スーパーカブを購入。

12月頭に新車のスーパーカブが弊社にやってきます。ってもう12月だからまもなく納車。小澤さんありがとう。助かりました。

  こないだ代金の支払いと各種書類の提出に行ってきました。その時にも聞いたのですが、我が初代カブ号と比すると最新機は想像を超える進化を遂げておる由。
まず、今のバイクには「キャブレター」が無いんだそうで。4輪だとこれはもうとっくに無く、燃料供給に関しては全て電子制御だとは聞いてましたが、原付の、それもカブでさえそうなんですね。これは結構ガチで驚きました。
もう灯油だかガソリンだかでキャブ掃除しなくてもいいんだな。でも不調の時はもう自分でイジれないってことですね。

  あと、エンジンの起動がセルだった。これについては考えたら今までセルモーターでエンジン起動させるバイクに乗ったことが無いのでちょっと不安だったりします。今までのバイクは全てキック起動でした。でも聞いたらキック起動も可能だそうで、まぁ良かった。

  あと「慣らし運転」が500kmだったか1000kmだったか忘れたのでバイク屋のオッチャンに聞いたら、今はことさらそこに頓着する必要は無いんですってね。オレの記憶だと1000kmだか500kmだかまでは○回転以上エンジンを廻しちゃいけないとかそういうのがあったですが、今はそういう感じじゃ無いっぽい。
まぁ最初のうちはおとなしく乗った方がいいですよとか言われましたが、そもそものところで荒っぽく運転するつもりも無いんでね。モノがカブですからなにしろ。
確かに4輪を買ったときにミツビシのアンちゃんに同じ質問したら、なにアナクロなこと言ってんだこのオッサンみたいな顔をされて、今どきは新車でも工場出荷時にテストでガンガン廻すので慣らしとか意味無いっスよ!とそういえば言われたですが、でも50ccだから必要なのかな、と思ったのですよ。我が国の工業製品における工作精度の高さに瞠目する次第です。

  あとあと、オイル交換の時に都度ボルト&ワッシャーを交換する必要が無いんだと。
ええホントに?と思うのですが、バイク屋さんが言うんだからそうなんでしょうね。
そういえば数年前に純正のボルトetcを求めてバイク屋さんを数軒廻ったとき、その全てで「在庫なし・取り寄せ」だって言われて、メンドくさくなってオイル交換自体を止めた、ってことがありました。つまり、そういちいち換えるものじゃないってことですね。だからお店もさほど在庫しない、と。

  あとこれが一番ビックリだったのですが、我が初代カブはガチの実測で90km/リットルくらい走るのですが、この程の新車は「いやぁ、もうちょっと走りますよ」とのこと。
なんだその低燃費。これはホントなのでしょうか。

  しかし、初代のカブね。これはざっくり20年ほど前に購入したもので、サラリーマンを辞めた当時は唯一の足として、ヘタしたら収録にもこれで行ったりしたものです。それだけの愛着のあるものです。これともお別れなんだな、と思うとちょっと淋しい感じもあります。
でもまぁ結構乗ったからな。距離そのものは1万kmとちょっとですが、それは単なる数値以上に濃密なものでした。結果フロントフォークはよれ、フロントブレーキは効いたり効かなかったりし、エンジンオイルはそこかしこで漏れ、ヘッドライトは点灯したりしなかったり、と、ありていに言って満身創痍。ここで御役御免というのが良いタイミングかな、とも思う次第です。

デジタルとアナログについて。

もう10年以上も前の話ですが、当時としては斬新だった(っていうか斬新過ぎてすぐ潰れてしまったのですが)「地域情報インターネットTV」サイトの運営に関わってたことがありました。
 
相変わらず最近でも煽り文句として用いられる「デジタル新時代の象徴」みたいな惹句でもって華々しく公開、その目玉の一つがWebページ上で誰でもオンデマンドで(当り前ですが)操作できる街頭カメラ、というものでした。
 
どこかのビルの上階に設置したカメラの映像をWebページ上に埋め込みまして、その直下ある上下左右の矢印をクリックすることで、カメラの向きを誰でも変えることが出来る、という、今となってはさほど珍しくも、また難しくもないものですが、当時としては結構なスグレモノで、また結構お高いシステムだったりしたものです。
お値段相応に、公開当初から結構な人気コンテンツでした。「結構」の3連発。
 
