2013年

全くもって他人事ではないのです。

正社員を雇うと、その社員に払う給料以外にン十万ほど余計にかかるんですよね。物理的に出ていく保険やなんか以外に、教育費だとか、まぁいろいろ。

終身雇用制が生きてる頃は、一人前になったらその分も会社を背負って頑張っておくれ、ってことで、それらはいわば教育投資としてアリの出費だったわけですが、瓦解しちゃったあとはそういう発想も出来にくくなってしまった。

で、企業としては自衛として、より薄給でコキ使え、余分な「ン十万円」も必要ない臨時雇いとしてのバイトにその分の人材補填する流れが出来たわけですが、それをさらに進めた形として、もしかしてそういうバイトメインでルーチン廻すシステム構築したらいちばんおトクなんじゃね?ってことで、コンビニだとか宅配ピザだとかっていう業種は成長してきたわけですね。

スタッフ・社員の成長とかどうでもよくて、とにかくその時々に安くコキ使えるやつを縷々採用して会社を廻そう、ってわけですね。行きつけの喫茶店チェーンなんか、スタッフの9割方がバイトで、あろうことかそんなバイトに「バイトリーダー」とか言って管理職的役割も強いたりさえしてますからね。

その目論みは、企業単位で見るとまぁ大体にして成功し、かくして我々は12個98円の餃子だとか、200g88円のミートソースなんてものに有りつけたりすることが可能になったわけです。上述の喫茶店も、本来管理職社員がするべきことまでバイトに強いたりしてるからこそ、あの値段であのレベルのコーヒーが出せるわけですね。

ただ社会的に見ると、人件費の削減で安価な製品の供給が可能になった反動で、なんだか想像を超えたデフレなども生み出しちゃったりして、こりゃ少々マズいんじゃないか、みたいなレベルにまで来てしまったわけですが、臨時雇いを廻すこと前提でここまで成長してきた各企業は、だからといって今さら引き返すわけにもいかず、さてどうしたもんか、と。

そしたら、その「薄給で便利にコキ使える」だけの存在だったはずの面々が、あろうことか反逆的行為に出たわけですね。

ちゃんとした正社員として、ン十万円の投資も厭わず教育etcを施すことを避けた結果、手痛いシッペ返しを受けてしまった、みたいな形ですね。

考えてみりゃ、無責任な立場の臨時雇いでもって社業そのものを廻し続けよう、なんてムシのいい話がいつまでも通用するわけ無いんですよね。今まで廻せてたってだけでスゴいことですよ。バイトはどこまで行ってもバイトです。冷蔵庫に入ったり食材をオモチャにされたくなかったら、ちゃんとした投資を元にした正社員にやらせなさいよ、その代りそういう人は時給1000円とかじゃ動きませんよ、という。

「シッペ返し」というものは常に予想もしないところから来るものです。ピザ屋もコンビニもステーキ屋も、「薄給で便利にコキ使える臨時雇い」の面々の、安かろう悪かろうっぷりを思い知ったことでしょう。これを機に、安易にバイトに頼らず、ン十万円の出費を厭わず、正社員としての雇用促進に尽力して頂きたいものです。

とか言いつつ、実はオレ及び弊社自身が、こういった安直さの極北だったりするわけです。雇う側としても、雇われる側としても、身に覚えが有ります。有り過ぎる。

かくして、この手の「話題」が出るたび、オレとしてはまるっきり他人事じゃないので、なんとも言えない気分になるのです。

嗤うべからず。

http://togetter.com/li/540177

これね。この「まとめ」。

申し訳ない。おっちゃんは謝ります。つい笑ってしまいました。想像力の欠如です。すいません。

昔、あまり性質の良くないサイトで知り合った方に聞いたのですが、東北の中高生で、都会に憧れて家出するような子は、まず仙台を目指すんだそうです。

本来なら東京を目指すべきところかとも思うのですが、いくら都会に憧れてるからっていっても、地方の子にとって東京は敷居が高すぎる、精神的に仙台が限界だ、と。

(余談ですがこの話を聞いたとき、そういや仙台で一人旅した時、駅前の電話ボックスに大荷物持った女の子たちがいたなぁ、なんてことを思い出しま
した。雪が降ってたので旅先での雨宿りならぬ「雪宿り」かなぁ、なんて思ってたのですが、あれはきっとそうだったんだろうな、なんて。もう10年以上前の
話ですが)

