格闘技について云々・・・その2・まっすぐ下がらなかった人たち

この正月は・・・ってまだ一日終わっただけですが、当サイト管理人は自宅兼事務所にて極めて普通に仕事しております。
しかしまぁいわゆる平日よりはその内容も希薄でありますので、こうして当Bblogを更新したりすることが出来てる。このことは果たして良い事なのか悪い事なのか。
それはともかく、昨日に続いて「格闘技」に関して、です。


当サイト管理人はいわゆるボクオタ、ボクシング競技を大変好んでおります。かつてホンのチョッピリ自分でもやってみたりしたこともありました。かつて住んでた家の隣がジムだった(12月3日付記事参照)こともあって、なんだか不思議なエニシさえ感じてたりします。
昨日の記事で、最近流行っている各種「格闘技」の、競技としての成熟、といった事に触れました。
触れてるうちに・・・妙な言い方ですが、ボクシング競技の成熟の申し子、あるいは成熟そのもの、といった感じの、かつてワタシがあこがれた優れたボクサーたちのことを思い出しています。
攻め込んでくる相手に対してまっすぐ下がってしまって負けちゃう某競技の選手について書きましたが、まず思い出したのが、ボクシング競技で同様の状況下において「まっすぐ下がらなかった」のみならず、直接そのことによって勝ちを得たりさえしたボクサーたちのこと。
このような場合で、まっすぐ下がっっちゃうか下がらないか、の分水嶺は、テクニックの有無と同時に、いやおそらくはそれ以上に、「勇気」「勇敢であるか否か」というところにあります。そう思う。
つまり、「まっすぐ下がらなかった」彼らは、ボクシングという成熟した競技においてその「成熟」からの芳醇な恵みを享受し、且つそれに応えるだけの大いなる勇気を持った選手達であるわけです。
こういう選手は、少なくともワタシにとって、大いなる尊敬の対象です。
以下は、ワタシが試合会場もしくはTVにて実際に観た選手たちのみに限っております。
■ユーリ・アルバチャコフ
WBC世界フライ級王者。
いわゆるファイタータイプ・・・攻め込んで来て接近戦を好むような大戦相手が多かったように思うのですが、そんなケースでユーリはいつも、
 ・インサイドから右ショートストレート
 ・右側(相手の左側)に回り込んで、相手の左肩越しに右フック(広義における“クロスカウンター”)
という感じで、さながら闘牛士のように相手を翻弄したもんです。
決して下がらない、どころか、むしろ突進してくる相手は大歓迎!って感じでした。向かって来てくれれば、こっちから出て行く手間が省ける、みたいな。
対戦相手からすれば、向かっていけばカウンターの餌食だし、とまってたらビシビシショート連打を狙い撃ちされるし、で、もはやなす術なし、という趣きでした。日本タイトル取った試合などはその典型でしたね。
かつて「毒入りオレンジ」でもって有名になった協栄ジムとなぜかA・猪木との共謀で「ペレストロイカ・ファイト」なる興行が打たれたことがありました。
1990年という時期的にこのネーミングは前時代的なボクシング業界を象徴するベタベタなものでしたが、そこに登場してきた旧ソ連人ボクサーたち(ペレストロイカ軍団と呼ばれてました。やんなっちゃうネーミングであります)、私的に三種に分ける事ができまして
 1.なんだよ、このデクノボウは!的一派
 2.おお!やるなぁコイツは!的一派
 3.!!(言葉にならない)・・・。的一派
でした。
後に世界王座に就くグッシー・ナザロフは「2」、ただ一人ユーリだけが「3」でした。
この日本デビュー戦はアラン田中との試合でしたが、この試合、ユーリがはシャレにならない強さを見せ付けてくれました。
その後トントン拍子に出世街道を駆け上り、当時長期政権を気づいていたタイのムアンチャイ・キティカセムに挑戦。戦前の予想は“ちょっと「危うし」、なんじゃない?”って感じでしたが、8R、粘っていたムアンチャイに「一撃必殺の右」でもって快勝。その後安定政権として9回防衛しました。