しかしながら、この「誰でも変えられる」という所に盲点がありまして、即ちカメラの向きをいじると至近にあるビルのテナントであるキャバクラの更衣室の窓が見える、ということがやがて判明。

この段階でトットと取り外してしまえばコトが済むわけですが、そこそこの投資を経て設置したものだけにそう簡単にはいかない、ということで、システム担当の方は試行錯誤して管理者権限のある者以外操作できないようにしたのですが、2ちゃんねるに「いろいろ捗るWebカメラ」として挙げられるに至り、かくして約1か月間に及ぶデジタルいたちごっこが勃発。

最終的にどうしたかというと、カメラのリモートコントロール雲台をガムテで固定、という荒業に出て、この不毛な「いたちごっこ」に勝利したのでした。
 
オレ自身はカメラ設置の少し前に運営から抜けてたのですが、傍で見つつ、やはり「アナログ」が強いんだな、と思ったものです。
 
そういうものです。
’70年代というともう50年、半世紀ほど前になるわけですが、当時のハリウッド映画の銀塩フィルムの解像度は、デジタルメディアとして換算するとざっくり現在の8Kよりチョイ上くらいな感じだそうです。
考えてみれば「デジタル」は「アナログ」の翻訳版、若しくは基本的原理的に「無限大」であるアナログをカスタマイズ化したものが「デジタル」であるので、そもそも同じ土俵に並列に立たせること自体が無意味なのです。
デジタル化による恩恵を享受しまくってる身としては、謙虚にならねば、ということです。

「令和」に当たって。

そういえば平成元年1月8日も朝から雨だった気がします@東京。昭和天皇の葬送列が雨中を進むようすをブラウン管テレビで観ていたように思います。

「令和」の瞬間も東京は雨模様です。つまりあたりまえですが新天皇のおわします宮城も雨。恵みの雨の中で我々は新元号を受け入れ、新陛下をお迎えすることと相成ったわけですね。それもまたよし、であります。 

平らかに成るという意による「平成」は、その名の通りの「何も無かった時代」とはなりませんでしたが、それでも概ねヘイワな時代だったとは思えます。令和もその名の通り麗しい時代となって欲しいものです。 令和の世も弊社はたいらけくやすらけく在りたいと思います。引き続きどうか宜しくお願い致します。

富田靖子と「さびしんぼう」と今日の新年会。

今日の新年会、隣席の方は大林宣彦の尾道三部作に感化されて尾道にハマり、以来アラフィフになる今日まで年に3回、多い時で5回は当地に赴いているという方でした。
必然的に会話は尾道三部作に関してが中心になり、やれ「さびしんぼう」の百合子がヒロキに、自分はそんなキレイな人間じゃないから追っかけてくんな的なことを最後の最後に言い放つ場面の根底には日本神話におけるイザナギ・イザナミに通じる純日本的思想があるのだとか、「時をかける少女」で原田知世に白いブルマを穿かせるという発想は真正のロリコンでなければ出てこないとか、会場正面のカラオケで歌われている「東京五輪音頭」などをBGMに、そういう話題に花が咲くことと相成ったのでありました。

氏は「さびしんぼう」が大林の最高傑作だとおっしゃる。オレとしてはさほど大林作品に触れてるわけでは無いのでいわく言い難いものの概ね同意です。

で、オレとしてはこの時期の富田靖子の卑しい取り巻き連中にひとことありまして、「さびしんぼう」公開終了後、あれは恐らく1か月経ったか経たないかくらいの時期だと思うのですが、たまさか当時日本橋にあった東急デパートの屋上に行ったら、その富田靖子の「ミニコンサート」が催されてまして、“では今度の靖子チャンの新曲「スウィート」です!”とかいう感じで、フリフリ衣装の富田靖子がアイドル丸出しの歌をアイドル丸出しの衣装で歌ってまして、なんというか、「さびしんぼう」でもってまごうかたなき名演技を披露した彼女が、どうしてこういうアホな仕事をさせられなきゃならんのか、と、大袈裟でなく激怒したものです。
この日は日曜日で、翌日学校でも激怒して周囲にモンク言いまくった記憶があるので、もしかしたら同級生でこれを記憶してる方もおられるかもしれませんが、繰り返しになりますが「さびしんぼう」での彼女の仕事は珠玉のもので、当時有望な若手女優がカドカワ関係しかいないとか言われてる中、将来を嘱望されてしかるべき存在だったと思うのですが、にも拘らずその次の仕事が