事程左様に、東北に限らず地方の中高生にとって東京とは、生まれながらに東京人であるオレなんかには想像できないくらい敷居の高い所なんと思う。

10歳台の彼ら彼女らにとって、東京ってそれはそれはおっかないところなんだろうな、と思うわけです。

故に、田舎からはるばる日帰りでコンサート観に上京した10歳台の女の子にとって、当日になって突然に”コンサートは明日にします”なんて言われちゃうのは、もうトンでもない恐怖につながることだったのかもな、などとも。

日帰りのつもりだったから宿なんかも取って無いし、そもそも故郷にいたら、宿を取る、なんて経験もなかったろうしねぇ。

“東京は怖いとこだってイメージがある、でも日帰りのつもりだったから、そこんとこはさほど意識せずに上京したのに・・・!”

“この恐ろしい大都会で、私(たち)、いったいどうすればいいの!?どうなっちゃうの!?ウヒー!”


・・・ってなってしまっても、それはある程度仕方ないことなのかもしれないな、と思い直してる次第であります。

ということで、この「まとめ」、あまりに荒唐無稽な内容でちょっと笑ってしまったのですが、考えたら笑っちゃうのは失礼というか可哀想かも、と思っています。

そして同時に、地方在住の彼ら彼女らにとって、ある面において「東京」がどういう存在であるのか、よくわかりました。

即ち、

・渋谷、原宿、新宿、池袋の西口と北口は怖いところである

・その「怖いところ」に行くと、服を切られたり、抱きつかれたり、車に連れ込まれたりされてしまう

・さらに、車を使って(さらわれて)レイプされたりすることがある

・おまわりさんも信用できない

・でもいざとなっったら警察署に行けばどうにかなるかも

・50歳台のアブナいオッサンが跋扈している

・・・と、こういう種類の恐怖が、彼ら彼女らの、ネガティブな面における対「東京」イメージなんだですねきっと。

東京って、彼ら彼女らにとって、場合によってはこういう「魔境」イメージなんだな、と思う次第です。それは東京人であるオレなどには想像もつかないことですが、思うにそれはそうなんだろう、と。

まぁみんながみんなじゃ無いでしょうけども、少なくともアイドルのファンとして、コンサートのためにエンヤコラと上京しちゃうような、ある意味ピュアな10歳台の子にとって、東京はこういう種類の「恐ろしい都会」なんでしょうねきっと。

・・・しかし、オレなんかからしたら、地方の方がよっぽどおっかないけどなぁ。

人気のない通りなんかに出ると、ここでなにかあっても助けは来ないだろうな、大声出したって人がいねぇんだもんな、などと考えちゃうときがありますよ。

っていうかね、オレは結構日本中いろいろ行ってるほうで、例えば那覇、また例えば仙台、札幌、大阪、名古屋、神戸・・・このあたりは結構くまなく裏筋まで廻ったものですが、オレん家の周辺よりよっぽど都会でした。

件の彼ら彼女らも、次回の上京時は臆せずあれこれ観て欲しいものです。そんなにおっかないところばかりじゃ無いはずなので。

亀田を擁護したいと思う。

改めてネットを徘徊するに、なんか亀田がやたら叩かれてるので、あえてちょっと擁護してあげようと思う。

まず、対戦相手の質が云々ってポイントですが、これはまぁ確かに高くは無いです。対戦相手選びの巧みさは称賛に値するものです。
でもそもそもプロボクシングの世界戦というのは、基本的に対戦相手の選択権は王者側にあるのです。それどころか試合開催国・会場、さらにレフェリー・ジャッジも王者側に選定の権利があります。
こんな非常識なことがまかり通ってるプロスポーツ業界などボクシングぐらいでしょう。つまり、亀田を対戦相手云々で叩くのであれば、プロボクシング業界を叩くべし、です。

