年に一度のTVを観る日

ボクシングの選手は、そのキャリアスタート時の体重・階級が、その後のキャリアにおけるファイトスタイルに大きな影響を及ぼすのだそうです。少なくともそういう傾向が多く見られる、と。
かつてトーマス“ヒットマン”ハーンズが、なにゆえにウェルター~L・ヘビーという中~重量級でありながら、攻・防の双方においてフライ級選手もビックリみたいなスピードを晩年に至るまで持ち続けられたかというと、彼のキャリアスタートはそのフライ級からだったんですね。もちろん当時はアマチュア…というか少年ボクシング教室みたいな環境だったようですが。
もちろんその後の精進etcもあっての事なわけですが、なにしろ彼はキャリアスタート当初のリズム・スピードのイメージのまま、つい最近までの現役生活を送ることが出来たわけです。
対レナード戦Vol.1…これはほぼ終始レナードを圧倒していたわけですが、あの試合、
また、ホントに殺しちゃうんじゃないか?と思わせた対R・デュラン戦、
また、当時世界ウェルター級の「絶対王者」だったホセ・ピピノ・クエバスを一蹴、軽く屠った一戦、
・・・どの試合も、そのハードパンチ同様、なにしろとても同じ人類とは思えないスピードで我々を堪能させてくれました。
大東旭という選手は、かつて世界フェザー、J・ライト級王座に挑戦したことのあるある竹田益朗選手と対戦歴があったりするように、中軽量級から順次ウエートを上げていった、日本人重量級としては少々珍しいキャリア進行の選手でした。
ですので、他の同階級の選手に比べると非常にスピードやキレのある、日本人選手的感覚としては「スピード豊かな好選手」でした。実際世界ランクにもながいこと入り、日本王座も10回防衛(して返上)、またその後東洋王座にもつくクレイジー・キム選手にも勝ってたりなど、リッパな戦跡を残しています。
でもって、昨日の…これはK1?「ダイナマイト」というのはK1とは区別されるものなのか?…なにしろ2005年大晦日に、彼はなにをしていたか。