国民栄誉賞について。

ここ数か月というもの1950年代のプロレス(いわゆるゴールデンエイジプロレスですね)にハマっておるのですがそれは置いといて、今日は近所の神社様の睦会総会に行って参りました。オレ自身は睦のメンバーでもなんでもないのですが、お招き頂きまして馳せ参じた次第です。

参加メンバーの皆さんは、どこの地域でもそんな感じだと思うのですが、やはり還暦過ぎた方が主で、っていうか還暦くらいだと「若手」、ともすれば「小僧」という感じだったりする状況なので、昼食会の席でもってここぞとばかりに往時のプロレスについて色々聞いてきました。みなさんおサケが少々入ってますの非常にざっくばらんに、細かく伺うことができました。

まず驚くのは、当時の子どもたちにおいて、プロレスの存在感がハンパ無いものであったということ。チビっ子たちは当時寄ると触ると、やれ力道山のチョップがどうだとかについて喧々諤々していた由です。
その結果として、力道山のことはもちろん、対戦相手の名前なども皆さん実によく覚えておられる。ルー・テーズ、ジェス・オルテガ、ザ・デストロイヤー、シャープ兄弟etc。60年も前のプロレスの諸試合についてこれだけ覚えてるってのはスゴいことです。それだけのものだった、ってことですね。これは想像以上でした。
普段お孫さんの世話なんかしてる方が、いやホント実に良く覚えておられる。
“オレは小さかったからそこまで覚えてないなぁ”なんて人がいると、お前は若いからわからないかもなぁ、なんて言われちゃうんだからね。皆さん還暦過ぎなわけですが。

あと、当時もプロレスの「真偽」についてが、しばしばその「喧々諤々」の遡上に上っていた由。
“力道山の空手チョップはホントは効かねぇんじゃね?”
“いやいやアレはノドに入れるから見た目より効くんだぜ!”
とか。
こういうのについてはオレなども昔、
“昨日古館(=実況)が、猪木、顔面に延髄切り!、って言ってたけどふつう顔面に延髄は無いよな”
とか
“馬場のチョップは絶対痛くねーだろ”
“いや、馬場は若手時代に手を鍛えてるからあれでもかなり効くんだ”
などと盛んに議論してましたので、非常に良くわかる話です。

あとあまり関係ないですが、当時のTV視聴はもっぱら「街頭テレビ」によるものだったわけですが。、
“キミ知ってるか?街頭テレビにはアンテナって無いだろ?”
と。
言われてみれば、記録映像などでみる街頭テレビには殊更なアンテナ類が見当たりません。これは当時、電波受信を遮断するような高層建物が無かったので、テキトーな受信設備でもある程度クリアに受信できちゃってたのではなかろうか、という結論になりました。
ちなみに街頭テレビでの放送時間はどちらかというと昼間帯が主だったそうで、この時間帯は子供らはもっぱら大相撲観戦、夜のゴールデンタイムに放送されるプロレスは、近所の喫茶店等に大挙して押しかけての視聴、というスタイルだったそうです。

この当時のプロレス興行は、小さくても東京体育館、大抵の場合は後楽園球場や関西だと大阪球場特設リングでもって行われてた由です。どの興業も常にフルハウス、しかしほぼ全員が実券客、昨今のように満員御礼であっても半分以上が新聞屋さんなどからの招待券客、なんてことは有りえず、それでも入りきれない人が大量に出ていたそうです。
こういう生観戦者プラス各種テレビ視聴ということで、要するに大げさでなく日本中がプロレス観戦に熱中してたってわけですね。プロレス観戦に、っていうか「力道山」に。

で、オレは思うのですが、やっぱり力道山に国民栄誉賞をあげるべきだよな、と。
これほど「国民」を熱狂させた功績は、無視していいものではありませんよやっぱし。

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