また、確かに亀田の防衛戦の相手は微妙なメンツばかりですが、こういうことやってえるのが亀田だけかっていえば決してそんなことは無く、有名なところではモハメド・アリ。彼がベトナム兵役拒否のペナルティが切れて世界王座にカムバックした後の8度の防衛戦の相手など、昨今の亀田以下です。マジでどっかの酒場の用心棒を無理やり連れてきてやらせたりしてる感じでした。みんながみんなじゃないけども、そりゃもうヒドい相手ばかりだった。
要するに、亀田的な事柄ってのは、プロボクシング界には極めてありがちなことなのですよ。アリでさえそういう傾向があるくらいですから。

それにしても、亀田陣営の対戦相手選びは見事!です。決してハードパンチャーでなく、さほどフットワークが無く、少しだけ打たれ弱さがあって、あまり連打の出来ない相手。全部このフルイに引っかかった相手ばかりです。こういうのをよく見つけてくるなぁ、と思います。一戦や二戦じゃないから、こりゃタイヘンな仕事ですよマジで。

そして、戦いっぷりがつまらない、みたいな話ですが、それは彼のファイトスタイルなんだからしょうがない。殊更パンチ力があるわけでもなく、といって巧妙な連打ができるわけでもなく、さらに秀でたディフェンス力も持ち合わせないわけなので、勝つためにはああいうスタイルにせざるを得ないです。で、それは非難されるべきことじゃありません。
オレはもう30年以上プロボクシングを観てますが、亀田なんかマシな方です。今までも、オマエ(ら)はいったいなんなんだ???っていう世界戦、王者、挑戦者はいっっっぱいいました。イラリオ・サパタに手も足も出ず完封された友利正とか、亀田と同じバンタム級で、六車卓也と世界王座決定戦をやったアサエル・モランとか、TV解説者に「こりゃダメですね」とハッキリ言われたVS.ガメス戦の横沢健二とかね。オレが実際観た分だけでも枚挙に暇がありません。
(ちなみにこのガメスvs.横沢戦はホントにヒドい試合で、この試合でコリたフジテレビは以降30年近くボクシング中継を打ち切ってた、という。そういや上に挙げた3試合は全部フジテレビだったな)
こういうのに比べたら、亀田は一応勝ってるので、叩いたら可哀相です。

ああ、あと、判定がおかしい、亀田が負けてたんじゃないか?なんて話が試合のたびに出てきますが、これはまぁハッキリ言っておかしい時もありました。その最たるものが2009年の内藤大助戦で、これは亀田の4~6ポイント勝ちでしたが、これはムチャクチャでした。近代ボクシングの採点基準に照らせば明らかに内藤の勝ちです。試合後の「勝者、亀田!」ってコールを聞いて、オレはズッコけました。おいおい、って。
・・・でも、この試合以外は、得点差はともかく、いずれも亀田の勝ちでOKな感じですよ。そういう戦い方をしてましたからね。即ち、あわよくばKOも狙うけど、基本線としては小差判定勝ち狙い、という。

最後に、こんだけ業界内外から叩かれまくってるにも関わらず、亀田は腐らずちゃんと練習をこなしている。じゃなきゃあの体は保てません。これは称賛すべきことですよ。
普通イヤんなっちゃうよ、こんなボロカス言われたら。

大阪というか関西ネタ。

関西ネタです。
去年は2度ほど大阪というか関西に行きました。
告白すると大阪というか関西では、現地カメラマンと喧嘩したりホテルを断られたりなどロクな目にあってなかったのですが、昨年はほぼ良い思いしかしませんでした。なので認識を改めまして、今では「好きな街」のベスト5に入る勢いです。大阪というか関西はイイなぁ。もういっかい行きたいなぁ、なんて。