シングル「スウィート」(c/w)「嫌いキラキラ愛してる」

って、それはないんじゃないか、と。

結局・・・あんまし詳しくは無いですが、富田靖子は「女優」としては「南京の基督」くらいしか着目すべき作品は無いんじゃないかと思う。
これはひとえに、当時の卑しい取り巻き連中どもに見る目が無かったが故の悲劇で、彼らの責任は重い、とオレは強く思う次第です。

今日の会話と、先だっての引越しの際に、このミニコンサート時に行われたジャンケン大会でインチキしてゲットした「YASUKO SWEET ハンドタオル」が出てきたので、思い出した次第です。

アルバムの件。

学校の「卒業アルバム」って何のためにあるのでしょうか。言われてみればオレの周辺で、小・中・高校の卒業後にアルバムや文集を改めてひもといた、なんて話を聞いたことがありません。オレも昨日だいたい30年ぶりくらいに中学のアルバムを開きました。
昔は卒業生全員の住所に電話番号が載ってたりしましたので、それをまとめてデータベース屋やブルセラショップに売っちゃうやつがいた由。でも昨今じゃそういう個人情報は載らなくなったと聞きます。こりゃいよいよもって納戸の肥やしでしかなくなってんじゃなかろうか、と。

昨今じゃみんなスマホやらチェキやらで学内でも日常的に写真撮りまくりで、それらは直ちに安価もしくは無料のストレージに保存されるか、都度ヨドバシやら55ステーションあたりでプリントアウトされて保存されるのが常だそうです。
オフィシャル?な卒業集合写真も間違いなく2L版とかで全員に配られる由。そうなると改めてのアルバムの必要性はもはやゼロなんじゃないかと思うのですが、その辺どうなんでしょうか。

個人的には、ある種の「〆(締め)」として有って良いんじゃないかとも思えるのですが、なんとなくそんなオレは少数派な気もします。

「練習の厳しさ」について。

高校時代の部活の話なのですが、こと「練習の厳しさ」ってことで言うと・・・例えば夏合宿、確かにこれはホントに朝から晩まで直射日光の中で走り回ってたわけで、相応にキツいものではありました。

しかし、当時よく言いあってたのは、硬式野球部の練習はこんなもんじゃないらしいよ、ということでした。甲子園を本気で狙えるレベルでしたのでむべなるかなではあります。練習内容のみならず、先輩後輩の上下関係もしかり。
そうか、じゃあオレらなんかまだマシなんだなぁ、ということで妙なコンセンサスが取れていたように思います。

で、後年になって、その硬式野球部だった方にお会いしたのですが(=先輩にあたります)、いわく

“いやぁ、PLとか池田なんかはこんなもんじゃ無いらしいよ”

とのこと。「甲子園を本気で狙えるレベル」と、「甲子園での優勝を本気で狙ってるレベル」で、単純に練習密度にはかなり差があるんだよ、と熱く語っておられました。
当時のPL、桑田・清原に、立浪なんかがいた時代ですね。池田高校には元巨人の水野とか。
・・・なにしろ、どんだけスゴい練習なんだろう、と思ったものです。

で、さらに後年、かつてのPLや池田高校に準じるレベルの高校野球部出身の方にお話しを伺う機会があったのですが、氏いわく、

“いやぁ、言っても高校の部活だからね。プロレスの道場なんかはこんなもんじゃ無いらしいよ”

とのこと。

さすがにプロの世界になるとハンパじゃないんだな、と思ったものです。
実際プロレスのトレーニングは非常にキツいものだそうで、ぶっちゃけ何人も死んでたりしますからね。

しかしながら、さらにさらに後年、某プロレス団体の取材をする機会が有りまして、選手の皆様にインタビューなどしたのですが、選手の皆さん口をそろえて“新人時代はキツかった・・・”と仰る中、ある陸上自衛隊出身の選手いわく、

“いやぁ、言ってもスポーツですからね。自衛隊のときの訓練に比べたらさほどでも無いですよ実際”