■大橋秀行
現在は1月2日現在で世界王座にいる川島勝重選手の所属ジムの会長ですが、見る影もない太りっぷりで思わず生活習慣病を心配してしまいますが、現役時代は最軽量級、J・フライ、ストロー級の、トンでもないハードパンチャーで且つ「名勝負製造機」でした。
このくらいの軽量級だと、ファイトスタイルはどちらかというとフットワーク主体、スピードが身上、という形になる・なりがちなのですが、大橋は当時としても珍しく、ベタ足で相手を迎え撃つカウンターパンチャーでした。
リング中央でひたすら相手とにらみ合い、相手が出てきた時が即ち相手が倒れる時、という感じで、さながら映画「七人の侍」の久蔵のような趣きのあるボクサーでした。
こんなこと書いてもボクオタ諸氏しかわからないですが、ワタシは李在萬、ジョエル・リビレラ、喜友名戦を生で観戦し、その他張第2戦以降の試合を全てTV観戦しましたが、特に生での観戦時、ディフェンスで観客が沸く、という状況を目撃したのは、後にも先にも大橋の試合と川島郭志の試合だけです。
攻め込んでくる相手のパンチをスレスレでかわし、同時に極めて正確なタイミングでカウンターを放つ。
また、張第2戦までの試合では殆どボディブローを打たず、本人も“ボクはボディなど打つつもりなどない”みたいなことを言ってた記憶があるのですが、この試合後ボディ打ちが課題か!?みたいな報道がされたかと思ったら、いつのまにかシャレにならない角度&パワーで左ボディを打つ名ボディパンチャーになってビックリしたもんです。ああ、こういう対応の早さ・飲み込みの速さが天才のなせるワザなんだな、と。
あと、タイのナパ・キャットワンチャイ戦、ナパの左ボディフックを自身の右腕でパリー(払い落とし)し、そのまま同じ腕でナパの左アゴにフックを決め、ナパ、ダウン、という、私的にはやはり後にも先にも見た事がないようなウルトラテクニックが印象に残ってます。ちなみにこれはダウン後のスローモーションプレビューでもって初めて判ったテクニックで、スローでやってくれなかったら普通に、あ、大橋の右フックって強いんだな、くらいで済ましちゃってたかもしれない。それくらい一瞬の間のハイパーテクニックでした。
世界王座には二度就いたんですが、残念ながら二度とも短命王者でした。
特に、二度目に就いた時(だったかな?)の防衛戦で、リカルド・ロペスと戦わなきゃならなかったのは、これはもう不運としか言い様がないです。
ロペスはこの試合、KOで大橋から王座を奪取し、その後22回の防衛を果たすボクシング史上に名を残す名王者となりました。
・・・なんだか2名しか書いてないのにかなり長文になっちゃったので、ここでやめます。
他にもこの競技には、高橋ナオト、ドナルド・カリー、坂本孝雄、トーマス・ハーンズ、マイク・タイソン、カシアス・クレイ、ラリー・ホームズ、杉谷満、カオサイ・ギャラクシーといった・・・なんか国籍etcがメチャクチャですが、とにかくなにしろそういった美しい選手がたくさんいましたし、今もおそらくいるんです。
競技の成熟によって、そのワザの数々が高度になり、その結果チラッと観ただけではそのスゴさがわかりにくく、その結果、特に軽量級の多い我が国においてこの競技はどちらかといえばマイナーな部類の競技になってしまいました。非常に残念です。

「格闘技について云々・・・その2・まっすぐ下がらなかった人たち」への1件のフィードバック

  1. いつも楽しく読んでますよ。TAKE丹野で~す。
    管理人さんはやっぱり社会派ですね。
    正直、マジメな論説に感心してます。

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