こないだ某GCMでも喋りましたが、殊更通天閣の周辺がイイ感じです。

そういえば大昔に某有名演歌歌手のPVの撮影でこのあたりに行ったのですが、先んじてロケハンした場所が軒並みマネージャー氏etcに却下されたりしたものです。
良かれと思って早めに現場入りして、それっぽい場所をリストアップして廻ったのですが、
“こんなところで撮影なんて、ウチのタレントをなんだと思ってるの?”
“まぁ東京の人にはわからないよね”
なんて言われて。

どんだけ危険な地域なんだよ!とか思ったのですが、昨年行ったときはさしてそんな感じもしませんでした、むしろ非常に魅力的というか、刺激的な街でした。オレん家の近所の方がよっぽど危険な雰囲気ですよハッキリ言って。
その数年後、天王寺の駅そばに宿を取ってロケetcしたこともありましたが、あのあたりの方がよっぽどイヤな感じだったな。

そういや某制作会社のカメラマン氏が西明石とかいう街の出身だそうなんですが、
“ああ、いいところですよ、安藤さん向きなんじゃないスかね”
なんて言われたことがあった。どういう意味かは不明。
でも西明石駅前の商店街は、目をつぶって通りにポンと置かれたら、江東区・墨田区の商店街と見分けがつかないね。ほぼ同じ雰囲気

ところでこの通天閣のあたりは、なんか「串カツ」なるものが名物なようで、前回は試みに入ってみました。名物に美味いもの無しといいますが、なんのなんの、非常に美味かったです。
でも、この手の名物にありがちな、値段の高さ、ね。これがネックだなぁ、と。
こういう街にこの値段はそぐわない=思うに環境客向け価格設定なんだろうな、と思う。そこいくと沖縄だと、どこで食ってもゴーヤーちゃんぷるーはたいてい安価です。ときどき妙な値段のとこもあるようですが。

昨年の関西ロケは尼崎なるところに宿を取っての、神戸の某工場での撮影だったのですが、あのあたりは建物も道路も非常にキレイに整備されてて、清潔感たっぷりなんですね。
現地のクライアント様にそんな話をしましたら、”ええ・・・地震でね、いったんなんにもなくなっちゃいましたからね・・・”と。
考えてみると東京在住者であるオレとしては、先だっての東日本大震災より、阪神大震災にあまり実感がありません。でも、かつて間違いなくドエライことがこのあたりで起こったんだよな、と改めて思った。

老いた。

高校の頃にはまだ回転ずしは一般的じゃ無かったような気がするので、たぶん大学生時代だったと思うのですが、当時オレは「回転ずし」に対してある種のこだわりを持っておりました。

即ち、何はさておいても、まずは16皿食べる。
でもって、16皿完食した時点での体調で、そのあとどれだけ食べるか決める、というものです。

言い換えると、要するに16皿食ってからがホントの食い始め・スタートだった、とという感じです。
ああ、もう16皿食ったか。じゃあカウント開始するか、みたいな

さらにさらに言うと、まず16皿食わないと空腹にさえならない、と言った方が適切かもしれません。16皿食って初めて一般的な空腹状態になる、という。
なんで16皿なのかは、なんか理由があった気がするのですが覚えてません。なんかしらんけど16皿がとにかく基準だった。

これは余談ですが、あの当時のオレは思うに食欲異常というやつで、これは高校時代ですが部活のあとなんかにグラウンドそばの菓子店でまず1.5リットルのコーラをイッキ飲み、その後みんなでラーメン+餃子+チャーハン食べて、解散したあと同じ帰り方向のヤツらと一緒に牛丼屋行ったりしてました。
なんかハラへらね?とか言って。

こういう傾向は大学時代もほぼ同様で、朝メシ食って家を出て、1限終わったらコンビニでオニギリ食って、昼メシは学食でカレー食って、その日の授業が終わったら向かいのゲーセンの隣のラーメン屋でなんか食って、帰りに池袋でファーストフード系を食って、帰宅してから夕メシ食う、という。これがほぼ毎日だったからね。

・・・・・・それはともかく、こないだ久方ぶりにスシロー行ったんです。
気の向くままに皿を取って、食って、ああ食ったなぁ、ハラいっぱいだ、となったところで皿の数を数えてみたら、16皿だった。