とのこと。

なにがいいたいかというと、自衛隊最強。

もうすぐ選挙だってことで。

10年ちょっと前、ある「国会議員」のセンセイを取材する機会があったのですが、取材後に秘書の方との雑談で聞いた話。
聞いたというか「聴いた」という感じで、こちらは専ら秘書女史の話を拝聴するばかりだったのですが、いわく、

・ウチのセンセイは、小学校入学時の「将来の夢」の時点で「総理大臣になる」と書いていた

・その後も同様の質問に対して「総理大臣になる」以外の答えをしたことがない

・受験も、就活も、友人も、恋愛も結婚も出産も、全て「総理大臣になる」ためにはどうすべきか、で決めてきている

・逆に「総理大臣になる」ために不要だと思ったことを切り捨てるのに一切躊躇が無い。

・とにかく、人生全てを「総理大臣になる」ことに捧げてきている

とのこと。
「総理大臣」になって何をどうするどうなる、とかってことは一切考えず、とにかく物心ついてから政治家になって「総理大臣になる」ことだけを考えて生きてきている、それ以外は一切考えない、という。
すげぇ話だなぁ、と思ったものですが、秘書女史いわく、

でも、政治家っていうのはそれくらい…ちょっと狂気を感じるくらいでなきゃ・・・

とのことでした。
この秘書女史はオレの人生で出会った女性の中でベスト3に入る美女でしたが、遠い目でひとりごちでおりましたよ。

その善悪や功罪はともかく、政治の世界っていうのはある意味で格闘技のそれに近しいんだなぁ、と思ったものです。これくらいでないとピラミッドの頂点にはたどり着けないものなのかもしれません。
このセンセイの場合は家柄もさほど良いわけでもなく、っていうか貧農の出で苦労されたという話だったりしたと思うので、なおさらそうなんでしょう。
肉食系・草食系とか言われますが、この世界は100%こういう肉食系な人たちでひしめき合っているんですねきっと。いやぁ、スゴい世界です。甘い世界では無い。

ところで当のこのセンセイ、取材後数年は順風満帆だったものの、後年なにやらコケてしまわれまして、現状ちょっと「総理大臣」どころか政治家であり続けることも難しいかな、という状況です。
っていうか、正直な話、とっくに引退したのかと思ってました。

ところが、こないだ今回の「立候補者」リストを見たら、普通に立っておられて驚きました。
満面の笑顔の写真があった。ずいぶん老けたなぁ、と。

メガネ。

ここ1、2年で視力がやたら減退しました。それも左目だけ。
さきほど視力測定してきたのですが、右目は0.7くらいで、左目については具体的数値は聞きそびれたものの、「右目より6段階ほど悪い」とのこと。なんだかよくわかりませんが、とにかく、あまりよろしくない状況だってことだけはわかります。。
※今ちょっと試してみたのですが、まっすぐ前に左手を伸ばすと、手首くらいのところがもうボケてしまいます。

ところで、この7月に免許の書き換えをしなきゃならんのですが、そこで思い出したことがあります。前回の書き換え時、視力のところで引っかかりまして、何度か試みた挙句に殆どオマケのような感じで通してもらったのです。
小声で、今回だけだかんね!的なことを言われた気がします。

あれから視力が回復したとも思えず、どころか前述のような状況ですので、恐らくこのままでは書き換えをパスできなかろう、ということで・・・先ほど「視力測定をした」と書きましたが、実は、一念発起してメガネを作りに行ってきたのでした。

生まれて初めてのメガネですので、やることなすこと初めて尽くしで、妙なアレですが、面白い経験をしてきたなぁ、という感じでします。
っていうかメガネって10万くらいすんのかと思ってたら、安くてビックリしました。今回は要するに免許書き換えさえクリアできればいいだけの用途ですので、とにかく安けりゃOK、という大前提だったのですが、6千円とちょっとってのは予想外でした。
しかも、店に行って、1時間後くらいにはもう渡してもらえちゃうのね。
そんなもんですか。

