とうとう小津・黒澤に特化してきた。

6日の続き。
小津の日記だか、どこかの雑誌に掲載されたエッセイだかに、このチンチン電車の車窓風景などを織り込んだもんがあります。深川は佐賀町、永代橋の活写はお見事、一芸に秀でるモノの、その目は万能なのかも知れません。


デビュー当時の小津の作品群は、残念ながら散逸、現存していないそうです。
黒澤組で活躍された某スタッフ氏によると、あの時代、あの会社(=松竹)には、文化の担い手、っていうような気概は一切無かった、だからポンポンとフィルムを捨てちゃってたんだよね、とのことです。
松竹に限らず、当時の「邦画」「日本映画」は、まだ見世物としての風情も残していたりしたんでしょうから=芸術としての認知は無かったんでしょうから、そういう扱いを受けたのもやむなし、という感じなのかも知れません。
(散逸・消失といえば「8時だヨ!全員集合」の放送スタート当時のビデオは、当のTBSにも無いそうです。もったいないったらありゃしない!、です。)
・・・前置きがムヤミに長くなりましたが、その失われた小津の初期作品、及び戦後の各作品においては、かつてこの下町で育った、といういわば原体験の影響がそこかしこに伺われます。
だいたい、「長屋紳士録」などはモロに下町が舞台ですし。
それが戦後、特に作品がカラーになってからは、出てくる人出てくる人がみんないわばプチブル、デカめの会社の役員だったりし、上流階級の人たちによるドラマいう傾向が強くなってきます(それでも「お早よう」などはそういう意味ではずいぶんくだけた佳作ではありますが)。
この時期の小津は、いわゆる「血気盛んな若手」ではなく、逆に名門松竹の誇る大家、という感じのスタンスでしたので、そういう環境による影響か、という説が一般的みたいです。
いわく、「小津はもはや庶民ではなくなってしまった、ゆえに、かつてのような「庶民」を主人公にすることにリアリティを持たせられなくなった」と。
ぶっちゃけ、ワタシもそう思います。
ただ、上記のような次第はどちらかというと批判的な意味で語られることが多いですが、ワタシはここに、むしろ、小津の「作家」「芸術家」としての誠実さを感じます。
当時は松竹ヌーベルバーグの真っ只中?始まり?の時期でもありましたので、当時の若手監督達には「小津は体制我が(の犬)だ」みたいな論調の発言もよくみられますが、確かにいわゆる体制側の「大家」だったんだろうとは思うのですが、批判・非難の対象にするのは、ちょっと違う気がします。
小津にとって、究極的には、創作は自己の投影、もっというと彼にとっての映画作りは、文字通り身を削る作業だったんだろう、と思うのです。
彼の映画作家としての食指は、かつては自らの住む下町、そしてそこに生きる「庶民」、またそんな庶民の一人であり、同時に映画界においては「血気盛んな若手」であった自らに盛んに反応したんだろうと思う。
それと同じようにに、晩年に差し掛かってからの小津の感性は、鎌倉という地、また、大家となった・そういう意味での責任ある立場になった自分、また、それゆえに邂逅することになった、里見弴や志賀直哉などに、大いに影響を受け、吸収しかつ触発されたのでしょう。
いずれにしても、その時その時の自らの立場、引いては生き方に対して、非常に誠実に、奢ることも卑屈になることもなく、まっすぐに従った、と、言えるのではなかろうか。
若手だった自分、押しも押されもせぬ大家である自分、それぞれの時期において、彼は全くウソの無い創作をした、と。
それゆえに出てくるのが、3日にも書きましたが
何でもないことは流行に従う
大切なことは道徳に従う
芸術のことは自分に従う

というセリフなんだろう、と思います。
そういえば、黒澤監督も、同じようなことを言われてたみたいですね。
いわく、「姿三四郎」「酔いどれ天使」「野良犬」における主人公はあくまで未熟な若者で、そんな若者が「師匠」によって教え導かれる、そんな姿に観客は魅力を感じ、共感した、と。
しかし「赤ひげ」「デルス・ウザーラ」においては、そんな若者を指導する「師匠」格が主人公になっている。
このことは、もはや世界的な大家になって「しまった」(!)黒澤の、一種の「転向」である、とか。
このことについても、ワタシは小津の場合と全く同じことを考えます。
黒澤もまた、その諸作品によって世界的な大家になり、堅苦しいパーティやなんかみたいなところにも「楽しんで」参加できるくらいの人品を身に付けることになったわけですが、彼は決してそのことに過度に奢らず、また過度に卑屈になることなく、そんな自分自身に対してあくまで誠実に、「創作」として向き合った、と。
で、小津のように60歳で亡くなることのなかった黒澤は、そのまたさらに先の境地にまで到達するんですね。
「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」など、です。
つまり、晩年の黒澤は、若者に対する「師匠」、というスタンスをさらに越え、あくまで自分自身に対してのみの意思方向で創作をするんですね。
それは他社に対する自分ないしは主人公、という関係性を越えて、「乱」以降の黒澤はもはや神、黒澤神として、万民を睥睨するんです。
これは、そんな「神」に対して少々ゲスな想像になってしまうかもしれませんが、黒澤がその境地に達するきっかけは「デルス・ウザーラ」だったような気がします。
旧ソ連の大地で、彼は神に通ずる道を見つけちゃったのかなぁ、と。
遠藤周作氏が晩年、インドで見たものも、同様なものだったんじゃないかな、と、浅読みな当サイト管理人は夢想するのであります。

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