なにが言いたいかというと、オレは老いた、衰えた、もう昔のように食えないのだ、ということです。
昔だったらここからが本番だったのになぁ、と目前の16皿を見ながらさびしくひとりごちるのでありましたとさ。

かつて通った道だもの、と。

オレが子供のころの話ですから、さほど大昔のことじゃありません。少なくとも「歴史的」な出来事ってほどの過去ではありません。まぁ歴史的なモノサシで言うなら「ホンのつい最近」という範疇の事柄です。

当時のオトナたちのとって、歩きタバコ・路上ポイ捨ては当たり前でした。そして、当時のタバコは今のとは比較にならないくらいヘビーなものだったと思うのですが、そういうキツいのを子供がいようがメシ時だろうが構わず吸いまくりでした。後年大人になって、生まれて初めてタバコを吸ったとき、オレはまったく咽なかった。どころかいきなり、ああ、美味いなぁ!と感じました。副流煙によって知らず知らずのうちに「ヘビースモーカー」になってたんだろうと思う。

路上のそこかしこにイヌのウンコが転がってました。イヌのウンコなぞ珍しくもなんともなかったので、見つけても誰も騒がなかった。騒ぐほどのものじゃなかったので誰も片づけたりもしなかった。
それどころか・・・これはオレん家の近所だけのことかもしれませんが、団地のエレベーターの中などにはしばしば人間のウンコも転がってました。なんで人間のだってわかるかというと、チリ紙を一緒に転がってるからなのですが、そういうのも取り立てて騒ぐほどのことじゃ無かった。

某盛り場の商店街通りには、よくフンドシ一丁のオッサンが闊歩してました。通りすがりに近所の豆屋の店先に広げてある豆をやおらひとつかみして、そのまま去って行った光景、未だに目に焼き付いてます。

車の排気ガス規制は確か昭和53年から始まったと思うのですが、ってことはそれまで規制は存在しなかった、ってことはどの車も排ガス出しまくり・メーカーも遠慮なく排ガスが出る車を作りまくりだったはず。
さらに、工場もばい煙出しまくりでした。洗濯物を表に干すと黄ばんじゃったりしたものです。洗濯物が黄ばむくらいで済むはずもなく、重篤な公害病が全国各所で発生しいていた由。

家の中には常にハエがいました。年間を通して2、3匹は常駐していたように思います。これも前述のウンンコ同様、気にしても詮無いってことで放置されるのが常でした。

予防注射の針は、みんなで同じものが使われてました。針先をアルコールでチョイと拭くだけで、ハイ次の子、という感じだった。

TV観りゃ、ゴールデンタイムでも平気で女のハダカが出てきてました。ただ出てくるならまだしも、レイプシーンだったりしてね。
オレが初めて団鬼六原作の映画をみたのは、他ならずTVでしたよ

・・・こんなこと書き始めたらキリが無いのですが、なにが言いたいかというと、決してワレワレは余所の国のことを嗤える立場じゃありませんよ、と。
我が国もかつては充分ロクでもない環境であったはずです。だから、今そういう状況にある国に対して、まぁ言うべきことは言わにゃいかんですが、決して嗤うなかれ、です。

ここんとこ各隣国の状況に触れて、ただ嗤うだけ、ってリアクションを良く見るので、上記した次第です。

ではおやすみなさい。

国民栄誉賞について。

ここ数か月というもの1950年代のプロレス(いわゆるゴールデンエイジプロレスですね)にハマっておるのですがそれは置いといて、今日は近所の神社様の睦会総会に行って参りました。オレ自身は睦のメンバーでもなんでもないのですが、お招き頂きまして馳せ参じた次第です。

参加メンバーの皆さんは、どこの地域でもそんな感じだと思うのですが、やはり還暦過ぎた方が主で、っていうか還暦くらいだと「若手」、ともすれば「小僧」という感じだったりする状況なので、昼食会の席でもってここぞとばかりに往時のプロレスについて色々聞いてきました。みなさんおサケが少々入ってますの非常にざっくばらんに、細かく伺うことができました。