あとレンズがプラスチックで驚きました。レンズってガラスじゃ無いんですか、と聞いたら、メガネ屋のアンちゃんはちょっと笑ってた。これも、へぇ、そんなもんですか、と。

さらに、
“お客様は生まれて初めてのメガネでらっしゃるので、きっと最初は掛けると気持ち悪くなったりなどされると思います。そんなこんなでもし掛け心地が悪かったり、どうしても気持ち悪い感じが続くようでしたら、2回までは再測定&レンズ交換も無料ですので”
なんて言われました。
そんなものなの?マジで?という感じ。これも含めて総計6千円ちょっとってか。世のメガネ屋はそんなんでやっていけるんでしょうか。薄利多売も極まれりです。

有難いことにオレには今のところ老眼の波は押し寄せてきてませんので、免許書き換えの時に世話になるだけで済みそうな按配ですが(ってもちろん免許に「条件:眼鏡等」がついたら、運転時には掛けますよもちろん)、これも思うに時間の問題なんでしょう。

恐ろしいことです。

「将棋電王戦」雑感。

精鋭プロ棋士と「コンピューター将棋ソフト」が対戦する「将棋電王戦」。昨日「第4回電王戦」の第4局が行われましてプロ棋士・村山慈明七段が敗北、都合2勝2敗で第5局=最終局で雌雄が決せられる、というドラマチックな展開と相成りました。
第5局で阿久津主税八段が勝てば3勝2敗でプロ棋士側の勝ち越し、負ければCOM側の勝ち越し、となります。
 
以下はこの「電王戦」に関する雑感です。
 
数年前からあちこちで書いてるのですが、「人間」と「COM」が対局するに当たり、そもそも「人間」vs.「人間」の際のルールが適応されるというということに意味があるのだろうか、という疑問があります。非公式戦ですので特段に意味がなければならない理由も無いのですが。
コンピューターはあくまでもコンピューターであって、人間では無い。記憶や解析のシステム、引いては流れる時間そのものが人間のそれとは異質別質なものです。そういうものとの対局において、勝った負けたで一喜一憂することにどれほどの意味があるのか、と思うわけです。もうそういう段階でも無かろう、と。
 
っていうかですね、そもそも対人ルールで「コンピューター」と対戦して、人間が勝てるわけねーだろ!というのが私的な意見です。
そうでなきゃおかしい。またそうでなかったら、現状のコンピューター技術は少なくとも「将棋」の世界においてはまだまだ使い物にならないレベルだということになってしまう、と思うのです。
人力では取り扱えないほど重いものを運びたいからダンプだユンボだフォークリフトだ、と発明され、いちいち暗算やソロバン使ってる場合じゃないからってことで電卓が生まれ、我が業界に関することで言えば、コマごとにカッターで切ってスプライシングテープでつないで貼ったりしてたんじゃ速報性etcに対応できないからノンリニア編集システムが出来たりしてるわけで、それらには前提として「人間がやるより優秀である」必要がある(あった)わけです。人間がやるより効率的、高クオリティであることを求めて、人は「ツール」を使うわけですから。
 
「コンピューター将棋ソフト」も然りで、対人ルールだったら当たり前のようにCOMの方にに勝ってもらわなきゃいけません。
でなきゃ意味が無い。存在する意義がありません。
 
そういう意味で、第2回電王戦の第5局、将棋ソフト「GPS将棋」を東京大学にある600台超のPCを連結させた状態で稼働させ、当時A級バリバリだった三浦八段(当時)と対局させたあの1局、これが「コンピューター将棋ソフト」が人間にとって使い物になるレベルのツールであるかどうかの貴重且つ有意義な試金石だったわけですね。
果して「GPS将棋」は三浦先生に勝利し、ここに「コンピューター将棋ソフト」は人間にとって有益なツールである、ということの証明としての貴重な一歩が記されたわけです。
「対人ルールで「コンピューター」と対戦して、人間が勝てるわけねーだろ!」という、極めて当たり前な図式が公に成り立った瞬間であった、と。
同時にこのことは、人間vs.COMにおいて、「勝った負けたで一喜一憂する」ことが無意味になった瞬間でもあった、と思う次第です。
 
さらに同時に、「コンピューター将棋ソフト」、引いてはゲームプログラミング、また「人工知能」といった関連付け可能な分野において、このことは貴重な「スタートライン」だったのかもしれません。
もはや「勝った負けたで一喜一憂」してる場合ではありません。「人間」vs.「人間」の際のルールが適応される状況下で人間が負けるのは当たり前。そうでなきゃ困るのです。
あの1局を境に、私たちはそういうところから脱却し、次の人間とCOMとの共存共栄の為の一歩を踏み出すべき段階に入った、と言えるかと思います。
 
