オキナワでキジムナーに会ったかもしれない話。

先日オキナワの話を書いてから、イモヅル式にオキナワに関するあれこれを思い出しています。
なにしろ20回以上訪沖してるので、そりゃまぁいろんなことがあったわけで、それぞれ甘かったり苦かったり酸っぱかったりするのですが、中でも一番衝撃的だったのが、私的に「キジムナー遭遇事件」と呼んでる一件です。
“もしかしたらオレはキジムナーに・・・!?”
という感じで。


あれはもう5年くらい前になるでしょうか。
オキナワは全島的に雨がそぼ降っておりまして、ワタシは例によってウス汚いバッグひとつで本島内を放浪というか徘徊してたわけです。
ある日、雨の中、ワタシは道に迷いました。
本島内中部の某所です。住所は完璧に覚えてるけども、ここには書かない。
いかにも沖縄風の家々が並ぶ住宅街で、雨のせいか人影もなく、、車通りもなく、どこ行っても、どの角を曲がっても同じような周囲風景で、途方にくれておりました。
そしたら、とあるタバコ屋兼駄菓子屋みたいな店の前に、人影を発見。
年齢はあとからわかったのですが、17歳(当時)の、極めて普通の娘さんでした。
やれ助かった!と、ワタシは近づいていき、訊ねました。
“バスの通ってる道までは、どう行けばいいの?”
彼女は衒いもなく、自然な風体で道を教えてくれました。
お礼を言って去ろうとするワタシに、彼女は、これも非常に自然な風体で言いました。
“・・・にーにー、今日はどこ(のホテル)に泊まるの?”
ワタシはなにしろ「徘徊」中で、またある意味そんな徘徊を楽しむための訪沖でもあったので、当然ホテルなどをとってるはずもなく、その旨を素直に話しました。
そしたら、彼女は言いました。
“そんなら、今日はウチに泊まればいいさー”
確かに孤独な旅ではありましたが、さすがに若い娘さんの家に泊まるのは気が引け、丁重に断ったのですが、彼女はもう一人で決めてしまってる様子で、ワタシをなかなか開放しない。
聞くと彼女は一人暮らしとかではなく、父母、妹、弟、おじー、おばーという大家族だとのこと。
“だから、ひとりくらい人が増えても関係ないさー”
と、わかったようなわかんないような事を言う。
20分くらい問答した末、とうとうワタシは彼女の家に行く事にしたのでした。
これがPM7:30頃。
彼女の家に着きました。
招かれるまま、恐る恐る中に入ると、お母さんは髪の毛をタライで染めてる最中で、突然の見知らぬ客にも特に頓着せず、ああ、いらっしゃい、などと言ってる。
小六の弟と、中一の妹さんも、普通にTVなんか見てる。
おじーは、その後ろで寝てるし・・・なにしろ、「突然の来訪者」を迎える、って感じじゃなく、あまりにも自然すぎる皆さんなのでした。
ブタの足を煮込んだオカズと、シークヮーサーをデザートに頂いたのがPM10:00頃。
その後、弟さんが明日町内の将棋大会だってんで、その相手を務めたりしてました。
この兄弟3人とは非常に仲良くなり、アドレス交換などしたりして。
やがて、お母さん、
“では、寝ましょうねー”
とかいって、フトンをしいてくれまして、ずうずうしくもワタシは旅の疲れもあり、アッという間に寝入ってしまったのでした。
翌朝、将棋大会に赴く弟さんを送り、ちょっとお母さんのグチなどの聞き役を務め、失礼したのがPM1:00頃。
その後はまた沖縄徘徊の旅を続けまして、いよいよ明日は帰京という段になり、ちょっとご挨拶でも、ということで、軽いお土産など買いまして、またあの家を目指しました。
しかし、あの家が無い。
おそわった住所の周辺には、確かにあのタバコ屋兼駄菓子屋もあり、また風景も見覚えあるものだったのですが、肝心のその住所に、その家が無い。
またワタシは途方にくれまして、また通りかかった人に、教わったアドレスを言い、場所を伺ったんです。
そしたらその人はこう言った。
“??・・・○○町はここだけど、そんな番地無いさーねー”
「??」なのはこっちの方で、もはや軽いパニックですよ。
いつまでもパニクってても仕方ないので、そのまま帰京しました。
なんだか不思議な体験したなー、などと思いつつ帰京。
東京でのいつもの日常がまた始まりました。
それにも慣れた頃・・・帰郷後10日くらい経った頃でしょうか、携帯に見慣れぬNO.からのコール。
出てみると、沖縄のあの家のおかあさんでした。
「!?」という感じで、それでも取り乱すまい、と、フツーの挨拶とお礼など述べておりましたら、お母さん、強い沖縄なまりでいわく、
・ウチの娘(17歳の娘)が、こないだから家に戻らない
・なんか那覇のあたりにいるらしい
・いわゆる「援交」なんかもしてるらしい

・・・で、どうしよう、という相談の電話でした。
どうしよう、と言っても、こちらは東京なので、どうすることも出来ない。
しかし、こちらには一宿一飯の恩義があります。
その日は木曜でしたので、ワタシはその週末、また沖縄に行ったのでした。
沖縄につきまして、またその町へ行きました。
あのタバコ屋兼駄菓子屋もあったし、見慣れた風景もそのままで、なんと不思議な事に、あの家も、今度はアッという間に見つかりました。
先日はあれほど探したのに&住所そのものが無いとかも言われたのに・・・。
で、さらに驚いたことに、その家をたずねると、玄関先に出たのが、行方不明なはずのその娘でした。
“あれ!?どうしたのー、おひさしぶり~”
とか言ってるの。
どうしたのー?じゃないよ~!かくかくしかじか、と説明したのですが、彼女はキョトンとしてました。
“だって、ずっと家にいたさー・・・”
と。
とりあえずお母さんが戻るのを待ちました。
やがて、戻ってきたお母さん、
“あれま~、どうしたの~?元気でしたか~?”
とか言ってる。
もはや、説明する気力もなく、ちょっと世間話した後、失礼しました。
で、もうこの事は考えないことにしました。
その後現在まで、何回となく訪沖してます。
で、何度か「あの家」を探してみたりしました。
しかし、やはり、どうやっても、どう探しても、見つからないまま、現在に至ってます。
この話を、先般まで沖縄に単身赴任されてた知り合いにしましたら、彼はこともなげに
“ああ、そりゃキジムナーだナ”
と。
そうだ、あれはキジムナーの仕業だったんだな、と、今ではワタシも思っています。