まず驚くのは、当時の子どもたちにおいて、プロレスの存在感がハンパ無いものであったということ。チビっ子たちは当時寄ると触ると、やれ力道山のチョップがどうだとかについて喧々諤々していた由です。
その結果として、力道山のことはもちろん、対戦相手の名前なども皆さん実によく覚えておられる。ルー・テーズ、ジェス・オルテガ、ザ・デストロイヤー、シャープ兄弟etc。60年も前のプロレスの諸試合についてこれだけ覚えてるってのはスゴいことです。それだけのものだった、ってことですね。これは想像以上でした。
普段お孫さんの世話なんかしてる方が、いやホント実に良く覚えておられる。
“オレは小さかったからそこまで覚えてないなぁ”なんて人がいると、お前は若いからわからないかもなぁ、なんて言われちゃうんだからね。皆さん還暦過ぎなわけですが。

あと、当時もプロレスの「真偽」についてが、しばしばその「喧々諤々」の遡上に上っていた由。
“力道山の空手チョップはホントは効かねぇんじゃね?”
“いやいやアレはノドに入れるから見た目より効くんだぜ!”
とか。
こういうのについてはオレなども昔、
“昨日古館(=実況)が、猪木、顔面に延髄切り!、って言ってたけどふつう顔面に延髄は無いよな”
とか
“馬場のチョップは絶対痛くねーだろ”
“いや、馬場は若手時代に手を鍛えてるからあれでもかなり効くんだ”
などと盛んに議論してましたので、非常に良くわかる話です。

あとあまり関係ないですが、当時のTV視聴はもっぱら「街頭テレビ」によるものだったわけですが。、
“キミ知ってるか?街頭テレビにはアンテナって無いだろ?”
と。
言われてみれば、記録映像などでみる街頭テレビには殊更なアンテナ類が見当たりません。これは当時、電波受信を遮断するような高層建物が無かったので、テキトーな受信設備でもある程度クリアに受信できちゃってたのではなかろうか、という結論になりました。
ちなみに街頭テレビでの放送時間はどちらかというと昼間帯が主だったそうで、この時間帯は子供らはもっぱら大相撲観戦、夜のゴールデンタイムに放送されるプロレスは、近所の喫茶店等に大挙して押しかけての視聴、というスタイルだったそうです。

この当時のプロレス興行は、小さくても東京体育館、大抵の場合は後楽園球場や関西だと大阪球場特設リングでもって行われてた由です。どの興業も常にフルハウス、しかしほぼ全員が実券客、昨今のように満員御礼であっても半分以上が新聞屋さんなどからの招待券客、なんてことは有りえず、それでも入りきれない人が大量に出ていたそうです。
こういう生観戦者プラス各種テレビ視聴ということで、要するに大げさでなく日本中がプロレス観戦に熱中してたってわけですね。プロレス観戦に、っていうか「力道山」に。

で、オレは思うのですが、やっぱり力道山に国民栄誉賞をあげるべきだよな、と。
これほど「国民」を熱狂させた功績は、無視していいものではありませんよやっぱし。

海もいいけど牧場もね、と。


ういえば2011年3月11日の夕刻、某キー局から、宮古馬に関する番組を制作するに当たり映像提供、引いては番組監修もお願いしたいという旨の電話を貰
いました。電話の最中にも余震が何度かあり、電話の向こうも火事場の大騒ぎだった様子で、対応のAD女史もひどく狼狽しておられ、今はそれどころじゃ無い
んじゃね?と思いながら会話した覚えがあります。
で、快諾したのですがやっぱりそれどころじゃ無かったらしく、話は立ち消えになりました。ゴールデンタイムのナントカっていう人気番組の1コーーナーだった由で、もし採り上げられてたら保存会の活動も少しは報いられてたかもしれないな、と。