さて、この「将棋電王戦」には、恐らく多くは興業的な都合によって「人類vs.コンピューター」という極めて単純明快な対立構図が設定されています。
「vs.」という分かりやすい構図が無いと、なかなか広い層への訴求は難しいですからね。これは仕方の無い(!)ところでしょうか。
 
対人ルールを適用するとコンピューター将棋ソフトがほぼ勝つ、というのは、前述のGPS将棋で明示された事柄なわけですが、やはり前述の通りここをスタートラインとすると、必要なことは「継続」ということになるかと思います。
 
継続させるにはぶっちゃけた話「カネ」が要るわけで、「カネ」をかけなきゃ双方の発展も難しい・・・・・・ということで、単純な対立構図を保持したまま「コンピューター将棋ソフト」と人間の双方に有益な形で「継続」させるというのは非常に難しいことだと思うのですが、その辺り、この電王戦関連は非常にスピンオフ企画が面白いです。
既存の対人ルールから離れ、では持ち時間を図抜けて超時間にしてみたらどうなんだろうか、とか、人間と「コンピューター将棋ソフト」、純粋な棋力ではどのような優劣、差異が出るんだろうか、と、面白い&非常に有意義に思える企画が多く実現しています。
 
逆に言うと、既存の対人ルールでの単純な「人間vs.コンピューター将棋ソフト」という図式には、もはやポジティブな意味は無いと思えます。
そういう意味で・・・・・・開催中の第5回電王戦は「final」と銘打たれておりますが、賢明だな、と思う次第です。

浜の真砂が尽きても世間話のネタはつきない。

ご近所にある、お世話になってる神社さまがこの連休にお祭りですので、今日はチョイと早起きしまして、やはり近所の酒屋さんにおサケを買いに行きました。
まずそこで、酒屋のオッチャンオバチャンとしばし世間話。
 
おサケ購入後、そのまま神社さんにお納めに行きまして、そこでしばし宮司さんと世間話。
 
そのあと、先日納品した動画の使われっぷりを確認しにビッグサイトまで行ってきました。
そこで、クライアント諸氏及び代理店氏と、ここではちょっとだけ世間話。
 
で、帰社したときには既に夕方でした。
 
振り返るに、今日は一日世間話ばかりしてた気がします。浜の真砂が尽きても世間話のネタはつきないのです。
 
酒屋のオッチャンと、この辺りはゼロメートル地帯どころかマイナス3メートルだから、川の氾濫なんかあるとタイヘンなんだよな、なんて話をちょうどしてたところでした。その数時間後に記録的豪雨に遭うとは夢にも思わなんだ。
 
宮司さんは山形出身だそうなのですが、戦後山形の空港がGHQ?に接収され、その結果「青い三角の帽子をかぶった米兵」+日本人女性のカップルがそこかしこに溢れ、その後をついていくとガムやらチョコレートやらをもらえた、とのこと。
「ギブミーチョコレート」の話を実体験として聞く、という、貴重な体験をしたのでした。
 
今回納品した動画は、企業展示会における企業ブースのひとつで定時に行われるプレゼンテーション時に用いられるもので、オレが収めたのはBGM&SE付きの動画で、いわゆるプレゼンテーションNaはコンパニオンの方が現場で生でしゃべるのですが、クライアント氏から、このコンパニオン女史が去年と比べて上手いとかヘタとか、2編のプレゼンのうちどっちの集客がどうだとか、いろいろ伺いました。
代理店氏とは、企業展示会において代理店はどこからどこまでが仕事範疇かについて興味深いお話を伺いました。ちょっとだけ動画のダメ出しもされました。

ということで、一日中世間話に明け暮れた今日だったわけですが、特筆すべきは取り交わされた会話の中身の振り幅が広かった、ということですね。
 
ともすれば狭い狭い世界の中だけで完結できてしまう弊社の業界ですが、ゆめゆめそれで完結せず、幅広い視野を持たなければいけません。
ただでさえ、「ギョーカイ」なんていって、自分らの視野の狭さを露呈して憚らないヤカラの多い我が業界です。そういうイヤミで悪しき意味でのオタクに堕ちないように留意しなければいけません。なにより人として。