての今日なのですが、先日フォードの「駅馬車」を観まして、あぁこりゃもうまごうかたなき映画史上に残る傑作だ、といたく感動し、同時に、これはもしかしたら…と思い当たる節もあり、で、先ほど心して件の類の「レビュー」を覗いてみましたら、やっぱりありました。
 
「米大陸先住民の表現が差別的」云々。
 
オチはありません。