4月25日発売の「乗馬ライフ」誌で、この宮古馬が特集されます。そのために先日、ちょー久々に当地の牧場主氏にお電話したのですが、現在その総数38
頭、2月に待望の仔馬2頭出産、とのこと。DVDの取材時は34頭だったので、まぁ微増、です。ただ、頭数の安定的な維持には最低でも50頭は必要という
説もあるそうで、残念ながら相変わらず深刻な「絶滅危惧」の状態にあることに変わりありません。

というわけで、宮古島に行かれたら、海もいいけど牧場もね、と。

たまには本を読まなきゃだめだね。

比較的気安く読めるエッセイやコラムを、との問いを受けて、オレとしてはサラッとごく自然に沢木耕太郎を勧めたのですが、帰社後なんとなく気になって今チョイとばかし読み返しました。「チェーン・スモーキング」と「バーボン・ストリート」(順不同)。
改めて読むと、ちょっとキザさがハナにつくところがあるなぁ、と
雨の昼下がり、雨音をBGMにミステリーを読んでいた。二回目の殺人が起こったところで部屋の電話が鳴った、とかってのは、もうね。本人もこのあたりの時期のは正直若書きだからゴメンね的なことをおっしゃってる由で、まあいいんですが。

あと勧めたのはボブ・グリーンの「チーズバーガーズ」だったのですが、これは約20年ぶりに読み返してもなかなかよろしい。ただ、20年ほど前にやたら出たボブ・グリーン作品ですが、井上一馬訳以外のはイマイチなんですね。ってことは想像以上に訳者の力が大きいのかもしれません。といって井上氏の訳が殊更高評価だったりって話も聞きませんが。

あと漱石の「夢十夜」。これは勧めなかったのですが、勧めりゃよかった。存外「気安く読める」ものでした。あ、でも「エッセイ」じゃないねこりゃ。

あと、勧めたかったけど「狐狸庵閑話」は勧めませんでした。若者にはムリなんじゃないか、ということで。

なにが言いたいかというと、たまには本を読まなきゃだめだな、と

理不尽。

今日は高校時代の部活の先輩たちetc計6人と会ってきました。もうお互いオッサンでもあるので昔のようにわけもわからず怒られたり、河川敷に正座させられた上にバットで○○されるようなことがあるはずもなく、極めて穏やか且つ楽しい時間ではあったのですが、何故かやはり普段より緊張し、結果非常に疲れました。でもまぁ心地よい疲れではありましたが。
こういう疲労感は考えたら久々で、要するに「先輩」という存在が年々少なくなってる、という現状が実存するわけです。これはさびしい事でもあるのですが、だからといってもうあんな思いはゴメンなのであります。

で、来月は新卒で入った会社の先輩にお会いします。ここでもオレはある意味高校時代以上に怒られまくったわけなのですが、高校時代と違ってそれは理不尽なものではなく、オレ自身なんで怒られてるかの明確な理由をシッカと認識しているので、なんというか、もうハラはくくっているのであります。

ここまで書いて思い出したのですが・・・この「新卒で入った会社」で、ある時オンライン編集(!)のアシスタント(?)に当ったことがあります。
3日間に渡って行われたのですが、昼メシの弁当発注という重要業務がオレの担当でした、で、初日に頼んだKAKIEMONの「和風ハンバーグ御膳」がメチャクチャ美味かったので、翌日も翌々日も同じのを頼んだら、ディレクターの先輩(上記の方では無い)にそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒られまくったのでした。

「なんで同じもの食わすんだ!!!」って。

なんでって、美味かったからなんだけどな・・・とか内心思ってたのですが、3日間同じ昼メシを食わされるのは一般的には不快なことなんだな、ということをオレはそこで学んだ次第です。

それから約10年後、某CATV局の番組・某江戸三大祭本祭生中継のチーフになった際、後輩の若者に昼メシの弁当発注という重要業務を担当させたことがあります。
やはり3日間に渡るロングランだったのですが、初日の「ビビンバ・カルビ弁当」が猛烈に美味かったのでその旨を伝えたにもかかわらず、2日目が違う弁当だったので、オレはそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒りまくったのでした。

「なんで違うもの食わすんだ!!!」って。

・・・今思うと、最も理不尽なのはオレなのかもしれないな、という。